本家
五月六日。
連休最後の午後。
四代目天龍会本家では、今日も正門を人と車が出入りしていた。
石垣と白壁に囲まれた広大な敷地。その奥には、瓦屋根を重ねた大きな本館が構えている。正門から車寄せへ続く道には黒塗りの車が並び、玄関や廊下では若い衆が絶えず動いていた。
傘下およそ一万人。
直参だけでも八十近い組を抱える四代目天龍会。その本家ともなれば、世間が連休だからといって止まることはない。
組同士の揉め事、傘下から上がる報告、金の話、人の話。祝い事があれば弔いもある。大小さまざまな話が、毎日のように本家へ持ち込まれていた。
新道は自分の部屋で、一冊の帳面を開いていた。
机には伝票と書類が積まれている。
四代目天龍会本部長、新道宏一。
六十八歳。自らも新道組を率いる直参であり、長年にわたって本家の金を預かってきた男だった。
傘下から本家へ入る金。
本家から出ていく金。
祝い事や弔い、組織を維持するために必要な金まで、天龍会ほどの規模になれば動く額も桁が違う。
新道は一枚の伝票へ目を通し、帳面の数字と照らし合わせた。
僅かな違いでも見逃さない。
金は嘘をつかない。
誰が何を言おうと、入った金と出た金は必ずどこかに残る。
長く本家の金庫番を務めてきた新道が、何より信用しているものの一つだった。
確認を終えると帳面を閉じた。
「これ、戻しとけ」
「はい」
横に控えていた若い衆が帳面を受け取る。
新道は椅子から立ち上がり、部屋を出た。
磨き上げられた長い廊下を奥へ進む。壁には歴代会長の写真が並び、すれ違う若い衆は新道の姿を見るたびに足を止めて頭を下げた。
廊下のさらに奥。
重い木製の扉の前で、新道は足を止めた。
「新道です」
「入れ」
扉を開ける。
会長室は本家の他の部屋とは少し趣が違っていた。
壁には大きな「天龍」の書が掛けられ、その下には重厚な執務机が置かれている。応接用の革張りのソファと低い卓、棚にはいくつかの置物と書類が整然と並び、部屋の一角には日の丸が立てられていた。
その執務机の向こうに、四代目天龍会会長がいた。
新道は中へ入り、扉を閉めた。
「会長。明日、執行部を集めてます」
会長が書類から目を上げる。
「例のあれか」
「はい」
それだけで話は通じた。
四月三十日の夜。
天龍会の直参十二人が、本家の声掛けではない席に集まった。
その報告自体は、すでに数日前には本家へ届いている。
誰が出席して、どこで集まり、誰が席を用意したのか。
分かる範囲のことは確認されていた。
ただ、直参が十二人も揃って集まり、何を企んでいるのか、その一番肝心なものだけがわからない。
「その後は」
会長が聞いた。
「今のところ、表立った動きはありません」
「そうか」
会長は短く答え、手元の書類へ視線を戻した。
新道も余計なことは言わなかった。
十二人が一度、同じ場所へ集まった。
それだけなら、規約に触れるような話でもない。
直参同士が酒を飲むこともあれば、付き合いで同じ席になることもある。長く同じ代紋を背負っていれば、本家を通さず顔を合わせることなど珍しくなかった。
問題があるとすれば、人数だった。
一人や二人ではない。
十二人。
しかも、その全員が天龍会の直参である。
だからといって、何かを企んでいると決めつける材料もない。動きがない以上、本家から騒ぎを大きくする理由もなかった。
「明日は何人や」
「執行部は全員、来る予定です」
「そうか」
会長は煙草を一本取り出した。
新道が机の端に置かれていた灰皿を寄せる。
「何時や」
「十一時です」
「分かった」
火が点く。
煙がゆっくりと部屋の中へ上がった。
会長はしばらく何も言わなかった。
新道も待った。
やがて会長が口を開く。
「新道」
「はい」
「まだ余計なことすんなよ」
「分かってます」
「集まっただけで騒いだら、本家の方から話をでかくすることになる」
「はい」
呼びつければ、呼びつけたという事実が残る。
問い詰めれば、本家が十二人を疑っているという意味になる。
何も起きていない段階では、その一手が新しい火種になることもある。
一万人を抱える組織では、本家が一つ動くだけで、その意味を読む人間が何百人といる。
動くことにも意味がある。
動かないことにも意味がある。
「明日は、まず話だけです」
「ああ。それでええ」
会長は煙を吐いた。
「皆がどう見とるか聞こか」
新道が頷いた。
「ほな、失礼します」
「ああ」
新道は頭を下げ、会長室を出た。
長い廊下へ戻ると、若い衆が待っていた。
「本部長」
「なんや」
「明日の部屋、用意できてます」
「席も確認しとけよ」
「はい」
「十一時や。遅れるいう連絡あったら俺に上げろ」
「分かりました」
若い衆が離れていく。
廊下の先には、明日の会合に使われる大広間がある。
普段から誰でも入れる場所ではない。
天龍会の方針に関わる話がある時、会長と執行部が顔を揃える場所だった。
新道は一度だけそちらへ目を向けると、自分の部屋へ戻った。
机の上には、先ほどとは別の帳面が置かれている。
明日の執行部会があろうと、本家の金は今日も動く。
新道は椅子へ座り、帳面を開いた。
五月六日。
連休最後の日。
四代目天龍会本家では、いつもと変わらず人が動き、金が動いていた。




