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龍は天を仰ぐ  作者: lala
神楽町篇

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引け



 五月一日。


 朝から神楽町は騒がしかった。連休の谷間とはいえ、商店街には普段より家族連れが多く、喫茶店や食堂も昼前から客が入っている。そんな街の空気とは反対に、榊組の事務所は妙に静かだった。


 榊、水谷、柴崎の三人は朝から天真会へ出ている。残された龍司は、相沢と二人で事務所番をしていた。


「暇やな」


「十分前にも聞いた」


「十分も暇やったいうことや」


「知らんがな」


 相沢は新聞をめくった。龍司はソファに座り、灰皿へ煙草の灰を落とす。


「今頃何話してんねやろ」


「昨日からそればっかりやな」


「十二人やで。直参の親分が十二人、本家通さんと集まってんねんで」


「俺も昨日そこおったから知ってる」


「お前、気にならんの?」


「気にはなるけど、俺らが考えて分かる話ちゃうやろ」


「考えな分からんやん」


「龍司がそれ言うようになったん、ちょっとおもろいな」


「しばくぞ」


「すぐ戻るやん」


 相沢が笑う。龍司は背もたれに身体を預けた。この間までなら、十二人の直参が集まったと聞いても、ここまで気にはならなかったかもしれない。だが今は違う。京極組を知り、天真会へ行き、久世征一郎と会った。四代目天龍会という巨大な組織が、自分とは無関係な名前ではなくなり始めている。


「なあ直樹。十二人集まったら、何があかんの?」


「知らん」


「親分同士で飯食うぐらいあるやろ」


「あるんちゃう」


「ほな何で親父らあんな顔してんねん」


 相沢が新聞から目を上げた。


「集まったことより、誰が集まったかちゃう?」


「昨日、兄貴も同じこと言うてた」


「ほなそうなんやろ」


「京極の親分以外、誰がおるんやろな。久世の親分は入ってへんし……親父も入ってへん」


「親父は直参ちゃうやろ」


「あ、そっか」


「ほんま大丈夫かお前」


 龍司が睨むと、相沢はまた新聞へ顔を戻した。




 同じ頃、二代目天真会本部。


 久世征一郎の前には、一枚の紙が置かれていた。


 向かいに榊、その隣に水谷と柴崎が座っている。先日、龍司がここへ来た時とは違い、部屋には余計な笑い声がなかった。


「十二、間違いないんですか」


 榊が聞く。


「ああ。昨日の夜、全員同じ料亭に入っとる」


 久世は煙草を咥えたまま紙を見る。


「辰巳の城戸、海老沢、菱川の梶原、室井、大嶽の大庭、佐伯、鬼塚の岩城、赤松、高瀬の石渡、柏木、京極の片岡、古賀。十二人や」


 水谷が黙ってその名前を聞いていた。柴崎は腕を組み、僅かに眉を寄せる。


「えらい顔ぶれですね」


「せやな」


 久世は火をつけ、煙を吐いた。


「仲良し十二人で飯食いました、で済ますにはちょっと濃い」


「本家は?」


 榊が聞く。


「今のところ何も言うてへん。少なくとも正式な会合やない」


「誰が声掛けたかは」


「城戸やろな」


「やっぱり辰巳ですか」


「上座に座っとったいう話や。店の手配も辰巳側がやっとる」


 榊は煙草を指に挟んだまま黙った。


 二代目辰巳組組長、城戸源蔵。


 四代目天龍会の直参の中でも古く、人数も抱えている。何人かで酒を飲むだけなら珍しくもない。だが城戸が声を掛け、この十二人が同じ日に同じ座敷へ集まったとなれば、話は変わってくる。


「何の話したかまでは掴めてへん」


 久世が続けた。


「せやから、今んところ十二人が集まった。それだけや」


 柴崎が口を開く。


「京極の片岡が入ってる以上、うちの境目の件も関係ありますかね」


「分からん」


 久世は即答した。


「そこを一緒にしたらあかん。片岡が昨日そこにおったことと、お前らが境目で揉めたことは別や。今はな」


 榊が頷く。


「俺もそう思います」


「境目は境目で片付ける。向こうの商売も止めさせた。シマの線はこっちと京極で話する。それでええ」


「はい」


「十二人の方は?」


 榊が聞くと、久世は煙草を灰皿へ落とした。


「見る」


「動かん?」


「何に対して動くねん」


 久世が榊を見る。


「十二人集まりました。ほな何か企んどるに違いない。そんな話でこっちから騒いだら、こっちが火つけることになるやろ」


 水谷が小さく頷いた。


「探り入れるのも早いですか」


「露骨なんはいらん。耳に入ってくる分だけ拾っとけ」


「分かりました」


「宗次郎」


「はい」


「お前んとこも引いとけ」


 榊の目が上がる。


「京極から?」


「全部や。今みたいな時に榊組と京極がもう一発やったら、ただのシマ揉めで済まん見方する奴が出てくる」


 榊は少し考え、頷いた。


「分かりました」


「若いのにも言うとけ。特に――」


 久世がそこで笑った。


「あの龍司いう奴」


「やっぱりあいつですか」


「ほかに誰がおんねん」


 榊が苦笑する。


「あいつに引け言うても、意味から説明せな分からんでしょうね」


「ほな説明したれ。親父やろ」


「面倒なんですよ、あいつ」


「拾うたんお前や」


「それ言われたら何も言えませんわ」


 さっきまで張っていた空気が少しだけ緩んだ。


 だが久世はすぐに十二人の名前が並んだ紙へ目を戻した。


「宗次郎」


「はい」


「まだ敵や味方や考えるなよ」


「分かってます」


「十二人集まった。今分かっとるんは、それだけや」


 榊は黙って頷いた。





 昼を過ぎても三人は戻らなかった。


 龍司と相沢は近所の食堂から出前を取り、その後も何本か電話を受けた。どれも水谷宛てで、龍司は相手の名前と電話番号、用件を紙に書いて机の端へ置いていく。


 三本目の電話を切ると、相沢が紙を覗いた。


「ちゃんと名前聞いてるやん」


「当たり前やろ」


「電話番号も?」


「書いてる」


「成長したな」


「馬鹿にしてるやろ」


「ちょっと」


 龍司が丸めた紙を投げ、相沢が笑いながら避けた。


 午後三時を回った頃、ようやく事務所の扉が開いた。


 最初に入ってきた柴崎の顔を見て、龍司は笑うのをやめた。続いて水谷、その後ろから榊が入る。三人とも朝より口数が少ない。榊は「おう」とだけ返して奥へ入り、水谷は机へ、柴崎は上着を脱いで煙草へ火をつけた。


 龍司は少し待ったが、誰も何も言わない。


「……どうやったん?」


 水谷が顔を上げる。


「何が」


「天真会。十二人の話や」


「まだ話固まってへん」


「十二人集まったんはほんまなんやろ?」


「ああ」


「京極の親分も?」


「おる」


「何してたん?」


「そこがまだ分からん」


「天真会でも?」


 水谷は机に置かれた伝言へ目を通しながら答えた。


「集まった人間は分かる。せやけど、何考えて集まったかは別の話や」


「直接聞いたらええやん」


「誰に」


「京極の親分とか」


「お前が行って聞いてこい」


「ええの?」


「ええわけあるか」


 柴崎が呆れた顔で煙を吐いた。


「お前、直参の親分んとこ行って『何の話してたんですか』聞くつもりか」


「聞いたら教えてくれるかもしれんやん」


「教えてくれたら俺がびっくりするわ」


 その時、奥の扉が開いた。


「水谷」


「はい」


 榊が顔を出す。


「寺島戻ったら全員入れ。相沢も龍司もや」


「分かりました」


 榊はそれだけ言って部屋へ戻った。


 夕方、寺島が帰ってくると、榊組の主だった人間が奥へ集められた。


 榊が机の向こうへ座り、水谷と柴崎、その後ろに寺島、龍司、相沢が並ぶ。龍司も、こうして全員が呼ばれる時は何かしら組として決める話があるのだと分かるようになっていた。


 榊は煙草へ火をつけた。


「京極の件や。今日、親父と話してきた」


 ここで榊がそう呼ぶ相手が誰なのか、今の龍司にはもう分かる。


「境目の商売については、向こうも一旦全部止める。こっちも今まで通り触らん。シマの線引きは天真会と京極で話する。決まるまで、うちの人間はあの辺で揉め事起こすな」


「はい」


 水谷が答える。


 榊の目が龍司へ向いた。


「特にお前や」


「俺?」


「ほかに誰がおんねん」


「もう殴らへんて」


「信用ないから言うてんねん」


 龍司が口を閉じると、柴崎が僅かに笑った。


「それともう一つ。京極組の名前聞いても、余計なことすんな」


 今度は寺島も真面目な顔になる。


「昨日の集まりですか」


「ああ。十二人おったんは間違いない。誰がおったかも分かっとる。ただ、何のために集まったんかはまだ分からん」


「十二人全員分かったのに?」


 龍司が聞く。


「ああ」


「ほな直接聞いたら――」


「龍司」


 水谷に名前を呼ばれ、龍司は口を閉じる。だが榊は怒らなかった。


「ええ。こいつにも聞かせとけ。どうせこれから耳入る」


 榊は煙草を灰皿へ置き、龍司へ目を向けた。


「極道の世界でな、分からんことがあったからいうて、何でもすぐ聞きに行けるわけちゃう。『何考えて集まったんですか』なんて聞きに行った瞬間、こっちが相手を疑っとるいうことになる。相手もこっちを見る。何もなかった話が、それで動くこともある」


 龍司は久世に言われた言葉を思い出した。


 殴る前に、誰が出てくるか考えろ。


 拳だけではない。何かを聞くことにも、その先があるらしい。


「じゃあ、どうするん?」


「見る」


「見る?」


「今は何もせん。こっちから動かん。向こうが何するか見る」


「それでええん?」


「それが一番ええ時もある」


 龍司にはまだ完全には分からなかった。それでも以前のように、分からないからとすぐ食ってかかることはしなかった。


 榊が全員を見渡す。


「親父からも同じ話や。天真会は今、動かん。京極と揉めてる件もある。こんな時にうちが変な動きしたら、別の意味に取られる可能性あるからな」


「若いのにも言うときます」


 水谷が答えると、榊は頷いた。


「頼む」


 それから短く言った。


「引け」


 龍司が顔を上げる。


「今は全部、一歩引け。売られた喧嘩でもその場で買うな。名前出されても熱なるな。何かあったら水谷に上げろ」


「全部?」


「全部や」


「殴られても?」


「お前は極端やねん」


 柴崎が笑う。


「殴られたら逃げろ言うてへん。勝手に話大きくすんな言うてんねん」


「……分かった」


「ほんまに分かったか?」


「たぶん」


「そこは分かった言えや」


 部屋に小さく笑いが起きた。


 話が終わり、龍司たちが部屋を出ようとした時だった。


「龍司。お前だけ残れ」


「俺?」


「はよせえ」


 水谷たちが出ていき、扉が閉まる。龍司は机の前へ戻った。


「なんやろ」


「さっきの話や。お前、引くいうたら負けや思ってるやろ」


 龍司は少し考えた。


「……まあ」


「やっぱりな」


 榊は椅子の背にもたれた。


「喧嘩やったら前出る。相手が来たら殴る。勝ったら終わり。お前はそう思ってる」


「勝てるし」


「そこや。勝てる喧嘩でも、せん方がええ時がある。今日勝って、明日もっとでかいもん失うこともある」


「何失うん?」


「それを考えるんが上に立つ人間や」


 榊は煙草の煙をゆっくり吐いた。


「お前が一人で喧嘩してるうちは好きにしたらええ。けど榊組の柳龍司として動くなら、お前の後ろには人がおる。お前が一歩出たせいで、後ろの五十人が出なあかんこともある」


 龍司は自分の拳へ目を落とした。境目で男を殴った時、自分はそこまで考えていなかった。押されたから殴った。ただそれだけだった。それが京極組へ繋がり、天真会へ上がり、久世まで動いた。


「引いたら、舐められへん?」


「舐める奴はおるやろな」


「ほなあかんやん」


「舐めさせといたらええ時もあんねん」


 龍司には、その感覚がまだ分からない。


「親父も引くん?」


「引くで」


「誰に?」


「必要やったら誰にでもや」


「久世の親分にも?」


「親父に引くんは普通や」


「ほな天龍会の会長とか」


「お前は誰と喧嘩させたいねん」


「例えばやん」


「例えばでもやめろ」


 榊は笑いながら煙草を灰皿へ押しつけた。


「今すぐ全部分からんでもええ。ただ覚えとけ。前出るだけが強さちゃう」


「……分かった」


「ほな帰れ」


「はい」


 龍司が扉へ向かう。


「龍司」


「何?」


「明日、八時半やぞ」


「連休ちゃうん?」


「世間はな」


「俺も世間やろ」


「お前は榊組や」


「最悪や」


 榊が笑った。


 部屋を出ると、水谷がまだ机に向かっていた。


「何言われた?」


「引けって」


「そうか」


 龍司は自分の席へ戻りかけて、足を止めた。


「兄貴」


「なんや」


「引くんって難しいな」


 水谷が手を止める。少し意外そうに龍司を見てから、笑った。


「前出るより難しい時あるで」


「やっぱり?」


「ああ」


 龍司は小さく頷いた。


 分からないなら殴る。


 少し前まで、それで済んでいた。


 けれど今は、分からないなら一度止まるという選択肢もある。


 龍司はまだ、そのやり方に慣れていなかった。



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