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龍は天を仰ぐ  作者: lala
神楽町篇

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12/52

十二



 久世征一郎と会ってから数日が過ぎ、四月は最後の日を迎えていた。


 神楽町では翌日から始まる連休を前に、商店街の人通りがいつもより多かった。酒屋にはビールの箱が積まれ、肉屋の前では主婦が列を作り、子供たちは学校から帰るなり自転車で走り回っている。榊組の事務所にも特別変わった様子はなく、京極組との一件も表向きには動きを止めたままだった。


 龍司はソファに寝転がり、競馬新聞を広げていた。


「龍司。足下ろせ」


 机に向かっていた水谷が、新聞から顔も上げずに言った。


「誰も座ってへんやん」


「そういう問題ちゃう」


「靴脱いでるで」


「ほな家帰って寝ろ」


 龍司は渋々足を下ろした。


「兄貴、明日から休み?」


「誰が?」


「世間」


「世間はな」


「俺らは?」


「何を期待してんねん」


「連休やん」


「極道に祝日ある思ってんのか」


「ちょっとぐらいあってもええやろ」


 水谷が呆れたように顔を上げる。向かいでは相沢が煙草を吸いながら笑っていた。


「龍司、どっか行きたいん?」


「別に。ただ休みって聞いたら休みたなるやん」


「普段から大して働いてへんやろ」


「働いてるわ」


「昨日何した?」


「……色々」


「言うてみ」


「覚えてへん」


「ほらな」


「お前もしばくぞ」


 二人が言い合っていると、事務所の扉が開いた。入ってきた柴崎は珍しく真っすぐ水谷の机へ向かい、持っていた紙を一枚置く。


「兄貴。これ」


 水谷が紙へ目を落とした。


「どこから?」


「天真会の若いのからです。さっき会うたんで」


「親父は?」


「まだ戻ってません」


 龍司は競馬新聞越しに二人を見る。京極組の名前が出てから、柴崎と水谷がこういう顔で話している場面が増えた。以前なら気にも留めなかったが、久世と会ってからは何を話しているのか妙に気になる。


「何?」


「お前は競馬見とけ」


「見ながら聞けるで」


「便利な耳やな」


 水谷は紙を畳み、机の引き出しへ入れた。


「京極?」


 龍司が聞く。


「ちゃう」


「ほな何?」


「まだ分からん」


「紙に書いてたやん」


「書いてあったからって全部分かるわけちゃう」


「またそれや」


 龍司が不満そうに新聞へ目を戻すと、柴崎が煙草へ火をつけた。


「龍司」


「何?」


「天龍会の直参、何組ぐらいあるか知ってるか?」


 突然の質問に龍司は新聞を下ろした。


「直参?」


「京極組とか、天真会とかや」


「知らん」


「どれぐらいやと思う」


 龍司は少し考える。


「十?」


 柴崎が笑った。


「少なすぎるわ」


「二十?」


「もっとや」


「五十?」


「まだ上」


「百?」


「そこまではおらん」


「ほな知らん」


 龍司は早々に考えるのをやめた。


「だいたい八十前後や」


「多っ」


「天龍会全体で一万人近い言われてんねんぞ」


「そんなおるん?」


「お前、久世の親分んとこ行って何聞いてきてん」


「煙草もろた」


「それしか覚えてへんのか」


 柴崎が呆れ、水谷が笑う。


 龍司は新聞を畳んで机へ置いた。


「八十も組あるんやったら、親分八十人おるってこと?」


「まあ、単純に言うたらな」


「全員同じぐらい偉いん?」


「んなわけあるか」


「直参なんやろ?」


「直参いうても色々や。古い組もあれば新しい組もある。人数持ってるとこもあれば、少ないとこもある。本家で役持ってる親分もおるし、そうやない親分もおる」


「久世の親分は?」


「天真会は別格や」


 柴崎がそう言うと、水谷が視線を上げた。


「別格いう言い方も雑やけどな」


「龍司に細かく説明して分かります?」


「分からん」


「本人が言うな」


 龍司は気にせず続けた。


「京極組は?」


「直参や。それ以上は今のお前が気にせんでええ」


「なんで?」


「すぐ誰が上とか強いとか聞くからや」


「気になるやん」


「組織は喧嘩の番付ちゃうぞ」


「でも立場はあるんやろ?」


 柴崎が答えようとしたところで、電話が鳴った。水谷が受話器を取る。


「はい、榊です」


 数秒後、水谷の表情が変わった。


「……はい。お疲れさまです。はい、戻ってません。分かりました。伝えます」


 電話を切る。


「天真会?」


 柴崎が聞いた。


「ああ」


「何て?」


「親父戻ったらすぐ連絡くれって」


「京極ですか」


「ちゃうみたいや」


 龍司が二人を見る。


「ほな何?」


 水谷は少し迷ってから答えた。


「本家の話や」


「天龍会?」


「ああ」


 龍司は自然と姿勢を直した。


 以前なら「本家」と聞いても、自分には関係のない場所だと思っていただろう。だが今は、久世の顔が浮かぶ。その久世も四代目天龍会へ繋がる直参の一人なのだと、ようやく実感し始めていた。


「なんかあったん?」


「まだ分からん言うてるやろ」


 水谷はそう言ったが、柴崎と目を合わせた。


 その顔を見て、龍司はそれ以上聞かなかった。


 夕方になって榊が戻ってきた。


「親父。天真会から連絡ありました」


 水谷がすぐに声を掛ける。


「なんや」


「戻ったら連絡欲しいそうです。本家絡みやと」


 榊は上着を脱ぐ手を止めた。


「誰からや」


 水谷が名前を告げる。


「分かった」


 榊はそのまま自分の部屋へ入り、電話を掛けた。


 龍司はソファに座ったまま、閉じた扉を見ていた。相沢はもう帰っており、寺島も外へ出ている。事務所には龍司、水谷、柴崎の三人だけが残っていた。


「兄貴」


「なんや」


「本家って、そんな電話一本で空気変わるん?」


「変わる時はな」


「何の話やと思う?」


「知らん」


「柴崎の兄貴は?」


「俺に振るな」


 二人とも答えない。


 十五分ほどして、榊が部屋から出てきた。煙草を咥えているが、火はついていない。


「水谷」


「はい」


「明日の予定、空けとけ」


「分かりました」


「柴崎もや」


「はい」


 龍司は自分を指さした。


「俺は?」


「留守番」


「なんでやねん」


「なんでお前連れてかなあかんねん」


「どこ行くん?」


「天真会」


「また?」


「俺らは元々天真会や」


「俺も行く」


「行かんでええ」


「前は連れてったやん」


「前は連れてく用があったからや」


 龍司が不満そうな顔をしても、榊は相手にしなかった。水谷が確認する。


「親父。本家で何か?」


「いや。本家から正式に話が来たわけやない」


「ほな?」


 榊はようやく煙草へ火をつけた。


「直参の親分が何人か集まっとるらしい」


 柴崎が眉を寄せる。


「何人か?」


「ああ」


「何の集まりです?」


「分からん」


「天龍会の会合やなくて?」


「ちゃう。本家通してへん」


 事務所の空気が静かになった。


 龍司だけが話の重さを掴めていない。


「親分同士で飯食ってるだけちゃうん?」


 三人が龍司を見る。


「……何?」


 榊が煙を吐いた。


「それやったらええけどな」


「ちゃうの?」


「分からんから明日聞きに行くんや」


 龍司は首を傾げた。


「何人ぐらい集まってんの?」


「聞いた話やと――」


 榊が少し間を置く。


「十二人ほどや」


「十二?」


「ああ」


「八十人ぐらい親分おるんやろ? 十二人ぐらい集まることあるんちゃうん」


 龍司の言葉に、榊はすぐには答えなかった。


 代わりに水谷が煙草を灰皿へ押しつける。


「誰が集まってるかによる」


「誰なん?」


「まだ全部は分からん」


「京極も?」


 水谷が龍司を見る。


「なんでそう思った」


「なんとなく」


 榊が僅かに笑った。


「ちょっとは頭使うようなったな」


「おるん?」


 榊は答えず、煙草を吸った。


 その沈黙で、龍司にも分かった。


「おるんや」


「らしいな」


 京極組。


 境目の小さな揉め事から初めて知った、同じ四代目天龍会の直参。その京極組の親分が、本家を通さず別の直参たちと集まっている。


 龍司には、それが何を意味するのかまでは分からなかった。


「久世の親分は?」


 榊の目が龍司へ向いた。


「入ってへん」


「ほな天真会は関係ないん?」


「今のところはな」


「十二人で何してんねやろ」


「それを調べる」


 榊は短く答えた。


 龍司は腕を組み、しばらく考えていた。


「俺も明日行ったらあかん?」


「あかん」


「なんで?」


「お前連れてったら、話聞く前に余計なこと聞くやろ」


「聞かへんわ」


「今日だけで何回『なんで』言うた」


「知らん」


「それや」


 柴崎が吹き出した。


「留守番しとけ、龍司。何か分かったら教えたる」


「ほんま?」


「言える話やったらな」


「またそれやん」


 龍司が顔をしかめると、水谷が笑った。


 事務所はいつもの空気へ戻ったように見えた。


 だが榊は、それ以上笑わなかった。


 その夜。


 大阪市内のある料亭に、黒塗りの車が一台ずつ入っていった。


 車から降りる男たちは、誰も大声を出さない。玄関では店の者が頭を下げ、案内された男たちは奥の座敷へ消えていく。


 四代目天龍会の正式な会合ではなかった。


 本家の幹部が招集したわけでもない。


 それでも、集まった男たちの胸には同じ代紋があった。


 座敷に用意された席は、十二。


 その一つに、二代目京極組組長・片岡忠志が座っていた。


 上座には、二代目辰巳組組長・城戸源蔵。


 まだ乾杯すら始まっていない。


 城戸は集まった男たちの顔を静かに見渡した。


「ほな――」


 低い声が、座敷に落ちる。


「始めよか」


 四月三十日。


 龍司の知らない場所で、十二人の直参が初めて同じ席についた。



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