2.旅立ち②
仕事を終えたロスカは、言いつけ通り村長の家へ向かうが、その足取りはひどく重い。
仕事の疲れもある。
だがそれ以上に、嫌な予感が、ロスカの足に鉛のように絡みついていた。
数日前、村の会合があった。
会合は、ロスカが物心ついてから、年に一度しか行われていない。
国に治める税のことなんかを大人たちで話し合う。
これは、少し肌寒くなった秋に行われる。
だが、今は真夏だ。
こんな時に会合が開かれるのは、何か緊急事態があったときだけだ。
このことが、ずっと彼女の心をざわつかせていた。
ロスカは、村長の家の前に立った。
ノックをするためにあげた右手は、しばらくそこで止まっていた。
中々扉を叩いてはくれない。
ロスカの仕事のこと程度では、会合は開かれない。
そして、村長が言っていた国の命令という言葉。
嫌な予感は、確信へ変わろうとしていた。
ロスカは深呼吸すると、思い切って扉をノックした。
「入れ」
村長のぶっきらぼうな声が聞こえ、扉が開く。
ロスカは、恐る恐る足を踏み入れる。
家は、ロスカの住む納屋とは別世界だった。
暖かな光が室内を照らし、広い室内には肉の香ばしい匂いが立ちこめていた。
ロスカの腹の虫が、ぐうと鳴く。
この匂いは、あのとき食べたスープの匂いだ。
ロスカの記憶が蘇る。
まだ、働くこともできないような幼い頃のこと。
食事は、村長から朝と夜にスープやかびたパンをもらっていた。
本来なら捨てるような残り物で、かろうじて野菜のくずが入っている。
腹を満たすには、同じ物があと三杯は必要だった。
ある時、いつもと香りが違うと気付いた。
その日は、村で祭りをやっていて、特別なご飯が振る舞われた。
ロスカにも、そのおこぼれが回ってきた。
スープの中には、だしをとるための骨が入っている。
香ばしい香りがあふれ出していた。
その香りに我慢できずに、骨にしゃぶりつく。
わずかについた肉を口に入れたとき、涙があふれた。
口の中で、肉はほどけた。
旨みが口の中で爆発するように広がった。
野菜やパンにはない食欲をそそる肉の味。
生きていてよかった。
はじめてそう思えた。
その肉は、ロスカが今まで食べたものの中で、一番のごちそうだった。
それからロスカが大きくなり、村の仕事をできるようになってから、食事をもらえることはなくなった。
狩りで森に入るのなら、自分で食料をとれということだ。
だが村人たちは、そのおかげで日常的に肉を食べることができるようになった。
今日も例外なく食べられていたのだろう。
狩りで捕ってきた肉は、ロスカに分け与えられることはない。
狩りの道中で何か食べるものを調達する必要がある。
だから、木の実や花の蜜を食べてきた。
食べてはいけない木の実も、死にかけながら覚えてきた。
そんな思いをした次の狩りの時に、こっそり肉を食べようと考えたこともある。
だが、それが村の誰かに知られてしまったら、ロスカはきっと村を追い出され、本当の一人になってしまう。
「何ぼーっと突っ立ってるんだ。早くこっちに来い」
村長の声がロスカの回想を打ち切った。
その声には、いらだちが含まれていた。
村長の家は、村唯一の二階建てだ。
居間も広く、中心にはたくさんの人が座れるような大きなテーブルと椅子が並んでいる。
だが、そこには今は誰も座っていない。
村長の家族も誰もここにはいない。
奥のキッチンにも、特に人影はなかった。
顔をまじまじと眺める。
なんだか普段と雰囲気が違う。
周りに誰もおらず、村長と二人きりで話したことなどない。
何か特殊なことが起ころうとしている。
椅子に座る村長のそばまで行くと、まじまじと彼の顔を見る。
少し嬉しそうな、口角が上がるのが止められないといった様子だ。
何を言われるのだろう。席に座れとは言われなかった。
「ロスカ、名誉あることだから、喜べ。国からの命で、お前を回収者に任命する」
村長が威厳を含みながら、そう言った。
しかしロスカは、微笑むことなどできなかった。
そもそも、言われた言葉を理解することを、脳が拒んでいた。
「それは、村から出て行くということ……?」
ロスカは、恐る恐る聞く。
その声は、いつもよりずっとか細い。
口の中が、からからに乾いて、話すと咳き込んでしまいそうになった。
「そうだ」
間髪入れずに村長は答えた。
そうじゃないよと言われることを期待した。
質問の答えが、そうであることをはじめて神に祈った。
だが、それは叶わなかった。彼女にの足下に黒い絶望がからみつく。
汗が噴き出す。
呼吸も苦しくなる。
回収者の話は、小さい頃に聞いたことがある。
現在は、絶対に話しかけてこない村長の孫が、ロスカに遊び相手を求めていた。
かつての幼いロスカでもできる仕事をしていると、よく大人の目をすり抜けて、勇者ごっこをしようと誘う。
勇者は彼で、ロスカは魔王役だ。
ロスカは当時、遊びに誘われるのが嬉しくて、ついつい遊んでしまっていた。
だが数回遊んだロスカは、気付いた。
遊んでも、遊ばなくても結果は同じ。
魔王役で殴られるのか、言うことをきかないから殴られるのかの理由の違いだ。
それなら遊んだ方がいいと付き合った後、彼は意地の悪い笑顔で話し出した。
「お前、回収者って知ってるか?」
「いや、知らないけど……」
「回収者ってのは、村のいらない奴がなるんだってさ! 邪魔者を消すのに選ばれるんだってよ。この村から選ばれるなら、お前が回収者だな」
そう言うと、ゲラゲラと大笑いし始めた。
ロスカの表情が、不安に変わったからだ。
確かに、本当にこの村から選ぶとなると、自分になる。
次の日からロスカは、遊びを断り、どんなときでも仕事を休まなかった。
そんなことがあってから、回収者という存在は恐怖の対象だった。
悪いことをしたり、仕事の手を抜いたりすれば、選ばれてしまうかもしれない。
真面目に仕事をしていても、出来が悪ければ選ばれてしまうかもしれない。
そんな不安は、ロスカの心の中の奥に潜んでいた。
「どうして私なの……」
言葉にするつもりはなかった。
でも、気付いたら声に出していた。
理由はわかっている。
ロスカただ一人が、この村でよそ者だから。
ずっと、村に尽くしてもそれは変わらなかった。
誰一人として、ロスカを認めることはなかった。
私はなんのために生まれてきたのだろう。
「どうして? そもそもお前はこのために拾ったんだ」
村長が言う。なんの問題もないような、軽い調子で。
ロスカにも心があることを知らないようだ。
「回収者は順番に街や村から出さなくてはならない。
当時、泣く泣く回収者を出したばかりだったから、お前を育てる余裕はあったんだ」
苦虫をかみつぶしたような顔で村長は続ける。
きっと前回の回収者は、愛された村の一員だったのだろう。
当時の回収者は村中から惜しまれ、誰もが悲しんだ。ロスカと違って。
「情けで拾われたとでも思っていたか? お前はこのためにいるんだ。最後くらいまともに仕事をこなせ」
村長は吐き捨てるように言った。
最後くらい。この言葉は、ロスカの心を強く深くえぐった。
ロスカがこの村にいられるのは、もう最後なのだ。
村の一員になれることは、もうあり得ない。
一体、何のために生まれてきたのだろう。
いや、この回収者に選ばれるため、生かされていたのだ。
どれだけ一生懸命仕事をしようと認められないのは、当然だった。
どうせ村から追い出すのだから。ずっとよそ者のままなのだから……。
「明日、馬車が来るよう手配してある。いつでも出られるように準備しておけよ」
そう言うと村長は、ロスカを強引に家から追い出した。
振り返るより早く、扉は冷酷に閉じられ、もうロスカには何もできなかった。
そう、もうロスカには何もできない。
回収者になったという事実は、決定事項なのだ。
心に岩のように重くのしかかったその事実に、ロスカは耐えることができなかった。
もう頑張る力を失っていた。
ロスカは一つ決意した。
――回収者としての任命の義務を果たしたら、死のう。
回収者のために育てられたのなら、その仕事さえ終われば、何をしてもいいはず。
それなら、もう誰にも必要とされていないこの世から、消えてしまおう。
「もう……疲れた……」
ロスカのつぶやきは、夜の闇に溶けて消えていった。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
そんなあなたに幸せが訪れますように。




