1.旅立ち①
空にも届くような巨木の森だった。
木々は日差しを遮り、人々からは暗闇の森と呼ばれていた。
そんな誰もが入るのを躊躇する暗闇の森の中に、たった一人の痩せぎすの少女がいた。
彼女の名はロスカ。
栗色の髪は、何となく背中ほどまで伸ばしていて、頭の後ろで一つの三つ編みにしてまとめられている。
だが、うまく編めないのもあって、水分の失った毛が編んだ場所から何か所もぼわぼわとはみ出ていた。
そして、骨ばった体に見合わない紺のワンピース。
その服は成人男性が着ると、元々半袖の服だった。
だが、ロスカが着ると七分袖になる。
どんな作業をするにも袖の長さがちょうどよくて、ロスカは気に入っていた。
だが、着古したのか色も薄くなっていて、ひじの部分は擦り切れて破れそうだ。
顔には大きな隈が浮かび、頬はこけている。
ロスカはそんな自分の顔を見るのが嫌いだった。
楽しさや喜びを知らない、というような顔だから。
だが、それは事実であるため、いつも水面が見る自分の顔を映すと、必ずばしゃばしゃと水面を乱している。
ロスカの身長は、同じ十二歳の子供たちの中でも頭一つ分小さかった。
骨の浮いた体なのも相まって、もっと小さな子供に見える。
だがその背中には、その体に見合わないよう大人用の弓が背負われていた。
子供が持つようなものではない。
普通の家なら、子供がそんなものを持って暗闇の森に入るなんて、見つかれば拳骨だけでは済まないだろう。
そのあとに往復ビンタも待っているかもしれない。
でもそのあとには、無事でよかった。
両親が涙ぐみながら、抱きしめる……。
だが、ロスカに怒ってくれる両親はいないし、抱きしめてくれる大人もいないのだ。
そんな考えを振り払うと、ロスカは木の陰にその小さな体を隠しながら、目の前の様子を伺った。
一頭の獣が肉を貪っていた。
四足の獣は、十二歳のロスカの身長を優に超し、通常の狼の三倍は大きい。
狼のような見た目をしているが、体は深紅で何よりこいつは魔力を持っている魔物だった。
今村で食べている肉も元は、非常に危険な魔物だった。
魔物は、食事に夢中で、ロスカに気付く様子はない。
なんていいタイミングに出くわしたのだろう。
ロスカは、小声で呪文を唱えた。
「リゼル・テラ」
すると、狼の魔物の足元の地面がぼこぼこと隆起し始めた。
少しずつ少しずつ、大きな音を立てずに。
ロスカの額に、じんわりと汗がにじむ。
魔法は、相当集中しないといけない。
ちょっとでも意識をそらすと失敗してしまう。
瞬きもせずにロスカは、自分の体の一部となった地面を、ゆっくりとコントロールした。
魔物の膝ほどの高さになったころ、隆起した地面から、ぱらぱらと小石が落ちた。
魔物の耳がピクリと動く。
――今だ!
ずっとゆっくり動いていた地面は、魔物の足に素早く飛びついた。
蛇が獲物を捕らえるように、ぐるぐると足に絡みつく。
魔物は物音を確認するため、顔を向けようとしていたところだったが、その一瞬で捕食者の立場は一変した。
ロスカは、村に仕留めた魔物を運んだ。
彼女の体では、あの巨体を背負うことはできない。
きっと村の誰もできないだろう。
だから、風の魔法を使って魔物を解体する。
そして小さくなった肉を背負い、森の中を何度も往復するのだ。
一度村に運ぶだけでも、息が上がり、目の前が暗くなることもある。
それに、解体の時に気をつけても、多少血を浴びてしまう。
臭いもきつい。
持っている服は、今着ている服だけ。
でも、服の色のおかげで汚れは目立たない。
川で洗えば十分綺麗になる。
それよりも大変なのは、ほかの魔物に襲われるかもしれないということだ。
ずっと緊張状態が続き、心休まる暇がない。
ロスカは、これまで何度も危ない場面にあってきた。
一番危なかったのは、今日と同じように、狼の魔物に跡をつけられていた時だ。
音もなく近付かれ、気付いた時には、魔物の鼻先が掠るような距離にいた。
ロスカの目と魔物の目が合う。
獲物を前にして、魔物の息遣いが荒くなる。
魔物の呼吸が、前髪を揺らした。
口から垂れたよだれが足下を濡らす。
その時ロスカは、目をそらさないようにしながら、背中の肉をそっとおろした。
そして一瞬の間のあと、肉を魔物に投げた。
肉は魔物の右側に落ち、魔物がその肉に気を取られた隙に、走って逃げた。
背中の肉のせいで、魔法に集中できないので、逃げることができてよかった。彼女は自分の幸運に感謝していた。
また、解体した魔物のところへ戻ると、ほかの魔物に食い荒らされていることもあった。
まだ食事中であれば、その魔物を狩ることもできる。
だが、食い逃げされてはどうしようもない。
そんな時ロスカは、また魔物を探して、狩りをするしかない。
村から課せられたノルマを達成できなければ、ひどい罰が待っているからだ。
他の村人が狩りに行って、成果がなくても罰は受けないのに。
ロスカは、背中に痛みを感じた。
数日前に受けた罰のむち打ちで傷があるのだ。
今回は、一撃で気を失ってしまい、それだけで済んだ。
だがそれよりも、村人たちの目の方がロスカにはつらかった。
魔物を解体して、血まみれの彼女を見る視線。
彼女と同じ年の村長の孫まで、同じ目をする。
心がぎゅっと握りつぶされる。
呼吸も荒くなる。
怖い。そして、地面から顔を上げられなくなる。
もう二度とその目を見たくない。
その目は、ロスカ自身を異物だと言っていた。
ロスカは、村のために狩りをしている。
もちろん村の男たちも同じように狩りに行って、血で真っ赤になってくることもある。
でも、誰もロスカに向けるような目線を村人に向けない。
悪いことはしていないのに。
ふと、こんな風に理不尽に感じることがある。
でも、ロスカはよそ者の子供で孤児だ。
ここまで育ててくれたことのお返しをしなくてはならない。
村は、暗闇の森の奥地にあった。
森に入る者は少ないので、ほとんどの場合、客人は来ない。
そのため、よそ者には厳しい村だ。
ロスカは、気付いたら村長の家の前にそっと捨てられていた。
村に妊婦はおらず、すぐによそ者の子供だと分かったらしい。
村では、ロスカをこのまま見捨てるか、育てるかの話し合いが開かれたらしい。
村人たちは、多少の農業と狩りで生活をしている。
人が一人増えるだけで、食糧問題が起こるかもしれない。
ちょうど、村長の孫も生まれたばかり。
話し合った結果、とりあえず生かすことに決まった。
そのおかげで、ロスカは今も生きている。
だが、いつまでも、ロスカはよそ者で、邪魔者なのだ。
人一倍働き、人一倍空気でいなければならない。
今日の獲物は、幸いどの魔物にも奪われることはなかった。
肩の力が抜ける。
すべての肉を運び終えると、村長から声をかけられた。
「おい、今日の仕事が終わったら、わしの家に来い」
ロスカは、目を大きく見開いて村長を見た。
村長から話しかけられるのは本当に久しぶりだ。
村長の家の納屋に住んでいるので、たまに用事を伝えるのに話すことはある。
でもそれも月に一度もないだろう。
「わ、私が村長の家に行ってもいいんですか……?」
恐る恐るロスカは尋ねた。
久々に声を出したので、声がかすれ、言葉も詰まった。
村長はそんなロスカにイライラしたのか、眉間に深いしわを刻んだ。
ロスカと話すとき、村長はいつも眉間に深いしわを寄せて、心底嫌そうな顔で話す。
まるで、家の中に出た虫を見るような顔だ。
ロスカは、村長を怒らせているつもりはないが、きっと自分が悪いのだと思い、いつも申し訳なく思っていた。
「気は進まないが、仕方ない。国への義務だからな。いいから早く仕事を終わらせてこい」
村長は、ロスカに背を向けて自分の家へと向かって歩き出した。
少し前のロスカなら、きっと飛び上がるほど嬉しかった。
やっと村の一員として認められ、パーティなんか開いてくれるのかもしれない。
この後も、踊るような足取りで仕事をこなしただろう。
村の祭りで歌うような陽気な曲を口ずさみながら。
だが、ロスカは期待しないということを学んでいる。
期待しても、いいことなんか一つもない。
これは、ロスカがこの村で育ってすぐに学んだことだった。
それでも、一つだけ捨てられない期待がある。
真面目に仕事をして、成果を上げ続ければ、いつか村の誰かはロスカを認めてくれるかもしれない。
村人全員じゃなくてもいい。
たった一人でいい。
挨拶をしてくれて、微笑みかけてくれる。
それだけで、ロスカはなんでもできる気がした。そんな捨てられない期待と希望を胸に、ロスカは仕事をこなす。
ここまで読んでくれたあなたに、幸せが訪れますように。




