21.過去の片鱗②
偽の兵士の表情が急に消えた。
そこには怒りも、悲しみも何もなかった。
――ただひたすらに、底が見えない。
そして、レオスがこの魔物の家族を殺したという言葉。
ロスカには、それを想像できなかった。
レオスはただの石で、確かに魔法も使えるがそれは防御魔法のみだ。
何かを隠してはいるが、レオス本体が動けないのにこの魔物の家族を殺せるだろうか。
いや、それができるならこんな状況にはなっていないはずだ。
ロスカの頭の中で、様々な考えが高速で飛び回っていた。
「だから、コイツの前で君という大切なソンザイを殺してやりたいんだヨ。だから、君を食べたりはしないンダ」
偽の兵士はずっとレオスを向いている。
しかし、蜘蛛の体にある八個の目は、確実にロスカを捉えている。
不意を突いてレオスを助け出すことも考えたが、難しいだろう。
「じゃあこれからロスカサンのコト、殺すネ。そのあとに殺してやるから首洗って待ってろヨ~」
ケラケラと魔物は笑ってレオスに言った。
心底人を不快にするような笑い声だった。
だが、もっと不快なことがあった。
レオスを殺すと言われたことだ。
先ほどまでの腹の中にあった黒く渦巻く激情が、ロスカの中で燃えさかった。
炎が内側から、体を焼き尽くそうとしている。
早くこれをあいつにぶつけなくては。
この魔物の口を閉じたい。
後悔させたい。
懺悔させたい。
はやく。
――はやく、息の根を止めたい。
ロスカがそう感じたときには、もう体が動いていた。
姿勢を低くして、魔物の足を狙う。
いつもよりも鋭い動きだった。
力に身を任せたような強引なもの。
だがそこに無駄はなく、洗練された一撃だった。
そこにあったのは、相手を殺す意思だ。
だが魔物の足に当たっても、それは大きな音を立てただけで、傷一つつかない。
やはり固い。
激しい感情の中でも、冷静に状況を見る自分もいる不思議な状況だった。
まるでもう一人の自分がいて、あるべき場所にロスカを操作しているような全能感がある。
ロスカめがけて、魔物の反対の足が飛んでくる。
普段なら躱すような攻撃を、ロスカはそのまま剣で受け止めた。
そしてそのまま、剣先へと受け流す。
するりと魔物の足は横に流れていく。
力の動きが、手に取るようにわかる。
周りの動きも、なんだか遅く感じる。
まるで、心地の良い水の中にいるような感覚。
魔物のバランスがほんの少し崩れたのも、ロスカにはわかった。
今ならこの魔物も斬れる。これは確信だった。
ロスカは受け流した剣を返して、そのまま魔物の足の関節に叩き込もうとした。
もう一人の自分が姿勢も力の入れ方も、今までにないほど完璧だと言っていた。
だがこの魔物は、一筋縄ではいかなかった。
ロスカの目の前にレオスを突き出したのだ。
ゆっくりと剣先がレオスに近づいていく。
このままでは、斬ってしまう。
その瞬間、二つあったような意識が元に戻った。
ロスカはレオスに剣が当たらないよう空中で身をよじり、地面に転がる。
危うく自らの手でレオスを壊してしまうところだった。
ロスカは、立ち上がり魔物をぎろりと睨んだ。
「許せない。よくも私にレオスを殺させようとしたな……」
その目は、子供がするような目ではなかった。
憎悪が宿っていた。
かつての村人も、ロスカがこの目をしていたらあんなことはしなかっただろう。
「あははははは! いいネェ! 楽しくなってきたネ」
だが、相手は魔物だ。
そんなロスカを見ても、楽しそうに笑う。
ロスカは咆哮を上げて、魔物に斬りかかる。
体が止められない。
どうにかして、この魔物に打撃を与えないと気が済まなかった。
先ほどの全能感はもうない。
だが、激情だけはずっと増し続けていた。
ロスカの猛攻は、魔物の二本の脚で防がれる。
剣は通らない。
腕を斬れないのなら、魔物の背中にある甲羅は不可能だ。
しかしチャンスもある。
中央の脚はレオスをぶら下げていて、封じられている。
隙をつけばレオスを助けられるかもしれない。
ロスカは攻撃の手を緩めなかった。
「リゼル・テラ!」
ロスカは、猛攻の中でも魔法を発動した。
途端に魔物の足元が崩れ、全ての脚がめり込んだ。
――今だ!
ロスカは狙いを変えた。
跳躍のあと、渾身の一文字切りが偽の兵士の首を捉える。
剣が近づいても、にやにやとした気味の悪い笑みは消えない。
ロスカは、そのまま首を跳ね飛ばした。
大きく宙を舞い、地面に鈍い音を立てて落ちる。
そのままゴロゴロとロスカの足元まで転がった。
魔物の大きな体は、地面に沈んだ。
ロスカは、すぐさまレオスの元に向かった。
剣で足につながった糸を斬ろうとするも、中々斬れない。
粘着力が強いためだろう。
ロスカは風の魔法を使って糸を切った。
ついにロスカの手にレオスが戻ってきた。
この重厚感がこれだけ安心するものだとは思っていなかった。
心の中の炎は、嘘のようにすっかり消え去っていた。
「もがもがもが!」
レオスには、未だにたくさんの糸がぐるぐると巻かれている。
表面の綺麗な緑も全く見えないくらいに真っ白だ。
ロスカは、剣を収めて、ナイフに持ち替えた。
この方がレオスを傷つけないように、慎重に糸を切ることができる。
ひたすらに糸を切って、ようやくレオスの緑が見え始めた。
その時、隙間からレオスが叫んだ。
「後ろだ!」
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