8:四歳児に浮気理論を解説するんじゃありません
公爵邸に来て数日。
キルミスの日課は、ロビンへのツッコミだった。
そしてもう一つ、気づいたことがある。 この屋敷の使用人たちは、総じて優秀だということだ。
廊下を行き交う足音は静かで、視線を向ければ用件はすでに先回りされている。執事は来客の癖や好みを忘れず、メイドたちは指示などなくとも必要な準備を終えている。
夜。
湯殿では、二人のメイドが、淡々とキルミスの世話をしていた。
「王子、流します」
「終わりました。お召し替えを」
必要なことだけを手早くこなし、無駄な会話も過剰な気遣いもない。
だが、彼女たちは無表情を装いながらも、キルミスが笑顔を向ければ、優しい眼差しを返してくれていることを知っている。
身体を拭くタオルの動かし方も、驚くほど柔らかい。
やがて身体を拭かれ、簡素な寝巻きを着せられ、そのまま客室へと運ばれた。 ベッドへ下ろされると、侍女が淡々と掛け布を整える。
「お休み前のご用はございますか?」
「……大丈夫。ありがと」
短いやり取りだけを残し、使用人たちは音もなく下がっていった。
静まり返った部屋に次の瞬間。
バン!
と、遠慮のかけらもない音を立てて扉が開き、ロビンが入ってきた。
「いた」
「……ロビン。ノックを知らないの?」
「ノックがいるなら後から100回叩いてあげるよ?」
軽口を叩きながら、ロビンは遠慮なくベッドへ乗り上がってくる。重みでマットレスが沈み、キルミスの小さな体が弾んだ。抗議の声を上げる間もなく、彼はキルミスを荷物のように抱き上げ、自分の膝の上に固定した。
「え――」
ロビンはキルミスの頭にタオルをかぶせた。
「髪、まだ湿ってる。万が一、風邪でも引かれたら、兄上に僕の髪の毛一本ずつ抜かれる」
そのままタオルで乱暴に髪をかき回し――
「……わぁ、ロビン、」
「じっとして」
手を止めると、かつて兄セルシュから分捕った『光る首輪』を、キルミスの首に嵌めた。
「……ロビン。これ、なあに? なんかあったかい」
「迷子防止の首輪。暗闇で光るし、温度調節もできる優れもの。クラウス先輩に色々改良してもらった。春先とは言えまだ寒いし、君、放っておくと勝手にどこかへ消えそうだからね」
ロビンは、記憶の隅に追いやられたクラウス先輩の顔を思い浮かべた。……どんな顔だったか。確か、ロビンの無茶振りに笑顔で、しかも幸せそうに魔導具を改造してくれる、実に便利で――いや、慈悲深い先輩だ。
「ところでキルミス。君の母上と父上は、仲が良いの? もう結婚五年目になんだし、そろそろ、浮気の一つや二つ発覚してドロドロの修羅場になってもおかしくない頃合いだけど」
四歳児にとんでもない事を聞くロビン。タオルで髪をわしゃわしゃされながら、キルミスは「は?」と眉を寄せ、憤慨した。
「父様が母様以外の人を好きになるなんて、ありえないよ。これまでだって沢山の女の人達や、着飾った貴族の男の人達が、あの手この手で父様に寄ってきたけれど、誰も相手にされなかったんだから」
キルミスは自慢げに胸を張った。
「ふーん。リオン陛下、兄上への求婚理由は『栗蟹アップルケーキを食べないための代償』だったのに。兄上、一体どんな手管で王様を骨抜きにしたんだろ」
「……ロビン、それ不敬罪て言わない?」
キルミスは睨め付けるように叔父を見上げる。しかし
「ロビン。ひとつ聞いていい?」
「なに?」
「そんな質問されるくらい、父様と母様って、仲悪く見えるの?」
ロビンは少し間を置いた。普段の彼なら「さあね」と切り捨てるはずの問いに、珍しく、すぐに言葉を返さない。代わりに、膝の上で縮こまる甥の、幼い顔をじっと見つめる。
「……キルミスは、どう思うの?」
その問いは、いつになく真剣に響いた。
「……最近、母様、笑っててもお目めが笑ってないの。ボク、その顔が怖いんだ」
それを聞いて『子供はよく見ているなぁ』と、ロビンは思う。どんなに隠しても漏れ出る「母の不穏」に子供という生き物は、特有の野性味を発揮し敏感に察知する。ロビンは内心で舌をまいた。
「君の父様は最近、視察が多いって?」
と聞く。
「うん」
キルミスは膝の上の手を、ぎゅっ握る。
「でも父様は、とても優しいし、毎回お土産を買ってきてくれるんだ。母様が好きそうなものを、すごく考えて選んでるって、侍女が言ってた」
「あっそう」
「だから……仲悪いわけじゃないと思う……」
ロビンはタオルを畳み、甥の頭にポンと乗せる。
「んー、でも、よく外出して、優しくて、やたら気を遣った土産買ってくるんでしょ?」
「うん」
「で、母様の笑顔が怖い?」
「……うん」
キルミスの短い肯定に、ロビンは平然と答えた。
「じゃあ、浮気だね。妻へ気を使った土産物っていうのは、男が罪悪感を塗りつぶすための絵画的作業だよ。で、大概の妻は出来上がった絵が駄作なことを見抜いてる」
その場に重苦しい沈黙が落ちた。
彼の偏見である。
「……ロビン、今すぐあそこから飛び降りて、その曲がった性格、ポイってしてきて」
キルミスがテラスを指差す。
「やだ」
「じゃあボクが呪ってあげる」
「もうやってるでしょ?」
ロビンの息をするような指摘に、キルミスはピクリと体を震わせた。
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