5:髪減りましたね←これで愛妻が倒れたので、義弟をボコる事にした王
「……セルシュ!」
最愛の妻が倒れたとの報を受け、若き国王リオンは長期視察の予定をすべて叩き斬るように捨ててきた。
泥にまみれ愛馬を駆って王宮へ戻ると、そのまま王宮病院の特別室へと飛び込む。
薄いカーテンが引かれた静謐な空間の中、セルシュの胸が、かすかに、上下している。リオンは、ベッドの傍らに膝をつき、冷たくなったセルシュの手を、己の両手で包み込んだ。
「……セルシュ、こんなに痩せて。あんなに私を魅了した君の指が、今はこんなに細い……」
かつて幾度となく愛を囁き、口づけたその指先に、熱く祈るように唇を落とす。
――この手を初めて握ったのは、婚礼の夜だった。
緊張で強張っていたセルシュの指先に、リオンはそっと自分の手を重ね、離さなかった。それだけで、セルシュの手から力が抜けたのを今も覚えている。
当時はまだ、互いに敬語を崩さない「王と王妃」でしかなかった。義弟の策略で結ばれたような二人の間には、夫婦としては距離があった。セルシュは常に背筋を伸ばし、リオンが一歩踏み込めば、彼は一歩退く。そんなもどかしい日々が数ヶ月続いたある夜のことだ。
深夜まで執務室で書類と格闘していたリオンの元へ、セルシュが夜食を運んできた。給仕を下がらせ、彼はぎこちない手つきで温かいスープを器に移した。「王妃の仕事ではないよ」と笑うリオンに、彼は俯きながら「……リオン、君の、顔が見たかった」と、本音を漏らした。
その瞬間、隔てていた壁が溶けたように思う。リオンが彼を抱き寄せると、セルシュは驚いたように目を見開き、やがて信頼しきった様子でその胸に額を預けたのだ。それ以来、二人は本当の夫婦になった。公務の合間に交わす視線、寝所での穏やかな会話。積み重ねてきたその一つ一つが、リオンにとっての救いだった。
「……いつもそうだ。私がどれほど『休め』と言っても、君はすべてを一人で背負ってしまう。私が傍に居れば……」
サファイアブルーの瞳に宿るのは、一人の男としての、後悔と嘆きだった。
やがて、リオンの指先がセルシュの削げ落ちた頬をなぞる。その手が止まったのは、傍らに置かれた報告書に目が落ちた瞬間だった。
リオンが手にした報告書には、セルシュが倒れる直前まで身を削っていた「公爵領の惨状」が綴られている。
――原因は、一つ。
ロビンは公爵代理の地位を利用し、『栗カニアップルケーキ販売の厳守』という狂気の法令を領内でぶち上げたのだ。
その一言を真に受けた真面目な菓子店は、次々と閉店の危機に追い込まれた。セルシュは一人、その不祥事の後始末を背負った。公爵家資産からの補填、店主らへの謝罪、山積した在庫の廃棄。
この他に、報告書に記されていない事実がある。
セルシュは謝罪の場に赴き、頭を下げ続けた。閉店を免れた店主が礼を言いに来た夜も、セルシュは笑顔で応じ、その足で書類の山へ戻る。誰にも弱音を吐かなかったのは、彼のプライドだろう。
元々過労気味だったセルシュにとって、それは相当な負担となったはずだ。
「……ロビン・ルボイト」
声が、地獄の悪鬼のごとく低く沈む。
「我が愛しい人を、これほどまでに追い詰め、その命を削らせた罪……万死に値する」
リオンの指先が、心労のせいか輝きを失った髪に触れた時、セルシュの肩が、微かに震えた。
――思えば、兆候はあった。
視察から戻るたびにセルシュの顔から色が薄れていった。それでも彼は必ず笑って迎えてくれた。「お帰りなさい」と、何事もないように。リオンはその笑顔を、安心の証だと思っていたのに。あれは、心配をかけまいとする彼の、意地だったのだ。
温かな二人の時間は、あのような愚か者の狂気によって台無しにされた。
それを思い知って、リオンは煮え滾るような怒りを冷酷な殺意へと昇華させる。
この瞬間、ロビンは愛する妻を蝕む「害悪」そのものになった。
リオンは病室を後にする際、一度も振り返らない。
「……あの銀髪のクズ……。蟹の殻ごと粉砕してやる」
その背中には、一国の王としての、情け容赦ない「処刑」の決意が宿っていた。
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