第12話
大月平を後にした僕達は、砺波の郷に向けて歩き始めていた。目の前には山また山の風景。これを越えていかないと思うと正直萎える。
こんな状況に僕を追い込んだ運営に、「バカやろう」と心の中で呟く。
「ケイ君、じゃあ山を登るよ~」
「えっ、下るんじゃないの?」
「あっちは別の郷のある方角。砺波の郷は後ろにそびえ立つ砺波連峰の先にあるの」
「マジすか」
見上げる先には標高3000メーターはあるかと思われる山々。
「ケイ君、そろそろ出発するよ~」
萎えそうな僕とちがって今日もシオンは元気だった。
登り始めて数時間。
シオンは予想以上に健脚らしく、急な斜度や茂みをまったく苦にせずシャンシャンと登っていく。
僕?
ちゃんと付いていっているよ、失礼な。
いまは少し休憩しているだけ。
猫の身で慣れない山登りしているのだ。
このくらい許してほしい。
あらためてシオンを見ていると、ほんとうに不思議な子だと思う。
このちっさな体のどこに、そんな体力があるのだろう。グリズリーとの戦闘で身体的能力の高さは思い知らされたけど、持久力とかは判断できなかったからね。もしかしたら爆発的に能力を発揮できる短距離型か、あるいはスピード重視とタイミング重視の技能型の可能性が否定できなかったのだ。
ほんと不思議な存在だよ、君は。
シオンの足元は草履から分厚い登山靴に履き替えている。山登りは足場が不安定なので、草履よりも具合がよいのだとか。準備がいいことだ。もっとも猫の身では靴など履かないのでわからないけど、多分履き替えたほうがいいのだろう。
他の変化としては盾を背中に移動させ、剣は腰の鞘に納めている。いま手にしているのは現代版つるはしというべきピッケル。
現代版がなにを意味するかは、とりあえず保留。
シオンの価値観では現代装備なんだってさ。
とやかくは問うまい。
標高3000メーターもあるこの山には、万年雪があるためピッケルがないと滑って登れないらしい。大変そうだな。
他人ごとみたいに聞こえるけど、お前はどうなんだ?
そこまで来たら僕はシオンの肩か見慣れない背負い袋に――彼女によるとリュックという代物だそうだ――移動することになっている。この足では凍った斜面は登れないのだから仕方がないの。
断じてズルではない。
僕に視線に気付いたのか、シオンは嬉しそうにピッケルを振り回す。
「山岳装備は人里では購入できないから、有志達が苦労して造ってくれたんだよ~」
お気に入り入りの一品なのだろう、朱色で塗られている柄の部分に――シャフトというらしい――名前まで書いてある。工芸品のように丁寧な造りで庶民にはふさわしくない気がするけど、案外日ノ本は文化程度が高いのかもしれない。
「シオン、質問があるんだけど」
「ん? なになに」
「ベリーハードモードはアイテムボックスに保有できるアイテムは、装備を含めて9つに制限されるんだよね」
「そうだよ。アイテムボックスに入っているから、装備しているのに見た目上は装備してないようにもできるの」
こんなふうにと言うと、手にしていたピッケルが一瞬で消えた。
「出し入れが自由なのは便利だけど、9つしか収納できないのは凄く不利だね」
「だよ。だからベリーハードモードなの」
畜生、くそ運営が!
「保有アイテム数制限を和らげるために、ベリーハードモードプレイヤーは大抵リュックを身に着けているの。リュックはね、装備アイテム扱いだけどリュック内にアイテムを収納できるから、これで保有できるアイテム数を稼いでいるの」
「リュックを装備しているのはベリーハードモードプレイヤーの証?」
「ベリーハードモードプレイヤーぽく振舞いたい人とか、ファッションとかで装備する人もいるから一概には言えないの」
「すっごく紛らわしいことするね」
「こだわりだから仕方ないの」
なるほど。
いずれにしても盾に剣に鎧これにサブウェポンや具足や小手までも装備すると、保有アイテム枠は6つも埋めてしまう制限は痛すぎる。具足と小手が鎧と一体化扱いされるかもしれないけど、それでも空いているアイテム枠は5つ。アイテム収納性能があるリュックを装備しない手はないか。一瞬で取り出せないデメリットは大きいから、収納するとしたら食料とか雑貨アイテムだろうね。
リアルと言えばそれまでだけど、痛すぎる制限だな
ほんと、くそ運営が!
一時間後、僕達は尾根に到達した。
ここまでくれば尾根伝いに歩いていくだけ。森林限界を超えているため背の高い木々もなくて展望が良い。
この風景は疲れを忘れさせる。
見とれていた僕に気付いたシオンが、山々について少しだけ教えてくれた。
「山の名前は左から天山、龍山、夜叉山、阿修羅山、迦楼羅山、緊那羅山、摩睺羅伽山。一部の人達からは砺波連峰八部衆と呼ばれてるの」
八部衆とは釈迦如来の眷属らしい。
マルドゥク様の酒宴に呼ばれたことがある方々の御名前が聞こえた気がするけど、気のせいにしておこう。
「本当は別の名前があるらしいけど、八つも大きな山があったら八部衆の名前で呼んだ方が格好がいいじゃん、だってさ。シオンにはそのへんの価値観がよく分からないけど」
「その割にはよく知ってるね」
「アレクがそう教えたくれたの♪」
嬉しそうに事情を教えてくれた。
アレクとはシオンの冒険者仲間。他にも仲の良い二人がいるらしく、彼等を含めた4人でパーティを組むことが多いようだ。会話の端端からアレクに対する信頼と愛情が感じられる。
シオンとて年頃の女性。意中かは知らないが気になる男性がいるのは健全だろうさ。でもなんとも言えない感情が、僕の中から溢れ出しそうになる。
我慢我慢。
僕でこれなのだ。
大月平にいた兎と鴉に狼からは、蛇蝎のように忌み嫌われるだろう。シオンが単独行動していたのは、案外これが理由かもしれない。
僕達は暫く尾根伝いに歩いたけど、ある段階から山小屋のある場所まで下りはじめた。日が暮れるにはまだ時間があったので『まだ歩けるよ』と主張したけど、『尾根歩きは逃げ場所がないから、体力の配分が重要なの』と注意を受けた。
シオンもアレクから同じことを言われたのかもしれない。
だって、僕がそんな主張をするのを待っていたみたいなんだ。
この日は、山小屋まで一泊することになった。『よくこんなもの整備されているよね』と聞いたら、これも有志の一部が設置していると教えてくれた。慈善事業と違い完全な趣味からの行動らしいけど、もしかしたら日ノ本オンラインには無私の奉仕の精神が行き渡っているのだろうか。
この世界の住民の価値観には理解に苦しむものがある。
それはそうとしてシオンに聞けない気になっていたことが、一つある。
実は今日の道中、僕達は一切魔物に襲われなかったのだ。それどころか僕達を狙う魔物の気配すらなかった。
これって少し変じゃない?
大月平の遭遇率が異常なだけで、他の場所は違うのかもしれない。けど気になるといえば気になる。
じゃあ、聞けばいいじゃん?
地雷ポイので聞けないよ。
シオンが意図的に話題を避けているか、あるいはまったく気付いていないか。
どちらにしても『大量に殺したグリズリーの残り香が、僕達の体にまとわりついたかも?』なんて、微妙な話題すぎて切り出せない。
冒険者だといっても、彼女は女の子だ。
熊の匂いが残っていると言われて嬉しいはずがない。
大月平で禊をしていたのも、兎と鴉に狼が気を利かせたのかも。案外あいつらと友達になるかもな。
間もなく砺波連峰八部衆に、夜が訪れようとした。




