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持たざる者からの宣告  作者: 大悪紅蓮菩薩
23/27

偽る者-2


 二度の戦いにより、ほぼ全壊してしまった執務室。

もはや部屋と呼ぶには原形をとどめていないこの場所で、アノスはようやく構えを解いた。


「さて、この状況どうしたものか……」


 瓦礫の山となった執務室の中で倒れているルアスとヴェンヒル。

後者はまだしも、前者は腹を刀で突き刺されている。

一刻も早く治療を施さなければならない重症か、ともすればすでに彼女の命を奪ったか。

どちらにせよ自分が操るものとよく似た刀を放っておくことなどアノスはできない。


「これも、ヒゲワシの仕業なのか」


 刀は正面から突き刺されている。背後からの不意打ちによって負ったものではない。

敗北の続いた彼女は少なくない傷を負っていた。十全ではない状態を狙われ打ち負かされたか。


「それとも、見知った者の仕業か……」


 直接刃を交えたアノスだからこそ、ルアスが正面からの攻撃をむざむざ食らうとは考えられない。

不意打ちや、心の隙を利用して二度勝利を収めたアノスも、純粋な格闘戦で彼女に勝ることはなかったのだから。


「しかし、ヒゲワシはなぜ彼女を……」

 ヒゲワシの目的がアノスの求める手がかりを潰すことなのだとしたら、狙われるのはヴェンヒルであるべきだろう。

しかし意識こそ失っているものの、彼の体に外傷は見られない。

この差に果たして意味はあるのかと思い悩みながら、アノスはルアスに刺さった刀を引き抜こうとした。

ヒゲワシの力が本当に自分と同じものかを確かめるために。


「……なんだ?」


 しかし、抜けない。それどころか刀はルアスの肉体に吸収されていくように飲み込まれていく。

握っていた柄は形を失い、不定形の肉塊となった死骸は彼女の全身に巣食うように溶け込んでいった。


 倒れていたルアスが糸で吊るされた人形のように立ち上がる。

全身の力が抜けたような様子であるのにも関わらず、一歩ずつアノスへ近づいてくるその動きは人間としてあまりに不自然な動きだった。


「そんなものになっても、お前は私に向かってくるのか」


 歩くというよりは引きずられていると形容すれば正しいだろう。

紫紺に輝く妖しい眼光を携えながらルアスはゆっくりとアノスへと向かってくる。

初めは無言のまま。しかし徐々に口が動き出し、発せられる声も足を一歩踏み出すごとにはっきりしたものへと変化していった。


「……エヌース。カノイの……息子」

「なに?」


 うわごとのように呟く言葉の意味をアノスは知らない。

エヌースという名が誰を指すものなのか、アノスとして生きてきた彼には理解できない。

理解していたとしても、認められるものでもなかった。


「エヌース。貴方が私の居場所を奪う……貴方が、私の存在意義を奪う」


 どこで聞き入れたのか、ルアスはエヌースの名をしきりに呟きながら、その心を妄念に囚われていた。

同じ顔を持つアノス。その存在を抹消しようとする父。そして続く敗北から生まれた焦燥感。

募る不安と高まっていく危機感。未熟であるがゆえに不安定さを増していったルアスの負の感情。

それが今、突き刺された死骸の刃によって増幅させられている。


「エヌース……貴方を消せば、私はカノイを守れる私でいられる」


 全身から湧き出る死骸を陽炎のように揺らしながら、ルアスは紫紺の瞳を輝かせた。

瞬間、彼女はそれまでの淀んだ動きから一変し、流れるような足運びでアノスへと攻撃を仕かける。

死骸をまき散らしながら駆けるその姿に、騎士であるルアス・オール・カノイの面影は残っていない。


「誰と勘違いしているかは知らんが、お前の嘆きのために切られるわけにはいかないな」


 その有様を見れば、ルアスが正気を失っていると容易に判断できる。

彼女は今、先のコーバのように感情を抑える理性が取り払われている状態だった。


「私は、私はお父様が期待するカノイの跡取りでいなくちゃいけないの。

カノイを再び王族に返り咲かせるためにも、私は強くならいと……」


 獣のように両腕で攻撃してくるその動きは、洗礼された剣術とはまさに対極。

大振りゆえにつけ入る隙は多く見られるが、それを補うように飛び散る死骸が反撃を妨害する。

総てを死骸へ変貌させる力も、ルアス自身が死骸をまとっているために通用しない。

無力化するには全力をもって彼女を両断するしかなかった。


「そんなに不安か……」


 しかし、アノスは攻勢に転じることなくルアスの連撃を受け続ける。

反撃の余地がなかったわけではない。彼が本気であったなら、何度か腕を弾き返せる機会はあった。

だが、あえて攻撃をその身に受け口を開いたのは、あることを学んだからだった。


「答えの見つからない問いは、強い不安を呼び寄せる。私も強く実感していたことだ。

理解とはいかずとも、察することはできる」


 エリヤは自分を愛していたか否か。胸の内で無自覚に渦巻いていた答えの存在しない問い。

答えを示すものが見当たらず、都合のいい答えを信じ、それが覆る日を不安に感じながら生きていた。


「己が正しいと信じれば信じるほど、同時に不安が募っていく。

本当に正しいのか、自分が間違っているのではないか。

確信が強固であればあるほど、覆された時の恐怖は増大する」


 カノイの跡取りとして絶大な自負を持っていたルアスは、同時に自分でも気がつかないほどの小さな懸念を有していた。

それは役割が偽りのものである可能性。自分の手元から積み重ねてきたものが掠め取られてしまう可能性だった。


「根底にあるのは強固な確信が反転した感情だ。

お前の不安は、私やお前の父親がなにを言おうと解消されない」


 アノスの到来によって地位が奪われると誰よりも確信しているために、ルアスは他者の言葉を受け入れられない。

誰かの言葉で平静を保てるほど、彼女は柔軟な人物ではなかった。

芯が強く、意志を曲げない頑固者であるからこそ、このようなジレンマに陥ったのだ。


「だが、今一度言わせてもらう」


 確信が揺らがない限り、他者の言葉に意味はない。

そう論じたうえで、アノスはいまだ攻撃を止めないルアスに言葉を紡ぐ。

意味がなくとも、無駄であっても、言わなければ我慢ならないことがあった。


「認めたくないことだが、確かに私はカノイの血を引いた人間なのだろう。

お前とも、あの絵に描かれた女とも、空似というには無理がある」


 アノスはエリヤとの絆を神格化するあまり、それ以外の繋がりを認められずにいた。

カノイとの血の交わりが、エリヤとの繋がりを希薄にしてしまうように感じていた。

それもすべて、彼が怯えていたからに他ならない。

エリヤとの絆が唯一無二絶対のものだと思い込まなければ、彼は内なる不安に押しつぶされてしまっていたのだろう。


「だが、自分のために生きると決めてわかったことがある」


 自分でも自覚していなかった不安定さに気がついた時、

その妄念を断ち切り自分のための人生を歩もうと思えた時、

理解できたことがあった。


「たとえ、私がこの家の生まれであっても、私の母はエリヤ・スクルゥただ一人だ」


 その答えは妄念に籠り切り生まれたものではない。

自身の出生を認め、受け入れ、それでもなお揺るがなかった想いとして導き出されたものだ。

真実に怯えることなく、向き合ったために、彼の心はより強固なものとなった。


「……カノイ家を守るために……私は……」


 縋るように腕を止めないルアスに、彼は言い放つ。

無念さを感じながらも、自分という人間を形成した確かな事実として、彼女の間違いをアノスは正す。


「私が守りたかった家はこんな大きな屋敷じゃない。

もっと小さく、静かな森の中で燃えていったあの家だ」


 暴れるルアスの胸を貫くように、確たる思いを込めて言い放った言葉。

この声が届いたか否かは定かでないが、その瞬間、わずかに彼女は動きを止める。

言葉にすれば秒にも満たない短い時間。その僅かな停止を見逃さない者がいた。


「お手柄だな、中の『モノ』を引きずり出せ」


 僅かな隙に乗じてバイスを放ったのはアノスに敗北したはずのハダル。

屋根に開いた穴からルアスの背後に降り立った彼は自らの力でルアスを拘束する。

同時に口にした指示にはどんな意味が含まれているのか、アノスはそれを理解していた。


「私の弟子から出ていってもらおう。貴様がこれに居座る余地など、霞みのほどにもありはしない」


 ルアスの腹に置かれたアノスの腕から、彼女に巣食っていた死骸が引き抜かれていく。

アノスの力は死骸を操る。体の自由さえ奪うことができれば、中身を引きずり出すことは難しくなかった。


「もう少しはやく出てきてもよかっただろう」

「随分と神妙な顔で語っていたのでな、気を利かせたまでだ」


 すべての死骸をその身に吸収したアノスは、意識を失い倒れ込んだルアスを抱えるハダルへと向き直る。

彼は弟子の腹に傷口が残っていないことを確認すると安堵の表情でため息をついた。

自らが屠ったはずの男が再び息を吹き返したことにアノスは驚いていない。


「次に指示を出すことがあれば、もっと明確なものをよこすんだな」

「賊に気づかせぬためだ。『私に合わせろ』とだけ言えば十分だっただろう」


 ハダルがアノスの胸倉を掴み引き寄せた時、彼は一言指示を出した。

簡潔であるがゆえに、いったい何のための指示だったのか、その時はわからなかった。

しかし今ならばアノスにも理解できる。


「……気がつかれていたとは。これでは道化も同然だな」


 ルアスから引きずり出した死骸はアノスの体内に吸収されずに地面へと打ち捨てられた。

そんな歪な肉塊から発せられた声に二人は向き直る。

死骸の塊は徐々に形を成していき、鳥獣の仮面を被ったヒゲワシの姿へと変貌した。


「策士策に溺れるとはこのことか。どうやら諸君らを舐め過ぎていたようだ」


 どこか尊大な態度を漂わせながら、ヒゲワシはゆっくりと立ち上がる。

言葉とは裏腹に、彼の所作には大きな余裕が見て取れた。

策が破れ、二対一となったこの状況で、ヒゲワシは一切の危機感を覚えていない。


「知り合いか?」

「……さあな、どう答えたものか私にもわからない」


 見慣れた仮面は確かに長年つき合ってきたヒゲワシのものだ。

しかし彼に関する記憶が不明慮なものだと気がついた今、その存在自体をアノスは疑い始めていた。


「少なくとも、異質な存在であることは確かだ」


 次の行動を思案しているかのように仮面の奥の顎に手を当てているヒゲワシ。既に二人を眼中に入れていない。

まるで目の前の出来事を遠く離れた場所から眺めているような違和感がそこにはあった。

「ハダルと言ったな。貴様どこまで気がついていた」


 詫びることなく、逃げることもせず、ヒゲワシの口から放たれたのは問い。

ルアスを操り近づいた彼の正体と目的。未だどちらも不明瞭であるにもかかわらずハダルは見破って見せた。

その確信に至った根拠をふてぶてしくも聞いてくる賊に、剣を構えた騎士は答える。


「刺された弟子を見て動揺し、裏切り者の可能性を考えたことも事実だ。

だが直後にアノスの声が聞こえてきたのは不自然だった。

奴が本当に裏切りを画策していたのなら、このようなミスを犯すはずがない」


 ルアスに刺された刀は確かにアノスが操る死骸の刃そのもの。

しかしそれだけを判断材料に用い、裏切りを確信するほどハダルの思慮は浅くなかった。


「仮にもこの男は我が部下や弟子を倒し、スクルゥの記憶を受け継いだ男だ。

奇襲相手に声を聞かせるような間抜けでない」


 それは協力者であるアノスへの信頼というよりは、ハダルが知る三人への信頼なのだろう。

手塩にかけて育てた部下や弟子が、生半可な相手に負けるはずがない。

そんな相手が奇襲時にミスを犯すはずがない。

アノスの声を耳にしたあの一瞬で、ハダルの思考はそこまで至っていた。


「同時に、貴様の狙いにもおおよそ見当がついた。

わざわざあのような刀を見せびらかすように使って見せたのは我らの同士討ちを狙っていたのだろう」


 アノスが屋敷に到着することを見計らっていたかのようにやってきたルアス。

実行犯を示すよう、見せつけるように刺された死骸の刃。

状況だけを見ればすべての要素がアノスを疑わせるように配置されている。

ハダルが三人への信頼を持っていなかったなら、確かに二人は真に殺し合うことになっていただろう。


 しかし、その結論を聞いたヒゲワシは呆れたように、笑っていた。


「同士討ちか。なるほどそうだな、状況を見ればそうなるか」


 的外れな推測を笑う彼は己を睨みつける二人を見比べ、どこか安心したような顔をする。

まだ真の目的に二人は気がついていない、まだ計画遂行の余地があると、邪悪な笑みを仮面の下で浮かべていた。


「ハダル。貴様、自分とアノス、どちらが真の強者だと思う」


 意図がわからぬその問いが投げかけられたと同時にヒゲワシがハダルへと突進する。

その動きは確かに鋭く、素早い。しかしその鋭さはルアスに、素早さはヘイツに大きく劣る。


「貴様の言う強者とやらに興味はない。たとえそれが何者であろうと、私はただ己を高め続けるまでだ」


 策もなにもない直線的な接近が通じるはずもなく、彼はバイスによって瞬く間に空中へと拘束されてしまう。

見えざる巨腕を引きはがす手立てはなく、この時点でヒゲワシの生殺与奪は完全にハダルが握ることとなった、はずだった。


「たとえ貴様がどれほど己を高めようと、新世界の英雄たるこの男には敵わない」


 身動きを封じられながらも、その目は確かにアノスの方へと向いていた。

ヒゲワシは今、自らを拘束しているハダルよりも、アノスこそを真の強者だと確信している。

『新世界の英雄』。その言葉にアノスはなぜだか寒気を覚えた。


「ヒゲワシ……お前なにを言っている」


 今の言葉には、自分が最も忌避する意味が込められている。

そう直観したアノスは拘束されたヒゲワシに刀を突きつける。

しかし彼はなにも答えない。向けられた切っ先をうれしそうに眺めている。

仮面の奥に潜むその目にはかすかに紫紺の輝きが灯っていた。


「今も昔も、私の狙いは君だけだ。アノス」


 その瞬間、ヒゲワシの姿が掻き消える。高速移動の類ではない。

実際にその場から完全立ち消えた彼は同時にバイスの拘束から解放された。

あまりに突然の消失に、ハダルが短い動揺の声を発する。

それと彼が上空へ吹き飛ばされたのは殆ど同時だった。


「これはッ」


 打ち上げられたハダルは全身に絡みつく衝撃の正体に気がつく。

ひどく覚えのある感覚、見えない腕に握られているようなその感覚は間違いなくハダル自身のバイソレッドと同じものだった。


「馬鹿な……」


 一人の人間が有するバイソレッドは一つのみ。複数のバイスを持った人間など歴史上にも存在しない。

であれば伏兵がいるのかと考えたハダルだが、打ち上げられた空の先に待ち構えていたのは間違いなくヒゲワシ本人だった。


「貴様、何者だッ!」


 打ち上げられ、体勢を崩しながらも、ハダルは待ち構えるヒゲワシにバイスを放つ。

視認した対象を吹き飛ばす大嵐、視界内であれば必中を誇る逃れられぬ衝撃の力は、しかしヒゲワシととらえた瞬間、霧散し消えた。


「なん……だと」


 なにか別の力によって打ち消されたわけでも、バイスの発動が妨害されたわけでもない。

確かに放った衝撃はヒゲワシへと直撃した。

にもかかわらず彼はなんの抵抗もしないままにバイソレッドを無効化してみせた。


「奴の削りカスなど、やはりこんなものか」


 期待外れだとでも言うような覇気のない声。

その言葉と共にハダルへと叩き込まれたのは、全身を引き裂く衝撃の嵐。

先ほど放ったバイスをそのまま、否、それ以上の威力で叩き返される。

反射的にバイスで身を守るが、そんなものにもはや意味はなかった。


 遥か上空から屋敷の庭へと高速で落下しいくハダル。

あまりの衝撃に意識は薄れ、目も霞み、当然受け身を取ることもできない。

大地へと叩きつけられる直前、触手のように絡みついてきた死骸に受け止められなければ即死はまぬがれなかっただろう。


「無事か」

「……そう見えるのなら、たいしたものだ」


 たった二度の衝撃を受けただけで、その身は血に染まっている。

複数の力を備えるばかりでなく、その威力も常人のものとは比べ物にならない。

ヒゲワシの有する総てが、ハダルを優に上回っていた。


「まだ口がきけるか。やはり本調子とはいかないようだ」


 ハダルに続き、地面へと着地するヒゲワシ。

その名のごとく、翼を持つ者であるかのようにゆっくりと降り立つ彼は、その両手にルアスとヴェンヒルの首を掴んでいる。

ひとたび力を込めれば秒もかからず絶命させられるだろう。


「……カノイを殺すのは、預言書機関解体の秘密を私に知られないためか」


 ヒゲワシがなんのために行動しているのか、いまだ全容が見えない。

長い間アノスに協力していたかと思えば、彼が求める手がかりをトラフに続き絶とうとしている。

まるで自分にとって都合のいい存在に仕立て上げようとしているように。


「当たらずとも当からずだ。確かにあの日の出来事をこの男に離されては都合が悪い。

だが、本来の目的は別にある」


 低姿勢で刀を構えるアノスを悠然と見下ろしながら、ヒゲワシは両腕に力を込めている。

手がかりを奪還しようにもあの腕を離させなければ攻めに転じることができない。

ハダルが戦闘不能となった今、遠距離からの援護も望めない。八方塞がりとはこの事だった。


「アノス。君には孤独でいてもらわねば」


 軋みを上げながら首を絞めつけていく腕。もはや一刻の猶予もない。

アノスは刀を握り込むと勝ち目のない賭けに出る。

目の前で情報源を消されるのを黙って見ているわけにはいかなかった。


 互いは互いに注視していた。

斬撃のための一歩を踏み込むアノスも、そんなむなしい抵抗を笑いながら眺めるヒゲワシも、

すでに瀕死となったハダルには目もくれていない。

バイスを完全に無効化され、重傷を負った男に割く集中力などあるはずがなかった。

ゆえに、彼はかすかに残った気力でバイスの発動に成功する。


「……不意打ちは、主義に反するのだが……な」


 ヒゲワシの背後より飛来し、彼の首へと貫通したのはハダルの直剣。

上空へ吹き飛ばされた時に手を離れた銀の剣が担い手の意志の元、絶命の一手を貫く。

己の最期を乗せる覚悟で放ったバイスはヒゲワシの首を完全に断ち切り拘束されていた両者を解放させた。


「……なるほど、削りカスにもそれなりの意地があるということか」


 胴体から切り離された首が口を開く。

全身を貫かれても再び姿を現したように、その体は不死の力すら持つというのか。

アノスは考える前に握った刀を振り抜くと、笑みを浮かべたままの生首を空中で両断した。


「死骸が口を開くな」


 左右に分かれた頭部は地に落ちると形を失い、胴体もそれと同時に死骸の塊と化す。

先ほどまで人の形を保ち、言葉を発していたとは信じられないほど、その死臭は強く不快なものだった。


「機転を利かせたなハダル。助かった」

「最期の悪あがきだ。指の一本も、もう動かせん」


 全身血まみれだというのに、自嘲気味に笑うハダルは倒れるルアスに目を向ける。

そのまなざしは優しくも哀しい。彼女の顔を見るのはこれが最後になると、彼は自覚していた。


「……ハダル。理屈はわからんが、恐らくヒゲワシは蘇る。

二人を隠すどこか安全な場所を知らないか」


 感傷に浸っている余裕はなかった。死骸を己の肉体として代用できるのは力を持つアノス自身だけ。

彼にハダルを救う手段は残されていなかった。しかし、死にゆくハダルに後悔の色は見えない。

否、それすら見せないほどに、いまだ彼は己を律し続けているのだろう。


「本部の……地下牢。門の、東に抜け道が……ある。そこに、貴様の連れも……」


 途切れ途切れの声を紡ぎ、ハダルは部下が待機している地下牢への抜け道を伝える。

遥か昔に有事の際の避難経路として作られた道は騎士団の中でも知る者が少ない。

知人の中で知っている者がいるとすれば、ただ一人。


「……ヴォゲッドに、気をつけろ」


 ヴェンヒルにエリヤの情報を売ったエイカー。彼がどのような目的でそんなことをしたのかはわからない。

しかし単純な出世欲だけであの男が友を裏切るとも思えなかった。

命尽きるその瞬間、脳裏に浮かんだ輝かしい青春の日々。

世話焼きなエリヤとそれをからかうエイカーに挟まれた毎日は、今となっては遠く儚い幻想だった。


「……やはりあの男、なにかがあるのか」


 息を引き取ったハダルの最期の言葉。

それを聞き届けたアノスは、エイカーに抱いていた違和感が気のせいでなかったことを悟った。

道化のような振る舞いの裏にひた隠しにしている真実がある。

それがアノスの求めたものなのか、あるいはそれを超えるうるものなのかは、まだ誰にもわからない。


「カノイ様ッ! ご無事ですかッ!?」


 そんな中、背後から聞こえてきた叫びにアノスは振り返る。

屋敷の門から二十名弱の騎士がこちらに向かって駆けよってきていた。

この状況ではあらぬ誤解を受けかねないとアノスは内心舌打ちする。


「カノイ様ッ! ルアスお嬢様ッ! いったいこれはどういうことだッ!」


 先陣を切って現れた騎士はアノスやハダルには目もくれず、ヴェンヒルのもとへ駆け寄ると、彼を慎重に抱き起す。

続いて二人の騎士がルアスのもとへ、四人の騎士がハダルのもとへ。

そして残りの騎士全員はアノスを取り囲みながら剣を向けていた。


「まったく、随分と悠長な騎士どもだ。

すべてが終わってからようやくお目見えとは、よほど仕事熱心なんだろうな」


 死骸の煙が上がり、屋敷を倒壊させる勢いの戦闘が開始されてから随分と時間が立っている。

非戦闘員の使用人たちが避難したことについて疑問はないが、

屋敷の警備を務めていた者含め、二層を巡回していたはずの騎士たちはいったいなにをしていたのか。


「私が屋敷にきた時にも門番の姿はなかったな。お前たち今までなにをしていた」

「……賊に教える義理などないわ」


 そう答える騎士も屋敷の惨状に少々取り乱している様子だった。

執務室を含め、東側は全壊。辛うじて柱だけが立つその有様は、貴族の屋敷という原型を完全に失っていた。


「お前たちがこの場にいたなら、そこの二人をいち早く避難させることもできただろう。

答えろ、なぜ今日に限って誰も警備をしていなかった」


 取り囲まれ剣を突きつけられているというのに物怖じせず話すアノス。

彼の言う至極真っ当な意見に騎士の何人かが、ばつの悪そうな顔でお互い顔を見合わせる。

そんな空気にいたたまれなくなったのか、ひとりの騎士が口を開いた。


「やっぱり変だと思ったんだ。

再配置命令にしたって、全員同時に警備担当が変わるなってこと今までなかった」


 屋敷を警備する騎士はカノイの私兵ではなく、あくまで国に仕える者。

必要以上に家の機密に触れないよう定期的に警備担当の配置変更が行われるのは珍しくなかった。

しかしそれは数人ごとに限った話であり、十名以上の騎士がまとめて再配置されるのは極めて珍しいことだった。


「馬鹿な、再配置が命じられたとしても交代の者がやってきてから移動するだろう。

再配置のたびに警備の穴を作っていたとでもいうのか」


 普通ならば交代の騎士が到着してから引継ぎを行うものだ。

仮に全員が再配置を命じられても、それを守れば警備に穴は開かない。


「いや、俺たちは確かに交代の到着を待ってこの場を離れたはずだ。

仮面をつけた連中で怪しい奴らだとは思ったが、まさかこんなことに……」

「仮面だと?」


 アノスがその言葉に過剰反応するのも無理はない。

つい先ほどまで鳥獣の仮面をつけた男と対峙していたのだから。


「やつらに警備を任せて、一度本部へ帰るために坂を登っていたら班長が屋敷から上がる煙に気づいたんだ」


 何人かの騎士が次々に口を開き状況を説明する。

侵入者であるアノスに話すべき内容でないことは皆わかっていたが、矢継ぎ早に起こる想定外の事態に皆混乱していた。


「そもそもお前たちに再配置を命じたのは誰だったんだ」


 その命令が真実本部から下ったものなら、今ここに仮面の騎士たちがいないのはおかしい。

十中八九偽りの情報によって騎士たちは屋敷から引きはがされたのだろう。

アノスの問いかけに騎士たちは気まずそうに顔を見合わせるが、ややあって一人が口を開く。


「本部からの命令を受け取るのは班長だ。それを俺たちに……」


 その言葉が終わらぬうちに、事態は急変する。

騎士の言葉を遮るように上げられたのは、ヴェンヒルを抱き起す騎士の悲痛な叫び声だった。


「しっかりしてくださいカノイ様ッ! 貴方がいなくなっては誰がカノイを守っていくというのですッ!」


 肩を掴みヴェンヒルを揺り動かす騎士は、その目に涙を浮かべながら泣き叫んでいる。

彼は外傷を負ってこそいるが、命はいまだ繋がれているはずだった。

いったい何をそんなに悲しんでいるのかとアノスは訝しむ。


「班長ッ! カノイ様がいかがしたのですかッ!?」

「ああ、なんてことだ……カノイ様は亡くなられた、そこの賊に殺されたのだッ!」


 班長はヴェンヒルを抱きかかえながらアノスを睨みつけた。

その一声に、懐柔されかかっていた騎士たちの警戒が再び頂点まで高まる。


「落ち着け、彼は気を失っているだけだ」


 呆れたように両手を上げながらアノスは苛立ちの混じったため息をつく。

騎士をまとめる班長ともあろう者が意識を失った者の生死すら見分けられないのかと。


「これがそう見えるかッ!」


 しかし、班長が見せたヴェンヒルの身体にアノスの表情が硬直する。

彼の左胸、心臓にあたる部分に、先ほどまでは確実になかった短刀が突き立てられていた。

胸と口から大量の血を流すその有様は間違いなく死人の姿だった。


「……馬鹿な」


 一瞬アノスの思考が止まった。

その後、戦いの最中にヴェンヒルに刺さった短刀を見落としたのかとも考えた。

しかし、彼は否と結論づける。

ハダルの反撃が決まる直前までアノスは手がかりであるヴェンヒルが命を落とさないか、誰よりも気にしていたのだから。


「まさか……お前」


 胸に刺さった短刀の色は黒。

ただの黒ではない。濁り淀んだ赤黒さは間違いなく死骸によって形作られたもの。

死体となったヴェンヒルを抱える騎士に目を移せば親の仇を見るような顔でアノスを睨んでいる。

しかし、涙を浮かべる目の奥に感情は見えない。

代わりに見えるのは、瞳孔の中でかすかに光る紫紺の輝き。


「ヒゲワシかッ!」


 アノスはヒゲワシの不死のカラクリをようやく理解する。

死亡した肉体がそのまま復活するものだと推測していたがそれは間違いだった。

彼はルアスを操ったように自身の意志を他者に植えつける力を持っている。

そして、恐らくその人数に際限はない。


 切りかかるアノスを腰の剣で受け止めた騎士はわずかに、しかし確実に笑っていた。


「見ろッ! この刀、カノイ様に刺さっていたものと同じものだ。

総員全力をもってこの男を拘束しろッ!」


 斬撃を弾き返しながらヒゲワシは声高らかに騎士たちに指示を出す。

いったい、いつからこの騎士に成り代わっていたのか。

数日前か、数年前か、もしや生まれた時からなのか。


 頭の中で湧き出た恐ろしい想像に冷汗をかきながらアノスは騎士たちの追撃を躱すべくその場からの離脱を試みる。

この数の騎士たちを同時に相手することはまだしも、その中にはヒゲワシが混ざっている。

ハダルの援護も失った今、戦闘の継続は不可能だった。


「逃げたぞッ! 騎士団の威信にかけて絶対に逃がすなッ!」


 その声を聞いたすべての騎士たちがアノス目がけてバイスを放ちながら追ってくる。

先ほどまで命令に疑問を持っていた騎士たちも、今はアノスを犯人と疑っていなかった。

十人以上の騎士に追われ、屋敷の敷地内から遠ざかっていく彼の後姿を眺めながらヒゲワシは愉快そうに笑う。


「言っただろうアノス。君には孤独でいてもらわなければ、とな」


 横たわるヴェンヒルをその足で踏みつけながら肩を震わせる彼の顔にはいつの間にか鳥獣の仮面がつけられていた。


 『ヒゲワシ』死骸の腐肉を貪る鳥。

その名の通り、彼は踏みつけたヴェンヒルを脚部から飲み込むように吸収していく。

ものの数秒で死体は掻き消え、残ったものはなにもない。

これで死の原因を調べることは不可能となり、ここにいた二十人弱の証言だけが唯一の証拠となった。

数日もすれば、カノイ殺しの名は王都中に広がることになるだろう。


「その時、君が誰を頼るのか。楽しみにさせてもらうとしよう」


 その言葉が口にされた時には、ヒゲワシの姿はすでに消え失せていた。

屋敷の庭に残ったのはハダルの死体と、横たえられたルアスの身体。

雲に隠れた月は二人を照らすことなく、暗闇を抜ける風だけが今宵の悲劇を嘆いているようだった。


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