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持たざる者からの宣告  作者: 大悪紅蓮菩薩
16/27

見定める者-4

バトル回


 三日前、パーティーの招待客に扮し馬車を降りた場所までたどり着いたアノスは改めて屋敷の広大さに呆れ果てる。

軒を連ねる屋敷の規模は坂を登っていくほど大きなものになっていったが、

王城のある第一層に隣接するように建てられたこの屋敷の敷地面積は他と比べるべくもなかった。


「これでは他の屋敷は皆犬小屋だな」


 感心したわけではないが、率直にそう思わせるほどにカノイの屋敷は巨大だった。

他の貴族とこれほどの差がついているということは、やはり王家の娘を向かい入れた事実が関係しているのだろう。


「おい貴様ッ!」


 以前ヒゲワシから聞かされていたカノイ家の事情を思い出しながら屋敷を眺めていると、

門の前に立っていた騎士がアノスに気づき声を浴びせかける。

ルアスの指示でいまだ顔を隠したままの彼を警備の者たちが不振に思うのは無理のないことだろう。

先日の一件があったばかりであればなおさらに。


「ここでなにをしているッ! 返答によっては拘束と尋問の覚悟を……」


 勇ましく猛る騎士の声は不審者の背後からやってくるルアスの姿を見た途端尻すぼみになっていく。

困惑したようにふたりを交互に見返す騎士に彼女は呆れたようにため息をついた。


「私の客よ。気にしないで仕事を続けて」

「は、はい。失礼いたしましたッ!」


 警備している屋敷の令嬢に直接命じられればそこに疑問を持つことはない。

騎士はルアスに敬礼を返すと仕事に戻っていく。

門を守る役を任されているほどに、仕事はなかなか実直に取り組んでいるようだ。


「どうして自分から警備に見つかるような真似を?」


 彼女の後ろについていれば今のような面倒を楽に避けられたというのに、むしろ率先して屋敷に近づこうとしていたアノス。

彼がそんな愚考を働いたのはあることを確かめるためだった。


「どうやら私の招待はカノイ家の総意ではないようだ」


 つまるところカノイ家全体、カノイ家当主はアノスの来訪を知らない。

彼を招き入れようとしているのはあくまで彼の目の前にいる令嬢一人だけだった。

来客がやってくると知っていれば、門番もあのような対応を控えただろう。


「今、お父様は登城しているわ。家を空けている間の責任者は跡継ぎである私の役目よ」

「父親に私を会わせるという話ではなかったか?」

「お父様が不在の時でないと部屋から出られなかったのよ」


 謹慎命令を反故にしたことを恥ずかしげもなく口にするルアスは悠々と門をくぐり屋敷の扉を開け放つ。

中で使用人や召使とすれ違うごとにもの言いたげな視線を向けられていた彼女だったがその一切を無視して歩き続ける。

その後ろをついて歩くアノスもその豪胆さに半ば感心していた。


「ここよ」


 案内されたのは当主の執務室。

貴族の割には無骨で装飾もほとんど施されていない部屋だったが、

倉庫で寝泊まりしているアノスにとっては十分な煌びやかさだった。


「それで? お前の父親が帰るまで私はここで待ちぼうけか」

「こっちにきなさい」


 アノスを無視してルアスは部屋の奥に向かう。

部屋の壁にはいくつもの絵画や儀礼用の剣が額に入れられ飾られており、

彼女が立ち止まった壁の前にも一枚の絵がかけられていた。

他のものに比べ、質素な額に納められたその絵は、入り口からも見えにくい場所にひっそりとぶら下がっている。


「これを見て」


 彼女が指さす絵には大勢の人物が描かれていた。

見たこともないほど豪勢な広間を背景に、笑みを浮かべた人々が中心に立つ二人の男女を囲んでいる。

そこ描かれていたのは、先日アノスも見たカノイ家当主。

今よりも若く見えるその姿から、随分と昔に描かれたものなのだろう。

絵画の中の彼は幸せそうに笑っていた。優しげに微笑む美しい伴侶と共に。


「これは……」

「私の母よ。亡くなって十八年になるわ」


 婚礼の儀式の様子を描かれたものなのか、白いドレスに身を包んでいるその女性の髪色は漆黒。

暖かな視線を放つその瞳は太陽の如き赤色。

その顔立ちはルアスとうり二つの美しさで、彼女はまさに母親の生き写し。

否、同種の特徴を持つという意味ではアノスこそが生き写しというにふさわしかった。


「これが私をカノイの近親者と疑う理由か……」


 顔を同じくする者と鉢合わせたという事実は彼らの頭をひどく混乱させたが、

この肖像画は一つの答えを示してしまっている。

アノスとルアスの繋がり。すなわちアノスとカノイ家の繋がりを。


「貴方のことを話そうとした時、お父様はひどく動揺していたわ。

恐らく、いえ確実に貴方の存在を知っていた。

箝口令まで出して貴方の存在そのものを隠そうとまでしていたもの」


 まるでその存在を認めたくないかのように追及を避けた彼の思惑。

娘であるルアスにもひた隠しにしようとするアノスという男の真実。

それを彼女は知ろうとしている。


「お父様があのように怒りをあらわにした姿は今まで見たことがなかった。

貴方に関わるなにかがなにかが過去にあったとしか思えない」

「……私の母はただ一人だ。断じてこの女ではない」


 示された可能性から逃れるように、絵の中の女から視線を外すアノス。

人望の厚い女だったのだろう。

彼女らを取り巻く人々が顔に浮かべる笑顔は、すべて本心からくるもののように思えた。


 その時、絵画を流し見ていた目の動きが止まる。

婚礼を祝う人々の中に見覚えのある顔があった。カノイ当主のほど近くに立っていたのは、

先日ルアスとダンスを踊っていたハダル・ホド・ヴィトン。

彼がカノイと近しい人物だということはパーティーの様子からなんとなく察しがついていた。

問題はその隣に立つ三人。


「……なぜ、こんなところにエリヤが描かれている」


 呆然と、信じられないという様子で呟くアノスの目に映るのはソラハの父、

ニヘルに肩を抱かれたエリヤの姿だった。

ニヘルの胸に手を当て微笑む彼女も、黒髪の女性と同じく至高の幸せを享受している様子だった。


「ルアス、答えろ。この絵はいったい、いつどこで描かれたものだ」

「……王城で挙げた婚礼式の絵よ。二十年くらい昔ね。

お父様が念写師を読んで描かせたの。どうしてそんなことを?」


 絵画の一端に描かれた小さなエリヤの顔に触れながら、その隣に立つ男の姿に気がつく。

先日の様子とは異なり、落ち着いた笑みを浮かべているのは緑髪の男。

アノスに協力を持ち掛け、ルアスにエイカーと呼ばれていたあの男だった。


「……この男はどこにいる」


 振り返ったアノスはゆっくりと歩き出す。

左右に揺れ動くように進むその姿はどこか不気味で、ルアスは思わず生唾を飲み込んだ。


「言ったでしょう。彼も後からくる。今はおとなしくここで……」


 その言葉を言い終わる前に彼女へ黒い腕が伸びる。

しかしその腕は彼女の細い首を掴み取ろうとした瞬間、反対に掴み取られた。

アノスが不意打ちを仕掛け、ルアスがそれを捌く。一瞬にして剣呑な雰囲気に執務室は支配された。


「いきなりなんのつもりかしら? 

こんな場所で私に敵意を向けるほど貴方は馬鹿ではないと思っていたのだけれど」

「御託はいい。今、エイカーはどこにいる」

「貴方を父と引き合わせるまで教えるわけにはいかないわ」


 力の均衡は徐々にアノスの側へと傾いている。

ゆっくりと、しかし確実に首元へと押し込まれていく腕はルアスの両腕をもってしても押さえ込むができない。


「お前の父は私の存在にひどく動揺しているのだったな。

そんな者が目の前に現れた時、彼は私をどう扱う」

「それは……」


 まず歓迎はされないだろう。取り乱すこともあり得る。

下手をすればアノスを拘束するよう騎士たちをけしかける可能性すらあった。

それでもルアスの懸念を晴らすには、もはや二人を直接会わせるほかない。


「屋敷の中で騒ぎを起せば、より扱いも悪くなるでしょうね」

「なるほど。だがよく見てみろ」


 周囲を見回すように左右に首を振るアノス。

その一瞬だけ彼の腕の力が緩み、ルアスはとっさに後方へ飛び去ろうとする。

それが始まりだった。


「ここには騎士も使用人もいない。私とお前の二人だけだ」


 距離を取ろうと飛び去ったルアスの片足をアノスは瞬時に掴み取り引き寄せる。

体制を崩され後頭部を床に強く打ち付ける彼女だが、両手を地につけ繰り出した刺すような蹴りでなんとか拘束を逃れる。


「ここでも私が声を上げれば召使が飛んでくると思うけど?」

「そんな余裕を与えると思うか」


 反転しながら起き上がるルアスへ容赦なく追撃を仕掛けるアノス。

左右に広げた十本の指からは何重もの黒糸が伸び、彼女を狙う蛇のように四方から攻め入る。

拘束の糸を迎撃すべく、ルアスも極光のバイスを発動させた。

輝く光が執務室を包もうとした瞬間、アノスは形成した数本の短刀を窓脇のカーテンに投げつける。

カーテンを結んでいた布が断ち切られ、暗幕が窓を覆ったことで光が外部へ漏れる事態は寸でのところで防がれた。

これで外から異変に気づかれることはない。


「先日はその光で痛い目を見たからな」

「賢明な判断と言ってあげたいところだけど、忘れていないかしら」


 日の光が遮断され、暗闇に包まれた執務室に唯一灯る極光。

室内を縦横無尽に動き回り、黒糸の猛攻をことごとく焼切った流星のごとき閃光は、一転して攻勢に移り変わる。

先日と違い、まだ暗闇に目が慣れていないアノスはその動きに対応しきれていなかった。

発光しながら向かってくる突進は、ただでさえ相対距離が把握しづらく迎撃が難しい。

ゆえに彼は守りではなく攻めに終始する。


「どこまでも命知らずね。でもあの時のようにはいかないッ!」


 突進と同時にルアスが放つ突きは人体の中心線を狙った一撃。

先日のような無意識の慢心や油断もない、直撃すれば胴を丸ごと焼き落とす文字通り必殺の一打。


 そして同時にアノスが放った攻撃も同じく突き。

向かってくる光の顔面めがけて穿った刺突は間合いの関係上、拳よりも先に届く。

距離感が掴めないために刺突のタイミングはやや早まってしまったが、相手の体勢を崩すには十分だった。


 繰り出された刃を避けるために、ルアスは半身を最小限の動きで傾ける。

しかし、そのような動きが鈍化する一瞬を彼が見逃さない。


「足元に注意しろ」


 刺突を避け、胴への一撃を叩き込もうと踏み込む彼女にアノスはそう呟く。

その不穏な警告にルアスは今にも振りぬこうとしていた拳を引き戻し、その場から飛び退く。

結果的に経験と勘から導き出したこの回避行動が彼女の命を繋ぎ止めることになった。


 アノスの言葉とともに地面から突きあがってきたのは巨大な鉄杭。

死骸で形作られたその全長はアノスの背丈を越し、あの場に止まっていればルアスは股下から串刺しになっていただろう。


「先日の戦いで分かっていたつもりだったのだけれど、油断も隙もないわね」

「一息つくにはまだ早い」


 後方に飛び去ったルアスが着地したその瞬間、その地点の床からもう一本の杭が飛び出してくる。

否、一本どころではない。

それを回避した地点にも、それをまた躱した地点にも、彼女が駆ける軌跡を追うように無数の杭が姿を現す。

まるで床下全体に根を生やした植物のように。


「いつまでもネチネチとしつこいッ!」


 行動範囲に制限が設けられる室内だからこそ抜群の効果を有する鉄杭の森は、

暗闇の中で発揮されていたルアスの優位性をことごとく奪い去る。

現状、近距離での徒手空拳でしか攻撃を行えない彼女は、完全な防戦を強いられるほかなかった。


「この屋敷に長居する気はない。最後にもう一度だけ聞くぞ」


 今の状況をカノイの当主に目撃されれば、単純な戦闘能力で片づけられる問題ではなくなってしまう。

この場にエリヤを知る人物がいないのなら、これ以上屋敷に留まって取り返しのつかない事態に陥る可能性を高める必要もない。


「エイカーという男はどこにいる。私を上層へ呼んだあの男は今どこでなにをしている」

「さあ? あの男がどこでなにをしてるかなんて知らないし、興味もないわッ!」


 自身に群がる鉄杭を手当たり次第焼き伏せながら、

ルアスは先ほどから一歩も動いていないアノスの足元に注目する。

以前も彼は防御のための壁などを地面から引き出していたことがあったが、

原則バイスによって形成される物質の発生源は能力者の肉体に限られる。

つまりあれらの障壁はアノスの体から伸びた死骸が地面を経由し、飛び出したということになる。


「もしそうなら……」


 自身と離れた場所に物体を出現させるための使い方だが、

同時に形成途中に限り能力者が地面に固定されてしまうという弱点もあった。

その証拠に防御や拘束といった特定の状況下でしかアノスはこの方法を使っていない。

だがルアスという強力な近接攻撃を持つ者を相手にするにあたって彼は例外として今の戦法をとっている。

つけ入る隙があるとすればそこしかなかった。


「ならばお前に用はない。ここで眠ってもらう」

「やれるものならどうぞご勝手にッ!」


 乱れ迫る刺突の嵐を紙一重で躱しながら、ルアスは右手の指先に光を蓄え始める。

頬をかすめていった杭の先端が枝分かれ、空中に跳んだ彼女の足首に巻きつきにかかるが、それも左腕の極光で切り飛ばす。

その残骸が崩れ去る先にアノスの立ち姿が見えた。


「そこッ!」


 それは実戦で使用できる域ではないと自ら封印していた遠距離攻撃。

乱立する杭の隙間を抜け、まさに光のごとき素早さで飛ぶ光線は、足を固定し動けないアノスの目元へと放たれた。


「なんだとッ!?」


 彼からしてみれば遠距離からの攻撃は完全な想定外。

突然顔面に飛んできた光線はアノスのこめかみに直撃し、その肌を軽く焼いてみせる。

発射前の溜めに見合っていない低威力の光線だが、相手の意表を突くという役割は完全にこなして見せた。

現にこの一瞬、無数の鉄杭は完全に動きを止めている。


「今度こそ、私は慢心なんかしない。

貴方が私に協力しないというなら、正真正銘の全霊を持って叩き潰させてもらうわ」


 動きを止めた杭の森を駆け抜けながら、ルアスは爆光を集約した拳を振りかぶる。

もはや彼を無傷で拘束できるなどとは思っていない。

たった今この時だけは、後継者としての確信も、同じ顔を持つ男の正体も、すべてを忘れて眼前の敵を倒すことに総てを注ぐ。

それが全霊を賭けるということ。それが慢心を捨て去ろうとするルアスの意志だった。


「なるほど、勇ましく力強い。

一度敗北した相手にも臆せず立ち向かうその姿勢は、私も見習わなければならんな」


 鉄杭が鈍く動き出すが、もはや手遅れ。

ルアスは杭の森をすでに抜け、アノスの眼前まで駆け抜けている。

こめかみを攻撃され、閉じていた瞳を彼が再び明ける頃には光の拳も鼻先にまで迫っていた。


「だが……」


 足を固定しているために回避は不可能。総てを焼き切ってしまう極光には刀の迎撃も無意味。

誰が見ても絶体絶命と言うほかないこの状況であるにもかかわらず、しかしアノスはかすかな笑みを浮かべていた。


「奥の手というものは最後まで隠しておくものだ」


 その瞬間、執務室の天井が決壊する。

否、天井にへばりついていた大量の死骸がルアスめがけ撃ち込まれる。

アノスが死骸の根を張り巡らせていたのは床だけではなかった。


 完全な死角からルアスに降り注ぐのは粘着性に富んだ不定形の死骸。

天井から流れ出るようにして降り注ぐ黒い粘液は問答無用で彼女を押し倒し地面に拘束する。

逃れようともがいても、粘液は急速に凝結していき体の自由は徐々に奪われていった。


「終わりだ。雪辱とはならなかったな」


 地に伏せるルアスを見下ろしながらアノスは冷たく言い放つ。

彼女は何度か両腕に極光を灯し脱出を図っているが、焼き飛ばされるのは腕周りの死骸のみ。

全身にのしかかるすべてを消し去ることはできなかった。


「嘘……。嘘よ、だって今回は本当に全力で戦った。それなのに……」


 一度ならず二度までも。

貴族として確かな力を示すために、騎士となり神の栄誉をたまわるために努力した己の全霊でさえ、目の前の男には届かなかった。

その事実がルアスを絶望へと追いやる。


「貴方が本当にカノイの人間なら、貴方より弱い私はどうなるの? 

貴方が後継に選ばれでもしたら、私のいままでは、私の人生は……」


 うわごとのように呟くその姿は、努力で己を保っていたがゆえの脆さに違いなかった。

カノイを継ぐこと、家を守ることに存在意義を見出している彼女にとって、強さとは存在を許される許可書。

強くあれば居場所を与えられ、弱くあれば剥奪される。


 貴族の一人娘という怠慢が許されなかった環境と、

その中で養われた強い責任感によって生まれた、異常なまでの自己評価の厳しさ。

それが戦いに敗北した彼女の精神をむしばんでいた。


「どうして? どうして貴方はそんなにも強いの? ずっと頑張ってきた私より、なんで……」


 悲痛とさえいえるルアスの言葉にアノスは押し黙る。

彼女の問いかけなど無視して今すぐこの場から立ち去ることは簡単だった。

しかし彼はルアスの言う強さについて一つだけ言いたいことがあった。


「強いのは私ではない。強いのは誰とも知らない者から勝手によこされたこの力だ」


 手のひらの上でうごめく死骸を見ながらアノスは忌々しげにつぶやく。

努力によって強さを身に着けたと言うルアスとは対照的に、

彼は与えられたもののみでここまでの力を得たと言う。


「お前たちは神に授けられたというこの力を祝福が如くありがたがるが、こんなものはまやかしに過ぎない。

神の遊びに付き合わされているだけだ」


 死骸を力強く握り潰し、それが自分の体に溶け込んでいく感触さえ不快に思いながら彼は話し続ける。


「私が本当に強者なら、こんな力を使わずともお前たちと戦うはずだ。しかし私は弱い。

どうしようもなく。最も嫌う力に頼らなければならないほどに」


 不本意にも与えられた神の贈り物。彼はそれを用いて亡き母の真実を知ろうとしている。

嫌うものに頼らなければ、目的ひとつ果たせない自分の無力さを彼は常に呪っていた。


「神に与えられたに過ぎない力を絶対と信じ、

その尺度でしか自分を評価できないお前のような存在は恐ろしいほどに哀れだ。

そんな力などなくとも、人には無数の力が備わっていたはずだというのに。

神の威光はそれを隠してしまった」


 どれだけ人間的な素晴らしさを持っていたとしても、バイソレッドを持つかどうかが善人と悪人を分かつ第一基準になる。

それがどれだけ理にかなっていないか、信徒だけではなく逆徒でさえわかっていない。

当たり前だから、常識だから。

国の誕生から土地にしみ込んでいった悪習は住まうものすべてを汚染している。


「神がなぜ人間にこのような力を与えたのかは知らないし、知りたくもない。

ただ一つ言えるのは、奴こそ信徒と逆徒という人間の二分を招いた大罪人ということだ」


 神が力など与えなければ。

バイスを持つ者と持たざる者で不和が生じることも、

それによって引き起こされる幾多の不幸が巻き起こることもなかった。


「そうだ……こんなものさえなければ、エリアが死ぬこともなかった」


 すべての元凶こそバイソレッドを人々に与えた神。

そういう意味ではアノスが探し出し復讐の刃を向けるべき相手は、その神なのかもしれない。


 いつの間にかルアスは意識を失っていた。戦闘の疲れか、精神的疲労によるものか。

自分を油断させるための演技でないことを確認したアノスは、彼女を取り巻いていた死骸を体に戻す。

引きずられるように体へ飲み込まれていくそのさまはアノスから見ても決して気分のいいものではなかった。


「誰が好き好んでこんなものを使う……」


 ひとり呟く彼の声に答える者はいない。

執務室にはアノスとルアスの二人だけであり、そのうちの一人はたった今意識を失ったのだから当然だろう。


 ゆえにその言葉に乾いた拍手が返ってくることは考える間もなく異常な事態に他ならなかった。


「なかなかに関心の惹かれる話をする。

賊というからには粗暴な男を想像していたのだが、なかなかどうして私も勘が働かんな」


 響く声と共に閉じられていた窓が一斉に開け放たれる。

そばに誰かがいたわけでも、吹き荒れた強風が留め具を飛ばしたわけでもない。

しかし、まるで意志を持っているかのように統率の取れた窓の動きは確かに何者かの力によるものだった。


「カノイかッ!?」


 姿の見えない敵を警戒しながら、アノスは現状最も遭遇する可能性が高い者の名を呼ぶ。

ここは彼の屋敷の彼の執務室。登城した当主が戻り、姿を現したとしても不思議ではない。

だが問いに対する返答はなく、代わりにある異変がアノスを音もなく襲い始める。


「これ以上、中で暴れまわるわけにもいくまい」


 アノスの足が床から強制的に離されていく。

空中でもがけども意味はなく、彼の体は不可視の巨人に投げ飛ばされたかのように窓の外側へ吹き飛んでいく。

そこに抵抗や妨害の余地など存在していなかった。


「このまま拘束するのもやぶさかではないが、貴公に聞いておきたいこともある。

死角からの奇襲は性分ではないが、余計な目を引くわけにもいかんのでな。許せよ」


 空中へ飛ばされ、そのまま地面に投げ出されるものと思われていたアノスが最終的に落下したのはカノイ屋敷の屋根の上だった。

強い傾斜のついた屋根を転げ落ちながらも、へりから滑り落ちる寸前で体勢を立て直す。

フードが外れひらけた視界には曇天が広がっていた。

アノスは自由になった全身に走る痛みを感じながら、屋根の頂点に立つ男を見上げる。


「……ハダル・ホド・ヴィトン」


 至極色の長髪をなびかせながらアノスを見下ろすのは聖王騎士団第三部隊長、ハダル。

ルアスやエイカーと同じく青き衣を身に着けたこの男は、奇しくも同じ色の目を持つアノスを興味深そうに眺めている。

そこに敵意や戦意は微塵も存在していなかった。


「黒い髪に、赤き瞳。その手に持つは、死臭を振りまく肉の刃か。

ヴォケッドから聞き及んではいたが、これも神の定めた運命ということか」

「なに?」


 独白する彼は笑っていた。嘲笑や皮肉交じりの笑みではない。

ずっと求めていたものに出会えたかのようなその顔は、困惑しているアノスへとまっすぐに向けられている。

しかし次の瞬間には先ほどまでの笑みが幻想であったかのように、彼の表情は冷たく無感情なものへと変わっていた。


「名も知らぬ青年よ。貴公が先日この屋敷に侵入した賊に相違ないなら、カノイ当主の命により私は貴公を捕えねばならない。

たった今、我が愛弟子を下した事実も含め、なにか釈明はあるかね?」


 腕を組み、物々しい雰囲気を醸し出しながら、彼は問いかける。

その問いは確認ではなく投降を促す警告。

だが拘束されるわけにはいかないアノスに投降という選択肢はあり得ない。

警告を無視してこの場から逃げおおせるという選択しかのこされていない。

しかし、そうであるにもかかわらず彼は無言を貫くことしかできなかった。

「沈黙は釈明なしと受け取るが……」


 屋根に立つアノスの手は震えていた。

これまで多くの者たちと戦い抜いてきたこの男が、目の前に立つハダルという男に怯えていた。

『聖王騎士団第三部隊長』その肩書きに恐れをなしているわけではない。

しかし彼の全身から流れ出る強者としての格は、何人もの強者を相手にしてきたアノスだからこそ感じ取れるものだった。


 ゆえに理解してしまう。

己の返答が戦いの引き金となることも、目の前に立つ男が自分を打ち倒すために向かってくることも。

そして己とハダルを分かつ絶望的な力の差も。


「そうか……」


 残念そうにそう呟くハダルの声に、アノスは反射的に刀を構える。

それと彼の体が無拍子に空へ吹き飛ばされたのは全くの同じタイミングだった。

背中にかかる衝撃は声を上げることも許さない。


「では早急に片付けるとしよう」


 遥か上空に打ち上げられた者にどうやって追いついたのか、ハダルは彼の顔面を掴み今度は地表へ向けて殴り飛ばす。

空気の膜を打ち破りながら落下していき、身動きのできないアノスは再び追いついたハダルに鳩尾を蹴り抜かれた。

腹を貫通したと錯覚するほどの衝撃を受け、

三層の空を成す術もなく飛んでいく彼にできることは手にした刀を手放さないことだけだった。


「あまり遠くに行ってくれるなよ」


 屋根に着地したハダルが手を伸ばすと、アノスの体は吹き飛ばされた時以上の速度で戻ってくる。

もはや意識を保っているかも定かではない彼の体は周囲に吹き荒れる突風の中で人形のように揺れていた。


「当主は貴公の抹殺を望んでいる。箝口令を敷いた上で私にそう命じたのだ。

よほど後ろ暗いことがあるのだろう」


 一方的に叩き潰されボロボロになっているアノスは、

首を掴まれながらも辛うじて保った意識でハダルの言葉を耳にしていた。


「彼の命令を私が聞く義理などないのだが、カノイは騎士団とも根が深い。

無為にするわけにもいかないのだよ。腹立たしいことにな」


 徐々に首へ込めた力を強められ、意識が遠のいていくアノスに言葉を返す余裕などない。

握った刃をハダルに突き立てようとしても、垂れ下がった両腕はそれ以上動かすことができなかった。


「だがもし、貴公が真実エリヤの名を知る者なら……」


 朦朧とし、遠のいていく意識の中で耳に届いた声がなにを言っていたのか彼にはわからない。

視界が徐々に黒く塗りつぶされていく。

彼が操る死骸が如く、赤黒く染まっていく思考はアノスに死というものの覚悟を突きつけるものだった。


 死ぬ。エリヤの仇を見つけ出せぬまま。

ソラハとボラルを残したまま。なにも成すこともなく、なにを得ることもなく。

たった一つのちっぽけな命が、運命を語る男に奪われようとしている。

それを止められるものはどこにもいない。アノスはかすかに握っていたその意識をついに手放した。


「ほう?」


 握っていた刀から手を離し、完全に意識を手放したアノスを見てハダルは意外そうな声を上げる。

まるでなにかを期待していたかのような、その期待を裏切られたかのような声。

首を掴んでいた手を離すとアノスの体は人形のように崩れ落ちた。


「一筋縄ではいかぬとヴォゲッドは言ったが、奴の買い被りだったということか」


 カノイ当主に賊の抹殺を命じられた後、出発するハダルの部屋にエイカーが訪ねてきた。

いわくその賊こそがエリヤ・スクルゥの手がかりなのだと。

そして同時にいくら自分であろうとも彼を倒すことは難しいとも語っていた。


「面識すら殆どないというのに、いったいなにを根拠にしていたのやら。

おかげで少々痛めつけすぎてしまったようだ」


 エイカーもハダルと同じく、騎士団でも有数の実力者であり、その彼が実力を認めた者に安易な手心を加えるわけにもいかなかった。

しかし結果は拍子抜けなことにハダルの完勝。

アノスは抵抗らしい抵抗もできずに敗北した。


「この男が……スクルゥの手がかり、か。しかしこの容姿はあまりにも……」


 自らが打ち倒した男を見下ろしながらハダルは不可解そうに呟く。

だがその言葉が終わる前にある異変が彼の目の前で起きようとしていた。


 目を閉じ倒れているアノスの体から徐々に黒い霧が漏れ出てくる。

初めは見落としそうになるほどの微量な、しかし次の瞬間には膨大な量の霧が彼を包み込むように広がっていく。


「なるほど。これが隠し玉というわけか」


 意識を失ったアノスから多大な力があふれようとしていることを察知したハダルは、すぐさま彼を蹴り飛ばし一定の距離を取る。

バイソレッドが能力者の意志を無視して発動することなど本来ありえないことだが、

吹き飛ばされたアノスの体は、次の瞬間内側から爆発するように、黒い死骸を放出し始めた。


「これは存外骨が折れそうだ」


 依然としてアノスは意識を失ったまま。

再開した戦いの開幕を飾ったのは屋敷全体に降り注ぐ槍の雨だった。

百や二百では済まない死骸の槍が、屋敷もろともハダルへ一斉に飛来する。

その大きさや速度は、これまでアノスが用いていた死骸とは比較にならないほど強力なもの。

直撃すればハダルは勿論、カノイの屋敷も更地となる。


「カノイの屋敷などどうでもよいが、下の愛弟子まで巻き込むわけにはいかんな」


 降り注ぐ無数の槍に向かってハダルはその右腕を伸ばす。

その周囲に淡い光が帯びたのと同時に、飛来する槍は空間に固定されたかのようにその動きを止めた。


「貴公のものだ。受け取るがいい」


 そればかりか彼が伸ばした腕を払ったと同時に、

空中に止められていた総ての槍が向きを反転させ、アノスの体へと飛び始める。

ハダルのバイソレッドは物体移動能力。相手の飛び道具を利用することは彼の専売特許だった。


 一瞬で槍の集中砲火を受けることにならアノスは自らの周囲に球体の壁を展開する。

飛来する槍を壁に取り込みながら落下する死骸の球は、ハダルに向かって一直線に飛んでくる。

彼は再びバイスでアノスを飛ばしにかかるが、二度同じ手が通用することはなかった。


「なるほど」


 バイスを球に向けて放った瞬間、壁が砕け散り中からアノスが飛び出てくる。

一度、力を向ける場所を『球体の壁』に指定したために、アノス本人の突進を止めることはできない。

ハダルが持つバイスは強力なものだが、このように対象の位置を正確に指定しなければならないという弱点もあった。


「最も、今の貴公にそのような理屈を考える頭があるようにも思えんが」


 寸でのところで繰り出された斬撃を左腕が放ったバイスで押しとどめるハダル。

彼の眼前に立つアノスはいまだ意識を失ったまま。

しかしその姿はまさしく異形と呼ぶにふさわしい醜いものに変わっていた。


 自らが操る死骸を鎧のように塗りたくり、身体と一体化した刃は両腕と両膝から伸びている。

鼻が曲がりそうな腐臭を立ち昇らせながら身を震わせるアノスの瞳は虚ろであり、

この姿を晒すことに彼の意志が働いているようには思えなかった。


「人とはここまで醜くなれるものなのだな」


 意思もなく、理性もなく、ただあふれくる力を垂れ流すように暴れる男を見て、

ハダルは静かにそう口にした。

どこか哀れみを含んだその言葉がアノスに届くことはなく、

二人はお互いに飛び去り距離を取ると続く戦いに構えを取った。



・・・



『あの時と同じだ』


 アノスは真っ暗に沈んだ思考の中で、そう呟いた。

成すすべなく殴られ、蹴られ、首を絞められ、死を確信した日。

ボラルと共に王都へ潜り込み、力を手にしたあの日を思い出しながら。


『なんて都合がいい』


 命の危機に瀕することが条件であるかのように、

幼いアノスが何度試みても発現しなかった力は、かつて彼の命を脅かした逆徒を瞬く間に切り刻んだ。

死にゆく母を救いたいと、狂うほど願った時には得られなかったものが、

死に近づいたというだけで都合よく手に入ってしまった。

その時の虚無感をアノスは忘れたことがなかった。


『神が……私を生かそうとしている』


 血で染まった思考の海に浮かびながら、アノスは己の中で高まっていく力を感じていた。

自分の意志とは関係なく上昇していく力は、沈んだ彼の思考を急速に引き上げていき、

黒く染まり混濁した意識を強制的に晴らしていく。

かすかに垣間見えた己の視界からは、先ほどまで手も足も出なかったハダルと異形の姿となった己が互角に戦いを繰り広げている姿が見えた。


『やめろ……』


 己の意志を無視し、すべてにおいて活性化していく己の力にアノスは憤る。

目に見えない存在に自身の体をいじくりまわされていく不快感を覚えながら、その介入を拒もうと抵抗する。


 この力を受け入れれば彼は再び死を免れるだろう。

生き延びれば、またソラハたちと会うこともでき、エリヤの死の真相を探し続けられる。

だが彼の中にある根本的な思想が告げていた。


『私は……神の操り人形ではないッ!』


 それは与えし者への宣告。

生存や勝利という餌を吊り下げられても神の力に縋ろうとしないアノスの意地だった。


『私が貴様の気まぐれで生かされたのだとしたら、エリヤは貴様の気まぐれで殺されたということだッ! 

なんのつもりで私に力を貸すのかは知らないが、これ以上貴様のような屑の施しを受ける気は毛頭ないッ!』


 自分をどこからか観察しているのであろう神に向かってアノスは声の限り叫ぶ。

勝手に身体を操り、たった今もハダルと戦い続けている者に向かって告げる。


『力を失くし、結果命が奪われようとも、それが我が一生、私という人間の人生だッ! 

それを、その価値を、貴様のような悪童に奪わせるものかよッ!』


 己の命も、それが紡いでいく人生も、他の誰でもない自分自身のもの。

顔も名前も知らない神などという存在に左右されるものではない。

たとえ神の恩恵を持たない人生が波乱と苦難に満ちたものだとしても、それを乗り越える強さが人間にはある。

そうアノスはエリヤに教えられた。


『引っ込んでいろッ! これは私の戦い、私の人生だッ! 

貴様のような不純物が介入する余地など微塵もないッ!』


 張り上げた声は思考の海を揺らし響き渡っていく。

それと同時に、アノスは己の中で不自然に高まっていた力が徐々に落ち着きを見せていくことを感じていた。

強制的に引き上げられていた思考は再び沈んでいき、意識は陰りを見せていった。



・・・



 異形の鎧を纏ったアノスと激闘を繰り広げていたハダルは、突如動きを止めた彼の異変に気がつく。

それまで物体移動能力に対抗するため、

何枚もの壁を展開しながら移動を繰り返していた彼が再び糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

死骸の鎧は剥がれ、再びアノスの体へと戻っていく。


「……いろいろと、貴公とヴォゲッドには聞きたいことが増えた。悪いが共に来てもらうぞ」


 倒れ伏すアノスを担ぎ上げながら、アノスは右腕に走ったかすかな痛みに気がつく。

手のひらを見れば、薄皮一枚だが皮膚が一筋に裂かれていた。

数々の攻防の中で止めきれなかった一撃があったということだろう。


「……油断も、慢心もしたつもりはなかったが」


 ハダルは己の手中で眠る男の異質さを感じていた。

理屈は説明できないが、自分たちが神に与えられたバイソレッドとアノスが使う死骸の力は根本的に異なるもののように思えてならない。

つまりそれは人に力を与えし者が、神の他にいるということ。


「私としたことが、まったく馬鹿なことを考える。ヴォゲッドの趣向がうつりでもしたか」


 神を絶対なものと信じる騎士に、その思考は許されない。

唯一無二の神が立つ地平に並び立つ存在がいるはずもない。

ハダルは一瞬頭の中に浮かんだ突拍子もない考えに苦笑しつつ。屋敷の屋根から飛び降りた。

 彼が向かうは第一層。王族が住まう巨城と騎士団本部が建つガズラ王国の中枢だった。


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