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持たざる者からの宣告  作者: 大悪紅蓮菩薩
15/27

見定める者-3


 カノイ家屋敷の一角。豪華絢爛な照明に包まれた広大な部屋は静謐な空気を漂わせていた。

広さを持て余しているかのように家具は最低限しか置かれておらず、

そのひとつである天蓋つきのベッドには部屋の主であるルアスが横たえられていた。


「まさかこのような事態となるとはな」


 その横で片膝をつき、眠る頬を慈しむように撫でるのは、

今夜彼女と一曲を共にした至極色の男、ハダル・ホド・ヴィトン。

家名を異にするルアスの叔父であり、彼女の指導役にもあたる彼だか、表情に動揺は見られない。

軽く腹に残った打撃痕以外に目立った外傷が見られないことからも姪の命に別条がないことを察していたのだろう。


「多少の技術はものにできても、潜在的な慢心はいまだ消えぬということか。

お前も難儀な業を背負ったな、ルアス」


 かすかに残った傷跡からルアスの敗因すら見抜いたハダルは静かに呟き立ち上がる。

振り返った彼の前には、いつからそこにいたのか深緑の男が壁に背をつき立っていた。


「仲睦まじいね。年頃の娘と僕らおっさんの仲ってのは得てして険悪になりがちなのに、

こうやって無断で部屋に入っても文句ひとつ言われないんだから」

「そういう貴様は後で小言のひとつでも覚悟しておくといい、ヴォゲッド」


 音も立てず現れた男に驚くこともなく平然と会話を交えるハダル。

どうやら二人は旧知の仲であるようだった。


「エイカーって呼びなよ。他人行儀だと悲しくなるじゃないか」

「生憎、公私の線引きははっきりさせておく性質なのでな」


 なれなれしい男、エイカーは笑いながら肩を組もうとしてくるが、軽々とその腕を躱されてしまう。

仮にも意識を失っている女性の私室で繰り広げるようなやり取りではないが、ハダルも特に咎めることはしない。

変に反応すれば余計に騒ぎだす男だということを彼も長年の付き合いの中で学んでいた。


「賊は見つかったか」

「さあ? 僕は命令を受けてないからね。そこんところの仕事は末端に任せるさ。

ただ、これだけ探しても見つからないんだ。もう敷地外に逃げおおせてるんじゃないかな」


 悪戯を仕掛け悦に浸っているような笑みを浮かべるエイカーは白々しくもそう答える。

その笑みがなにを意味しているのか、おおよその察しがついたハダルは彼の胸ぐらを掴み、引き寄せる。


「貴様なにを企んでいる。旧友とはいえ、過度な庇い立てを私に期待しているわけではあるまい」


 友と呼びつつも、彼の対応に容赦はない。

万が一、なんの考えもなく賊を逃がしたのだというなら、ハダルはすぐにでもエイカーを罰する。

それが騎士となり二十有余年で隊長職にまで上り詰めた男の仕事だった。


「相変わらず堅物だねハダル。

でもそんな君にも優先させたい私情のひとつやふたつ、あるだろ? 人間ならさ」

「……回りくどい語り口は好かんな」


 にやついた顔を崩さないエイカーは胸ぐらを掴まれたままおどけたように両の手でハダルを指さす。

その指をまとめて掴みあげながら眉をひそめる彼は、言葉の先を促すように握りこぶしに力を込める。

常人ならば骨ごと潰れりほどの圧力を受けながらも動じないエイカーは相変わらず融通の利かない友人の様子に含み笑う。

心躍らせているのだ。これから告げる言葉に、この男がどのような反応を見せるか。


「エリヤ・スクルゥの手がかりを見つけた」


 その言葉を聞いたハダルがエイカーから手を離したのと、

部屋の扉が勢いよく開かれたのは示し合わせたかのように同時だった。


「隊長ッ! 御当主をお連れしました」


 扉の向こうから現れたのは片腕を吊ったままのヘイツ。

その後ろから彼をはねのけるようにしてルアスへと駆け寄るカノイ当主だった。

その登場に二人はすぐさま敬礼の姿勢をとり、私語の一切を取りやめる。

ハダルと当主は義兄弟だが、そのつながりが二人を良い関係にすることはなかったようだ。


「ヴィトン殿ッ! あなたがついていながらこれはいったいどういうことだッ!」


 娘の手を握りながら憤慨したように顔を赤くする当主は、彼女に連れそっているはずだった男に責任の所在を求める。

その非難にハダルは深々と頭を下げながら口を開いた。


「申し訳ございませんカノイ様。後程いかような罰も受ける所存であります」

「あたりまえだッ!」


 彼がルアスのそばから離れたのは他ならない彼女に頼まれたからなのだが、それを口にするようなことはしない。

その要望に折れてしまった己にこそ責任があるとハダルは自罰している。

彼もまた、教え子であるルアスの力を過信していたということなのだろう。


「しかし不幸中の幸いというべきか、御令嬢に目立った外傷はないようですよ。

目もじきに覚めましょう」


 頭を垂れながら叱責されるハダルを庇ったのか、背後で様子を見ていたエイカーが発言する。

だがそんな彼の言葉に当主の怒りはさらに加速することになる。


「それがどうしたッ! そんなことが問題なのではないッ! 

首席卒である我が娘がどことも知れぬ輩に敗れ去ったという事実が問題なのだッ! 

今夜のことが貴族界に露見してみろ。カノイ家の威厳に傷かつくどころではないッ!」


 王家に連なる貴族であるカノイ家だが、そのありようはひどく不安定なものだ。

現状の発言権は他の家々を圧倒するものだが、ひとたび隙を見せようものなら立場が一変する危険性を孕んでいる。

それはとある事情でカノイが王位の継承権を失ったことが原因だった。


「我々は血に頼れぬがゆえに、己の実力のみで名を残さなければならん。

それだというのに肝心の跡継ぎがこのざまでは、家の凋落を招きかねんのだぞッ!」


 当主が案じているのは娘自身ではなく、娘が成し遂げるべき功績だった。

家の名を守るのは跡継ぎとして当然の使命。

ハダルはその事実を理解しながらも、どこかやりきれない思いを胸に押しとどめていた。


「……ごめんなさい、お父様」


 当主の激昂により静寂の間を保っていた室内に小さな謝罪が響く。

今の声で目を覚ましたのか、それともずっと前から父親たちのやり取りに耳をすませていたのだろうか。

悔いと後ろめたさに浸かった彼女の瞳は父の期待を裏切ってしまった己への嫌悪に塗れていた。


「ルアス。いったい何があったのか包み隠さず説明してみなさい。

内容次第では謹慎も覚悟するように」


 厳しい声でそういう当主の言葉にルアスは力なく返事をする。

余計な進言をすることもできず、ハダルたちも彼女が口にする事の顛末を黙って聞いているしかなかった。



・・・



「なるほど。招待客に紛れ込むとは用意周到な賊もいたものだ。

次回からは身分確認を厳格に見直さなければいかんな」


 出で立ちや言動からくる推測を交えたルアスの報告を聞きながら、当主は顎に手を当て苦々しそうに呟く。

仮にも王家の血を継いだカノイ家に賊を送り込む者がいるとは想定外だった。

貴族社会に名を連ねるものならばその報復がどんなに恐ろしいものか知っているからだ。


「ルアス。お前と一戦交えたというその男だが。顔は確認したのだろうな」


 賊の目的や勢力がはっきりせず腑に落ちない思いをつのらせる当主は最後にそう問うた。

その瞬間にルアスの雰囲気が変わる。

それまでは自身の失敗に対して萎縮するような様子だったが、父の言葉を聞いた途端まるで怯えるように肩を震わせ始めた。


「賊は……私と同じ顔をしていました」

「なに?」


 ルアスの発した言葉の意味が分からずに、当主は首を傾げ問い直す。

それまでずっと頭を下げていたハダルもその不可解な言葉に思わず顔を上げる。


「それは賊のバイソレッドが変身能力かなにかだったということか。

しかしそれでは先ほどの話と辻褄が……」


 ルアスの話を信じるなら、賊の能力は物質形成。

バイソレッドは個々人が神に与えられる唯一無二の力。複数の力を同時に操ることなどできない。


「物質形成のバイスで皮を被っていたとでもいうのか。

それほど精巧な力を持つ信徒など聞いたことがない」


 あくまで能力によって賊は姿を変えたのだと考える当主にルアスは首を振る。

直接、間近で彼の顔を目撃した彼女には、己とうり二つのあの顔が賊の素顔なのだという確信があった。


「賊は黒い髪に赤き瞳を持っていました。お母様と同じ、闇夜の月に光る濡れ羽色です」


 その言葉を口にした瞬間、彼女の頬に衝撃が走った。同時に部屋に響くのは乾いた音。

初めは氷のように冷たく、しかし徐々に熱く赤くなっていく頬の痛み。

ややあってルアスは自分が父に手を上げられたことに気づいた。


「貴様……ふざけたことをぬかすな」


 それは自らの娘に向けるものとは思えない、低く冷たい声だった。

まるで仇でも見るかのような目で自分を見下ろす父の視線にルアスはたまらず息をのむ。

いままで父親の怒りを買ったことは何度もあったが、今向けられている感情はそれらとは一線を画す憎悪だった。


「家名に傷をつけ、当主である私の顔に泥を塗ったばかりか、亡き母の名誉まで傷つけようというのかッ!」


 息を荒げながら怒号を上げる父のあまりの迫力にルアスは子供のようにかけられていた毛布を胸元まで引き上げる。

騎士を目指し、その目標を最高の形で達成した彼女の無様な姿を笑えるものはいなかった。


「忘れるな……今も昔も、私と妻の間に生まれた子は、ルアス。お前一人だけだ」


 取り乱した己に気が付いたのか、当主は軽く頭を振りながら片手で顔を押さえる。

落ち着きを取り戻すように大きく息を吐き出す彼は、そうとだけ告げて部屋を出て行こうとする。


「賊の追跡はいかがしますか」


 そんな彼に唯一声をかけたハダルはすれ違いざまに今後の指示を仰ぐ。

平時ならば指示などなくとも追跡を続けていただろうが、今回は複数の事情が重なっていた。


「捨て置く。騎士どもには箝口令を出しておけ。今宵この屋敷に賊など現れなかったのだ」


 瞳だけをハダルに向け、釘を刺すようにそう告げる。

実質、賊を見逃すという指示に彼は短い返事と敬礼で返すのみだった。


 当主が出て行った扉が閉まり、部屋の緊張感が霧散していく。

ルアスは力なく横たわり、ヘイツは冷や汗をかいた首筋を手で仰いでいる。

様子の変わらぬ二人も、それぞれ何事かを考えているようだった。


「今の話。ハダルはどう考えるかな。たぶん僕と同じだと思うんだけど」

「下世話な貴様と一緒にされるとは心外だな。聞いていただろう。箝口令を出す。

今宵私たちはなにも見ておらんし、聞いてもいない。そうだなヘイツ」


 上司の言葉に寸分の遅れも無く頷く部下の姿を見たエイカーは呆れたように笑った。


「教育が行き届いてるようでなによりだよ」

「私とヘイツは警備の者たちに指示を伝えに行く。

貴様も非番というのならせめてルアスについていてやれ。お前のような男でもいないよりはマシだろう」


目配せをするハダルの瞳には言葉に含まれていない意図が込められていた。


『先の話はまた後日に』


 メッセージの受け取り手は満足げに笑う。


「お褒めに預かり至極光栄にございます」


 芝居がかった言動でうやうやしく頭を下げるエイカー。

その様を見届けることなく二人は扉を足早に抜けていった。


「ルアス。あまり気を病むなよ」


 去り際に放たれたハダルの言葉が身じろぎ一つしないルアスに届いたかはわからない。

返事を待つこともなく廊下へと消えた彼の背中にエイカーはため息をついた。


「彼も騎士としては優秀だけど、女性の扱いは相変わらずだね。

指示の伝達なんてヘイツ君一人に任せておけばいいのにさ」


 ふてぶてしくもルアスのベッドに腰を下ろしたエイカーは友人の生真面目をからかいながら語りかける。

横たわる彼女の瞳は開いている。

しかし声が聞こえていようと、返事をするだけの余裕がないのだろう。虚しい独り言は続く。


「君も、もう少しわがまま言ったほうがいいよ? 

発散させずに溜めるばっかりじゃいつ壊れるかもわからない。固過ぎる剣はすぐ折れるというしね」


 返事のない相手に対して垂れ流される語りは静寂を塗りつぶすように続けられる。

それでも反応を示さないルアスを横目で見ながらエイカーは悪戯な笑みを浮かべた。


「ハダルにわがままが言いづらいっていうなら、ためしに僕に言ってごらんよ。

傷心の女性のためなら肌のひとつやふたつ脱いでみせるよ?」


 いつの間にか彼はベッドの上を這うように進み、横になるルアスに覆いかぶさるような体制となっている。

万が一、当主が戻りでもしたら極刑も免れない。

そんな体を晒しつつ、彼は悩むような素振りを続けながらルアスの耳元へと口を近づけていく。

まるで愛する者へのささやきのように。


「たとえば……今夜出会ったあの男にもう一度合わせてほしい。とかね」


 満足げな顔を浮かべでベッドから離れるエイカーはそれ以上なにも言わず、女性の部屋を恥ずかしげもなく散策し始める。

そんなモラルもなにもない男の背中をルアスはベッドの上からただ静かに見つめていた。



・・・



 屋敷への潜入劇から三日がたった日の朝。

太陽が昇り始めたばかりの早朝にアノスは眠ったままのソラハを置いて一人オゼリィと話し込んでいた。


「……別に店番のひとつでもしてくれるんなら、一日くらい面倒見てもいいけどさぁ、

あんたはそれでいいわけ? あんなに肌身離さず連れ歩いてたってのに。

それともなに、もう飽きちゃったわけ?」


 昨日まで頑なにソラハを自分のそばから離さなかったアノスがいきなり彼女を置いて出かけると言い出したのだ。

むしろ今までが過保護に過ぎたのだとオゼリィは思っていたのだが、

こうもキッパリと突き放すとなると妙な邪推をしても仕方がない。


「今日だけだ。あいつもここの生活に少し慣れたころだろう。少しは私なしの生活に慣れてもらわねばな」


 確かにソラハは徐々に信徒としての生活に慣れ始めている。

ここにきたばかりの頃は日の出とともに必ず目を覚ましていたが、今日は、まだ夢の中。

その寝顔も以前のような苦しみに満ちたものではなくなっていた。


 自分が逆徒であると不用意に感づかれるような行為も鳴りを潜めている。

少なくとも自分から逆徒であると口走ることはないだろう。


 しかし新たな問題が同時に生まれてしまった。

アノスはソラハの安全性を自分のそばに置くか否かで天秤にかけている。

そして先日の一件で、はかりが反対方向に傾いた。

すなわち、目の届かない場所よりも自分のそばに置いておく方が危険だと判断したのだ。


 自分を生かす存在を守るために危険を冒す。

ボラルに同調し形成されてしまった危うい思考は奇しくもアノスとも似たものだった。

片や過去の為に。片や今と未来の為に。


「今日だけ……ねぇ。悪い男は必ず最初にそういうもんだよ」


 煙草を吹かしながら過去に引っかかった男のことでも思い出しているのか目を細めるオゼリィ。

口の中で遊ばせ、鼻から吐き出された煙は彼女が肘をつく机を覆うように広がった。


「まあ、いいさ。あんたらの仲がどうなろうが私にゃ関係ないし。

あんたも女を置いたままどっか飛んでくような玉なしじゃないだろうしね」


 どこか釘を刺すような口調でオゼリィはアノスの頼みを了承する。

他にソラハを任せられる者がいなかったために彼は胸中で安堵のため息をついた。


「それで? これから出かけるの? こんな時間に声かけてきたってことは」

「ああ。待ち合わせの時間を聞き忘れてな」

「デートに遅刻するわけにゃいかないぞってことか……」


 それ以上オゼリィは深入りする質問をすることもなく、睡魔のぬぐわれていないまぶたと戦いながら商品の整理を始めた。

店が開く頃には少なくとも客が入れる分のスペースが確保されることだろう。


「……ちゃんと帰ってくんだよ」


 足の欠けた机や底の抜けた椅子の群れをかき分け、正面玄関へとたどり着くアノスの背にもう一度声をかけるオゼリィ。

扉に手をかけたまま少し立ち止まった彼は振り向かないまま店を出ていった。

一言返事をするでも、頷くだけでもよかったというのに、なぜかアノスにはそれができなかった。



・・・



 店の前には見知った顔が地べたに座っていた。

不機嫌そうな目でこちらを睨みつけるその表情はまさに狂犬と言える。


「少し反抗すれば、もう置いてけぼりか?」

「お前たちがあんな馬鹿なことを言わなければ違っていたかもな」


 四本足で立ち上がったボラルは、自分やソラハになんの相談もなくどこかへ出発しようとしているアノスに詰め寄る。

度重なる無茶を快く思っていない彼は兄弟を目の届かない場所へ行かせたくなかった。


「どこに行くつもりなんだ」

「言えばついてくるだろう」

「また、上層に行くのか」

「だとしてもお前たちはつれていかん」


 ボラルの追及に全く耳を貸さないアノス。

その態度に口調は次第に荒々しいものになっていく。


「どうしてお前はなんでも一人で危ねえ橋を渡るんだッ! そんなに俺が頼りねえのかよッ!」

「戦力にならないかと言われれば、その通りだ。索敵能力は心強いが、戦闘能力はそれこそ犬並。

敵意を向けられれば足がすくみ動けなくなる。そんなお前が私と前線に飛び込んできては意味がない」


 感情的なボラルとは対照的に、淡々と事務的でさえある言葉を返すアノス。

兄弟に荒事が向かない事は昔からわかっていた。

粗暴な言葉づかいで隠そうとはしているが、その本質は子犬のような臆病さにある。


「お前を守りながら戦えるほど私は強くはない。納得しろ」


 アノスが赴こうとしているのは、見知らぬ騎士が指定した場所。

そこに待ち受けているものがなんであれ、常に危険がまとわりついてくるだろう。

指示に従うのならともかく、アノスを守るため自らその危険に立ち向かっていきそうなボラルたちを連れていくわけにはいかなかった。


「人を守るためには力がいる。お前にその力があるか?」


 その時ボラルへ向けられたのは、およそ家族に放つものとは思えない強烈な敵意。

食い下がる兄弟を見下ろすその眼光は彼の胸を貫き大地に繋ぎ止める。

数秒にも満たない、たった一瞬の目の動きで彼は恐怖に支配されてしまった。


「……お前はそんな目をしながら、そんな目を向けられながら、いつも戦ってんのか」

「……どうだかな」


 はぐらかすようにそういうアノスは少しばつが悪そうな顔をしながら、立ちはだかっていたボラルの前を通り過ぎる。

視界の端をすり抜けていく兄弟の手を掴むことは、今の彼にはできなかった。


「何度目の説得失敗か……。もう数え切れねぇな」


 呟く彼が振り返った頃には、すでにアノスの姿は掻き消えていた。

ボラルたちに後を追わせないように身を隠したのだろう。

徹底して自分たちを遠ざけようとするアノスの頑なな意志にボラルは切なげなため息をついた。



・・・



 三日前に馬車で駆け抜けた道を徒歩で進み続け、傾斜がついた坂を上り切り、

上層へとつながる門へとたどり着くころには、日も空の頂上へ昇り切ろうとしていた。

曇りがかった冬空の隙間から差す光は顔をフードで隠すアノスの背を晒すように照らしている。


「通行証のご提示をお願いします」


 数人で門の警備にあたっていた騎士の一人が、アノスの姿を見て不審な顔を浮かべながらやってくる。

怪しげな人物を見かけたら積極的に声をかけるよう言われているのだろう。


「この寒い季節に、ご苦労なことだ」

「いえいえ、日々の訓練に比べたらこんな寒さなどではなんとも……」


 アノスに手渡された通行証が本物であることを確かめた騎士は、

先ほどまでの態度を一変させ、にこやかな表情で対応する。

その臨機応変な対応を嘲るように、彼は短く鼻を鳴らした。


 門を抜けた先の第二層は、三層の華やいだ雰囲気とはまったく異なる、静寂な空気に包まれていた。

昼間だというのに通りに人の姿はほとんど見えず、門の周辺に設けられた広場の噴水が虚しく音を立てているのみ。

三日前に馬車から見た時には気がつかなかったが、街から人の姿をまるごと消してしまったようなその景色にアノスは驚いていた。


「物寂しいな」


 先日の男が見当たらず仕方なく噴水脇のベンチに腰を下ろした彼は、

その後も生活の空気を感じない貴族たちの居住区をただ眺めていた。

入り口近くの屋敷はそれほど大きくないが、それでも平民の家の倍はあろうかというものばかり。

屋敷はそれぞれ塀で囲われ、格子の門は軒並み閉じられている。

詰め込むように建てられた三層の商店とは正反対の閉鎖的な佇まいにアノスは息の詰まる思いだった。


「歓迎にしろ罠にしろ、できるのなら早めに接触してほしいものだ」


 時折門を抜けて貴族の街に消えていく召使いの馬車を見送りながら、

アノスはいまだ姿を現さない例の男に苛立ちを募らせていく。

彼が口にした言葉が真実であれ虚構であれ、なにかしらの行動はあってしかるべきだと考えていた。

時間の指定を受けていなかったこともあって、アノスの終わらない待ちぼうけは二時間を超えようとしている。


「貴方が、先日の賊で間違いないかしら」


 そんな時、突如呼びかけられた声に彼は振り返る。

そこにはフードの中を盗み見るように肩口から顔を覗かせるルアスの姿があった。

三日前とは違い、その身は青い騎士の制服に包まれており、髪は簡素にまとめられていた。


「……ご令嬢自らやってくるとは。随分と豪勢な罠だな」

「驚かないのね」

「お前こそ、今日は余裕があるな」


 賊の素顔を見たショックでバイスを暴走させて気を失った三日前の夜。

その醜態を指摘されても動揺することなく、彼女は立ち上がったアノスとベンチを隔て向かい合う。

彼と立ち会う覚悟を決めたからか、そこに恐れは見られない。

一触即発かと思われた空気の中、ルアスはその右手を差し出した。


「改めまして、ルアス・オール・カノイよ」

「……なんのつもりだ」


 向けられた手をとることなく、しばらく無言のまま見つめていたアノスはそう呟く。

つい三日前に拳を交えた相手と、そうでなくとも自分と同じ顔をした見知らぬ男と握手を交わす神経が彼には理解できない。


「先日あんな形で初対面になってしまったから、こうして新しく関係を結直そうってこと。

この間の件で言いたいことがないわけではないけれど、少なくとも今私は貴方に敵意を持っていないわ」

「それを信用しろと?」


 数歩後ろに下がるアノスを追うようにして、ルアスはベンチを飛び越えそこに腰かける。

確かにその姿には敵意も戦意も感じられなかった。

それゆえに彼の混乱はより強いものになっていく。


「もし貴方を本気で罠にはめる気ならそもそも声をかけたりしないわ。

無防備な背後から接触したことこそ、こちら側の誠意と受け取ってほしいのだけれど」


 事前にアノスがやってくることを知っていたのなら罠のかけようなどいくらでもあった。

不意を打たず律義に声をかけてきた今の状況そのものが不戦の意志の証明だった。


「あの緑髪はどうした」

「エイカーのことでしょう? 彼に今日、貴方がここにやってくるって教えてもらったのよ」

「なぜ」

「貴方に聞きたいこと、確認したいことがあったの」


 そう言い立ち上がったルアスは身構えるアノスの横を通り過ぎ、広場の中央へと歩き出す。

美しい庭を横切る二人の男女。その空気は空を覆う暗雲のように重々しい。


「単刀直入に聞くわ」


 広場の中央。門の番をしている騎士にも会話を聞き取られない距離までやってきた彼女はアノスに向き直ると鋭い声で問うた。


「貴方はカノイの人間なの? 貴方の容姿は私に、私の母にあまりにも似すぎている」


 枯れ落ちた街路樹の葉を巻き上げながら冬の冷風が二人の間を抜けていく。

アノスはすぐに答えを返さない。それをどこか不安げに見つめるルアス。

万が一、眼前の男がカノイの息子なのだとしたら、一人娘とされていた彼女の立場も今と大きく変わることになる。

ルアスはそれをなによりも恐れていた。


「……馬鹿な。私が貴族のわけがない」


 ややあってアノスはカノイとのつながりを否定する。

すぐに答えを返さなかったのは、あまりに馬鹿げた問いに呆れていたからだった。

しかし、ルアスはその答えに安易な納得をしない。


「ならどうしてパーティーにもぐこんだりしたの? 

私に、カノイの跡継ぎに接触したのもそれが関係しているのではない?」


 半ば被害妄想じみた物言いにアノスはため息をつく。

家督争いのために動いていると誤解されるのは流石に想定外だった。

張り詰めていた緊張の糸がたちどころに緩んでいく心境の中、

なおも疑いをかけてくるルアスの言葉を彼は遮るように口を開く。


「お前がなにを勘ぐっているのか知らないが、あいにく権力の椅子に興味などない。

あのパーティーは、死んだ母の手がかりを探すために利用しただけだ」


 これ以上いわれのない疑いを向けられても益がないと考えたアノスは最低限の真実だけを話し、彼女の追求から逃れようとした。

しかしその情報はルアスの疑いをさらに深めることになる。


「奇遇ね。それは私も同じよ」


 ルアスも物心つく前に、アノスと同じく母親を亡くしていた。

目の前の男と新たな関連性を見出した彼女は、その存在が自身の将来を脅かしかねないと警戒している。

無関係を主張する彼の言葉を受け入れられないほどに、ルアスは同じ顔を持つアノスを脅威に感じていた。


「お前の妄想にこれ以上つき合うつもりはない」


 吐き捨てながらその場から離れようとするアノスの手をルアスが掴み取る。

振り払えば離れるだろう力でしか握られていなかったが、

門番の騎士が近くに待機している手前、大きな騒ぎを起こすわけにもいかなかった。


「いいわ。そこまで白を切るつもりなら屋敷にきなさい」

「なんだと?」


 アノスの手を引きながら歩き出そうとするルアスは広場の出口へと体を向ける。

だが手を引かれながらもアノスの足がその場から動くことはなかった。

エリヤの情報を求めて二層へやってきた。

彼女の勝手な要求に応えなければならない道理はどこにもない。


「ふざけたことを抜かすな。お前の屋敷に行って私になんの得がある」


 いくらルアスが不戦の意志を示そうとも、

全てがカノイの影響下にある屋敷に軽々と足を踏み入れられるわけがない。

しかし事の決定権が彼女にゆだねられていることも事実だった。


「今、私に叫ばれないことがなによりの利益じゃないかしら?」


 その言葉にアノスは小さく舌を打つ。

ひとたびルアスが声を上げて、門を警備している騎士をけしかければ、彼はたちまち拘束されてしまうだろう。

たとえどれだけの力を持っていたとしても、厳重に守られた上層から無傷で逃げることはできない。

ベンチで声をかけられた時点でそれは決まっていた。

アノスも覚悟の上だったが、約束を取りつけた男ではない者にその力を行使されるのは不本意だった。


「心配しなくてもエイカーは後から来るわ。彼に聞きたいことがあるなら私ついてきて。

まあこのまま引き返そうとするのも貴方の自由だけど」


 発言とは裏腹に手を離さないルアスにアノスは目を合わせる。

よほどアノスとカノイの関係を気にしているのか、その目は笑みを浮かべている表情とは反対にひどく真剣なものだった。

彼女はアノスを父の前に引きずり出してでも得たいものがある。

それは同じ顔をした彼を見たことでわずかに揺らいでしまった、自分こそがカノイの後継者なのだという確信だった。


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