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持たざる者からの宣告  作者: 大悪紅蓮菩薩
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見定める者-2

バトル回


 道中、何人かの召使とすれ違ったが、特に不信な目を向けられることもなく二人は正面入り口付近までやってくる。

開け放たれている巨大な扉の両脇には何人かの騎士が見張りをしていた。


「ここは通れんな」

「え?」


 扉のすぐ先には馬車の止まっている庭と敷地外に続く門が見える。

にもかかわらず背を向けるアノスにソラハは小さく声を上げた。


「どうして? 服もちゃんとしてるし、仮面もつけてるなら別に見つかっても平気なんじゃ……」

「舞踏会が始まって間もない時間に会場から離れるのはだいぶ不自然な行為だ。

見つかれば不審に思われ、間違いなく家主に報告が行く。そうなれば私たちは終わりだ」


 二層で警備任務を担当している騎士は下層とは比べ物にならないほどの優秀だ。

先ほど従者に使ったようなでまかせは通じない。


「それならちゃんと舞踏会が終わる時間まで待っていればいいんじゃ」


 もときた道を戻りつつ、外に出られる場所がないかあたりを探すアノスに、ソラハは妙案を告げる。


「舞踏会はダンスしつつ貴族同士の交流をする場だ。

ダンスのペアが私だけならリードできるが、

見知らぬ男からダンスを持ちかけられてお前はしっかり躍ることができるか?」


 ソラハは先日ダンスの稽古をつけてもらった時の醜態を思い出し首を振った。


「本格的に声をかけられればごまかしがきかなくなる。

下手なダンスで目立つのも、逆に壁の花になって目を引くのも避けなければならなかった」

「ごめん、わたしのせいで」


 自分に貴族を装う能力がなかったせいで安全な方法が取れなくなっていると、ソラハは申し訳なさそうにうつむきかける。


「むしろお前がいなければ私はこの場所に潜り込むことすらできなかった。

危険な目に合わせて謝るのはこちらのほうだ」


 アノスの狭い友好の中に舞踏会のパートナーを任せられるほど親しく教養のある女性はいない。

ソラハは今回の潜入においてもっとも重要な要素であったことは間違いなかった。


「それに危険性を抜きにしても、私個人、一刻も早くこの場を離れたい理由ができた」


 自分と同じ容姿を持つカノイ家の一人娘。

彼女、ひいてはこの家と自分との関係を彼はこれ以上考えたくなかった。


 壁際の廊下を進み、一つ一つの窓を確認しているアノスはそんな理屈を話し終わったところで足を止めた。

屋敷のガラス窓は大半がはめ込み型だったが、この一帯は換気のためか開閉ができる。

窓の外にはいくつもの垣根で囲われた花園が広がっていた。


 夜の暗闇が窓から差し込む光に照らされ、

白と青の花々で彩られた美しい庭園はどこか人を寄せ付けまいとする雰囲気が漂っているようだった。

その奥に目を凝らせば敷地内外を隔てる塀が見える。

アノスの身長の倍以上はある壁だが、彼の力さえあれば乗り越えることは難しくない。


「先に行く。後ろから離れずついてこい」


 頷くソラハを気にしながら、アノスは窓を飛び越え低姿勢で庭を駆け抜けていく。

付近に警備が見当たらないことを確認しながら、乱立する垣根に身を隠し、二人は徐々に塀へ近づいていった。


「待て」


 建物と壁の中ほど、垣根に隠されるように囲われていた花園のすぐ近くまでやってきた時、

それまで黙って歩を進めていたアノスの足が止まる。相変わらず巡回警備などの類は見られない。

しかし今、彼の目に映っている人物は、ある意味どんな強敵よりも厄介な相手だった。


「ルアス・オール・カノイ……なぜこんなところに」


 先ほどまでハダルと共に、ホールで多くの貴族たちにダンスを披露していたはずの女が、

なぜか一人で花を眺めている。

垣根のすぐそば、建物側から死角となる場所に設けられた小さな椅子と燭台が乗せられたテーブル。

小さく揺らめく炎に照らされながら、自らを覆う花々を見つめる姿は絵画と見まがうほどに美しい。

顔が自分と同じものでさえなければアノスも見とれていただろう。


「どうしたの?」

「ひとり先客がいたようだ。迂回するぞ」


 ここで見つかってしまえば騎士たちの目を忍んだ意味がなくなってしまう。

アノスは小声でソラハに引き返すよう指示を出した。

遠回りにはなるが花園の囲む垣根の外円を暗闇に紛れて進んでいけば見つかることなく壁際までたどり着ける。

時間は惜しいが安全には変えられないと、アノスがルアスに背を向けようとした時だった。


「貴方、そんなところでなにしてるの?」


 一瞬、時間が止まったと錯覚してしまうほどの静寂が美しい庭を包み込む。

ルアスの口から流れ出る渓流が如き音色に答える者はいない。

ここにいるのは彼女とアノスらの三人だけ。

身を隠すことの意味が失われた彼は腰を上げ、潔く彼女の前に姿を現した。


 青い花園の中、純白のドレスに身を包み腰かける美女の前に立つ仮面の男。

その光景はひどく奇妙で、どこか幻想的だった。


「パーティーを抜け出してこんななにもないところまでやってくるなんて、

随分といい趣味をしてるのね」

「それはあなたにも言えることでしょう、ルアス嬢。

舞踏会の主役がこんなところで油を売っていては、

あなたの美貌を一目見ようとやってきた男たちが涙を流しますよ」


 アノスの冗談にルアスは軽く口端を上げて見せる。


「その男たちの中に、貴方は入っているのかしら?」

「いえ、私のような者にとって、貴女は届かぬ高みに咲く一輪の花。

一目お姿を見られただけで生涯の宝となりましょう。

流すものがあるとすれば、それは感涙に違いありません」


 歯の浮くようなセリフを恥ずかしげもなく言って見せるアノスに、ルアスは口に手を当てながらおかしそうに笑う。

キザな貴族に芝居がかった口調で口説かれることは珍しくなかったが、

ここまで抑揚もなにもないお世辞は初めての体験だった。


「ありがたいお言葉をどうも。

よければもっと話を聞かせてほしいのだけれど、貴方も腰を下ろしたらどう?」


 座った状態で首を上げたまま会話をしていたのが辛かったのか、ルアスは首元を撫でながら提案する。

アノスとしてはこれ以上この場にとどまりたくはなかったが、令嬢の頼みを安易に断ることもできない。

下手な対応をして騒がれでもしたらそれこそ終わりなのだから。

「貴方、私と口をきくのは初めてね」


 顔を隠した状態にもかかわらず自分とは初対面であると断定したルアス。

その自信ありげな言葉は対面する者の対応を試しているようにも見える。


「そう思いますか?」

「顔のわからない場で交流を結ぶ術は、家を継ぐものとして当然身に着けているものよ。

一度聞いた声を私は忘れない。貴方の声を耳にしたのは間違いなく、今日が初めて」


 はぐらかすようなアノスの言葉にも彼女の確信は揺るがない。

家を守るために磨き上げてきた技術がそれを支えている。


「お見事」


 降参を示すように両の手を扇ぐようにして持ち上げると彼はルアスの言葉を認める。

このやり取りで、知人に成りすますなどをしてこの場をやり過ごす方法は完全に封じられてしまった。

アノスは徐々に退路を断たれているかのような緊張感を感じていた。


「それで、この声を初めてお聞きになった感想はいかがでしょうか」


 招待客を演じ続け、時間を稼げるような問いを投げる。

返答に時間がかかればそれだけ考える時間を得ることができる。

しかしルアスの声はそんな余裕を与える暇もなく返ってきた。


「悪くないわ。落ち着いていて、思慮深い声。

主催者の娘とこうして顔を合わせているというのに崩れない余裕も魅力的ね。

ただその裏に隠れているものがなにかわからない」

「……と、言いますのは?」


 含み笑う彼女の目は仮面に隠れたアノスの瞳を見つめ、その奥に隠された真意を見定めようとしている。

もはや自分に向けられた疑いは晴らしようのない段階まで来ていたのだと、その眼光の意味を彼も理解した。


「貴方……ここにどうやってきたの?」

「なにぶん巨大なお屋敷でありますから、

連れを探しているうちに会場へ戻れなくなってしまったとしても不思議ではないでしょう」


 すでにお互いがお互いの芝居に気づいている。


「それでこの庭まで迷い込んできたと? 入り口に鍵をかけていたはずの私の庭に?」

「お恥ずかしながら」


 目の前にいる人物が何者でありなにを考えているのか。

それを計るための会話は一見穏やかに、その実張り詰めた空気の中で交わされていた。


「昔から嘘つき嫌いなのよね、私」


 ゆえにその言葉が結論。


「高潔さにどれほどの価値があるのか、私には分かりかねますね」


 瞬間、アノスはテーブルを両断しながらせりあがってきた蹴りを顎に届く寸前で受け止める。

ドレススカートから繰り出されたとは考えられないほどの鋭い一閃は、

まともに食らえばアノスの意識を簡単に奪い去っていただろう。


「随分と足癖が悪いお嬢さんだ」

「お褒めに預かり光栄ね」


 両に割られ、空中に吹き飛ばされたテーブルが地面に音を立てて落下したのと同時に二人は弾かれたように飛び去る。

光源であった燭台がテーブルと共に吹き飛ばされ、辺りは一気に暗闇へと落ちた。


「この家には客人に不意を突かねばならないマナーでもあるのか?」

「いつまで招待客のふりを続ける気? 

普通の客人がこの庭にくることはないし、私の一撃を止めることもできない。

なにが目的でカノイに潜り込んだのか、吐いてもらうから覚悟しておくことね」


 お互いの居場所すら見失うほどに光が失われた花園の中で、皮肉交じりと自信過剰な声が飛ぶ。

乱立する垣根がただでさえ視界を悪くしているというのに、これではまともな索敵も難しい。

賊の真意を問い詰めたいルアスにとっては手痛い状況だが、この場からの逃走を図ろうとしている側には好都合だった。


「ソラハ、まだそこにいるか」


 アノスは索敵の目から逃れつつ身を隠したままでいたソラハの元に駆け戻る。

静寂に包まれた庭園に突如鳴り響いた破壊音。

それに驚いたのか、少女は両手で耳を塞ぎ、背中を垣根に沈みこませていた。


「バレたの?」

「そのようだ。この場所を脱出経路に選んだのは間違いだったらしい」


 見通しの甘さを後悔するかのような表情を一瞬浮かべるアノスだが、今さらそんなことを引きずっている場合ではない。

悔やむ心情を断ち切った彼はソラハを立たせると、彼女の手を引き走り出した。


「私が彼女を引き付ける。ソラハは一刻も早く壁を超えて身を隠せ。

塀の周りをボラルが見回っているはずだ。あいつと合流しろ」

「そんな、アノスも一緒に……」


 少女の反抗は聞き入れられない。

アノスはソラハを抱き上げると塀の向こう側へと力任せに放り投げた。

宙を舞い街道まで吹き飛ばされた少女は地面との激突を覚悟するが、

接触の瞬間、同時に投げ出されていた死骸の塊が彼女を守るように包み込む。

弾力に富むその死骸は落下時の衝撃を殺し、ソラハは無傷のまま脱出に成功した。


「アノスの馬鹿……ッ」


 少女は自分を真っ先に逃がした男に小さく悪態をつく。

自分一人で危険を背負おうとする彼の危うさをたった今ソラハも痛感していた。


「これじゃボラルが心配するはずだよ」


 彼女の力で再び塀を乗り越えることはできない。

力になれない、手を貸すことができない。

その無力さがアノスを死地に進ませるのだとしたら、その歩みを止める方法は一つだった。


「私にもできることはあるはず」


 少女は両足に履いていた鮮やかな赤色のヒールを脱ぎ捨てると、ボラルと合流するべく駆け出していった。

全力で走るがゆえに背後を気にする余裕などない。


 騎士の制服を着込んだ男が脱ぎ捨てられたヒールを拾ったことにソラハは気がつかなかった。



・・・



 ソラハを脱出させられた安堵感にひたりながら、アノスは壁を背にして追いついてきたルアスと相対する。

徐々に闇夜に目も慣れていき、もはやこの暗がりを目くらましにすることはできなくなった。


「鬼ごっこはおしまいね」

「次はどのような遊びをご所望かな」


 闘争は避けられない。しかし名家の一人娘に血を流させれば事がより大きくなってしまう。

ゆえにアノスが狙うのは最小限の打撃による決着。

どういう意図かルアスが増援を呼ぶ気配はない。

賊一人程度、単独で拘束できるという自信の表れなのか。

それとも助けを借りることを恥と感じるプライドがあるのか。

どちらにせよつけ入る隙はまだありそうだった。


「悪いけど、遊びにこれ以上つき合う気はないわ。

貴方には私の評価を上げる素材になってもらうから」


 負けることを微塵も考えていない顔でそうのたまうルアスは、足元の悪いヒールを履いたまま近づいてくる。

数日前に候補生を脱したばかりの若者とは思えない過剰な自信。

それに見合う実力が今アノスに向けて放たれる。


「目が潰れたらごめんなさいね」


 その瞬間、一帯の夜が塗りつぶされた。

大地に太陽が落ちてきたと錯覚するほどの極光が庭ごとアノスを瞬く間に飲み込んでいく。

暗闇に慣れ始めていた瞳に飛び込んできたあまりに輝かしい光は彼の視界を遮断しにかかる。


「なにをするかと思えば、目くらましとは。基本に忠実なのはさすが主席といったところか」


 まともに直視すれば視力そのものを奪い去りかねない爆光を浴びせられながら皮肉を飛ばすアノス。

彼は自身の前方に防壁を展開し身を守っていた。

極光の及ぼす効果は恐ろしいものだが、直接的なの殺傷能力を持っているわけではない。

つまりこれはあくまで牽制。真の一合はここから始まる。


「その余裕、いつまでもつかしらッ!」


 光を遮っていた防壁が突如、一筋の閃光によって縦に裂かれる。

先の爆光に比べれば小さいが、凝縮された光に内包された熱量は壁を挟んだアノスにも感じられるほどの高い。


「こんなもので私は止まらないッ!」


 裂けた壁の間をすり抜け肉薄するルアスがしかけてくるのは徒手空拳による格闘戦。

その手に武器は握られていない。

否、彼女のバイスによって、その四肢こそが最強の武器となっていた。


 ルアスの両腕がまるで鎧を纏うように至極の光に包まれている。

それこそ直視することが困難なほどに、その輝きは強く神々しい。

まさしく神に授けられたと言うに相応しい極光の籠手を彼女は身に宿していた。


「美しい」


 最初に広がった光の爆発は治まり、庭には再び暗闇が帰ってくる。

そんな闇夜の中を流星のごとく駆ける彼女の姿はアノスの目から見ても端麗だった。


「ゆえに腹立たしいな。神の卑劣さを隠すのはいつだって目先の輝きだ」


 間合いに入ったルアスが狙うのは右腕。

光に内包された強力な熱によって賊の腕を肩口から焼き切り抵抗手段を奪おうとしている。

放たれた拳の閃光は流線を描きながら、寒空の風を焼き迫る。


 アノスは瞬時に刀を形成することで、光の剛撃を受け止めにかかる。

しかし対象を焼き切る性質上、その攻撃を完全に止めることはできない。


「言ったでしょッ! そんなバイスで私は止まらない。輝く栄光は止められないッ!」


 拳が接触した瞬間、死骸の刃がその形を歪めながら焼き切られる。

人の身がどれだけより集められようとも、神の放つ光にはかなわない。

その結果を見せつけたルアスは勝ち誇った笑みを浮かべて拳を振りぬく。

しかしアノスに動揺はなかった。


「なるほど、確かに基本というものは軽んじられんな」


 拳を迎え撃つように放たれた薙ぎ払い。しかし刃の迎撃は相手の誘導するための餌に過ぎない。

アノスの本命は身体を反転させ斬撃と重ねて繰り出した左膝。

死骸で塗り固められ硬質化した膝蹴りは懐に飛び込んできたルアスの鳩尾を撃ち抜いた。


「止まったぞ」

「まだまだッ!」


 下方からの予期せぬ反撃によって光を止められたルアスは痛みにうめきながら、怒りの闘気をアノスに差し向ける。

たった一度の反撃で折れるほど彼女のプライドは脆弱ではなかった。光は絶えず輝き続けている。


 ルアスは自分の腹を穿った膝が降り抜かれる前に体の軸を回転させ衝撃を受け流す。

その勢いを殺さずに放ったのは、引き戻した拳をそのまま利用した裏拳。

距離を極限まで引き付けていたアノスにその一撃を躱しきることはできない。

後方に飛び去りながらも左肩をかすめる光熱の一閃は彼の肌を焼き焦がし、ルアスは折れぬ闘争の意志を示した。


「……ただの盗人でないようね」

「そちらも、主席を金で買ったわけではなさそうだな」


 互いに互いの実力を計りかねていた双方の認識が今の一合で一致する。

所詮は忍び込んできた賊。所詮は候補生上がりの女。

そのような舐めた考えで挑むようであれば容易に屠られかねないと、二人は同時に確信した。


「貴方、戦い方をどこで学んだの。その動きとても我流とは思えない」


 アノスの実力を裏づける戦闘技術。

本来ならば候補生として、騎士となるべく学を積んだ者にしか身に着けられないそれを彼が有しているのはなぜなのか。

それは以前、収集家にも言及されたアノスの過去に関する秘密だった。

「学んだわけではない。覚えているだけだ」


 意味深な言葉を呟き、今度はアノスがルアスの元へと走り出す。

彼は折れた刀を吸収し、二振りの短刀に形成し直すと、そのうちの一振りを右腕で投げつけた。

回転し、弧を描きながら迫る投擲をルアスは難なく弾き飛ばすと、続けて向かってくるだろう二振り目の短刀に身構えた。


「訳の分からないことを……」


 アノスは彼女の隙を突くように左手の短刀を投げつけると、右の拳に死骸を集約させ振りかぶる。

牽制の短刀に意識を向け、本命の打撃を通す。先ほど仕掛けたばかりの攻防を繰り返すのは、彼らしくない悪手だった。

そして悪手はさらなる悪手を呼び寄せる。


「かすめただけとは言え、私の極光は強烈でしょう? その左腕はもう使えないッ!」


 閃光をかすめた左腕から放たれた二投目には、一投目にあった鋭さや正確さが微塵もない。

明後日の方向へ山なりに飛んでいく短刀が牽制になるはずもなく、

ルアスは万全の態勢で飛び込んでくるアノスを迎え撃つ。

彼の左腕は弛緩(しかん)したように肩からぶら下がっていた。


「さっきから打撃しか使ってこないのは私に傷を残さないためかしら? 

事を荒立てないための用意なんでしょうけど、自分の勝利を前提に戦略を立てるのは感心しないわね」


 打ち出された鉄塊の如き拳を片手で受け流す彼女は、体勢を崩したアノスの右腕を鷲掴みにする。

光輝く光熱に加え、女のものとは思えない握力による圧が、彼の二の腕を焼き切ろうとしている。

悲鳴を上げるアノスの後頭部を掴んだルアスは、彼を地面に叩きつけ拘束した。

その目は恐ろしく冷ややかなものだった。


「身体状況の自己確認は格闘戦において常に意識しなければならないものよ。

そんな初歩的なミスを犯すなんて、貴方随分な落ちこぼれだったのね。

学んだわけじゃないというのは、学ぶほどの頭がなかったということかしら?」


 仮にも戦いの技術を有する者がこのような不手際で窮地に立たされている。

長年、騎士となるべく文武に励んでいたルアスには、そんな間抜けな結末に終わった男の怠惰が許せなかった。


「闘争は己の誇りと名誉をかけ、全霊をもって行うものよ。

分不相応に手加減なんかして、あげくこんな醜態をさらした貴方に剣を握る資格はないわ」


 騎士を目指し、努力を積んできた者ゆえの怒り。

なにごとにも全力で取り組んできたつもりである彼女だからこそ半端者に対する評価は著しく厳しい。

骨まで焼かれもはや痛覚すら焼失してしまったアノスは顔を伏せたまま黙っていた。


「どこかで別の出会い方をしていれば、貴方に騎士としての心を教えてあげられたのに。残念だわ」


 そう本心からの言葉を口にして、動かなくなったアノスを担ぎ上げようとした、その時だった。

傷つき動かなくなっていたと思われていた彼の左腕が、素早く、地を這う蛇のようにルアスの首へと迫る。

回復を図ったのだとしても完治が早すぎる。

導き出されるのは初めから重症など負っていなかったのだという結論。

すべては付け入る隙を生み出すための罠だった。


「芝居ッ!?」


 反撃がくるとすれば下方からの足技だろうと踏んでいた彼女は完全に不意を突かれることになる。


「己が他者より優れていると、疑いなく信じることがどれほど危険か知っているか」


 ルアスの上半身に絡みつくように、全身で彼女を羽交い絞めにするアノス。

先ほどまでの有劣勢を完全に逆転させた彼は首元でそんなことを呟いた。


「有数貴族カノイ。その一人娘であり、主席卒舎を成し遂げた、次世代の騎士団を担うことになるだろう逸材。

そんな自分が誰とも知れない賊に敗北するさまを、お前は脳裏の片隅にでも浮かべていたか」


 ささやくようにして吐き出される息から、黒い霧が漂ってくる。

鎖骨を撫でながら這ってくるそれはルアスの口元へと進んでいた。


「誇りや名誉を胸に全霊を尽くすのは大いに結構。

それが心構えのうわべだけを撫でているわけでないなら」


 口元に迫る得体のしれない霧に恐怖したルアスは口を閉じようとするが、首を締めあげる腕がそれを許さない。

こじ開けられた喉にゆっくりと霧は這いずっていった。


「意図的か無意識なのかは知らないが、お前は私を侮った。

対等の力を持っていると理解してなお、片腕すら切り落とさなかった。その油断はどこからきた」

「……黙りなさい」


 慢心。それはルアスが最も嫌うもの。

相手を侮辱し、己の実力を殺すそれは唾棄すべき心の弱さに他ならない。

それは下手に才能を持つ者ほど陥りやすい足引きの沼地だった。


「私は慢心などしていないッ!」


 ゆえに彼女はずっと胸に巣食う感情と戦い続けてきた。力を誇示したい。他者を見下したい。

手心を加え相手のプライドを傷つけたい。

力を持つ者がゆえの驕り高ぶる自尊心が暴走してしまわないように、己の未熟さがカノイ家の汚点とならないように。


「まあ、どちらでもいい」


 喉奥に詰まった霧が次第に固まりだし、鼻孔を塞がれたルアスの意識は徐々に遠ざかっていく。

自身の頭の中でうごめく葛藤をどうでもよさげに一蹴するその声がなによりも腹立たしかった。


「ふざ……けるな」


 霞む思考ではまともにバイスを発動することはできない。

しかしそんな状況下すら想定した訓練を彼女は積み重ねてきた。

このまま賊の顔も見ぬまま、みすみす取り逃がすなど、ルアスにはとても許容できない。


「私は……成長を、高みを目指すことを諦めない。

そのために……そのために私は騎士になったんだからッ!」


 苦し紛れに放った光は先ほどまでの爆光とは比べるべくもない灯。

もがく手先から狙いもなにもなく放たれたか細い光線は、

都合よく、まこと都合よくアノスが身に着けていた仮面を打ち払った。

闘気も殺意もこもっていない攻撃は、それゆえに読みにくい。

彼は顔を同じくするルアスの眼前でついにその素顔を晒してしまった。


「……あ」


 すぐさまバイスのコートを身にまとい顔を隠すがもう遅い。

瞳を限界まで見開き美しい顔を驚愕に歪めている彼女にこの事実を隠す通すことはもはや不可能だった。

首元で自分と同じ顔がささやく。

僅かな時の狭間に垣間見た、まるで悪夢のような光景は、しかし確かに現実のものに違いなかった。


 ルアスは苦しさも悔しさも憤りも、すべてを忘れて恐怖の絶叫を響き渡らせた。

打ち震える心は彼女の腕に再び極光を蘇らせ、それにとどまらず増幅する恐怖心は光の濁流を決壊させる。

さながら爆心のような半球は徐々に拡大していき、最終的には庭全体を巻き込む。


 暴走するバイソレッドはすべてを巻き込んでいく。

それはアノスとて例外ではなく、すぐさま全身を死骸で包んだ彼も光の爆心に飲まれ焼かれていった。


「凄まじい力だ。末恐ろしいな」


 単純な殺傷能力こそ意図的に火力を突き詰めていた光の拳より劣るものの、

極大な範囲攻撃は、実質回避不可能。

有効な防御手段を持っていない者ならば、何人束になろうとも数舜で消し炭になるだろう。

そして今この状況で最もアノスを苦しませる効果をこの光は有していた。


「今ので、完全に気づかれたか」


 庭全体を包み込むほどの光は夜の屋敷をまばゆく照らしてしまった。

光が納まりを見せた頃、屋敷はにわかにざわつきだす。

すでに庭の入り口から騒ぎを聞きつけた何人もの騎士が駆けてきていた。


「塀を超える暇はないな」


 この騒ぎの中で姿を見せるわけにはいかないアノスは苦し紛れに近くの垣根の中に身を隠す。

その場しのぎにしかならない愚策だとわかってはいたが、この方法以外に身を隠す手段が見つからなかった。


「ルアス様ッ!」


 ドレスの一部を焼き焦がしながら倒れ伏しているルアスを騎士の一人が抱きかかえる。

目立った外傷こそ見当たらないが、声をかけても目を覚まさない様子に彼らは焦っているようだった。


「私はルアス様を部屋にお連れする。

お前たちはここに残り、賊を探せ。必ず近くにいるはずだ」


 命令を受けた十数人の騎士たちは、機械仕掛けのようにそろった敬礼を返すと一斉に庭を捜索し始めた。

先の爆心でいくつもあった垣根のほとんどが焼き消されてしまっており、人が身を隠せるような場所は非常に少ない。

雑兵が一人や二人なら局地戦にて迅速な制圧もできただろうが、

さすがに十を超える相手に気づかれないまま戦うことは不可能だった。


「腹をくくるか」


 騎士の一人がすぐ近くの垣根に腕を突っ込んで、誰か隠れていないか確認している。

もはや考えている時間はない。

今飛び出し逃げ出せば、彼らはどこまでもアノスを追ってくるに違いない。

それでもこの場でむざむざ拘束されるよりは遥かにマシだった。


 そう考えたアノスが足に力を込め、塀に向かって駆けだそうと地を蹴りだそうとした時だった。


「賊がいたぞッ! 女が襲われてる、早くきてくれッ!」


 屋敷の裏手から男の声が叫ばれ、同時に甲高い女の叫び声が響き渡る。

それを聞きつけた騎士たちは顔を見合わせ頷くと一斉に声の元へ駆け出していった。


「……あいつら、先に逃げろと言っただろうに」


 叫び声を上げた男女の声は聞き間違いようもなく、ボラルとソラハのものだった。

すでに屋敷から遠く離れたところまで逃げおおせたものと思っていたアノスは複雑な表情を浮かべながら垣根から抜け出す。

彼が塀を超すまで騎士たちは戻ってこなかった。


「二人が捕まるようなことがあれば私の平穏に意味などないというのに……無茶なことをする」


 悪態をつきながら着地するアノスはソラハを放り出す際に投げつけていた死骸を足元から吸収する。

そしてすぐさま声が聞こえた方向に向かおうとした時だった。


「ふむ、それは君の力で創られたものだったか」


 突如背後から聞こえてきた声にすぐさま振り返り臨戦態勢をとるアノス。

刀を突きつけた先に佇んでいたのは、深緑の頭髪に眼鏡を携えた男。

街路樹に寄りかかるようにして立ち、アノスを興味深そうに見る彼もまた青き騎士の衣をまとっていた。


「刃を向ける相手は選んだ方がいい。相手に向けた敵意は必ず自身に返ってくるものだからね」


 喉元に突きつけられた刃に怯える様子もなく、

彼は態度を改めるよう説教をしながらやんわりとその切っ先に指を当てる。

その指先からもたらされるのは柄を握りこむアノス以上の力。

抵抗もむなしく首に向けた刃先は乗せられた二本指によって下方に沈められてしまった。


「それでいい」


 なすすべなく構えを乱されたアノスは男の威圧するような言葉の裏になぜか含まれている融和的な気配を感じ、取り構えを解く。

そんな隙を晒しても彼は落ち着いた佇まいを崩さないままだった。


「なんのつもりだ」


 あのような騒ぎが起こった直後に顔を隠した不審人物が貴族の屋敷から飛び出してきたら、

どんな馬鹿でも警戒くらいはするだろう。

しかし目の前の男は武器を取り出すでもなく、仲間を呼ぶでもなく、

ただアノスの中にあるなにかを見定めるようとしていた。


「今夜は非番だから、命令があるまでは自由時間さ。

不法侵入者を逃がそうとも、その落とし物を届けてやろうとね」


 そう言い彼がアノスに放り投げたのはソラハが脱ぎ捨てていった赤い一足のヒール。

騎士団側に渡れば後々賊の足取りを追う重大な手掛かりになっていただろう物を、

この男はわざわざ直接返しにきた。


「それは僕から君に送る友好の証さ。なにも細工はしていないから、後で調べてみるといい」

「友好……だと?」


 およそ騎士から賊へかけられるセリフとは思えないその言葉に当然アノスは訝しむ。

男の目的がわからない以上、彼の発言を真に受けこの場から離れるわけにはいかなかった。


「私の目的も想いも知らずになにを言う。騎士の戯言に耳を貸すつもりはない。

それが本当なら納得のいく説明の一つでもしてみるんだな」


 アノスの言葉にそれはそうだと納得し苦笑する男は夜空に光る星々を見上げながら語りだす。


「僕は昔から神様が大嫌いなんだよ。身勝手でなにを考えているかわからないあの悪ガキがね」


 厳格な信仰を守ることを信条とする騎士団に属しておきながら、

噛み締めるようにそうのたまう彼の目には僅かながらに憎悪の炎が揺らめいている。


「奴のせいで僕個人、手痛い被害を受けた。

僕の大切な人たちも皆が崇める神のせいで居場所を失ったんだ。許せるはずがない」

「それがなぜ私に手を貸す理由になる」


 騎士である男が神に恨みすら抱いているというのは驚きであったが、今この場でその話を語る意味がわからない。

彼の言い草は、まるでアノスが神を嫌う逆徒であると見抜いているかのようだった。


「僕たちには共通の知り合いがいるのさ。知っているだろう? 

敬虔な信徒であったにもかかわらず、神の救いを得られずに殺された女を」


 その言葉を耳にしたアノスの瞳が見開かれる。

彼の言う共通の知り合い。連想される人物はただ一人だった。


「お前は、エリヤの過去を知っているのか」


 かすかな動揺が混じった声で男に詰め寄るアノス。握られていた刀はいつの間にか消失していた。

そんな彼の様子を見た男は肩に手を置き、優しげに笑う。


「僕はずっとエリヤの死の真相を追い続けているのさ。

もし彼女の話を聞きたいなら三日後、二層の入り口で待っていてくれ。

今夜は君も都合が悪いだろう?」


 男はそう言いながら肩越しにアノスの背後を見やる。

その目につられるように振り返った彼が目にしたのはこちらに全力で走り寄ってくるソラハとボラルの姿だった。


「無事か兄弟ッ!」


 地を跳ねるように駆けるボラルは家族の元へ即座にやってくると心底心配した様子で外傷の有無などを確かめ始めた。

前足で鬱陶しくまとわりついてくる兄弟をアノスは押しのけながら口からあふれ出そうになる小言を最小限に抑える。


「お前の仕事は帰路の確保だったはずだ。

ソラハから事情も聞いただろうに、なぜ逃げもせずこんなところをうろついている」


 段取り通りであれば犬の姿であるボラルが事前に調べ、用意した逃走経路で二層の出入り口まで向かう予定だった。

しかし不測の事態が起こった場合はソラハを連れ、即座に屋敷から離れるようにと念を押して伝えてもいたはずだった。


「助けてもらっといてなんて言い草しやがる。こういう時は素直に頭下げてりゃいいんだよ」


 眉間にシワを寄せ憤っているアノスを前にして悪びれる様子もないボラルは、息を荒げながらようやく追いついてきたソラハを見やる。

よほど全力疾走したのか、きっちりと着させられていたドレスやセットされた頭髪は大いに乱れていた。


「ボラル。お前が私の無茶に否定的なのは知っている。

だが、その考えにソラハを巻き込むな。

お前ほどの身軽さなら騎士から逃げおおせることもできるだろうが、彼女は違う」


 息を荒げるソラハの背をさすりながら、アノスはそう忠告する。

しかしその声に反論したのはボラルではなかった。


「違うよ、アノス。わたしがボラルに言ったんだよ。アノス助けないとって」


 ソラハは自身の背中に回された手を押しとどめるように握りながら力強い目でアノスの顔を見る。


「アノスがわたしを死なせたくないように、わたしもアノスを死なせたくない。

ボラルだって同じだよ。わたしたちはアノスが死なないようにできる限りのことをする。

他の誰でもないわたしたちのために」


 ものおおじすることなく己の意志を突き通したその目は、弱弱しくか細い少女のものではない。

国や偏見に揉まれながらも人として生きる強さを持った女の目に違いなかった。


「……お前にとって、それに反対する私は悪か?」


 己の意志に逆らうものは悪と断じる。

そんな善悪の定め方をアノスは彼女に説いたばかりだった。

しかし彼のどこか不安げな言葉にソラハは首を横に振る。


「そんなわけない。アノスはわたしたちのことを想って反対してるんだから。

ぶつかり合うことがあっても、お互いのことを考えてる限りわたしたちは仲間だよ」


 一人の考えを妄信し従うことが結束の証ではない。

異なる考えや信条をもってなお、同じ想いを持つことこそが絆を育む礎になる。

拒絶を重ねても生まれるものなどなにもないのだから。


「……なるほど」


 想う心は誰にも負けないとアノスは思っていた。母を想う心。友を想う心。

そして守るべき者を想う心は何者にも覆せない堅牢なものであると自負していた。

しかしそんな想い人たちからの心を彼は意図して拒絶している。

そうしなければ心に決めた復讐の炎が揺らいでしまうから。

己の弱い心が彼らの優しさに甘えてしまうから。


「そういう考えもある……か」


 そんな自分にはできない考え方を実践できるソラハの心は自分のものよりも遥かに強靭なのではないか。

自分を見上げる小さな女を眺めながらアノスはそう思った。


「いい加減そろそろこっから離れようぜ。足音が近づいてきてやがる」


 急かすボラルの声に気持ちを切り替えたアノスは、再び問答無用でソラハを担ぎ上げる。

もはや身を隠しながらゆっくりと移動する余裕もない。


 駆けだそうとした直前、アノスは自分に声をかけてきた男のことを思い出し、寸でのところで振り返る。

しかし先ほどまで街路樹にもたれかかっていた彼の姿はどこにも見当たらなかった。

「三日後……か」


 踵を返し、ボラルと共に貴族街を駆けるアノスは呟く。

怪しげな雰囲気を纏いながらも協力を持ち掛けてきた騎士。

エリヤの名を知っていたからといって、彼の言葉すべてを信用するのはあまりに危険だった。

しかしその危険と引き換えにしてもアノスには得たいものがある。


 エリヤはなぜ騎士団に属していたのか。なぜ自分を含めた逆徒の子どもたちを育てていたのか。

そしてなぜ、誰に殺されたのか。

その答えに近づくためならば彼はどんな死地にも飛び込んでいく。

ボラルやソラハが止めようとその考えは変わらない。


「変わる時がくるとすれば……」


 続くアノスの呟きは闇夜を駆ける風の音に掻き消え、抱えられたソラハの耳にも届かなかった。


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