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持たざる者からの宣告  作者: 大悪紅蓮菩薩
13/27

見定める者-1

新キャラ登場


 日が落ち始め、商売人たちの活気が少しずつ落ち着いてきたころ。

人の減った大通りを何台もの馬車が列を作り坂を上っていく。

商人たちが暮らす第三層と貴族たちの暮らす第二層を隔てる門を手続きもなく通り抜ける彼らは

皆、名家カノイのパーティに招待された者たちだった。

馬車の窓からは顔を隠す仮面をつけた男女が見え隠れしている。


 そんな中、一台の馬車から窓の外を興味深げに眺めている少女がいた。

被る仮面で表情はわからないが、上層の景色が物珍しいのか、素早く流れ去っていく風景を楽しげに見つめている。

その姿は小柄な姿と可憐な赤のドレスも相まって可愛らしいものではあったが、

厳粛な雰囲気漂う行列の中ではいささか目立った。


「ソラハ。ここからはおとなしくするように言っただろ」

「うあ、そうだった」


 馬車の中で少女、ソラハと向かい合って座っていた礼服の男が額、もとい仮面に手を当ててため息をつく。

その声にあわてて姿勢よく座りなおしたソラハだが、興奮が冷めないのか横目で外を眺め続けている。


「仕方のないこととはいえ、お前をここまで連れてくる羽目になるとはな」


 着慣れない礼服の襟を指で伸ばしながら、アノスはヒゲワシから受け取り、

先ほど馭者に渡した招待状の内容を呪った。



・・・



 十日前。誘拐犯と騎士団の繋がりを示す手紙をヒゲワシに受け渡したアノスはついに上層へ上る手段を手に入れた。

名家の招待客とあらば面倒な身分証明の類はしないで済み、通行証を持っていない彼も問題なく二層へと近づくことができる。

そうして会場まで忍び込んだ後に招待客の中から通行証を盗み取れば、今後上層でも活動が格段に楽になるだろう。

最終的にはエリヤが働いていた騎士団本部がある第一層まで行くことができるようになるかもしれない。

危険な計画ではあるが、自分一人だけならある程度の問題には対処できるとも彼は考えていた。

しかしその見通しはヒゲワシの一言で覆ることとなった。


「それで? 相手役は決まっているのかい?」

「なに?」


 受け取った手紙を興味深そうに眺めながら世間話でも吹っかけるように呟いたヒゲワシは、

その意味を理解していないアノスに手紙を招待状に見立て、裏側を見るようにと指差した。


「『当日は簡単な余興も用意しております。

よろしければパートナー様とご一緒にお越しください』男女二人組でこいということか」


 注釈のように書かれた文面を読み上げながらアノスの眉は徐々に下がっていった。


「まあ別に一人で来るなとは書いちゃいないけど、

みんなが二人連れの中、君だけ一人ぼっちだったら目立つだろうね」


 そんな彼をからかうように椅子にもたれかかるヒゲワシは机の上に足を投げ出しながら笑う。

しかしそんな態度に腹は立てど、彼の言い分がもっともなことだとアノスも理解していた。


「審査なしで上層へ行ける一度だけの機会だ。つまらんことで注目を引きたくはないな」


 通行証の窃盗は言うまでもなく犯罪だ。

自尊心が高く失態を隠したがる貴族が後日に紛失届を出すこともないだろうが、犯行を直接目撃されれば言い逃れはできない。

招待客本人でないことがバレてしまえばすぐにでも牢屋行きだろう。

そんな綱渡りの最中に無駄な視線を集めることは極力避けたかった。


「なにも悩むことはないだろ? 

数日前ならともかく、今の君にはこんな可愛らしい彼女がいるじゃないか」


 思案にふけるアノスの後ろに立っていたソラハの背後へいつの間にか回り込んだヒゲワシはその肩に両手を乗せようとする。

しかし彼女がその接近に気がつく前にアノスは少女の手を引き、下ろされた手は空振りに終わった。


「相変わらずガードが堅いね。

そんなに大事にして、手元にしか置いておけないからこんな店にも彼女を連れてきてるんだろ」


 ヒゲワシの『こんな店』という言葉にカウンターの店長が一瞬不満げな顔を見せるが、

常時店内に潰れた男たちが何人もいる現状、異を唱えることなかった。


「常連しか顔を見せないこの店と貴族の屋敷では勝手が違う。

通行証を狙う時には単独で動かなければならないし、不確定要素も多い」

「なら、お留守番させるかい? 

ここだけの話、君がそこまでして守ろうとする彼女に僕は非常に興味を持ってる。

彼女をどこに隠すつもりか知らないけど、もし僕がその場所を見つけたら、どうなるかな?」


 仮面の奥から聞こえてくる不気味な引き笑いにアノスは顔をしかめる。

ヒゲワシという人物は情報屋として非常に優秀だが、善人であるとは言い難い。

彼は多くの客と良好な関係を築きつつ、その実、常に獲物を定める狩人のように彼らの隙を狙っている。

それは今、眼前に立っている男に対しても同じことだった。


「そうなれば彼女を人質に取られ、私はお前の下で一生タダ働きだな」

「大正解!」


 それともこのような助言を残す程度には彼も友好というものを重んじているのか。

はやし立てるように小躍りするヒゲワシの素顔は誰にもわからない。


「パーティーには正装と仮面が必要だろ? 行きつけを紹介してあげるから行って見なよ。

僕の紹介だって言えばいろいろサービスしてくれるからさ」

「至れり尽くせりだな。お前に渡す情報を探すために上層へ行くわけじゃないぞ」


 利益にうるさいヒゲワシが提供するサービスには裏があるように思えてならない。

彼が自分になにを求めているのかアノスにはわからなかったが念のため釘は指しておく。

それに対しヒゲワシは人差し指を横に振って舌を鳴らした。


「カノイ家のパーティーに潜り込むって体験自体が貴重な情報なんだよ。

土産話を楽しみにしてるから、ちゃんと帰ってきてよね」


 そうして話は終わったとばかりに手のひらを振るヒゲワシ。

彼の視線は既にアノスが持ってきた手紙に落とし込まれていた。

よほど集中しているのか、すでに周囲の音すら聞こえていないようだった。


「服を買いに行くとは言ったが、まさか礼服とはな」


 困ったように額に手を当てながらアノスは手を握ったままのソラハを横目で眺める。

自分も二層へ行くことになるという話を聞き不安大半、期待少々といった表情を浮かべている彼女は向けられた視線に苦笑いを浮かべていた。



・・・



 馬車に揺られているうちに日は地平線へと沈み、

会場であるカノイの屋敷に到着するころには星々の輝く夜空が天を満たしていた。

馬車の速度が落ち始め、身の丈以上の塀に囲われた大きな屋敷の前に止まる。

馭者によって開かれた扉の先に仮面をかぶったアノスとソラハが見たのは幾多の炎に照らされる白く巨大な大豪邸だった。


 パーティーに際して特別な装飾をしているようには見えないが、

それでも有り余る絢爛さがこの屋敷には備わっている。


「お嬢様。足を止めては他の方々のご迷惑になります」


 あまりの煌びやかさに身を硬直させ、

馬車の中で呆然としているソラハに従者然とした口調を用いたアノスが手を差し伸べる。

格式ある者たちの集まりの中で目立たないようにと事前に示し合わせていた対策だったが、

この少女に貴族の令嬢を演じる技術や知識はない。

ゆえにアノスが求めたのはその口を開かないこと。


「さあ、お手を……」


 その言葉にソラハは緊張の面持ちのまま頷くと、ぎこちなくその手を重ねた。

少し汗ばんだ小さな手のひらをアノスは愛娘を抱くように優しく包み込む。

その感触が『心配することはない』と自分に言い聞かしているようで、ソラハは少しだけ緊張の糸が緩んだように感じた。


「落ち着ける場所を探しますので、それまでは私の腕を離さないように。よろしいですね」


手を引きながら、気品と余裕を感じさせるようにゆったりと歩み始めるアノス。

ソラハの歩調に合わせられたその動きは、付き従う者として完成されていた。

戦いの技術に続き、日々の暮らしにそぐわない知識を披露するアノス。

彼自身、初めて訪れるであろう貴族のパーティーに物怖じせず向かっていく姿は度胸よりも慣れを感じさせるものだった。


 自分たちと同じように色とりどり、形それぞれの仮面をつけた招待客の合間を抜け、

アノスは屋敷内のメインホール脇にある廊下へとソラハを連れてくる。

今でこそ人の影が見えるが、本格的にパーティーが始まる頃には無人になっているだろう。

その壁際に設けられた三人掛けほどのソファーに少女を座らせ、

アノスは彼女に目線を合わせるよう腰を落とすと幼児に言い聞かせるように人差し指を立てた。


「いいですか? もし誰かに声をかけられても黙って首を振りなさい。

それでも離れないようなら体調が悪くなったので休んでいると、連れが人を呼んでいるからと言いなさい」


 真剣な面持ちで静かに話すアノスはやはりどこか不安げな様子だった。


「私もできる限りここへ戻ってきますが、万が一あります。

なにがあっても決してこの場から離れないでください。

それができなくなった時はなにも考えず声を上げてください。すくに飛んでいきますから」


 壁を挟んだ向こうから大きな拍手が聞こえてくる。主催が登場しパーティーが本格的に始まったのだろう。

あたりを見回すと、先ほどまで見え隠れしていた人影は一人もいなくなっている。


「それでは……」


 立ち上がり礼服のシワを整えるアノスの姿は異様に様になっている。

それまで三層の一画に暮らしていただけの若者が袖を通しているようには見えない。

先ほどの身のこなしといい、口調といい、どうにも彼はこの場に馴染み過ぎている。


『もしかするとアノスは貴族の一員だったのかも』


 こちらに背を向け両開き扉の隙間へと姿を消すアノスを見つめていたソラハは漠然とそう思った。



・・・



 メインホールは暗がりに包まれていた。

広いホールに密集して立つ人々は皆視線を上げ、

二つに枝分かれた階段を下りながら登場した男に惜しみない拍手を送っている。

演出なのか、上階から順番に灯されていく燭台に照らされるのは金の頭髪と口ひげを蓄えたカノイ家当主その人だった。


「皆さま、本日は我が舞踏会へよくぞ足を運んでくださいました。

ささやかな催しではありますが、本日は無礼講ということで日々の憂いを忘れ楽しんでいただけたら幸いでございます」


 胸に手を当て軽く頭を下げるその姿には王家に連なる貴族の当主としてあるべき貫禄が見て取れた。

人の上に立つものとしての確たる自信と自負が彼の瞳で揺らめいている。


 当主が声高に話しているさまを、来客は時折頷いたり軽い拍手を挟みながら聞き入っている。

スリを行うには最適な環境だった。貴族の荷物を持つのは彼ら本人ではなくその従者たち。

壁際に観葉植物のように立っている彼らの中から、アノスは狙いやすい者を横目で見定める。

従者とはいえ、皆この場まで主人と行動を共にすることを許された者たち。

大抵の者たちは誰に見られずとも秀麗な姿勢を崩さず、隙は少ない。

示し合わせたわけでもないのに他の従者たちと隊列を組むように並ぶそのさまは圧巻ですらあった。


 そんな彼らの中に一人だけ、出入り口のそばで孤立している男がいる。

不安げに周囲を見回している頼りなさげな様子を見るに、まだこの場に慣れていないようだった。

アノスは彼に狙いを定め近づいていく。


「そこの君、少し聞きたいことがあるんだが」

「は? はい、僕ですか? ……なんでしょう」


 全員が当主の話に聞き入る中、突如耳元でささやかれた言葉に従者の男は困惑したようにアノスを見た。


「馬車の移動が長かったからか、連れが体調を崩してしまってね。

どこか風に当たれる場所を知らないかな」


 この家の召使でもない彼にそんなことが答えられるわけがないと知っていてアノスは男に詰め寄る。

案の定しどろもどろになる従者に考える暇を与えないよう、彼は畳みかける。


「彼女は身体が弱い。無理を言うので連れてきたが、このまま倒れでもしたら大ごとになる。

その騒ぎに巻き込まれるのは君もいやだろう」

「ええと、それはどういう……」


 引きつったように笑う従者にアノスは真剣な顔で告げる。


「場所がわからないなら探してこい。

もし手遅れになれば貴様が一生働いても返せないものを背負わせることになるぞ」


 凄みを利かせるアノスの言葉に震えあがった従者は情けない返事をしながら慌ててホールを飛び出していく。

扉の開閉で音を鳴らさなかったのは、あれでも従者の端くれということなのだろう。

アノスはいつの間にか彼の懐から抜き取っていた革の袋を手に笑っていた。


 今回のような舞踏会、社交界に従者が持っていく荷物はそれほど多くはない。

屋敷の鍵やかさばらない程度の金。そして紙片に印字された通行証くらいだった。


「後は脱出だけだな」


 従者が出ていった扉が閉じ切る前にすべての確認を終わらせたアノスは通行証を革袋ごと懐にしまうと早々にその場を離れる。

あの従者が荷物を取られたことに気づいてもパーティーの最中に騒げはしない。

後はソラハと合流し屋敷から抜け出せばすべてが終わるはずだった。


「それではただ今より舞踏会の開始を宣言したいところなのですが、今宵もう一つ、

私事ではありますが皆様にご報告したいことがございます」


 形式的な挨拶が終わり、いよいよパーティーが始まると思われた時。

当主が降りてきたものとは反対の階段から純白のドレスを着た一人の女性が姿を現す。

群衆を抜け、ホールを横切ろうとしていたアノスもその姿を目にした。


 流れる金色の長髪は煌びやかな装飾と共に背を流れ落ち、

薄く化粧を施された顔には女性らしい華やかさがあふれている。

だが、うやうやしく頭を下げるその青き瞳からは過保護に育てられた令嬢とは思えない強固な意志もまた同時に感じさせられた。


「今季、卒舎試験を控えていた我が愛娘、ルアスが正式に主席入団を果たしました。

不出来な娘であるがゆえに皆様に多大な心配をかけてしまったこと、お詫びするとともに

これからの成長にもぜひ目をかけていただけたらと思っております」


 下手に出る言葉選びとは裏腹に、その口調は自慢の一人娘を最大限誇らしく思っている者の声だった。

 彼女を見上げる来客はその美しさに息を飲む。皆仮面に隠れてはいるがその表情は驚きに満ちていることだろう。それほどに彼女は美しかった。


「……どういうことだ」


 ゆえにアノスは目を見開く。

彼もその時ばかりは自分の目がおかしくなってしまったのだと思わざるを得なかった。

遠目に映るルアスと呼ばれた貴族の一人娘。その姿にひどく見おぼえがあった。

朝、目を覚まして水瓶に顔を覗かせれば目が合うその顔は他の誰のものよりも見てきた容姿。


「私と……同じ……」


 王族に連なる貴族。その一人娘であるルアス・オール・カノイとアノスの容姿は、

まるで鏡合わせのようにうり二つだった。


「そして幸いなことに、今回我が娘の正式入団を祝うため、

聖王騎士団第三部隊長であるハダル・ヴィトン氏が駆けつけてくれた。

一曲目はこの二人に任せるとしましょう」


 困惑するアノスをよそに今度は階段を上ってくる男が一人、当主とルアスに並び立つようにして現れる。

他の貴族たちよりも頭一つ高いその身体は鍛え上げられ引き締まっており、

皆と同様の礼服を着こなしているというのにその姿は甚だしく異質だった。


「ご紹介にあずかりました。ハダル・ホド・ヴィトンと申します。

隊長級の末席を汚す若輩者ではありますが、ご令嬢の好事。

その功績をことほぐとともに最大限の賛辞をここに示し祝辞としたく思います」


 手のひらを胸に当てて軽く頭を下げるハダルはその顔についた瞳を群衆へと向ける。

女性のルアス以上に伸ばされた至極色の頭髪から覗く眼光は真紅。

薄暗がりの中で灯る燭台の炎と同じように揺れるその瞳は、自分を見上げる者たちを見定めているように冷たい。


 もう一人の自分に釘付けになっていたアノスは彼の小さな変化に気が付かない。

無数にいる来客を平等に見回していたハダルの視線が止まったことを。

ルアスへの祝いを述べる口は依然動き続けているが、その一瞬、彼の意識はたった一人に向けられていた。


「……それでは短くはありますが、

あまり増長な挨拶となっても皆様の興を削ぎかねませんので、このあたりに」


 そう言い含み笑うようにして挨拶を終えたハダルは並び立っていたルアスに手を差し伸べる。

慣れた風にその手をとる彼女は勝気そうな表情でパートナーを見つめると、同時に階段を下り始める。


「それではこれより仮面舞踏会の開催とします。皆さまどうぞ心ゆくまでお楽しみください」


 二人が階段を下り切ったと同時にすべての燭台に火が灯される。

狭まっていた視界が開け、会場の雰囲気は一気に華やいだ。

ダンスを誘う音楽がどこからともなく流れ出し、ルアスとハダルの二人がホールの中心で舞踏の花を咲かす。

一曲目はこの二人だけが主役だ。

来客たちは美男美女のダンスをあるものは羨み、あるものは感心するように鑑賞している。

ある意味アノスもその一人だった。


 自分と全く同じ顔をした女がいるというだけで彼の頭は混乱の極みにある。

その女がドレスを着込み男に腰を支えられながら踊っているともなればいよいよ限界だった。

アノスは頭を押さえ、壁伝いに出口へと近づいていく。

明かりはついたが、幸い来客たちの視線は、いまだあの二人に引き付けられている。

扉をくぐろうとするその時まで誰に声をかけられることもなく、彼は安全にホールを抜け出すことができただろう。


 しかし扉のノブを少し引いたアノスはその先の光景を見てその手を止める。

思わず出た舌打ちは流れる音楽にかき消されたが、苛立ちに歪むその表情までは隠せない。


「ヘイツ・ネイバック」


 開いた扉の隙間から見えたのはソファーの端に追いやられたように座るソラハと、

彼女のとなりでなにごとかを話しているヘイツの姿だった。



・・・



 アノスがホールの扉に姿を消してしばらくたった後、ソラハは廊下の奥から近づいてくる人影に気がついた。

彼女も通行人が一人も横切らないと考えていたわけではなかったが、

どうしても高鳴ってしまう動悸は自分でも抑えようがなかった。


「静かに、静かにしないと」


 人影が近づくのに比例して大きくなっていく心臓の鼓動を押さえつけるようにソラハは体を丸めて目を閉じる。

どうかそのまま通り過ぎてくれと祈りながら、両の肘を抱く。

そんな己の恐怖と戦おうとする姿勢が仇となった。


「どうした? 腹でもいてえのか?」


 少女の耳に聞こえてきたのは忘れもしない声。


『誰を逃がすって?』


 それは父と再会し、別れたあの部屋で絶望と共にやってきた男の声だった。

 

 恐る恐る顔を上げるソラハの目に映ったのは着崩した礼服を身に着け、心配そうにこちらを見つめる男の姿。

整えられた髪や服装の違い、そしてつけられた仮面で受ける印象こそ異なるものの、

彼が先日アノスと激闘を繰り広げた男であることは間違いない。

胸の前で吊り下げられた右腕がその証拠だった。


「おっと、わりいな。怖がらせちまったか」


 不安げな少女の視線が自分の腕に向けられていることを察したヘイツは、困ったように笑いながら頭をかく。

目の前にいる少女があの牢獄にいた一人だとは気づいていないようだった。


「少し前にヘマやらかしちまってよ。動かねえことはねえんだが、安静にしてろって上司に言われててな」


 なんでもないというように腕を軽く動かしてみるヘイツ。

初対面の相手に対する馴れ馴れしくもどこか優しげなその態度にソラハは驚いた。

今の彼からはアノスと戦っていた時に醸し出していた粗暴な雰囲気は全く感じられない。

あの時の戦狂いじみた姿しか知らないソラハには、今、目の前にいる善人然としたヘイツの姿が信じられなかった。


「おいおい、口がきけねえわけじゃねえだろうな。それとも本当にどっか悪いのか?」


 声かけに反応せず、具合が悪そうに固まったままの少女に顔を近づけるヘイツ。


「パーティーの招待客なら連れ合いがいるはずだろ? なんでこんなとこに一人で座ってんだ?」


 周囲を見回しながらそう問うてくる彼の言葉に、ソラハはアノスの言葉を思い出し黙って首を振る。

しかし戯れに声をかけてきた者ならともかく、善意で近づいてきた者にこの対応は悪手だった。


「なんだ? もしかして嬢ちゃん迷子なのか?」

「……人を、呼んできてもらって……います」


 ヘイツはため息をつきながら、なぜかソラハのとなりに腰を落とす。

教わった台詞を言ってみてもそこから動く様子はなく、

彼は背中を持たれかけさせて自分の家であるかのようにくつろぎ始めた。


 しばらくの静寂が二人の間に流れる。扉の向こうからは小さく拍手の音が漏れ聞こえていた。


「あなたは、あっちに行かないんですか?」


 自分のそばに座った後、特になにを言うでもするでもなく、

黙ったままでいるヘイツにソラハは純粋に不思議に思ったことを問う。

自分の素性が今の彼にバレていないと落ち着いてきた頭で理解し、多少の余裕が生まれたがゆえの疑問だった。


「貴族や商人の集まりってのは苦手なんだよ。どいつもこいつも似たような恰好で同じようなことしか話さねえ。

政治の話しは聞いててもよくわかんねえし、飯が出てくるのももう少し先だしな。

それまでは適当にぶらつこうと思ったのさ。ほれ」


 礼服のズボンをまさぐりながら社交界にはあまり興味がないと話すヘイツはその中から小さな金色の球体を取り出し、ソラハの手元に差し出す。

指先ほどの大きさしかないそれがいったいなんなのかわからず、少女は首をかしげた。


「甘いもんは苦手だったか? お嬢には美味いと好評だったんだが」


 ポケットからまた一つ球体を取り出したヘイツは金色の包装紙をはがすと、

その中に隠れていたチョコレートを口に放り込んだ。

煩わしくなったのか身に着けていた仮面も外してしまう。


 ソラハもそれを真似て不器用に紙をはがす。

チョコレートなど見たこともなかった少女は、この土色の球体を本当に口にしてよいものかと思い悩む。

しかし紙をはがしたと同時に漂ってきた甘い香りには逆らえなかった。


「……おいしい」


 仮面の下の口に入れた瞬間溶け始め、広がっていく甘さは初めての感覚だった。

思わずこぼれ出てしまったソラハの素朴な声にヘイツは満足そうに笑った。


「ようやく声が明るくなったな。

こんなところで時間潰してる俺が言うのもなんだが、せっかくのパーティーをもう少し楽しんでみたらどうだ?

嬢ちゃんと同世代の坊ちゃんたちも何人かはいると思うぜ」


 諭すようにそういうヘイツの目はとても澄んでいて、その奥に策謀が待ち受けているようには思えない。

彼は本心から、一人退屈そうに座っている少女を楽しませられないかと考えている。


「……どうして?」


 ゆえにソラハはわからない。なぜそんなにも優しい目をしている男が逆徒を隔離し、

父を傷つけたあの収容所にいたのか。

なぜ彼のような善人が逆徒を狩る騎士団に身に置いているのか。


 それまで騎士は皆、全身総てを悪意に染めた者たちばかりだと思っていた。

だからこそ逆徒や背信者だからという理由だけで数々の非道を実践できるのだと。

そうでなければ父にあのような傷をつけられるはずがない。


「なにかわからないことがあったか?」


 なにを聞こうとしたのかはソラハにもわからない。

ただ一つ、逆徒たちを排除しようとしているのは悪人ではなく善人たちだということを少女はと信じたくなかった。

自分たちを長く傷つけてきた悪意がたった一着のドレスで拭い去られてしまうことも、どこか納得がいかなかった。

人の善意に怒りを覚える。

初めて身に落ちたこの感情をどのように扱えばいいのか少女にはわからない。

ゆえにその想いを吐き出してしまいそうになった。


「失礼」


 その時、後ろから肩を掴まれていなければ、ソラハは自分が逆徒であると暴露してしまっていたかもしれない。

背後から聞こえてきたのは振り返るまでもなくアノスの声。

その落ち着き払った声に、いつの間にか高ぶり乱れていたソラハの心は落ち着きを取り戻していく。


「私の連れがなにかご迷惑を、おかけしましたか?」


 ソファーから少女を立たせて、彼女の前に立たつアノスは同じように立ち上がったヘイツと向かい合う。

ヘイツは突然現れた男に驚く様子もなく、かけられた言葉に首を振り軽く笑って見せる。


「いや、こっちが話し相手になってもらってたのさ。

貴族のオヤジ共の話を突っ立ったまま聞かされるより、座って女と談笑を交わす方が有意義だしな」

「気分を害されるようなことはありませんでしたか? 

これに気のきいた話ができるとも思いませんが……」


 ことを早々に切り上げたいのか、へりくだった態度を続けるアノス。

ヘイツはそんな彼をどこか苛立った様子で見つめていた。


「そう思っているんならこんな場所で一人放っておくべきじゃなかったな。

適当な言い訳まで言わせて、あんた今までなにしてた?」


 ソラハは連れが人を連れてくると言ったが、やってきたのはアノス一人だけ。

それだけで先ほどの少女の発言が偽りだったことがわかる。


 問いに答えるつもりはないのか、アノスは無言のまま向かい合ったまま。

微動だにしないその姿は、相対する者を静かに観察しているようでもあった。

その不可思議な態度にヘイツは気が抜けたようなため息をついた。


「そうだな。社交界は常に腹の探り合いだ。こんなもんで顔を隠したってそれは変わらねえ。

秘密にしたいことの一つや二つ当然あるだろうよ」


 手にした仮面を振りながら、そういうところが苦手なんだとぼやくヘイスはその場を立ち去ろうとする。

ぶらつきを再開するつもりなのか、やってきたのとは反対方向へ体を向ける。

それを無言のまま見送るアノスと肩がぶつかりそうな距離ですれ違う瞬間、ヘイツはもう一度足を止めた。


「あんた。前にどっかで会ったことあったか?」


 横目で仮面の隙間を覗き込むようにしながら、ふと思ったことを口にするこの男。

真横にいる男が自分の手を切りつけた者だと気づいているわけではない。

それは根拠もなにもない彼の勘だった。戦いを重ねた者に宿る第六感。

立ち姿や雰囲気から、感じ取れる気配にヘイツは既知感を覚えていた。


「どうでしょうか。以前の社交界で一度くらいはお見かけしたことがあったかもしれません」


 返ってきた当たり障りのない声にどこか腑に落ちない顔をしながら、彼はアノスの肩口をすれ違っていった。


「その嬢ちゃん。大事にしてやんな」


 なにを思ったのか、最後にそうつけ加えて。

 長い廊下を進んで行き、小さくなっていくその背中が角に消えた時、

アノスはようやくソラハへと向き直った。


「すまなかったなソラハ。まさかあいつがここにいるとは考えもしなかった」


 正していた口調を崩し、少女のそばへ寄るアノスはその様子がおかしいことに気がづく。

悶々とした悩ましげな表情を見せながらヘイスが消えた廊下の角を見つめているソラハは

なにか物言いたげに口元をまごつかせていた。


「あいつになにかされたのか」

「ううん、大丈夫。優しい人だったから」


 ヘイツは極めて紳士的だった。

やや砕けた口調こそ場の雰囲気と服装から浮いていたが、

会場に一人座っている女性に向ける対応からは彼の善性が感じられた。


「本当に、あの人は優しい人だった……それなのにどうして」


 どうして、逆徒という同じ人間を滅そうとするのか。

善人ならば虐げられしものを救うことが筋ではないのか。

その発想に至らないほどに彼らの考える神という存在は絶対的なものなのか。


「自分の行いを正義と確信し、揺るがない者ほど厄介なやつはない」


 ソラハの言わんとしたことを察したのか、彼女の肩に手を置き話し始める。


「正義を御旗に掲げ進む者たちの足は、どんな言葉をかけられようとも、どんな武器で傷つけられようとも止まらない。

相反する言葉や思いはすべて悪しき者どもの戯言だと、奴らの耳には届かないのさ」


 そう語るアノスは直後、自嘲するように苦笑する。対立する者の言葉を戯言、妄信と一蹴する。

自分自身も同じことをしていると自覚しているが故の苦い笑みだった。


「この世界には完全な善人も、完全な悪人も存在しない。

結局はどんな善を持ち、どのような悪を立てるかだ。敵も味方もすべてがそれで決まる」


 たとえどれだけ優しく善なる者だとしても敵対者の事情は聞き入れない。

少なくともそれだけの余裕をアノスは持っていなかった。

「いくぞ、もうすぐ一曲目が終わる」


 一組だけが躍る一曲目が終われば、本格的に招待客の舞踏会が始まる。

そうなれば廊下の出入りも増える可能性がある。

彼は一刻も早くこの場から離れるべきだと出口までの通路を歩きだした。


 ソラハは手を引かれながら、今の話をぼんやりと振り返っていた。

善と悪を決めるのは自分なのだと言ったアノスの言葉を真似るのは難しい。

彼女はなんとしても人生を生きぬくことを誓った。

それを自分の善とするなら、悪は逆徒を迫害する騎士団や民衆たちになるのだろう。

しかし己の生のために彼らの事情をすべて無視してもよいのか。

いわれのない敵意を向けてくる彼らを思う必要などどこにもないのか。

そんな考えにソラハはどこか頷くことができない。


 以前アノスに過度な優しさを捨てるように言われたことがあった。

その美徳は時に自分自身を生きづらくするものだから、最低限の倫理だけは残して後は割り切るようにと。

ソラハには己を善とし、対立する者すべてを悪とする考えが、その最低限に触れてしまう気がしていた。


 己を否定するものを絶対に認めない。

その考えは自分に刃向った逆徒を許さず、迫害の風潮を作り出してしまったとされるかつての神と同じ類のものに違いない。

もしかしたら少女の手を引いている彼もそれを自覚しているのかもしれない。

生き方を説くような話し方ではあったが、アノスはそれを正しいことだとは言わなかった。


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