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持たざる者からの宣告  作者: 大悪紅蓮菩薩
12/27

集める者-5

短め回


 いつしか気を失っていた若者が目を覚ましたのは、

血の雨でズタボロになった机から収集家宛の手紙をアノスが見つけた少し後のことだった。

降り注いだ血の矢は収集家が去ったことでただの血液に戻り、地下室の床は足首が浸かるほどの血だまりとなっていた。


「あいつは?」


 意識を失った直前の記憶が曖昧な中、若者は掠れた声を出しながら手をついて立ち上がろうとする。

しかし体を支えようとした腕に全く力が入らず、彼は再び血の海へと倒れ伏した。


「口をきく余裕はあるのか」


 背後からかけられた声に、見つけた手紙をコートにしまい込んだアノスは血だまりで溺れかけている若者を引き上げた。


「奴には逃げられた。私の不手際でな」


 どこか自分を憐れむような目を向ける彼に若者は首をかしげる。

いったいなぜ自分にそのような視線を送るのか。

血を抜かれ、いまだ呆然とした彼の頭には理解できなかった。


「お前は仇には逃げられたわけだが、これからどうするつもりだ?」

「仇……?」


 その瞬間止まっていた思考が再び動き出したかのように、若者の目が見開かれる。

自分が母親たちを見つけ出すためにこの場所へきたことや、母親たちが生きたまま手足をもがれ磔にされていること。

そしてそれを行った外道が悪びれもせずに笑っていたこと。

混濁した頭からすべてを思い出した、若者は再び爆発する憤怒と共に暴れ始めようとする。

しかし血を抜かれ力が入れられない彼の体ではそれすらも叶わない。


「あの野郎はどこ行った、どこに行ったんだッ!」

「逃がした。そう言ったはずだ」

「だからどこに逃げたのかって聞いたんだよ俺はッ!」


 すさまじい疲労感が肩にのしかかっている中、若者はアノスに掴まれた左腕を振り払い再び血の海に身を投げ出す。

仰向けに倒れた彼の目にはあふれんばかりの涙がたまっている。

自分を静かに見つめているアノスからその涙を隠すように若者は動く左腕で目を覆った。


「それを私がお前に教えられたとしてどうする。言っただろう、これからどうするつもりだと」


 再び差し伸べられる手はなかった。若者は自分の力だけでよろめきながらもなんとか立ち上がる。

ふらつく身体はゆっくりと歩を進め、伸ばされた左腕はアノスの胸倉を掴む。

ふつふつと湧き上がる、行き場のない怒りを向けられる者が他にいない。

その怒りだけが今の若者を立ち上がらせている力だった。


「決まってんだろッ! あいつを、あのふざけたクソ野郎を殺してやる。

バイスがなくたって関係ねえッ! 俺があいつを絶対に殺す、殺さなきゃなんねえ」


 皮肉なことに復讐の決意は彼の気力をみなぎらせている。

絶望と悲しみが怒りによって覆い隠され、彼の目に蓋をしている。

自分と同じ、復讐者になろうとしている若者の姿を見るアノスの目は複雑だった。

若者の中に宿った志を否定することはできないし、するつもりもない。

彼自身、人生の正道などとうの昔に外れている。

しかし道を外れる前にしなければならないことも知っていた。


「彼女たちはどうする。放っておく気か?」


 その言葉に、息を荒げ寄りかかるようにしてアノスの胸倉を掴んでいた若者は怒りに染まった顔色を引かせる。

なにか恐ろしいことを思い出してしまったかのように青ざめる若者は、瞳孔を揺らしながら振り向く。

そこには先ほどと変わらず磔にされた三人の母親の姿が飾られていた。


「……どうして、こんなことに」


 彼の目に映るのはかつての希望であり、これからの絶望だった。

命の灯を吹き消されるまで、この光景が若者の目から離れることはない。

それは愛する者を奪われた者にかけられる呪い。

たぎる怒りさえ萎えさせてしまう後悔と懺悔の呪いだった。


「放っておけるわけがない。早く助けないと」

「助ける、か。それは冗談か?」


 疲れ切った声で願望を口にするよう呟く若者に対しアノスが返した言葉には哀れみと呆れが混ざっていた。


「お前もわかっているだろう。彼女たちがもとの生活に戻れないことを。

いくら命があろうとも歩けもしない者が逆徒として生きていくなど不可能だ」


 手足のない人間ができることは非常に少ない。

待遇の差はあれ何かしらの援助を受けられる貴族ならまだしも、

そこらのヤブ医者にすら診てもらうことができない逆徒は自分たちの力だけでことに対処しなければならない。

それはあまりに非現実的だった。


「それじゃあなんだ? どうすればいい。この場で殺してやれとでも言う気かよッ!」

「ああ、その通りだ」


 創り出した刀を手に握りながら、アノスはいたって冷静な声でそう口にする。

彼の言葉に振り返った若者は柄をこちらに向けるように地面へ突き立てられた刃に絶句した。

そんな若者の横をアノスはすり抜け壁に掲げられた三人の女たちに近づいていく。


「イカレてんなよテメエ……殺せるわけねえだろッ! 俺の母さんだぞ、そんなことありえねえッ!」


 先に望みがないからと諦めて、自分の手で母親の命を奪う。

若者から見たその言葉は狂気に触れた者の妄言だった。

母親に近づく狂人を引きはがそうとアノスの肩を掴むが今の若者に彼を止める力などあるはずもない。


「……生きたいか?」


 それはアノスがソラハに向けて初めて口にしたものと同じ言葉だった。

かつて彼も味あわされた逆徒としての人生。

得られるものなど皆無に等しく、ゆえに奪われるだけの幸せすらこの王都ではつかめない。

そんな中、生きる気力を失った彼女らが選び取れる道は二通りしかなかった。

死ぬまで牢で生かされるか、自ら命を断つかの二通り。

しかし四肢を失った彼女たちにはその二つすら選べないでいる。

ゆえにアノスは問いかける。生きることも、死ぬことも選びきれない彼女たちに問いかける。


「聞こえているんだろ? お前たちは生きたいのか?」


 その言葉の後、しばらくの間を開け、三人の女はそれぞれ、かすかに首を横に振った。


 その光景に若者は驚愕する。

目を閉じ、口も開かない彼女たちはずっと意識を失っているものだと思っていたのだから。

しかし肌に触れるほど近づけば、その閉じられた眼や口が細い糸で縫い合わされたものだということがわかる。

睨みを利かせず、口汚い言葉を言うこともないこの状態こそ、収集家が彼女らに見出した価値だった。


「まさか……ずっと、このまま」


 若者が母親たちの一人にそっと手を置くと彼女は小さく身をよじる。

それがいまなお覚醒状態にあるなによりの証拠。自らの意志で生きることを否定した証だった。


「お前が愛した者たちの望みだ。叶えてやるかはお前が決めろ」


 かつて自分がそうであったように、選択の余地を若者一人に託す。

まだ二十年も生きていない純真な彼にその判断を下させることがどれだけ残酷か、アノスは誰よりも知っていた。

ゆえに選ばせる。

その決断こそが悲劇を踏み越えた先の意志となることもまた、彼は知っていたから。


「……お前の用事は終わったんだろ。早く帰れよ」

「ああ、そうさせてもらおう」


 突き刺さった刀を左腕で引き抜きながら、俯く若者は母親たちとの今までを回想していた。

聞き分けの悪かった自分を苦労して育ててくれた三人の女。

若者が彼女たちに言ったわがままは数えきれないが、彼が母親たちに言われた覚えはなかった。

言うなら子どもたちを育てたいというただそれだけが彼女たちのわがままだったのだろう。

そしてそれを果たせなくなった今、新たなエゴを息子に聞いてもらおうとしている。


「本当に、自分勝手だよ。本当に、最低なわがままだ」


 アノスが地下室から去り、この空間にいるのは若者とその母親たちだけ。

愛し愛された母と息子。血ではなく、心の繋がりをもって家族となった者たちだけだった。


「もう、おしまいなのか?」


 杖のように刀へ寄りかかる若者はその視線を母親たちに向ける。

惨たらしい姿になってしまった彼女たちを見るとこみ上げてくる絶望と吐き気が今でも抑えられない。

それでも彼は目を背けられなかった。

そうしなければ若者の問いに応える母親たちのかすかな頷きを見落してしまっただろうから。


「そうか。……そうなんだな」


 刀を持ち上げる左腕はひどく重たかった。

収集家に血を吸われたからか、それともこの刀自体の重量がすさまじいのか。

この黒い刀にいったいなにが詰まっているのか、若者に知る由はない。

しかしこの重さこそが大切なものだということだけは不思議と理解できた。

この重さこそが自分の、そして彼の決意の重さなのだと。



・・・



 若者はアノスが出てきたすぐ後に家から出てきた。

そのただならぬ気配に仲間の逆徒や彼らに叩きのめされたパルマまでもが息を飲む。

誰もが若者に問いかけたい言葉を口にできず、無言のままねぐらの方へと歩いて行こうとする彼に道を開ける。

しかし二人の子どもたちだけは違った。


「なあ、中はどうだったんだよ?」

「お母さんたちはいたの?」


 少年と少女は心配そうに若者の足元に寄ってくる。

若者は二人の手を握りながら目線を合わすようにしゃがみ込む。

その視線は彼の迷いを示すように揺れ動いていたが、ややあってしっかりと二人の目をまっすぐと見据えた。


「母さんたちは、ここにはいなかったよ」


 首を横に振りながら静かな声でそう語る若者に子どもたちは残念そうにため息をつく。

その悲しげでありつつも無邪気な姿に彼は切なげな笑みを見せた。

その時少女が驚いたような目で若者を見る。


「泣いてるの?」

 それは言われるまで気が付かなかった涙だった。瞳の端から頬を伝い口端をぬらす暖かい涙。

笑顔を見せているのに、同時に涙を流す若者を子どもたちは優しく励まそうとする。


「大丈夫だよ。お母さんたちは絶対戻ってくるよ」

「おれたちはいつも一緒なんだから」 


 自分たちが母親にされていたように若者の頭を撫でようとする子どもたち。

彼にはその優しさがとても暖かく、そしてとても悲痛だった。


「ああ、そうだな。いつかきっと、また会える」


 日が傾き空は徐々に赤みがかっていく。

穴だらけになっている家々の隙間から差し込む光が彼らを照らしていた。

アノスはそれを悲劇の最後を飾る照明のようだと思った。涙を誘わせるための演出のようだと。


「行くぞ」


 その場にいた全員が若者に注目していた中、彼は静寂に捕らわれるでもなく、歪なほどにいつも通りの調子で帰路につこうとする。

その声にいち早くボラルが、そして少し遅れてソラハが後ろ髪を引かれるようにやってくる。


「中でなにがあった」

「なにも。騎士団が誘拐犯によこした手紙があっただけだ」


 アノスは収集家の机から見つけ出した手紙を開いて見せる。

そこには収集家こと、トラフ・トーレフの現場復帰命令と逆徒研究の凍結解除が書き記されていた。

そして研究の過程で発生する不可欠な違法行為を認めるという、犯罪を黙認するような内容が明示されている。

これをヒゲワシに渡せば大喜びだろう。


 しかし収集家に遭遇していないボラルにはいまいち書面の内容が理解しきれない。

アノスもそのことを理解し、意図して収集家との遭遇を彼に明かさなかった。

エリヤの手がかりを見つけたと言っても、いい顔をしないことがわかり切っていたために。


「相変わらず嘘がへたくそだな」


 呆れ顔でそうぼやくボラルは親友の子供じみた嘘にため息をつくと、隣を歩くソラハに目を向けた。

遠ざかっていく逆徒たちを時折振り返って眺めている彼女は向けられた視線に気が付くと慌てたように取り繕う。


「なにか、もの言いたげだな」

「ううん、なんでもない。ただ少しだけ思ったことがあっただけだから」


 手を振りながら発言を遠慮するソラハだが、彼女が今の光景からなにかを感じたのは確かだった。


「言いたいことがあるなら言ってみな。アノスについて行くっていうならな」

「どういうことだ?」


 二人が収集家のことを知らないように、アノスも二人の間で交わされた約束を知らない。

ボラルは家族を守るため、ソラハは自分が生きるためにアノスを死なせないと決めた。

それは彼の言葉を盲目的に信じるだけでは成し遂げられない。

自分で考え、自分で判断し口にすることが必要になる。

物怖じせず言葉を口にするのはその第一歩だった。


「本当に今さらなこと。だけどあの人たちが泣いてるのを見て思ったんだ。

どうして逆徒はバイスが使えないだけで逆徒は悲しい目に合わなきゃいけないんだろうって」


 逆徒であるから。

この上ない理不尽な理屈が当たり前にまかり通っているこの国で、今さらそのような常識に疑問を持つ者も少ないだろう。

ソラハでさえ父親と離れ離れになるまでは、『そういうもの』として納得してしまっていた。

しかしアノスらと行動し、多少なりとも客観的な視点を得ることのできた今の彼女には自分たちを押さえつけている歪な常識が明確に見えている。


「どうしてバイスがないことがいけないことなんだろう。

昔にあった神様と逆徒の話は聞いたことがあるけど、わたしたちには関係ないことのはずなのに」


 国民にバイスを与えたという神に戦いを挑んだ、逆徒と初めて呼ばれた男の話は有名だった。

建国の当初から伝説として語られるその話は国の民であるなら子どもの頃から聞かさせる物語だった。

良き神と悪しき逆徒の戦いは神の勝利で幕を閉じ、そして最後にはこう締めくくられる。


「バイソレッドを使えない者は、皆逆徒に組みした者たち。

だから神を信じる者たちは彼らを決して許してはならない」


 自分たちの在り方を決定づけてしまった物語の一文を暗記しているのか、ソラハはスラスラと話して見せる。

神の言葉だと信徒たちは言うが、実際に誰が言い出したかなど確かめようがない。

そんな理屈も根拠もない言葉に自分たちの人生が振り回されている。

そのやるせなさにソラハは気づいてしまった。


「その疑問を大半の者たちは不毛というのだろうな」


 アノスは自分の左手を見ながらそう呟く。

かつてその左手にソラハと同じ咎の掌紋が刻まれていた頃に理不尽を訴えては認められなかった日々を思い出す。


「彼らにとっては疑う余地のないものなんだろう。

リンゴが木から落ちるように、死んだ者が二度と目を覚まさないように」

「自分で確かめたことがなくても?」


 もっともなソラハの意見にアノスは頷く。


「この国の者たちは、たとえ騎士団でも、神を騙るなにかには逆らえない。

逆らうという発想が生まれないようになっている。それが秩序のためなのかどうかはわからんがな」


 そう言ったアノスは手の中の手紙にもう一度目を落とす。

研究の凍結解除。

この研究がニヘルや収集家が言っていた預言書に繋がるのだとしたら、今後その名を聞く機会も増えてくるだろう。

この手紙をヒゲワシに渡せば上層への足掛かりも手に入る。

そうなればエリヤの手がかりも今まで以上に手に入れられる可能性もある。


 しかしそんな希望の中、預言書というものに対する不明確な要素がアノスにかすかな不安を煽る。

信徒と逆徒の差異に関係があり、信仰を揺るがしかねないとさえ言われるその代物の全容は彼の想像もつかないほど大きなものなのかもしれない。

その真実に近づくことでまた自分は大切なものを失うことになるのではないかと。

親友に何度も言われたように復讐など止めてしまった方が幸せなのかもしれないと。


 しかしアノスは止まれなかった。手紙をしまった彼が向かうのはヒゲワシが待っているだろう店。

いち早く情報を売り渡し上層へ向かわなければならない。すべては愛した母親のために。

彼女の真実を知りたい自分のために。今さら進んできた道を否定する強かさなど、彼は持ち合わせていなかった。


「そういやアノス。お前店長にソラハの服買ってやれって言われてなかったか?」

「え? 別に大丈夫だよ? この服動きやすいし」

「毎日そのダボついた服ばっか着てたら目立つだろ。店長になに言われるかもわかんねえしな」


 しかしアノスは同時に、これから彼らが歩んでいくだろう道を犠牲にする潔さも持っていない。

過去の真実を暴き、同時に二人の生活も守ろうと考えている。

その二つの目的を両立させるのはあまりにも難しいことだろう。

目論見が甘すぎると言われても仕方がない。

都合のいい展開を嫌っている彼が都合のいい未来を望んている。はたしてそれは矛盾なのか。


「おい、聞いてんのかアノス」

「聞いているさ。そうだな、店の帰りに何着か買いそろえてみるか。女を着飾らせるのもたまにはいい」

「えー、本当に行くのー?」


 だとしたら彼はそういう人間なのだ。

嫌うものを望み、逆徒と信徒の狭間に在り、過去も未来も選ぼうとする。

アノス自身も変えることができない彼という人間の本質だった。


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