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持たざる者からの宣告  作者: 大悪紅蓮菩薩
11/27

集める者-4

主人公の力の一端が判明します


 周囲に人の姿が見えないことを確認しながらアノスは室内をゆっくりと見渡す。

外観と同じように朽ち果てたその部屋には足の折れた机や、崩れた暖炉の残骸などがそこかしこに散らばっている。

とくに個室も見当たらず、倒れた家具の中に人が押し込められている様子もない。


「クソッ! いったいどこにいるッ!」


 足元に転がっていた燭台を乱暴に蹴りつけながら若者は苛立たしげに悪態をつく。

パルマに居場所など聞かなくとも、この小さな家ならばすぐに母親たちが見つかると思ったのだろう。

当ての外れた彼は地団駄を踏みつつ、この場所が本当に誘拐犯の住処だったのかもう一度聞きだすべく踵を返した。


「……あんたもいたのか」


 そこでようやくアノスの存在に気がついたのか、若者は驚いたように一歩後ろに下がる。

この一件があっても信徒に対する不信感は変わらない。

警戒するように睨みを利かせる若者の視線を無視しながら、アノスは部屋の隅に倒れているクローゼットに目をつけた。

注視してみるとその付近だけ、積もったホコリの量が少ないように思える。


「言っとくがあんたに協力はしないからな。

確かにパルマのことを知れたのはお前らのおかげだが、それとこれとじゃ話は別だ」


 背後からそう語りかけてくる若者にアノスは一切の反応を見せない。

それほどに集中しているのか、それとも彼の言葉に耳を傾ける必要などないと考えているのか。

若者は後者だと判断した。


「そうかよ、信徒様は逆徒と話す口なんて持ってねーってか」


 舌打ちをしながらそう吐き捨てる若者はもう一度、苛立ちを体の外に逃がすかのように床を思いきり踏みつけた。

細かい木屑やほこりが部屋に舞う中、アノスはその床に目をやる。


「頑丈な床だな」

「なに?」


 一瞬皮肉の類かとも思った若者だが、言われてみれば確かに妙だった。

この家の荒れ模様は彼らがねぐらにしていたあの劇場に勝るとも劣らないもの。

そんな劇場の床は腐り果て落とし穴のように陥没してしまっているところが多かった。

しかしこの家は違う。

散乱し雑多にあふれた残骸にまみれてはいるが、床だけは他の壁や天井に比べると不自然なほどに状態がいい。


「まさか、この下に……」


 若者が察したことを言い終わる前に、アノスは倒れていたクローゼットを片手で持ち上げる。

その下にあったのは鉄でできた灰色の隠し扉。

木造の建物の中に一つだけ取りつけられた鉄の異質さに既視感を覚えつつ、アノスは扉に手をかける。

鍵がかかっている様子はなく、扉は重々しく開いた。


「ここに母さんたちが……」


 大口を開ける扉の向こうにはさらなる闇が顔を覗かせている。

屋根の亀裂から差し込む光もない、真の暗闇。

それはまるで大口を開けて獲物を待ち構えている怪物のような不気味さをはらんでいた。

この中に若者らの母親や誘拐犯本人がいるかはわからない。

しかしこの先に広がっているであろう地下室がただの監禁部屋でないことをアノスは薄々と感じていた。


「ここから先は私一人で行く。お前は戻っていろ」

「信徒の指図は受けない」


 彼の忠告に耳を貸すはずもなく、怪物の口の中へ我先にと飛び込んでいく若者。

地下はさほど深くないのか、彼が地面に着地する音はすぐに聞こえてきた。


「なんにも見えねえ。これじゃ探すどころじゃねえな」

「だったら明かりになりそうなものを探せ。

誘拐犯もこの場所を使っているのならランプかなにかがあるはずだ」

「んなこと言われなくてもわかってんだよ」


 若者に続いて地下へと降りてきたアノスは狭い視界の中、

部屋の全形を把握するため壁沿いに手を当てながら外周を回り始める。

手に触れる直前に視界へ飛び込んでくるのはなにに使うかわからないガラスの瓶や、打ちつけられた大量の紙片。

いくつかのビンには液状、固形状のなにかが詰められており、紙片には細かい字が所狭しと殴り書きされている。

そのどちらもこの暗さの中ではそれがなんなのか、なにについて書かれたものなのかはわからない。

だが少なくとも誘拐犯はやはり単純に逆徒を監禁しているわけではないようだった。


「ざらつきが少ない。上質な紙だな。

よほどの道楽でなければ、この量を個人で用意するのは難しい。やはりヒゲワシの言う通りなのか」


 ゆっくりと歩を進めながら、目的である誘拐犯と騎士団とのつながりを示す証拠を探すアノスは大量の紙片の中に手のひら大の木箱を見つけた。

否、それだけではない。

壁際に置かれた長机の上には大量の木箱が壁のように積み込まれていた。

小さなものは親指ほどのものから、大きなものなら足が丸々収まりそうなものまで多岐にわたる。

その箱一つ一つにも識別のためか一枚ずつ紙打ち付けられていた。


いったいなにをこれほどまで、こんなところで集めているのか。

流石のアノスにも予想がつかない。

箱を開けてみようとも思ったがこの暗がりでこの数を調べるには時間がかかる。

明かりを見つけた後にまた調べようと彼が再び歩き出した時。それは手に触れた。


「なんだ……、これは」


 それは今まで触れたものに比べると明らかに異質なものだった。

壁に打ちつけられるようにしてぶら下がっているのは先の紙片も同じだが、大きさがその比ではない。

少し触ってみるとその物体は両腕で抱えなければならないほど大きい。

そして地下室に放置されていた紙や瓶に比べるとやけに暖かかった。

ほのかに感じる熱にアノスはどこか覚えがあった。


「まさか……」


 体の内側に伝わるささやかなぬくもり。

それは彼が子供の頃エリヤから受け取っていた人肌の暖かさに違いなかった。


「おい、明かりがあったぞ」


 背後から片手にランプを持った若者が近づいてくる。

火がつけられ鮮明になる視界の中で、アノスは自身の触れていたものの正体を知ってしまった。


「まったく、俺は明かりを探したってのお前はいったい……なにを……」


 若者の嫌味もそれを見た途端に尻すぼみになっていく。

確かにこの光景はどんな者でも閉口させうる異常の極致だった。


「母……さん?」


 若者の心に今でも色あせず残っている幼少の記憶。

自分を拾い、なんの見返りも得られないというのに育ててくれた母親たち。

彼をその腕に抱いた三人の慈母は頭髪を削がれ、四肢を切り離されて、まるで趣味の悪い剥製のようにその裸体を晒していた。


「嘘……だろ。こんな、馬鹿なことが」


 若者は彼女たちが死んだと思っているのだろう。

最愛の母親たちは最早この世にいないと考えて悲しみに暮れている。そう思うのが当然だろう。

手足を切り取られ、あげく肩口を杭で打ちつけられたまま生き永らえるものなど普通はいない。

しかしアノスが触れた暖かさは錯覚でもなんでもない。状況はもっと性質が悪かった。


「理屈はわからないが、彼女たちはまだ生きているようだ。それが幸か不幸かはわからんがな」

「なにッ?」


 にわかに信じられない言葉をかけられ若者は母親たちから目を離せないまま聞き返す。


「体も暖かく、顔に近づけば呼吸も聞こえる。意識があるかはともかく、死んでいないのは確かだろう」


 アノスのいう通り若者が顔を近づけると眠っているような規則正しい息づかいが聞こえてくる。

凄惨な手足に反して彼女たちの顔には傷が一つもついていない。

顔を近づければただ安らかな眠りを享受しているだけにも見える母親の姿に、若者はかける思いを見つけられなかった。


「いったいなんでこんなことを……母さんたちがなにしたって……」


 たとえ命が助かっていたとしても、この有様では到底逆徒として生きていくことなどできない。

生きるために盗みを働くことはおろか一人で歩くことさえ叶わなくなってしまった彼女たちに残された道はあまりにも少ない。


「それは誘拐犯本人に直接聞くべきだ。このような行為に至った経緯に私も興味がある。

聞かせてもらうとしようじゃないか」


 アノスは悲観に暮れる若者の脇を抜けながら母親たちが飾られている壁と向かい合うように置かれた机へと向かう。

壁際に設けられた長机とは違いしっかりとしたつくりのそれには大量の紙片や書籍、羽ペンや空のインク瓶が転がっており、

その中に埋もれるようにして一人の男が突っ伏しながら眠っていた。

よほど眠りが深いのか、この騒ぎの中でも目を覚ます気配が一向にない。


「お疲れのところ悪いが、休息は終わりだ」


 アノスは男の髪を掴むとそのまま机から引きずり出す。

突然の衝撃に男は目を覚ますが、もう遅い。

細身の男は軽々と持ち上げられそのまま顔面を地面に叩きつけられた。


 声にならないうめきと鼻の潰れる音が地下室に響き、引きずられた体に弾かれて卓上の紙片は吹雪のように舞い散った。


「目は覚めたな? お前にはいろいろと聞きたいことがある。すべて吐いてもらうぞ」


 叩きつけた男の胸倉を掴み再び持ち上げるアノスは顔を近づけ威圧するようにそう言った。

しかしその言葉を向けられた当の男は髪を掴まれ鼻を砕かれたというのに痛みによる恐怖を全く感じさせない。

そればかりか怪訝そうな表情を覗かせて呆れたような目で見つめ返してくる。


「突然自宅に押しかけてきてその態度とは。人にものを頼むときは相応の順序というものがあるでしょう?」


 このような部屋で生活しておきながら常識を問う細身の男は気だるそうな雰囲気を隠そうともせずに、

あくびすらしながらアノスの声に答えた。その目は狂人のものではない。

彼は至って普通の人間だった。


「あれは、お前の仕業か」

「ああ、あの三人ですか。逆徒には珍しく美人揃いだったのでね、顔は残しておこうかと思いまして」


 浮かべる彼の笑みは絵画や彫刻などの鑑賞物に向けるものだった。

自らが作った作品を誇るかのように満足げな顔をする男に苛立ったのか、アノスはその鳩尾に膝を打ち込む。

さわやかな顔が痛みに歪むが、しかしそれも一瞬だった。


「先ほどから叩きつけたり蹴り上げたりと暴力にいとまがありませんね。

話を聞きたいというのなら、せめてこちらの口を開く猶予くらいくれてもいいでしょう」


 うめき声が苦痛に歪む表情から見て、痛みは確かに感じている。

しかしその痛みが後を引いている様子は全く見られない。

やせ我慢をしているようにも見えず、異常なまでに痛みに鈍感なこの男はなにごともなかったかのように喋り続ける。


「ならば簡潔に聞こう。お前は近頃三層で犯行を繰り返している誘拐犯に違いないな」

「収集家といってください。私はなにも身代金だとかいうくだらないもののためにこの活動をしているわけではありません。そんな人たちと一緒にしないで頂きたい」


 心外だと言わんばかりに不快そうに首を振る収集家を名乗る男。

家に入られ鼻を折られても大した反応を見せなかったこの男が初めて人らしい感情を垣間見せた。


「犯行自体については否定しないのか?」

「ええ、それは私がやったことに違いありませんし、否定する理由もありません。

期待していた結果は得られませんでしたが」


 残念そうにおどけたため息をつく収集家を若者は鬼気迫る視線で見つめていた。

うなだれる中、耳に届いた男の言葉。彼女らをこんな姿にしたのは自分だと彼は言っている。


「ふざけんな。テメェの意味わかんねえ趣味のせいで……母さんたちは」


 とても許せるものではない。行いそのものより、後悔も罪悪も感じていないその声色が許せない。

信徒に情など求めても意味はない。

そんなことは昔から十分にわかっていたが、感情は理屈で動くものではなかった。


 愛する者を最大限に辱められた怒りが若者の心中を駆け巡り、

それをぶつけるべく彼は収集家に近づくと渾身の拳をその顔に叩きこもうとした。

それがなにを解決するわけでもない。

それもわかっていたがそれでも止められないのは若さゆえか、愛ゆえか。


「それはやめていただきたい」


 しかし拳は届かない。突如若者の耳や鼻の穴から彼の血液が吸い上げられるように空中へ飛び出してくる。

事前にヒゲワシから聞いていた通りの吸血のバイスだった。

振り上げられた若者のただでさえ細い右腕が、血を吸われることでミイラのように干からび始める。

腕の感覚が失われていく恐怖に若者はたまらず絶叫した。


「流石に直接逆徒に触られるのは少し抵抗がありますので、そこで大人しくしていてください。

心配しなくとも数日もすれば元に戻りますよ。しっかりと栄養さえ取ればね」


 血を体内へ取り込み、腕を抱えて叫ぶ若者へにこやかに告げながら、

今度は胸倉から手を離さないアノスへと収集家はその視線を向ける。


「動揺もなにもないと見ると、あなたは私のバイスを知っていたようですね。

それでもなお距離を取るでもなく、視線から外れるでもないとすると、

なにかこの力から逃れる秘策でもあるということですか?」

「教える義理はない」

「おやおやこちらに質問ばかりしておいてその言い草はないでしょう。

私はあなたの問いに一つ答えた。今度はあなたが答える番です」


 胸倉を掴まれたまま不敵な笑みを浮かべる男は少なくとも今の状況を対等と見ているようだった。

これは尋問ではなく対談なのだと。しかしアノスにしてみればこちら側の情報を開示する意味など全くない。

この男の生殺与奪はいまだ彼の手に握られているのだから。


「状況がわかっていないようだ」


 アノスは短剣を片手に創り出すとその切っ先を男の肩口に容赦なく突き刺した。

文字通り身を刺す痛みに男は叫び声を上げる。それは正真正銘、痛みによる絶叫だった。

しかしそれだけだ。


「……痛いですね。また暴力ですか。

確かに痛みは他者を従属させるに最も効率のいい手段ですが、同時に欠点も持ち合わせている。

今回に関していえばその選択は間違いですよ」


 再びなにごともなかったかのように喋り出す男は、聞き訳のない子どもを諭すように助言する。

それが痛みを逃れるための詭弁には思えない。アノスは眉をひそめながら今度は短剣を勢い良く引き抜く。

再び苦悶の声を上げる男だが結局は同じこと。


「わかっていただけましたか?」

「ああ、どうやらそのようだ」


 不満げな声を滲ませながらもアノスは短剣を消し、胸倉を掴んでいた手を離す。

男の肩口に空いていた傷口からは一滴の血も流れていなかった。


「どうやらそのバイス。吸血以外にも応用が利くようだな」

「おや、また質問ですか。その分わたしもあなたにお聞きしますからね」


 収集家は穴の開いたままの傷口をひと撫でしながら不敵に笑う。

さすられた刺し傷から蛇のように流れ出てくるのは紛れもない彼の血液。

その鮮血は地に落ちることなく、まるで生物のように男を守るように飛んでいる。


「美しいでしょう、生命を司る赤き血潮は。

私はこの神秘を手懐けるバイソレッドを神に授けられ生まれてきました。

ゆえに、この力で私は見つけなければなりません」


 両手を広げ、芝居がかった口調で自身の血液と戯れるこの男は恍惚とした表情を浮かべながらなにかに酔いしれている。


「見つけるだと?」


 それが誘拐を繰り返していた理由だというのか。

だが新たな問いを口にしたアノスに返ってきたのは答えではなく血液の斬撃だった。


 空中に漂っていた収集家の鮮血が一瞬のうちに凝結しその姿を宙舞う刃へと変貌させる。

狭い地下室の中で身をかわすことはできない。

アノスは素早くその手に刀を形成すると迫る斬撃を切りはらった。


「おや? あてが外れましたね」


 突然の不意打ちを仕掛けてきた収集家は悪びれた様子もなく呆けた顔で首をかしげている。

今の一撃に対処されたことに驚いているのか、それとも他に気になることがあったのか。

追撃を仕掛けるでもなく顎に手を当てなにやら考え込む男にアノスは切っ先を突き付けた。


「語らいに暴力は向かないのではなかったか」

「気になったことを調べる際、最も効率のいい手段を取るのが私の主義なものでして」


 向けられる剣先におびえた様子も見せず、おろか指先でそれに触れながら興味深そうに眉を上げる収集家。

その瞬間アノスは素早く刀を引き払い彼の指を切り落とした。

それはこちらへ全くの警戒を向けない男に対する警告の一太刀。

血を操り出血を押さえようとも完全に切断してしまえば関係ない。そうアノスは考えていた。


「抑えてはいるようですが、かすかに臭う腐臭と血の香り。

その刀は死骸でできているのですね。実に珍しい。初めて見ましたよ。

いったいどこの誰を使って形を成しているんでしょうか」


 しかし切り離された収集家の人差し指は今なお空中に浮かんだまま、切断面同士が血流によって繋がっている。

そして二つを繋ぐ血液の糸は互いに引き合うように結合していった。


「確かにそのバイスを含んだあなたの血を取り込もうものなら、私が内側からやられかねません。

吸血を恐れないのも納得ですね」


 駆動具合を確かめるように完全に切り離されたはずの指を折り曲げる男。

指一本とはいえ筋肉や神経、骨子ごと切断したというのに彼は易々と不自由なく手を動かす。


「血液は全身を巡っている。それを無理やり操れば骨や筋肉などなくとも体を動かせるというわけか」


 その言葉に収集家は意味深に笑う。再び攻撃に転じるわけでもない彼の真意がアノスには全く理解できなかった。

昨夜相対したヘイツとは性質の異なる恐ろしさを前に、彼はゆっくりと男の動向に目を光らせる。


「私はかねてより信徒と逆徒の差異について研究を重ねてきました。

私たちと彼らの能力の有無はなにによって決められるのか、神はどのようにして我々を作り分けたのか」


 アノスは構えを解かぬまま、饒舌に語る収集家の首元を見つめつつ彼の言葉に耳を傾けていた。

この男から得られる情報を聞き逃すまいとしながら、彼の弱点とふんだ部位を確実に断ち切れる間合いを計る。


「その過程で多くの人間を見てきました。

信徒、逆徒を公平に。身体のつくりから、その精神構造まで余すことなく調べ尽くそうと決めていました。

まあ、その方針は上に認めてもらえず、結果を出せぬまま私は騎士団を追われたのですが」


 誰に聞かれたわけでもない身の上話を語る収集家はかつての人生を懐かしむように目を細め切なげに口をつぐむ。

唐突に彼の口から騎士団との関係がほのめかされ、アノスの集中がわずかに揺れる。

それは動揺とも言えないかすかな意識のぶれ。

偶然か必然か、収集家の動きは取れと全く同時だった。


 先ほど開けられた肩口の傷から血潮の矢が二本連続で打ち出される。

初激で防がれた不意打ちが二度目に通る道理はない。

先ほどと同じように刀で矢を切りはらうアノスだったが、攻撃はそれにとどまらなかった。


「ですがそれまでの研究の中で得たものはゼロではなかった」


 右腕に流血の刃をまとわせた収集家が続いて放った三本目の矢と共に肉薄する。

得物を手に持たず体そのものと結合させるその戦闘スタイルは彼の物腰に似合わない野性的なものだった。

腕の延長に伸びた刃の軌道は比較的予測しやすいが、その分剣戟に乗せられる総重量は並のものではない。


「それは本当にバイソレッドなのですか?」

「……どういう意味だ」


 刃をせり合わせながら互いの視線を正面に受け合うアノスと収集家。

力ではアノスに分があるはずだが矢の迎撃で姿勢を崩された影響が一瞬の拮抗を生んでいた。


「そのままの意味ですよ」


 要領を得ないことばかりをのたまう収集家は、次第に振り下ろした刃を押し返されながらも歓喜の笑みを崩さない。

今にも断ち切られそうな鮮血の刃。

これを突破されれば次は心の臓腑に刃が届きうるというのに、犬歯を剝き出しながら打ち震える心と声で彼は口にした。


「あなた、本当は逆徒なんでしょう?」


 その瞬間収集家の刃が完全に断ち切られる。

死骸の刀が血潮の刃を上回り、そのまま振り下ろされる剣閃は確実に男の体を分断するはずだった。

しかしアノスの剣は動きを止める。否、止められたのではない。止めてしまった。

先ほどとは全くの正反対。これは動揺ではない。

そんなものでは収まらぬほどの衝撃が彼の全身を駆け抜けていた。

その隙を狙って打ち出された蹴りを防ぐ余裕もない。


 狭い地下室の中を吹き飛ばされるアノスは対角線上にあった木箱の山を壊しながら壁に激突する。

完全に無防備な体制で見舞われた一撃に受け身を取ることもできず、彼は後頭部を打ち付けその場に倒れ伏した。


「その動揺を見るに、どうやら本当だったようですね。

いやはや、身に着けた技術はいつ役に立つかわからないものです」


 痺れる右腕を振るいつつ、収集家はその指にはめた指輪をかかげる。

ほのかに赤く発熱するその指輪を彼は満足げに見据えると、ゆっくりとした足取りでアノスへと近づいていく。


「これは信徒と逆徒を見分け、掌紋を焼きつける聖石を模した指輪です。

小型化とさらなる普及を目指してずっと以前に作っていたのですが、

この通り肌を焼くほどの熱量を持たせることができませんでした。

結局実用化は諦め、私が分類を間違えないよう個人的に使っていたんですよ」


 そう言って彼が指さすのは吹き飛ばされたアノスの下敷きになっている大量の木箱。

壊れた大小さまざまな箱の中には切断された手足や目玉などが収められており、

打ちつけられた紙片には日付と状態の説明、

そしてその部位が信徒と逆徒のどちらのものであったかが書かれていた。


「左腕を切り取ってしまえば信徒も逆徒も見分けがつきなくなりますから、この指輪は便利でしたよ。

ですが、まさかあなたのような特異な方を見出す一助になるとはねえ」


 先ほど自分の胸倉を掴むその手に触れた時、逆徒に反応するはずの指輪が鈍く光った。

だから彼は逆徒であるアノスがどのように自分のバイスを防ぐのか確かめるため初激をはなったのだ。


「私の予想に反し、あなたは死骸の形成という能力を使った。

これでは私の指輪が間違っているのか、あなたが本当に能力を使う逆徒なのかわからなかったのでカマをかけたんです」


 その結果が現状だった。心乱されたアノスは地に伏し、収集家はそれを悦に浸った様子で見下ろしている。

それは求めていたものにようやく出会えた歓喜に打ち震える表情、

ソラハと初めて出会ったアノスが見せたものと同様の狂喜だった。


「ああ、嬉しいですね。そして同時に腹立たしい。

十年前私たちが死に物狂いで探し、創ろうとしていた存在が今になって『偶然』姿を現すとは」

「……なんだと」


 探し、創ろうとしていた存在。揺れる頭の中で反響するその言葉にアノスはゆっくりと立ち上がる。

その口ぶりは自分のような存在を以前から認知していたようですらあった。


「私たちはあなたのような存在がいずれこの国に生まれることを知っていたのですよ。

神の記した預言書の外典。その真偽を確かめるために身を粉にして日夜働いていたのですから」

「……預言書、だと?」


 それはアノスが手に入れたエリヤに繋がる唯一の手がかり。それをなぜこの男が知っているのか。

それまで上層へ行く手段の一つとしか見ていなかった目の前の男にアノスは驚愕の目を向ける。

それはソラハとの出会いと同じく、実に都合のいい『偶然』だった。

ソラハと出会い、その父親から預言書の話を聞き、それにかかわる者に今、意図せずして対面している。

こんな偶然の連続がたったの二日間で起こっている。


「神はよほど私に大望を遂げてほしいようだな」


 見えぬ力が自分の周囲に働いてる。

その確信は遥か昔からアノスの心に根づいていたが、

この数日はそれを感じさせられる頻度が尋常なものではなくなっている。

いったい神が自分になにをさせようとしているのか。

糸で身体を操られているような不快感を覚えながらも、目の前に吊り下げられた餌に食いつかずにはいられない。


「答えろ。預言書とはいったいなんだ」


 刀を地面に突き立て、揺れる視界に頭を振りながら立ち上がるアノスはヒゲワシの依頼も忘れてたった一つの答えを求めて問いを投げる。


「……私のバイスのことといい。あなたには優秀な情報源があるようですね。

ですがあいにくとお教えすることはできません」


 再び腕に血の刃を創り出しながら悠然と近づいてくる収集家はここにきて対話を拒否した。


「騎士団の機密保持など私にはどうでもいいことですが、この情報は神の信仰をそのものから揺るがしかねないものです。

大衆にさらされることは阻止しなければなりません」

「ならば……力づくで聞き出すまでだッ」


 エリヤの手がかりを前にして自重できるほどアノスは聞き分けのいい人物ではない。

言葉巧みに話術を操り情報を聞き出せるほど器用でもない。ゆえの強硬手段。

最も嫌う神に与えられた力で彼は収集家へと迫る。

地面から引き抜いた刀はその剣先から枝分かれのごとく分裂していき対象を捕縛するべく触手を伸ばしていく。

切りつけても意味がないというなら縛り上げるまで。

駆けるアノスと並走するように伸びていく束縛の縄は収集家の手足に巻き付かんとその手を伸ばす。


「無駄ですよ」


 しかし触手が体を縛り上げようとした瞬間、

全身の血管を突き破り吹き出してきた大量の血液が壁を作りそれを阻害する。

触手は血潮の壁ごと収集家を拘束しにかかるが隔壁を破るまでの一瞬が致命的だった。


「強度では敵いませんが、形成速度は私の方が上のようですねッ!」


 巻きつく触手の隙間を限定的に液状化させ、彼は血の防壁をすり抜け反対にアノスへ攻撃を仕掛ける。

瞬時に刃を見に宿らせて疾走と共に振り切る斬撃は片腕を刈り取ろうと風を切りながら一直線に迫りくる。

拘束のために死骸を使った今、彼の手に刀は持たれていない。


「あなたは貴重なサンプルになる。これは大切に保管させていただきますよ」


 収集家の振りぬいた血潮の刃は狙われた右腕をかばうように差し込まれたアノスの左腕を肘の先から完全に切断した。

なにもしなければ利き腕を肩の先から失っていただろう。

しかし代わりに失ったものもあまりに大きい。


「やはり扱える死骸には限度があるようですね。

しかし随分と思い切りのいい人だ。普通の人間ならまず選べない。

あなたが向う見ずな、ただの逆徒だったというなら話は別ですがね」


 収集家は切り飛ばした片腕を空中で掴み取る。

悲鳴を押し殺すように歯を食いしばり息を荒げるアノスを彼は感嘆と皮肉混じった視線で見つめていた。

本来であれば地下室の床をすべて染め上げるほどの出血が腕からあふれるはずだがその様子はない。

触手を消し、右手に刀を握り直すアノスは血の流れない己の腕を一瞥した。


「言ったでしょう。あなたは貴重なサンプルだ。

決して殺しはしませんし、余計な血を消費させることもしません。

願わくばその手に握った武器を捨てて投降していただけるとありがたいのですが……」


 柔らかな笑みを浮かべて、友好を示すかのように収集家は腕を奪ったその手でアノスに手を差し伸べる。

片腕を失った今、その重心は非常に不安定な状態にある。

出血が避けられようとも、それまで左右均等だった体の総重量が劇的に変わってしまった今、

立っているだけでも精一杯だった。

しかし、それでもアノスは降伏の意志を見せることなく刀を構え続ける。


「さっきの言葉をそのまま返しましょうか。『状況がわかっていないようだ』。

あなたの出血を押さえているのは私のバイソレッドです。

その出血量は私の意志一つでいかようにも操作できる。

抵抗しても無意味な血を流すだけですから、ここは利口になってくれませんか」


 柔らかな口調とは裏腹にその内容は否応もない脅迫だった。

生殺与奪を握られた者はなにを言われようとも逆らえない。

それがアノスのように死ねない理由を持つ者ならなおさら。

ここに二人の戦いは決着を見たかに思えた。


「そうすれば私も彼女たちの仲間入りになるわけか」


 しかし、それでも、アノスは刀を手放さない。

隻腕となったその体では勝ち目などないというのに彼の瞳から闘志は消えない。

その目に敗北を悟った兆しはなかった。

それは今なお己の勝利を確信していることの証であり、忌まわしき神に向ける歪な信頼でもあった。


「手足をもがれ、口を結ばれ、死ぬこともできない。そんな地獄を私はよく知っている。」


 たった今片腕を切られたばかりであるが、

まるで遠い昔に経験したかのような口調で語るアノスに収集家は訝しげな視線を向ける。


「あなたには不明確な点が多すぎる。この能力をどこで、いつから手にしていたのか。

戦闘技術をどこで身に着けたのか。今まで見てきた逆徒にはいなかった事例ですからね。

どうか答えてくれませんか。あなたはその力をいつどこで、どのようにして手に入れたのです」


 どうにも不自然な態度は自身が得た力によるものなのか。

死骸を意のままに操るという、今まで見聞きしたことのない能力。

その出自は収集家がなんとしても聞き出したいことだった。


 そんな彼の問いにアノスは妙な笑みを浮かべる。

それはまるで過去の笑い話でも語ろうとしているような顔だった。


「死を覚悟した。己の命が尽き、もう生きていられないと、そう思った時だ。

『たったそれだけで』この忌まわしい力は私の身体に根を生やした。馬鹿馬鹿しいことにな」


 自虐でもするかのように呆れた口調でそう口にするアノス。

逆徒でありながら力を手に入れたその経緯は土壇場の運。

つまるところただの偶然だとのたまった。

それを冗談かなにかだと思ったのか収集家は額に手を当て、芝居がかった大袈裟な手ぶり身振りで嘆いてみせる。


「よくもまあ、そんなデタラメを口にできますねあなたは。

死を覚悟した逆徒などこの王都にごまんといますよ。

彼らが皆あなたのように力を手にしているとでも言うつもりですか」

「実際に私が手にしたのだから仕方がない。

文句があるならそんな場面でこんなものをよこした神に言うんだな」


 一貫して主張を変えないアノスの態度に収集家は深くため息をつく。

数多くの実験によって理屈を追い求めてきた彼に、偶然という答えはとても認められるものではなかった。


「いいでしょう」


 吹っ切れたように言い放ち、アノスへ腕を向ける彼はその指先に力を込める。

求めて止まなかった研究個体を騎士団に独占されないためにも、収集家はなんとしても彼を手中に収めようとしていた。


「不本意ではありますが仕方ありません。少し血を流せば考えも変わるでしょう。

あなたの血潮、もらい受けますよ」


 いまだ抵抗の意志を崩さないこの男を説き伏せることはいよいよ不可能だと悟った彼は強硬手段に出る。

限りなく自然な状態でアノスを捕獲したかった彼にとって、これは苦渋の決断だった。

発動していたバイスをゆるめ、切断面からの出血を加速させようとした、その瞬間だった。


「ああ、くれてやる。せいぜいよく調べることだ」


 収集家が手に持っていたアノスの左腕が突如はじけ飛ぶ。

内側から破裂するようにして拡散する腕の破片は、鋭く硬質化し彼の顔に降り注ぐ。

突然の反撃に成す術もなく、収集家はガラス片を打ち出されるような面攻撃を正面から受けることになった。

破片は鋭くも小さく殺傷能力事態に脅威はない。

しかし一瞬彼の目を閉じさせ、視界を奪いには十分な威力だった。


「馬鹿なッ……この腕はッ」

「お前も言っただろう。私がなにを操るのか」


 命亡き者。血の通わぬ者。それすなわち屍であり死骸。

身から切り離された腕が彼の力によって再び動き出すことはまさしく道理だった。


 聞こえてきた声がする方向へ収集家はとっさに壁を築く。

自分が創りだせる最高硬度の血晶壁。これならば死骸の剣戟を遅らせられると考えて。

しかしその考えが間違いだったことを彼は思い知ることになる。


「お前に私は止められない」


 振り下ろされる刀は爆散した左手を吸収しながらその形状を変化させていく。

攻防一体を担っていた死骸の刀身は外圧を受けるように薄く引き伸ばされ、完成したのは厚みが著しく小さな異形の刃。

腹の部分に衝撃を加えられただけで容易く砕けてしまうであろうその薄さはまさしく諸刃の剣だが、

目の前の圧壁を断ち切る分には関係ない。

むしろ極限まで圧縮した刀の切れ味は先ほどまでとは比べ物にならないほど上昇している。

放った斬撃が血晶壁を容易に両断したのは必然だった。


「そこでじっとしていろ」


 防壁を失い無防備を晒している収集家を前にして、アノスは形状を元に戻した刀をすぐさま彼の腹部に突き刺す。

腹を貫通した刃が壁を貫き、収集家は自身が壁に打ちつけた紙片や逆徒たちのように拘束された。


「これは……驚き、ですね」


 視界を奪われていた収集家には、いったい何が起こったのかわからない。

わかっているのは渾身の防御壁を容易く突破され、

自分の体が趣向返しのように壁に打ちつけられているということだけ。

血流を操れようともこの拘束から逃れる術はなく、収集家は驚きと共に称賛の声をアノスに向けた。


「素晴らしいッ! あなたの操る死骸はあなた自身さえも形作れるということですか、

そればかりは予測がつきませんでした」


 すでに刀へと収束していた左手は、アノスの元に還元されている。

慣れたように死骸の左腕を肌の色に擬態させる手際を見るに今回が初めての試みというわけでもないようだった。


「あなたの体は、どこまで死骸にとって代わられているのですか? 

その左腕だけというわけではないでしょう? 

それは不老不死すら可能にする力ですよ、わかっていますかッ?」


 それは命乞いではなく、バイソレッドを研究してきた者として抑えきることのできない激情の奔流だった。

擬態した死骸は本物の腕と全く見分けがつかない。刀から臭いたっていた腐臭の類も感じられない。

これでは全身がすべて死骸でできていると言われても不思議ではなく、

その可能性がなにを意味するのか収集家は興奮気味に語っていた。


「腕が切られようと、目玉をくりぬかれようと、死骸を寄せ集めれば、それが新たな肉体となる。

バイスによって作られたものならば、時の経過で肉体が衰えることもない。

精神が続く限りあなたの身体は不滅だ」


 羨望とさえ言える眼差しを受けながら、苛立つようにため息をつくアノス。

自分の力をここまで分析されたのも、恐怖ではなく憧れの目で見られたのもこれが初めてだった。

そして肯定の目がどれほど腹の立つものか理解したのも、同じくこの日が初めてだった。


「不滅の身体だと? 笑わせるな」


 まるで自分を全能の存在のようにもてはやす収集家。

アノスは胸に突き立てた刀を握りしめ、柄まで貫き通さんばかりに押し込めながら、胸中に渦巻く怒りを静かに揺らめかせていた。


「これは神が私に投げてよこした、ただの玩具だ。

人間という稚児に暇つぶしで与えただけの道具。そんなもの、不滅の身体でも何でもない」

「随分と独特な感性をお持ちのようですね。

強大な力を与えられたのなら、普通はそれを誇らずにはいられないものですが。

まあ、確かにあなたは普通ではない」


 逆徒でありながら特異な能力を使うことができる。

そんな男が一般的な信徒と同じ信仰を持つというのがそもそも考えにくいことだった。

アノスというこの逆徒がどのような道を歩んでここまでやってきたのか。

収集家の疑問は尽きないが、今は到底それを追求できる状況ではない。


 突き立てられた刀から手を離したアノスは仕切り直すように一呼吸置くと、高ぶりかけた感情を抑えながら改めて追及にかかった。


「もう一度聞いてやる。預言書とはいったいなんだ。

俺のような存在を知っていたのにもそれが関係しているのか。エリヤの死はそれが原因なのか」


 十年前。家が燃えエリヤが死ぬ直前まで関わっていたという謎の書物。

否、書物であるかどうかもわからないまったく未知の代物。

自分に宿った力のことよりも、今はその正体を知ることが先決だった。


「エリヤ?」


 しかし収集家が反応を示したのは預言書そのものではなく、エリヤの名前だった。

不意に頬をはたかれたかのように呆ける彼だが、次の瞬間には得心が言ったようにその頬をつり上げる。


「まさか、彼女を知っているのか」


 預言書と騎士団にかかわり、

なおかつエリヤの名を知っているのだとしたら彼女の死の真相についてなにか知っている可能性がある。

壁に突き刺されているにもかかわらず収集家の笑みは止まらない。

それどころかその笑いは食いしばる歯では抑えきれないほどに大きくなっていく。

腹に刺さった刀は爆笑に揺れる体の傷を容赦なく広げていき、

その実動揺しているのか、バイスで抑えられていた出血が少しずつ傷口から漏れ出していた。


「こんな、こんな間抜けな話はないッ! 

あれほど探求し続けた答えがすぐそばにあったことに私は気づかなかったッ!」


 肩を震わせながら自嘲めいた言葉を口にする収集家。

アノスの質問が聞こえていないのか、それとも聞こえたうえで無視しているのか。

両手で目元を覆い、笑いながら何事かを嘆く姿は、とてもまともな会話ができる状態とは思えなかった。

しかしそんなことはアノスの知ったことではない。


「知っているならば答えろッ! 

預言書がなにか、エリヤがなぜ殺されたのか、その目玉を抉られたくなければ言ってみろッ!」


 なおも騒ぎ立てる収集家にしびれを切らしたアノスは顔に当てられていた彼の腕を引きはがすと、指でまぶたを強引に見開かせた。

この状態で体重を指先に沈みこませれば収集家の眼球は弾けて体外へ摘出されることになる。

視界の半分を人質に取られた収集家は見開かされたその瞳で自分を睨みつけているアノスを凝視していた。

まるで足先から頭頂部まで舐めまわすように。


「そうか、そういうことか……」


 圧迫され、膨らむ眼球をしきりに動かしながら、次第に落ち着きを見せていった収集家は言った。

感激に打ち震える手でアノスの腕に触れながら。


「あなたは……被検体の生き残りだったんですね」


 その言葉を口にしている時、すでに収集家は動き出していた。

目元に当てられたアノスの腕に彼は掴みかかると、その指を自身の眼球へ強く押し込んだ。

左の眼球が破裂し吹き出す血はアノスの顔面に飛び込んでくる。


「くッ!?」


 抵抗こそすれど、自ら目玉を潰しにかかるとは思っていなかったアノスは不意を突かれながらも、

浴びせかけられる血液を後方へ飛び去りながら回避する。

それは最後の賭けだったのか、半分の視界を犠牲にして繰り出した攻撃は不発に終わった。


「計画が凍結された時、それまでのサンプルはすべて抹消されたはず。

私もだいぶ抵抗しましたが、まさかあの女が研究成果を保管していようとはね」


 しかし収集家は決死の攻撃が空振りに終わったというのに不敵な笑みを絶やさないままでいる。

刺さった刀を抜く様子もない。


「研究成果? エリヤがお前のような実験でもしていたかのような口ぶりだな」


 アノスの記憶に残っている穏やかな母親の姿は研究者のイメージにはまったくそぐわない。

優しく、そして時に厳しかったエリヤがこのような男と同類であるはずがない。

そう彼は考えていた。


「それはまあ、彼女は私の同僚でしたからね」


 しかし収集家の言葉はアノスが抱いていたエリヤのイメージを破壊する。

騎士団は逆徒に対し非情な思いを持った者の集まり。

その中に自分を愛し、逆徒を一人育てていた母親が籍を置いていたなどと、にわかには信じられなかった。


「……同僚、だと?」

「不審死の件は耳にしていましたが、まさかこんな置き土産を残していくとは。彼女も随分と味な真似をする」


 過去を懐かしむように目を細める収集家を前にしてアノスは心の内に震えるものを感じていた。

悲しみなのか、焦りなのか、怒りなのかもわからないそれは、自身の秘密を看破された時に感じた動揺ともまた違う。


「戯言をぬかすな」


 胸中で煙のように流動するものの正体がわからないまま、彼は苛立った声で収集家に一歩近づいていた。


「嘘ではありませんよ。彼女は人に好かれやすい女性でした。

皆のやりたがらない研究に率先して参加してくれることも多かったですね。いやはや懐かしい」


 片目の潰れた顔で思い出にふける彼に向けるアノスの視線は嫉妬に染まっていた。

自分を愛してくれた、愛おしいエリヤ。

そんな自分が知らない彼女との思い出を目の前の男が語っていることに彼は我慢ならなかった。


「その口を閉じろ」


 アノスは収集家の元へ再び足早に近づいていく。

一刻も早く彼の語りを止めるため、一刻も早く彼に虚言を認めさせるために。

しかしその足は弾けた目玉の血だまりを踏みつけたところで静止する。否、静止させられた。

踏みつけた血だまりは強力な粘液のように彼の足裏と地面を接着している。


「なんのつもりだ」


 粘液は強力なものだが、男一人を完全に拘束するほどの力はない。

力強く踏ん張れば引きはがせてしまうだろう。

そんな姑息な手を今さら意味もなく収集家が使用するはずもない。


「保険だよ」

「保険?」


 いまだ収集家は壁に固定されており、彼のバイスを知ったアノスに油断はない。

血液を操り攻撃する性質上、体の機微にさえ気を回していれば彼がその発動を見逃すこともない。

攻め手を失い拘束された今の収集家がなにに保険をかけるというのか。

それは彼の開口とともに明らかとなった。


「切り札が不発に終わっては困るでしょう?」


 瞬間、地下室全体からガラスの割れる音が響き渡る。

それは壁際に木箱と同じく並べられていたガラス瓶が弾け飛んだ音だった。

そしてその中からアノスめがけて次々に飛来してくるのは赤き鮮血。

瓶詰めされ保管されていた収集家の血液だった。


 粘液で固定された足では高速で迫る結晶の槍を躱すことはできない。

アノスは破裂音と同時に自身を半球状に囲む壁を形成すると、

全身を串刺しにせんと閃光のごとく向かってくる刺突攻撃を耐えにかかる。

しかし防御に回した分だけ攻撃に使った力が失われるのは避けられない。

刀を形成していた死骸の大半を防壁に回したことで、もはやその拘束力は失われていた。


「この攻撃も防がれるとなると、流石に私一人ではどうしようもありません。

あなたという存在を本日手に入れられないのは残念ですが、いずれあなたの身体は私が貰い受けます。

その時まで、あなたの秘密は口外しませんので安心してください」


 降りしきる槍の豪雨の中で飄々とした収集家の声が徐々に遠ざかっていく。

離れていく背に手を伸ばすこともできず、アノスは勇み足を踏んだ自分を呪いつつ歯噛みした。

物事を見極めるには何事にも動じない冷静さが必要だというのに、彼はいまだその域に達しきれないでいる。

彼が求めて止まないエリヤこそが彼の弱点そのものであるがゆえに。


「情けない」


 アノスは得られるはずだったものを取り逃がしてしまった後悔に暮れながら、

徐々に弱まっていく血雨の衝撃を防壁にあてた手のひらに感じていた。


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