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持たざる者からの宣告  作者: 大悪紅蓮菩薩
10/27

集める者-3


 アノスがホールを出てしばらくたった後。

それまで遠巻きに覗いているだけだった子どもたちがゆっくりとソラハに近づいてくる。

膝を抱え入り口を眺めていた彼女はその接近に気づかず、急に視界に入ってきた少年に驚きの声を上げた。


「ど、どうしたの? まだ聞きたいことがあった?」

「そうじゃなくて、パルマがあんたを案内しろって言うからさ」

「あなたもここで暮らすんでしょ? お母さんが家に帰るまでわたし以外男の子ばかりだったから、大歓迎」


 なにやら不満そうな声で案内をかって出る少年と、同姓の仲間ができたことに声を弾ませる少女。

双方ともに先ほどとは正反対の反応を見せていることがおかしく、ソラハの表情は自然と綻ぶ。


「二人は姉弟なの?」

「違うけど、先にここにきたのはおれだよ」

「一緒に連れてきたって前にお母さんが言ってたけど、姉弟かどうかはわからない」


 ソラハの質問に二人はちぐはぐな答えを返してくる。

しかし浮かんだ言葉を反射的に口にしているような少年と比べると、少女の方に信憑性があるように思えた。


「どこを案内してくれるの?」

「食べるところとか、体を洗うところとか、寝るところとか、いろいろ」

「わたしたちがどんな風に暮らしているか見てもらえって、パルマが言ってたから」


 そう言うと二人はソラハを急かすように彼女の両手を引っ張る。

膝を抱えていた腕を引きはがされ、舞台裏の扉へと連れていかれた少女をボラルは伏せていた体を起こしながら見つめていた。


 他の部屋に比べ、いくらか清潔さを保っていた食堂や、

穴の開いた天井に大きな古桶が置かれた浴室などを案内されたソラハは、その最後に皆が眠る部屋だという寝室へと通された。

以前は舞台に上がる役者や演奏家が使っていた部屋だったのだろう。

他よりも一回り大きいその部屋には皆が集めてきたのであろう穴の開いた毛布が贅沢に敷き詰められていた。


「ここが寝るところ。少し寒いけどみんなでくっついていればあったかいよ」

「この黄色のやつはおれのだから、勝手に使うなよな」


 他のものより少し小さな黄色地の毛布を抱きかかえながら少年は釘をさすようにソラハを指さす。

その様子が微笑ましく、また柔らかな笑みを浮かべながら少女は近くにあった毛布を一枚手に取ってみる。

薄く擦り切れ、寒さを凌ぐにはいささか頼りないように思える。

しかしその使い古された生地からはなんだか暖かいものが宿っているように思えた。


 逆徒であると蔑まれた者たちが一つに寄り集まって夜を乗り越える。

父親と暮らしていた時には目にしなかった光景はとても素晴らしいことのように彼女には思えた。


「でもこれは、向こうが透けて見えちゃってるね」


 手に持った毛布を掲げてみるとその向こう側の景色がぼんやりと見えてしまっていた。

流石にこれでは防寒の役目は果たせないだろう。

そんな考えは贅沢なのかもしれないと乾いた笑いを少女が浮かべていると、

毛布の端に小さな刺繍がつけられていることに気がついた。

糸を縫い合わせてつくられた文字を組み合わせているそれはなにかの名前のようだった。


「あ……ぼーふ……? ねえこれはここの誰かの名前?」


父親から字の読み方を一通り教わっていたソラハは、初めて聞くその言葉の意味を聞くべく子どもたちに声をかけた。

しかし子どもたちにその文字を見せても彼らは不思議そうな顔をするばかり。

ソラハがなにについて質問しているのかがわからない様子でお互いの顔を見合わせている。


「そいつらに文字なんて読めねえし、そもそも俺らに名前なんてねえよ。

名乗れるのはリーダーのパルマだけだ」


 その時、部屋の端に積まれていた毛布の山から出てきたのは、アノスとの協力を拒否していた若者だった。

先ほどの一件で機嫌が悪いのか、単に目覚めが悪いのか、

眉にしわを寄せ酷い目つきをしている彼はうめき声を上げながらゆっくりと立ち上がった。

体を動かせないはどではないが、彼もまたアノスとの戦闘で消耗したままだった。


「リーダーしか名前がないって、どういうこと?」

「そのままの意味だよ。名前ってのは自分と他人を区別するもんだ。

一心同体の俺らには必要ねえってことなんだろ」


 一心同体ゆえに自他を識別する名前を持たない。

一件彼らの団結を象徴する美しい習慣のようにも思えるが、

それを受け入れてしまうことには言いようのない抵抗感があった。

つけられた名前には意味がある。『耐える者』と父に名づけられた少女は彼の想いを背負って生きている。

逆徒として生まれても信徒の蔑みに負けず生き抜いてほしい。

そんな父親の願いを託されてソラハは生きている。

その名の消失は託された願いの消失を意味し、それを彼女は自然と悟っていた。


「……あなたたちはそれでいいの?」

「別に構わねえよ」

「ここじゃみんなは平等だから」

「特別扱いはいけないんだ」


 なんでもないことのように頷く若者の隣で二人の子どもたちも首を振る。

それは自己の喪失ともいえる現象だった。

彼らは自分と他者を同一価値と考え、自信の唯一性を失っている。

あるいはそれこそが逆徒という存在を集団で生かす方法なのか。

それまで暖かなもののように思えていた彼らの一体感が急に不気味なように見え始める。

否、そうではない。ソラハは生まれて初めて、人を哀れだと思ったのだ。


 父を想う心も、アノスに感謝する心も、自分がなければ始まらない。その自分を失いたくない。

ソラハはこの時、天秤に乗せた自分という存在に、少しの重みが加わったことを感じていた。


「もしかして、私がここで暮らすようになったら、私の名前もなくなるの?」

「当たり前だ。特別は団結の和を乱すからな」

「みんなやることは同じだから、不便なこともないよ」

「そうじゃないのはパルマが決めることだから、大丈夫」


 パルマ。この集団で唯一名前を持った人物。

他の者たちに名を名乗ることを禁じたのも彼なのだろうか。

逆徒たちをまとめる者として生きる彼が、なにを思って自分を迎え入れようとしたのか。

ソラハは急に恐ろしくなった。


「おい、気分でも悪いのか?」


 青ざめだしたソラハを心配する若者。彼らは名無しの仲間であれば平等に心配するのだろう。

今日初めて出会った者であろうと、長年連れそった者であろうと。平等とはそういうことだ。


「平気。少し外の空気を吸えば大丈夫だから。ちょっと行ってくる」


 一刻も早く彼らから離れたかった。

皆が皆、同じような心配の視線を送ってくるこの部屋から、

皆が皆、同じ心を持たされているこの場所から。


「どうした? 案内はもう終わったのか?」


 そうして部屋の扉を開けた時、待ち構えるように立っていたのは逆徒たちのリーダー、パルマだった。

野太い声を出し、口端を上げながら、その瞳で小さな少女を見下ろしている。

先ほどまでなにも感じなかったその瞳に、今では不穏なものが漂っていると思えてならないのは彼女の気のせいなのか。


「少し気分が悪いんだってさ。外の空気吸ってくるって」

「ほう、それは大変だ。俺がついていてやろう」


 話を聞いたパルマはソラハの腕を掴むと、引きずり込むように部屋の外へ出した。

その強い力に少女は苦悶の声を上げる。


「悪いがそのまま出かけてくる。二人の世話は頼んだぞ」


 扉を閉める際に若者へそう伝えると、彼は少女の手を離さずに早足で進んで行く。

握るその手に宿る想いに善意や優しさは感じられなかった。廊下から舞台裏へ。

舞台袖から入口へ。そしてそのまま外へ出ても彼の歩みは止まらない。

誰かに見られることを警戒するように周囲をしきりに見回しながら、パルマは迷路のような路地の角を迷いなくいくつも曲がっていく。


「あの、パルマさん。もう大丈夫だから、離して」


 帰り道もわからなくなり、不安を内に隠せなくなったソラハはいまだ歩みを止めない彼の腕を引きはがそうとする。

しかし少女の細腕では屈強なパルマの腕は外せない。

その腕は不自然なほどに力強く、仲間の逆徒と比べても彼は立派な体つきをしている。

女たちがいなくなった分の余裕ができたとはいえ、これほどまでになるものなのだろうか。


「いや、離すわけにはいかねえ。近頃ため込んだ食料も底をついてな。もう一人必要になった」

「……必要?」


 言葉の意味がわからずにソラハは困惑する。この男は少女になにを求めているというのか。

彼女には飢えを満たす力も、食べ物を見つけてくる力もない。

しかしパルマは混乱しているソラハを一瞥し、気まずそうに目をそらすだけでなにも答えようとしない。

良心の呵責に耐えているようなその様子に、少女は迫る危機を感じ取っていた。


「わたしをどこに連れてくのッ!?」


 叫ぶ声にパルマは答えない。人気のない道を選びながら、足早に路地を駆け抜けていく。

なにかに怯えているのかその息づかいは次第に荒くなっていった。

「……ついた」


 三層の端を辿るようにして歩いてきた彼がようやく立ち止まったのは、ねぐらから遠く離れた廃れた一軒家だった。

周囲の家々は長年手入れもされていないように朽ち果ており、付近で人が暮らしているような気配はない。


「ここは、なんなの?」

「お前をここで引き渡せば、見返りがもらえる。逆徒を連れてくればその分の食料がもらえるんだ」


 絞り出すように話すパルマは懺悔でもするかのように少女へと目的を告げる。

見知らぬ逆徒を引き込もうとしたわけを。

それは少女を犠牲にしようとしている罪悪感と、

仲間を食わせていかなければならない責任感がせめぎあう中、こぼれ出てしまった言葉なのだろう。

ソラハもその不穏な声を耳にして抵抗しないわけにはいかなかった。


「引き渡す? それってどういうッ」


 引きずられる力に全力で抗いながら、少女は自分がこれからなにをさせられようとしているのか聞き出そうとする。

その声に良心が煽られるのかパルマは押し殺していた苦悩を吐露するように口走る。


「取引を持ち掛けられたんだ。生きた逆徒を差し出せば食料をもらえる。

十日は優に暮らしていける量だった。仲間を食わせていくにはその話に乗るしかなかった」


 それはとても奇妙な話だった。

いったいどこの誰が国の嫌われ者である逆徒に交渉など持ち込むのだろうか。

そもそも逆徒を欲するなどという交渉人の考えがそもそも異端なもの。

希しくもそれはアノスたちが追っていた誘拐犯の犯行と似たものであった。


「まさか、ここって」

「あいつはお前たちを実験に使うって言ってたが、詳しいことは知らん。

でもお前が本当に逆徒なら殺されはしないだろ。そうだ、なにも殺されるわけじゃない。

少しの間捕まるだけさ」


 殺されさえしなければ問題ない。死なせさえしなければ罪の意識に捕らわれる必要はない。

そんな自己暗示をかけるように、パルマは良心をかなぐり捨てると家の扉に手をかけようとする。


「いやだ……」


 捕まるだけ。そう聞いたソラハは、父を助けに行った時に見た逆徒たちのことを思い出していた。

牢屋の中で誰にも会えず、誰とも話さず、救われることも、逃げ出すことも諦めてしまっていた彼らのことを。

誰にも害されず、誰にも蔑まれない空間を約束される代わりに、なにもできないことを決定づけられた者たち。

床に寝そべり身じろぎすらしなかった彼らの姿を、死体とさえ見間違えた彼らの姿をソラハは思い出していた。


「いやだッ」


 生きるとはどういうことなのか。目を開き、心臓が動いていれば生きるということなのか。

他者の言うことに追従し、自分の思考を持たない者も生きていると言えるのか。父は言った。

自分のために、人として生きろと。はたしてこの家の中で、あの監獄の中で、その想いを叶えられるのか。


「お前が必要なんだ。わかってくれッ!」

「いやだッ!」


 誰かに必要とされるのは嬉しい。

父親というより所を失った少女にとってはなおさらに、存在を認められることは最上の喜びだった。

それゆえにアノスの差し出した手をとったし、パルマからの提案も拒否しなかった。

必要とさえ言われれば、彼女は自分を二の次にしてでも他者に追従しようとしていた。


 だがそれは間違いだった。ソラハは自分が優先させなければならないことにようやく気がつく。

誰かに言われたからではない、自分が生きたいと願うから、自分が人としての幸せを願うから生きるのだ。

アノスの過去やボラルの懸念、そしてこのパルマという男の事情も総じて知ったことではない。

誰かの想いで自分を縛ること。それが自分の生を阻むというなら彼女は本心を解き放つ。


「わたしは生きたいッ! 生きるのッ! こんなところで、あなたの都合で、私の生を邪魔しないでッ!」


 掴まれていなかったもう片方の腕でパルマの体を叩きながら少女は今までにない抵抗を見せる。

しかしそれでもない彼はソラハを手放さない。

気持ちだけではどうしても埋められない体格の差。

その歴然たる格差は彼女が生きる上での過酷さを表しているようでもあった。

それでも、もうソラハは諦めない。己の無力を嘆くことはもうしない。

そんな暇があったら生き延びるための方法を考える。それが彼女の見出した生き方だった。


「助けてッ」


 ゆえに助けを求める。自分を失わせないと誓っていた男に。他力本願と言われても構わない。

それが彼女に残された生きる手段。たとえ彼らにどのような事情があろうと関係ない。

自分を生かしてくれる存在はどんなものでも利用する。生きるということはそういうことだった。


「アノスッッ!」


 自分を救ってくれた恩人。自分の面影に母親を感じている狂人。

その彼がこの先どのような危険に見舞われようと、少女は彼から離れない。

彼が自分を守ろうとする限り、誰になんと言われようとも。


「言われるまでもない。言っただろ。二度とお前を失わせはしない」


 その声は頭上から降ってきた。

並び立つ屋根から飛び立つ彼は、ソラハを家の中に引きずり込もうとしているパルマの前に音もなく降り立つ。

突然の来訪者にパルマの思考は停止し、その隙にアノスの腕は蛇のように彼の腕に絡みついた。

捕まえる側から捕まえられる側に回った彼は、そのあまりの力にソラハの手を離すと叫び声を上げながらその場に倒れ伏した。


「お前は、この手で、なにを掴んでいた」


 腕をそのまま潰さんばかりに握力を強めるアノスは弁明する余裕もないパルマを冷ややかな目で見下ろしていた。

その真紅の瞳に憐みや慈悲の心は宿っていない。あるのは怒りと、殺意だけ。

そんな彼を少女も、もはや止めることはない。


「お前、どうしてここにッ!?」

「私は逆徒を信用しない。不自然な言葉もいろいろと口走っていたしな。

ずっと外から様子を見させてもらっていた」


 最初からパルマの怪しさに気づいていたアノスは建物を出た後、

他の現場に足を運ばず屋根の上からずっと彼らを観察していた。

それ以前に、この男にソラハから目を離すなどという選択肢がもとより存在していなかったということだろう。


「誘拐犯は『あなたたちが必要だ』とだけ言ったんだったな。

それに対しお前は『俺たちのなにが必要なんだ』言った。さらわれたのは全員女の逆徒だ。

被害を受けた後なら誘拐犯の言う『あなたたち』は女性を指したものだと普通は考えるはず。

お前はなぜ誘拐犯が逆徒全員を求めていたことを知っていたんだ」


 ヒゲワシやパルマの話では、誘拐犯はなんの前触れもなく現れたように語られていた。

実際多くの人間にはそのように映ったのだろう。しかしパルマだけは違った。


「そんなのただの言葉のあやだ。俺はなにも知らねえ」

「犯人の容姿を聞いた時、『ここにきた時は外套をまとっていた』と言っていた。

ここにきた時とはどういうことだ、別の場所で素顔を見たということか?」


 人は知っていることを隠すことはできるが、知らない情報を不意に口走ることはない。

被害にあわされた時の服装が普段のものとは違ったと、彼は知っていた。


「おい、おい本当に死んじまうッ! いいのか、おれを殺したらお前が背信者になるぞ」

「失踪した日数を考えて探すことも無駄だと、お前は仲間に伝えていたな。

逆徒の殺害が禁忌だと知っているのなら、お前は彼女らが生きていることを知っていたはずだ。

それをなぜ無駄だと断言できた」


 それらはすべて一つの真実へとつながれていた。

誘拐犯の狙いを知り、少なくとも二度誘拐犯と遭遇したことがあり、そして被害者のその後を知っている。

それがなにを意味しているかは明白だろう。


「初めに言ったはずだ。私に恐れる禁忌などないと」


 刀をパルマの首元につきつけながらアノスは冷徹な声色を崩さずに、刃をゆっくりと引いていく。

その切っ先が皮膚を食い破り、肉を裂き、一筋の血潮が流れた時、ついに彼は真実の口を開け放った。


「俺だッ! 俺が女たちをここに売ったッ! 食料を探している時に声をかけられて、取引したんだ」


 首を押さえ、涙を流しながら額を地につけるパルマ。

その惨めな姿に、逆徒たちを取りまとめていた時の頼もしさなど一切感じられない。

その背中に漂うのは仲間を犠牲にして得た食料でついた肉だけだった。


「あいつら食い物も底をつこうとしてるってのに、まだガキを拾って来ようとしてきたんだ。

そんな余裕はないって言っても聞く耳を持ちやしねえ。

俺は仕方なく、そう、皆が生き残るために仕方なく女たちを売ったんだ」

「それならば、女たちを集団から追放すればよかっただけの話だ。

方針の違いが話し合いで解決できなかったのなら、残された道は妥協か独立。

そのどちらも選べず、あげくそれを口実に仲間を売り渡したお前はただの卑怯者だ」


 自分本意の物言いを恥もなくのたまうパルマにアノスは侮蔑の視線を向けながらも手にしていた刀を消し去る。

彼は命の危険が去ったことに安堵するが、その破滅が終わることはない。


「聞いてたか? お前らの母ちゃんを売っちまったのはリーダーのパルマ様だとよ」


 背後から聞こえてきたのはボラルの快活な声。

振り返るとねぐらにいるはずの八人の逆徒が遠巻きにパルマを見ていた。

ボラルが連れてきたのだろう。

彼ら六人の目は冷ややかで、二人の子どもたちは事の詳細こそ理解していないものの、

不穏な空気を察しているのか不安げな顔で父のように慕っていた男を見ていた。


「どういうことだよパルマ。俺たちはみんな同じだって言ってただろ」


 そんな中、震えた声を上げながら一歩前に出てくるのはあの若者。

パルマを信じ、女たちを母と慕っていた逆徒だった。


「母さんたちを売ったって、今母さんたちはどうなってるんだ……。その家の中にいるのかッ!」


 誰よりも母親の安否を気にしていたであろう若者。

その想いをパルマに従って押しとどめていたであろう若者。

その元凶が身近にいたことに憤りながらも、今彼が優先させるべきは母親たちの救出だった。


 パルマが小さく頷いたのを確認した若者は途端に家の中へと飛び込んでいく。

その中になにが待っているかもわからないというのに、ただ大切だと思う人を守ろうという一心で彼はその扉をくぐっていく。

パルマの定めていた平等を良しとしながらも、自らを育ててくれた母に対する想いだけは特別なものだったのかもしれない。


「中で暴れられてヒゲワシの言う証拠がなくなっても困る。

私も行くが、なにかあれば大声を出せ。必ず守ってやる」

「うん、わかってる。アノスはわたしを死なせられないんでしょ」


 自信と確信にあふれたソラハの声は今までのものとは似ても似つかないものだった。

その変化をアノスは優しげ受け止めながら、今度は彼女の背後に立つボラルへと目を向ける。

彼が逆徒たちをここまで連れてきたのは、彼なりにソラハを守ろうとした結果なのだろうか。

ボラルは自分に向けられた視線に気がつくとアノスを急かすよう首を振った。

その仕草に頷いた彼は踵を返して家の中へ駈け込んでいく。


 逆徒、信徒を問わず、誘拐を繰り返しているにもかかわらず騎士団が動かない理由。

その訳が眠っているのならこの場所に違いない。

エリヤの情報を集めるためにもこの事件はなんとしても解決しなくてはならない。

アノスは揺るがない決意を再びその胸に宿らせて暗闇に消えた若者を追うように家の中へと飛び込んで行った。



 パルマが他の逆徒たちから追及を受けている中、ソラハはその様子を少し離れたところで眺めていた。

一時は魅力的に思えた団結の逆徒たち。

仲間を想い、協力していた彼らの繋がりはすでに崩壊の一途を辿っていた。

名を名乗ることも許さなかった仲間に胸倉を掴まれながら許しを請うパルマは情けなく涙をまき散らす。

そんな姿を見る二人の子どもたちは心ここにあらずといったように、無表情で並び立っていた。


「よう」


 そのように逆徒たちを観察していた最中、背後からボラルがやたら親しげに声をかけてくる。

彼からソラハに声をかけてくることなど初めてではなかっただろうか。


「さっきの、いつから見てたの?」

「お前が連れていかれてすぐに追いかけたからな。啖呵切ったところなら見てたぜ」


 思い出し笑いをするようにニヤつくボラルを横目で呆れたように眺めながらため息をつく少女。


「だったら早く助けてくれればいいのに」

「それはアノスの仕事だ。俺はなんの力もねえ犬っころだからな」


 自虐のように言う彼だが、

彼が彼なりの信念を持って行動しているのだろうということはソラハにもなんとなくわかっていた。

そしてなぜ、今までの自分に対しあのような態度をとっていたわけも。


「それで、決めたのかよ」

「うん、決めたよ。わたしはアノスと一緒にいる。他の誰でもないわたしのために。

それが生き残る一番の道だって、わたしがそう決めたから」


 無力な犬にその身が変わってしまった時から、ボラルは歯がゆくも傍観者としてアノスを見守ってきた。

それゆえに、力なきその体だからこそ先のソラハの言い分には納得がいかなかった。

必要とされたから。求められたから。

そんな意志薄弱な理由で大切な親友を危険に晒させたくなかった。

だからボラルは彼女に消えてくれと言った。

求められてついてきたのなら、拒絶されれば去っていくだろうと。

誰かの声で風見のように首を曲げる逆徒なら自分たちの前からいなくなるだろうと。


「お前は違ったな」

「……どういう意味?」


 怪訝そうな顔で覗き込んでくるソラハを期待するような眼差しで見つめながら、ボラルは彼女に求めるべきことを口にした。


「ソラハ、お前がアノスのお人形になっちまったら、

あいつはお前がエリヤと思い込んだまま復讐に飛び込んじまうかもしれねえ」


 それは先にも言っていたボラルの懸念。少女の登場がアノスの死期を早めると彼は今でも思っている。

それは嘘偽りのない本心に変わりない。

しかし彼女が、この逆徒の少女が自分の意志を示すのならば、見える一筋の希望があった。


「だがもしそうじゃねえなら、ただの都合のいい女じゃねえって言うなら、

お前はエリヤの代わりじゃなく、ソラハとしてあいつのそばにいてやってほしい」


 アノスが少女に求めている母親の幻影。それを己の意志を示すことで打ち壊してほしいと彼は言う。

それが盲目に復讐ばかりに囚われ続ける親友の目を覚まさせる一助になると信じて。


「あいつは大人ぶっちゃいるが、中身は間違い尽くしのガキのままだ。

いくら記憶や知識を預けられようと、心は十年前のまま成長してねえ。

そんなあいつをお前なら救ってやれるかもしれねえんだ」


 苦笑しながら、まるで自分にはできなかった役目を託すかのように、彼はまっすぐに少女の瞳を見据えた。


「本当にお前は母さんにそっくりだ。そんなお前だからこそ頼めることなんだ。

過去に向かっったままのあいつの目を、どうか未来に振り向かせてくれ」


 そうしてソラハに向かって頭を下げるボラル。

人に頭を下げられた経験など持ち合わせていない彼女にその意味はわからなかったが、彼の真摯な気持ちは確かに伝わっていた。


「ボラルが言ったように、わたしは顔が似てるだけの他人だから。

そんなわたしがアノスになにをしてあげられるかわからない。彼の言う復讐がどれだけ大事なものなのかも」


 少女はアノスの過去をなにも知らない。

ゆえに無神経に復讐を止めるべきと口にすることなどできないし、そのためになにをすべきかも不明瞭なまま。

アノスが言っていた事情とやらを思うのであれば、彼女にできることなどないと言っても過言ではなかった。

しかし彼女にはそれ以上に優先させるべきことがある。


「ただわたしが生きるためにアノスが必要だってことは知ってる。

彼がいなくなったら居場所が消えてしまうのもわかってる。それは絶対にだめ」


 なによりも生きることを優先させると決めた少女に、アノスの存在は必要不可欠なものだった。

自分を守り、食わし、育てる宿主とさえ言える存在である彼を手放すことはできない。

彼女の生存欲求がそれを許さない。それがなによりの答えだった。


「十分だ」


 ボラルとソラハ。どちらもアノスが死んで困るということに変りはない。

先の見えない復讐の道を駆け抜けていく向こう見ず。

その背中を掴み、奈落へ落ちていくことを防ぐのが彼らの目的。

その動機がいかようであっても、今ここに二人の利害は一致したのだった。


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