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1-29 悪魔の聖域による脅威

紫苑が呼び出した悪魔、六天魔王の一人である毒竜ノアスタロトは、紫苑と同じ金色の瞳を持ち、その眼光は底知れない愉悦と、あらゆるものを呑み込むような虚無を宿して、こちらを見つめてくる。

「久方ぶりにわらわを呼び出したかと思えば…紫苑よ、このような子どもの相手をわらわにさせるつもりか」

「子供だからと言って、手加減するなよ。ああ見えて、聖天六神と契約した神使いの人間だ。それにその聖天六神も2人いる。相手をするには申し分ないだろ?」

「なるほど、我らが怨敵とこんなところで相まみえるとは…まぁ、退屈しのぎにはなりそうかしら」

呼び出されたアスタロトは、整った眉をわずかに潜め、汚物を凝視するかのような視線を勇飛たちに向けながら言うが、その視線と同時に強者の余裕のような風貌を漂わせている。

「この只ならない魔瘴気の力…これまでに戦ってきた悪魔とは比べ物になりません。恐らく私たち聖天六神と同列に値する、もしくはそれ以上の存在の悪魔かと思われます」

「ガブリエルの言うとおりだ。この魔瘴気の量、尋常じゃないものを感じる。勇飛、気を抜くなよ」

アスタロトから放たれる魔瘴気の量が彼女の力を象徴しているのか、ガブリエルとヘラクレスがいつも以上に緊張感を醸した険しい表情で身構える。

二人の言う通り、アスタロトの視線と合った瞬間、肺の中の空気が一瞬にして叩き出されるような錯覚に陥った。

アスタロトの放つ魔瘴気の威圧感に本能が拒絶しているのか、胸を苦しめるように訴えかけてくる。

「今から葬る貴様らへの冥土の土産として教えてやろう。わらわは六天魔王の一人、毒竜ノアスタロト。魔界を統べる魔王の称号を持つ者の一人である」

自らを六天魔王の一人と名乗るアスタロト。

その名の通り六天魔王とは、魔界の中でも選ばれた悪魔のみに与えられる称号の1つであり、天界でいう聖天六神と対を為す存在とも言えるものだった。

「六天魔王だと!?ガブリエルやヘラクレスたちと同じように悪魔の中にも選ばれた存在がいるってことなのか」

「どうやらそのようですね勇飛様。六天魔王という存在も噂には聞いたことがありましたが、まさか魔王の名を持つ悪魔と契約を結ぶことができる人間がいたということには衝撃でした」

「あの紫苑ってやつも、相当の手練れだということだな」

魔王と呼ばれる悪魔と契約した紫苑というあの男も、相当の神滅を体内に宿した悪魔使いであるということを二人の反応からも見て分かるようだった。

「なるほどな…けど、何にせよあいつらを倒さないと水希を助けられないのは事実だ。俺たちの力であの二人を倒す。いくぞ!!」

相手が仕掛ける前に、こちらから先手を掛けるよう、ガブリエルとヘラクレスに合図する。

合図と同時にガブリエルとヘラクレスがアスタロトに向かって攻撃を仕掛けた。

「威勢のいいことだな。だが、これまでのような戦い方が俺たちに通用すると思うなよ」

こちらの攻撃に応戦する態勢を取るべく、紫苑もアスタロトに合図する。

「いくぞ、六天魔王!」

ヘラクレスが先陣を切って、アスタロトの目の前まで一気に距離を詰める。

「闘神の剣!!」

ヘラクレスが闘神の剣を勢いよくアスタロトに向かって振り下ろす。

「間合いの詰める速さだけは、流石は聖天六神といったところね。だが、甘いわ!」

アスタロトは背中の両翼を体の目の前で折り畳むと、その翼に毒の粘膜を張り巡らせ、盾のようにして振り下ろされた剣の一撃を防ぐ。

「くっ、防がれたか」

「防ぐだけで終わりだと思わないことね」

アスタロトが盾のように折り畳んだ両翼を勢いよく左右に広げ、ヘラクレスの剣を弾き返す。

それと同時に翼に張り巡らせていた毒の粘膜が液状化し、毒の粒てとなって周囲に四散する。

「なにっ!?」

至近距離で四散する毒の粒てに対して、回避の態勢が間に合わないヘラクレス。

「その毒に触れた瞬間、貴様の体を腐敗するように蝕む。その自慢の筋肉も腐敗して使い物にならなくなるがいい」

アスタロトの毒の粒てが、ヘラクレスの体に迫る。

「守護の盾!」

寸前のところでヘラクレスの目の前にガブリエルの守護の盾が現れ、毒の浸食を防ぐ。

「助かったぜ、ガブリエル。間一髪だった」

「何とか間に合いましたが、敵の攻撃手段が分からない状態で、むやみに前に出るのは気を付けてください。それに…あの毒はただの毒ではなさそうですね」

ガブリエルが眉間に皺を寄せるように険しい表情を見せる。

ヘラクレスもその視線の先に目を向けると、ガブリエルの守護の盾が、アスタロトの毒によって腐敗し、溶け始めていた。

「おいおい、毒って無機物すら溶かせるものなのか?」

神魔の力で生成された守護の盾をいとも容易く溶かしていることに衝撃を受けるヘラクレス。

「人間界には、金をも溶かす王水と呼ばれる毒が存在するが、わらわの毒は王水の濃度の数千倍にも及ぶ特級毒物である。それにわらわの毒に触れたのが、そこの盾だけだと思っているのか?」

アスタロトがヘラクレスの握る剣を見ながら冷笑する。

「な…俺の闘神の剣が…」

アスタロトの毒に触れた剣が、その毒によって腐敗し、所々に刃こぼれを起こしていた。

「自慢の剣も一瞬で鈍ら刀になったようね。剣を主体として戦う貴様はこれで終わりのようね」

「ちっ…これは想定外だったな」

想定外の出来事だったのか、額に冷や汗を流しながら、珍しく焦る表情を見せるヘラクレス。

「ヘラクレス、一旦下がってください。ここは私が…」

ガブリエルがヘラクレスの前に立ち塞がり、一旦後退するように促す。

「悪いなガブリエル…しかし妙だな。俺の闘神の剣には神魔の力で闘気を纏っていたはずだ。たとえ奴の毒が魔瘴気によって生み出された特殊な毒であっても、神魔の力がそう易々と魔瘴気に敗れるものなのか」

ヘラクレスが疑問に思っている通り、神魔の加護を受けた状態で魔瘴気と衝突した場合、少なくとも両者の力が同じ領域であれば、少なくとも両力が相殺されるレベルであり、力の差が大きくかけ離れていない限り、そう簡単に神魔が魔瘴気に敗れることは考えられなかった。

「恐らく…この悪魔の聖域(デビルサンクチュアリ)が影響しているのだと思います。この聖域に漂う魔瘴気の力がアスタロトの力を増幅させていること、そして先ほどあなたも感じていると言っていたように、この空間の中にいるだけで、少しずつ私たちの神魔を削り取られているのでしょう」

「つまり、いつものように力を発揮していたつもりでも、知らず知らずのうちに神魔の力が奪われ、いつも以下の力しか出せていなかったってことか…」

「今頃気づいたか。そうだ、勇勢様から頂いたこの力が貴様らの神魔の力を蝕み、それを俺やアスタロトの瘴気の力へと変換していたのだ」

アスタロトの後ろで高みの見物のように見ていた紫苑が高笑う。

「くっ…勇勢の奴、何て魔具(モノ)を生み出してやがんだ」

勇勢が創り出した魔具が、これほどまでの威力を持っているとは…

ヘラクレスとガブリエルの状況を見て、改めて窮地に立たされていることを実感する。

「ほら、何をぼっとしてんだ?お前の相手は俺だ」

そう言うと紫苑は右手に装着した白い手袋を外す。

手袋で隠されていた右手は、青白い素肌とは一変して、猛毒で侵されているような禍々しい紫色に変色していた。

毒竜ノ弾丸(ハイドラバレット)

紫苑が右手を前に突き出すと、その右手の5本の指先から、それぞれ5発の毒の弾丸が勇飛に向けて打ち放たれた。

「まずい…」

不意を突かれたせいで、一瞬判断が遅れてしまう。

「勇飛様!!」

紫苑の攻撃に気づいたガブリエルが、勇飛の目の前にも守護の盾を展開し、毒竜ノ弾丸を防ぐ。

「ちっ、邪魔が入りやがって」

守護の盾により攻撃を防がれた紫苑が、嫌味たらしく舌打ちする。

「勇飛様、大丈夫ですか」

アスタロトに対峙しながら、無事を確かめるようにガブリエルが声をかけてくる。

「あぁ、大丈夫だ。油断して悪かった」

ガブリエルに気を使わせてしまったことに謝罪の声をかけ、改めて気を引き締めて紫苑の方に対峙する。

「しかし、この状況、一体どうするべきか…」

「ははは、いいぞ、その追い込まれた表情。だが、こんなところで終わりなんて言うなよ?貴様にはもっと苦痛に歪んだ表情を見せてもらう必要がある。それでこそ、そこの水希流華に対する最高の復讐になるのだからな!」

「お前、さっきから水希に対して相当の怨み辛みを語っているが、一体お前と水希に何があったんだよ?」

水希との過去に何があったのかを紫苑に問いかけた瞬間、一瞬表情に動揺が浮かんだのが見えた。

「はっ、今から倒される貴様が知ったところで意味はない。そんなことよりも貴様の力はそんなものなのか?もう少し俺を楽しませてくれるものと期待していたんだがな」

しかし、紫苑はその動揺を隠すように煽りを返してくる。

「そいつはどうかな?俺が何も考えず、お前の注意を引いていたとでも思ったか?」

「なんだと?」

紫苑が気づいた時には、紫苑とアスタロトの足元に光の魔法陣が展開されていた。

「ガブリエル、いまだ!」

「はい勇飛様!!悪魔よ、浄化しなさい。守護の霹靂!!」

紫苑の気を引いているうちにガブリエルが詠唱を終え、魔法陣を覆うように上空から光の雷撃が紫苑とアスタロトに襲い掛かる。

「少しはやるみたいだな。だが、その程度…アスタロト!!」

紫苑がアスタロトに呼びかけると、アスタロトが両手を上空に広げながら、何かを詠唱し始める。

「右に朽ちゆく肉の(ことわり)、左に腐れ落ちる魂の(ろうごく)。 猛毒の双顎(アギト)に逃げ場は無し…」

アスタロトが詠唱すると、その背後に二頭の毒竜の幻影が顕現する。

「毒竜の裁きをその身に刻んで果てるがいい。終焉を告げる双頭(ジエンド・オルトロス)!!」

アスタロトの背後に現れた二頭の毒竜が、それぞれの口からブレスを吐く。

右の首はドロドロとした緑色の酸のような液体を吐き出し、左の首は毒々しさを表現した紫色の炎を吐き出した。

二つのブレスが空中で螺旋状に絡み合い、ガブリエルが放った守護の霹靂と衝突する。

終焉を告げる双頭に直撃した守護の霹靂は、まるで物質が解けて分解されるかのように、跡形もなく消滅した。

「まさか、私の守護魔法すら上回る力を持っているなんて…」

この空間の力により神魔が消耗されていることも影響していると思われるが、ガブリエルの持つ最大出力の技ですら、アスタロトの毒の力の前には歯が立たなかった。

「聖天六神と呼ばれる神の力も、所詮はこの程度なのかしら。わらわの前では大したことないみたいね」

追い詰められた表情を見せるガブリエルに対して、余裕の笑みで嘲笑するアスタロト。

魔王の称号を持つ悪魔の力が、これ程までに強力であることを示め知らされ、追い詰められていく。

「これが六天魔王の力なのか…いまの俺たちの力では…くっ、なんだ!?体が急に苦しくなって」

紫苑とアスタロトの力に圧倒されていく中、急に体中を何かが蝕むような感覚に襲われ、その苦しみに耐えきれず、その場に膝をつく。

「勇飛様!?どうなされ…うっ…これは一体…」

「ぐっ…何だ?…俺も急に体が苦しく…」

勇飛が膝をつくと同時にガブリエルとヘラクレスも同じように苦しみ始め、胸元を抑えながらその場に膝をついてしまう。

「どうやら、わらわの毒が効いてきたみたいね」

「どういうことだ…一体何をしやがった…」

「わらわが現れたと同時に周りの湖が毒の沼と化したであろう。その沼から毒素を含めた瘴気を流出させていてな。その瘴気が空気中で気化し、貴様らが呼吸する度、徐々に体内へと毒が侵入し、その体を蝕ませていたのよ。それに神魔を奪うこの空間では、神である貴様らでも、わらわの毒に対する抗体が取れなかったのだろうな」

アスタロトが密かに放っていた毒の力により、もはや体の自由すら奪われてしまっていた。

「残念だったな桐城勇飛。お前たちの万策もここまでだ。だが、まだまだ苦しんでもらうぞ。やれ、アスタロト」

「ふふ、相変わらず痛みつけるのが好きなのね貴方わ…まぁ、わらわもその考えに否定はしないがな」

紫苑の指示に応えるように、アスタロトが右手を前に突き出す。

大蛇の(ミズガルズ)抱擁(エンブレイス)!」

突き出した右手の真下に紫色の魔法陣が展開される。

展開された魔法陣から巨大な毒蛇が三匹ほど姿を現すと、勇飛とガブリエル、ヘラクレスの三人に襲い掛かってきた。

アスタロトの毒にやられて回避する術もなく、アスタロトが召喚した毒蛇に体を巻き付けられて拘束されてしまう。

「しまった…」

毒蛇の締め付けにより、さらに体を苦しめられる。

「どうにかして抜け出さねぇと…ぐっ、何だ…ぐあああぁぁぁ!!」

「これは…きゃあああぁぁぁ!!」

「まさか、この毒蛇からも毒が体に…ぐあああぁぁぁ!!」

毒蛇による抱擁は、単なる締め付けだけでなく、毒蛇の皮膚からも毒が染み出してきており、その毒が皮膚に触れることで、体中に激痛が走った。

ガブリエルとヘラクレスが受けている痛みも重なり、拷問にも等しいと言えるほど、気を失いそうな激痛を体感する。

「ははははは、どうだ?体中を焼き付けるような痛みが走るだろ。普通の人間なら痛みに耐えきれず一瞬であの世行きのところだが…さすがは神使いと言ったところか、辛うじて生きつないでいる感じだな」

追い詰められ苦痛の表情御見せる勇飛たちを見て、勝ち誇ったように笑う紫苑。

「さてと、この状況をあの女にも見せてやらないとな。ほら、いつまで寝てやがんだ!」

そう言うと紫苑は、横で座り込みながら気を失っている水希に対して容赦なく蹴りを入れる。

「うっ!」

紫苑に蹴り飛ばされた水希が苦痛の声をあげて、その場に前屈みで倒れこむ。

「水希!!テメェ、女の子相手に何してんだ!!」

紫苑の行動を目の当たりにして、苦痛に表情を歪めながらも、思わず声を上げて叫ぶ。

「…ゆ、勇飛君…!?えっ…これは一体…何が起こっているのですか?」

紫苑に蹴られた衝撃と勇飛の声に反応した水希が目を覚ます。

目を覚ました水希だったが、目覚めると同時に目の前で起きている状況が理解できずに困惑した表情を見せる。

しかし、隣にいる紫苑の姿を目にした途端、自分の身に何が起こったのかを思い出す水希。

「あなたは確か…少し前に私たちと戦った悪魔使いの…」

「あぁ、やっと思い出したか…水希流華」

水希が自分のことを思い出したことに対して、紫苑が不敵な笑みを見せる。

「でも、どうして?あなたはあの時に私たちに倒されて、悪魔使いだった頃の記憶を失ったはずでは…」

水希が疑問に思う通り、悪魔使いであった者が神使いとの戦いに敗れ、その悪魔との契約から解放された時には、その代償として、その時の記憶を失うはずであった。

「あぁ、確かに貴様の言う通り、一度敗れた悪魔使いだった頃の俺の記憶は失われるはずだった…だがな…」

水希の問いに答える中、過去の自分に何があったのかを思い返すように紫苑が語り始めた。

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