1-26 動き出した天魔
ここはかつて桐城勇勢と対峙した廃校の礼拝堂。
この礼拝堂が使われていた頃に讃美歌が響いていたであろう高い天井からは、剥げかけた漆喰が雪のように床へ降り積もっている。
正面の巨大なステンドグラスのヒビ割れた隙間から月光が差し込み、埃の舞う虚空を鋭く切り裂いている。
今は人が立ち入ることさえ珍しいこの場所で2人の男が対峙していた。
「ここで話すには少しばかり神聖すぎると思わないか」
男のひとりがボロボロになった長椅子の背に手をかけ、乾いた音を立てて座った。
その足元では、かつての祈りの場が、ただの巨大な墓標のように沈黙している。
「まぁ、そう言うなや。久しぶりに会ったのに、自分こういう雰囲気とか気にするタイプやったん?」
長い床を這って祭壇まで伸びていた影の先で男と対峙していたのは、かつて桐城勇勢と共に勇飛達を追い詰めた男こと、真月神牙だった。
「別に…悪魔使いがこういう神聖だった場所を根城にしていることに違和感を感じてるだけだ。それで、他の天魔の連中はどこで何をしている?」
長椅子に座った男は、黒い装束を身に纏い、顔はフードで隠しているが、その金色の瞳を宿した視線を神牙に向けながら問いかける。
黒い装束の隙間から見える男の肌は、月の光にさらされた死体のように青白く、そのあまりの白さは、首筋から頬にかけて這い上がる黒い血管の網目をまるで呪いの刺繍であるかのように際立たせていた。
「他の天魔の皆は勇勢さんに呼ばれたみたいやで。やからここでは僕と君の二人きりってことになるな。二人だけのひ・み・つってやつや」
雰囲気に似合わず、相変わらずのノリで茶化すように話す神牙。
「お前のそういう気持ち悪いノリにはついていけないが…俺をここに呼び出したのには訳があるんだろ?」
「なんや、ツレへんな…まぁ、十中八九自分も気づいていることやで」
「聖天六神とその神使いと接触があったみたいだな…そこらの悪魔使いを天魔と称して嗾け、その力量を測ったといったところだが、奴らでは手も足も出ず、俺たちがいよいよ動く時が来たというわけか」
「さっすが、本物の天魔の称号を持つ者は慧眼やね。ご名答。正解の賞品に飴ちゃんあげるわ」
男の推察を評価した神牙が、包みにくるまれた飴玉を1つ、男に投げ渡す。
男は黙ってその飴玉の包みを右手でキャッチするとポケットの中にしまい込んだ。
「…ただの飴玉ではないだろ?」
男は神牙から渡された飴玉が単なる食用の飴ではないことに気付いているようだった。
「勇勢さんからの餞別や。大事に使いや」
神牙も何か意味ありげな表情で男の問いかけに返していた。
「所詮は高校生の子供が相手だ、勇勢様には悪いが、餞別を使うまでもないと思うがな」
「そうかそうか、それは頼もしいことやな。でも、その神使いたちの中に水希流華がいることを君は知ってるんか?」
神牙が水希流華の名前を出したその時、男の目が鋭く神牙を睨みつけた。
「なん…だと?」
明らかに男の言葉と表情に動揺が走る。
「君も彼女の実力は知ってるやろ?聖天六神の頂点と契約した神使い…彼女の実力は他の神使いよりも一歩抜きんでとる。僕かて本気を出さな敵わへん相手かもしれんからな。まぁ、勇勢さんの前では流石の彼女も敵わず、今はその力を失ってるって話やけどな…」
目の前の男の表情を気にもせず、淡々と語りだす神牙。
「それに一度、彼女に敗北を期している君が…」
続けて神牙が言いかけた瞬間、先ほどまで男が座っていた長椅子が後方に四散する勢いで吹き飛ぶ。
男は一瞬にして神牙の目の前まで移動すると、神牙の服の襟に掴みかかっていた。
「それ以上の愚言は慎め。あの時の俺とは違う!」
男は先ほどまでの冷静さを失ったように怒り染みた感情を出しながら掴んだ襟の拳に力を込める。
「おぉ、怖い怖い。冗談やって勘弁してや。今は君とて勇勢さんに認められた天魔の一人なんやから、仲間割れはよそうや」
自ら煽っておきながら道化を演じているのか、男の狂気を宥めるため、詫び入れる様子を見せる神牙。
「先に喧嘩を振ってきたのは貴様だろ…まぁいい。今は貴様の方が立場が上かもしれないが、それも今のうちだと思え。何れ貴様の数字も奪ってやるということを肝に銘じて待っていろ」
服の襟を握った拳を緩めた男は、神牙を後ろに押し返すように突き放すと、踵を返して歩き出す。
「水希流華…あいつだけは必ず…俺が始末する」
男はそう言い残すと、目の前に闇の回廊を出現させ、その中へと姿を暗ましていった。
「凡人の悪魔使いだった君が、ここまで成り上がるとは恐れ入ったなぁ…よほどあの時の敗北が心の怒りや恨みを増幅させたんやろうな。せいぜい二度もヘマしんように頑張りや」
静寂に包まれた礼拝堂に1人残された神牙が独り言のように呟く。
勇勢と神牙が率いる「天魔」と呼ばれる悪魔使いたちが動き出し、勇飛たちに牙を向き始めた。
神牙と男が対峙した時の少し前。
放課後の時間に学園から少し離れた商店街に勇飛と流華の2人がいた。
「えっと、黒ボールペンが20本、A4コピー用紙の束が5セット、ポスカカラーのマジックが3セット…他には…」
商店街の文房具店に寄った俺は、手元のメモを見ながら、買い物かごの中に指定された商品を詰め込んでいく。
「勇飛君ごめんなさい。備品の買い物に付き合わせてしまって…本来なら書記会計の私の仕事なんですが、いつも頼んでいる業者さんが急遽お休みになっていて、必要な備品の仕入が間に合わなかったんですよね…」
「別に気にすんなって。荷物も多くなりそうだし、荷物持ちに人手がいた方が良いだろ」
水希の言う通り、生徒会の備品仕入のため、二人で商店街まで買い出しに出ていたのだった。
メモに書いてある必要な備品を揃え、レジのおばあさんに会計の支払いを行う。
「はい、お釣りと…こちら商店街の抽選券ね。いま商店街で抽選会イベントをやっているから、よかったらこの後に寄ってみるといいね」
文房具店のおばあさんから、お釣りと同時に抽選会の引換券を1枚受け取った。
「抽選会だってよ。帰りに寄ってみるか」
「そうですね。せっかくですし、運試しに行ってみましょうか」
文房具店を後にした俺たちは、商店街の抽選会場へと向かった。
抽選会場へ着くと、ガラポンの置かれた机に係の人が2人座っていた。
商店街に買い物に来ていた主婦たちが作る列に並び、順番が来るのを待つことにする。
「抽選券1枚ですね。では1回、こちらのガラポンを回してください」
しばらく並んで自分たちの順番が来ると、抽選券を1枚、係の人に渡して案内を受ける。
「俺こういうの運が無いから、水希が回してくれないか」
もっぱらこういう運試しに縁が無い俺は、水希に抽選を回してもらうように促す。
「いいんですか?それじゃお言葉に甘えて…あ、外れても文句は言わないでくださいね」
水希がガラポンをゆっくりと回す。
ガラポンの中から金色に光る玉が飛び出してきた。
「おめでとうございます!!なんと一等賞が出ました!!」
まさかの強運の持ち主の登場に係の人や後ろに並んでいた主婦たちも驚きを隠せない様子だった。
「おいおいマジか…水希、お前すごい強運の持ち主だな」
「た、偶々ですよ。私もびっくりして今も動機が…」
まさかの結果に当の本人もびっくりしている様子だった。
「こちら一等賞の賞品です。良かったですね彼氏さん、彼女さんと楽しんで来てくださいね」
係の人に手渡された賞品は「星光の遊園地」と書かれた1日フリーパスのチケットだった。
「あ、いや…彼氏じゃなくて学友です」
係の人も俺と水希が付き合っているものと勘違いしていたのだろう。
とりあえず誤解を解くように説明を入れておく。
水希にも変な迷惑を掛けたらいけないよなと思い水希の方を見ると、何故か水希が少し悲しげな表情を浮かべていた。
「あ、そうなんですね失礼しました。でも、学友さんでも楽しめると思うので、良かったらお二人で行ってみたら良いと思いますよ」
何かを察した係の人は、そう言い残して次の抽選待ちの人を案内し始めた。
抽選会場から少し離れ、商店街の中心にある泉の広場のベンチに座って少し休憩することにした。
「このチケット水希が当てたんだし、せっかくだから水希が行きたい人と行ってこいよ」
そう言いながら横に座る水希に星光の遊園地のチケットを手渡した。
「ありがとうございます…」
手渡されたチケットを受け取った水希が、チケットを見つめながら少し沈黙すると、思い切ったように口を開いた。
「あの…良かったら来週の休日に勇飛君と…二人で行きませんか?」
「あ、えっ、俺と?」
「はい、今日のお礼も兼ねてって言ったら烏滸がましいかもしれませんが…無理だったら全然大丈夫です」
「まぁ、来週の休みは特に予定もないし…水希がいいなら俺もいいけど」
予想外の誘いに一瞬戸惑ったが、せっかくの誘いを無碍にするのは悪いと思い、水希の誘いを承諾する。
誘いの了承を得た水希を見ると、嬉しそうな表情でこちらを見つめ返していた。
「はい、嬉しいです。では、来週の土曜日の10時に駅前に集合でお願いします」
「あぁ、こちらこそよろしく。楽しみにしているよ」
こうして急遽、週末は水希と二人で遊園地へと出かけることになったのだった。




