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似た者同士

午後九時十二分。


PMCヤタガラス本部、情報システム部。


壁一面のモニターには、通信ログ、認証履歴、資金移動記録、海外法人の登記情報が並んでいた。


その中央。


久世冬馬が椅子に座り、黒縁眼鏡の奥から画面を眺めている。


その隣では、一条寺アカネが腕を組んでいた。


机の上にはコーヒーが二つ。


誰かが見れば、静かな夜に男女が二人きり。


多少ロマンチックに見えなくもない。


ただし、彼らが見ているものは――


「三日前に契約先の口座から四百七十万円」


アカネが言った。


「その二時間後に別法人へ分散。さらに四社を経由して国外へ送金されています」


久世がキーボードを叩く。


「送金処理が行われた時間と、財務端末への不正アクセス時刻が一致してる」


「偶然?」


「僕は偶然という言葉を、調査が面倒な人間の逃げ道だと思ってる」


「奇遇ですね。私もです」


二人は無表情だった。


久世がログを拡大する。


「認証情報そのものは正規」


「内部犯?」


「可能性は低い」


「理由は?」


「操作が綺麗すぎる」


アカネが眉を上げた。


「褒めてます?」


「犯人を?」


「ええ」


「技術は評価する。人格とは別問題」


「その考え方、嫌いじゃありません」


その時だった。


情報システム部の入口から、


二つの顔が覗いた。


神代蓮司。


篠宮レイナ。


レンジが小声で言った。


「……聞いた?」


レイナも小声で返す。


「聞いた」


「『その考え方、嫌いじゃありません』だって」


「進展したね」


「何が?」


「二人の関係」


レンジが深く頷いた。


「なるほど。大人の恋愛って、こういうところから始まるのか」


「勉強になる」


二人はなぜか真剣だった。


もちろん、室内の二人には聞こえていない。


アカネは資料をめくった。


「問題はここです」


一枚の請求書を指差す。


「この会社。過去一年間、ヤタガラスとの取引実績なし。それなのに今回だけ、特殊通信機材の保守費として百八十万円」


久世が画面を切り替える。


「会社のドメイン取得は四か月前」


「登記は?」


「六か月前」


「代表者」


「名義貸し」


「所在地」


「レンタルオフィス」


「なるほど」


アカネが薄く笑った。


「真っ黒ですね」


久世も頷く。


「黒に近い灰色」


「そこは断言してください」


「証拠が揃うまでは灰色」


「慎重ですね」


「職業病」


アカネは少しだけ口元を緩めた。


「そういうところも嫌いじゃありません」


入口。


レンジがレイナの肩を掴んだ。


「二回目」


「二回目だね」


「もう確定では?」


「何が?」


「交際」


「まだ早い」


「なぜ」


「久世さんが何も返してない」


二人は本気で分析を始めた。


レンジが指を一本立てる。


「しかしアカネから二度の好意的発言」


レイナも指を一本立てる。


「対する久世さん、拒絶なし」


「つまり?」


「脈あり」


「なるほど」


「しかも夜九時」


「二人きり」


「コーヒー二つ」


レンジは感心した。


「完璧じゃないか」


レイナが頷く。


「問題は話題が不正送金ってことくらい」


「些細だな」


そのころ当人たちは、当然ながら恋愛から銀河系ほど離れた話をしていた。


久世が言う。


「送金先四社のうち三社はダミー。でも一社だけ実体がある」


「業種は?」


「輸出入」


「取扱品目」


「通信機器、電子部品、産業用センサー」


アカネの表情が変わった。


「……資金洗浄だけじゃない?」


「たぶん」


久世が別のログを出す。


「端末から抜かれたデータの中に、ヤタガラスが海外任務で使用する暗号化通信機の調達履歴が含まれてる」


アカネの目から笑みが消えた。


「目的は金じゃない」


「そう」


「装備情報」


「あるいは通信体系」


数秒。


沈黙。


二人の空気が完全に仕事のものへ変わった。


アカネが静かに言った。


「代表に上げます」


「まだ早い」


「なぜ?」


「相手が欲しがってる情報を特定したい」


「泳がせる?」


「罠を置く」


アカネが久世を見る。


「偽の調達情報?」


「うん」


「架空の仕入先を作って、偽装した通信機材の発注記録を流す」


「そこへ食いつけば――」


「侵入経路が見える」


アカネは考え込んだ。


「ただし、架空取引は財務記録に残せません」


「分かってる」


「監査上、私の承認が必要です」


「だから呼んだ」


アカネが少しだけ目を細める。


「最初から私を共犯にするつもりだったんですね」


久世は即答した。


「共犯じゃない。共同作業」


入口。


レンジがレイナを見る。


レイナもレンジを見る。


「共同作業」


「言ったね」


「とうとう言った」


「これは強い」


レンジが感慨深そうに腕を組んだ。


「久世……お前、無自覚系だったのか」


レイナが真顔で答える。


「一番面倒なタイプ」


室内。


アカネは椅子を引き、久世の隣に座った。


「いいでしょう」


「助かる」


「ただし条件があります」


「何?」


「偽装会計データは私が作ります」


「その方が自然」


「それと、終わったら全部消してください」


「当然」


「監査記録も」


「痕跡は残す」


アカネが久世を見る。


「今、私の話聞いてました?」


「聞いてた。だから却下した」


「理由」


「記録のない処理は、後から説明できない」


一瞬。


アカネが黙った。


そして。


「……それもそうですね」


「うん」


「訂正します。監査用の封印記録を作りましょう」


「賛成」


「閲覧権限は?」


「代表、榊原副代表、僕、君」


「妥当です」


二人は再び画面へ向き直った。


レンジが囁く。


「息ぴったりだな」


レイナも頷く。


「夫婦みたい」


「分かる」


「結婚したら家計簿すごそう」


「一円単位で合わなかったら家庭内インシデント発生だろうな」


「久世さんがログ解析する」


「アカネが領収書監査する」


「犯人は?」


「レンジ」


「なんで俺?」


その声が。


少し大きかった。


カタ。


久世のキーボードが止まった。


アカネも動きを止める。


レンジとレイナが固まった。


十秒ほど。


久世が入口を見ずに言った。


「神代」


「はい」


「篠宮」


「はい」


「そこにいるのは分かってる」


レンジがゆっくり顔を出した。


「いやあ、久世。夜遅くまでご苦労さん」


レイナも続く。


「邪魔するつもりはなかったんです」


アカネが眼鏡の位置を直す。


「いつからいました?」


二人は目を合わせる。


レンジ。


「……『嫌いじゃありません』の一回目くらいから」


沈黙。


アカネの眉間に皺が寄った。


久世は相変わらず無表情だった。


レイナがニヤニヤする。


「いいですねえ。夜の情報システム部で二人きり」


「四百七十万円の不正送金を調べてただけです」


「でもコーヒー二つ」


「自販機で買いました」


「隣同士」


「画面を見るためです」


「共同作業」


久世が言う。


「仕事だから」


レンジが肩をすくめた。


「はいはい」


久世の眉がわずかに動く。


「その『はいはい』は何?」


「いや?」


レンジは満面の笑みだった。


「俺たちは何も言ってないぞ?」


「散々言ってた」


「証拠は?」


久世は無言でキーボードを叩いた。


スピーカーから音声が流れた。


――『夫婦みたい』


――『分かる』


――『結婚したら家計簿すごそう』


レンジの顔から笑顔が消えた。


レイナが目を見開く。


「……録音?」


久世が答えた。


「情報システム部はセキュリティ区域」


レンジが天井を見る。


「なるほど」


レイナも天井を見る。


「完全犯罪失敗」


アカネが静かに立ち上がった。


にこり。


非常に柔らかい笑顔だった。


その笑顔を見た瞬間、レンジが一歩下がった。


「アカネさん?」


「神代さん」


「はい」


「先月提出された海外任務経費について」


「……はい」


「確認したい点がありまして」


レンジの顔色が変わった。


「ちょっと待て」


アカネは微笑んだまま続ける。


「『現地情報収集費』三万二千円」


「必要経費です」


「領収書がありません」


「機密情報源との接触だったから」


「篠宮さん」


「はい」


「同日の報告書では、その時間、神代さんは任務区域外のバーにいたとあります」


沈黙。


レイナがレンジから三歩離れた。


「裏切ったな!?」


「私は数字に従う」


「さっきまで仲間だったじゃねえか!」


アカネの笑顔が深くなる。


「それから翌日の『現地協力者接待費』一万八千円」


「……」


「説明していただけます?」


レンジは久世を見る。


「助けてくれ」


久世はモニターへ視線を戻した。


「僕は技術担当だから」


「お前!」


レイナが腹を抱えて笑う。


「レンジ、終わった!」


「お前も笑ってる場合じゃないですよ、篠宮さん」


アカネが言った。


レイナの笑いが止まる。


「え」


「先月の装備申請」


「はい」


「暗視装置用バッテリー十二本」


「はい」


「実際の払出記録は八本です」


「……」


アカネはにっこり笑った。


「残り四本は?」


レイナが久世を見る。


久世はコーヒーを飲んだ。


「僕は技術担当だから」


「久世さん!?」


情報システム部に、二人の悲鳴が響いた。


十五分後。


廊下を歩きながら、レンジがぼやいた。


「……もう二度とあの二人を茶化さない」


隣を歩くレイナが頷く。


「同意」


「怖すぎる」


「アカネは金で殺してくる」


「久世はログで殺してくる」


二人はしばらく黙って歩いた。


やがてレンジが言った。


「でもさ」


「なに?」


「やっぱりお似合いじゃね?」


レイナは少し考えた。


「……分かる」


その瞬間。


二人のスマートフォンが同時に震えた。


久世からのメッセージだった。


《聞こえてる》


レンジとレイナは同時に立ち止まった。


長い沈黙。


やがてレンジが天井を見上げる。


「……あいつ、どこまで監視してんだ?」


レイナも天井を見上げた。


廊下の隅。


監視カメラの小さなランプが、静かに点滅していた。


その夜。


PMCヤタガラス本部では、


四百七十万円の不正送金事件より先に、


二名の隊員による重大な経費不備が摘発されたという。


なお。


久世冬馬と一条寺アカネの関係については――


現在も、


調査継続中である。

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