会議室の敵は、だいたい数字
午後二時。
PMCヤタガラス本部、第三作戦室。
壁一面の大型モニターには世界地図、為替チャート、物流網、契約案件一覧、部隊稼働率、装備品在庫、通信衛星の利用状況――その他、普通の人間が見れば三分で席を立ちたくなる情報が整然と表示されていた。
円卓に座っているのは四人。
代表、九条ホオズキ。
副代表兼統合作戦本部長、榊原宗一郎。
財務・経営管理を担当する一条寺アカネ。
そして情報システム部サイバー情報班長、久世冬馬。
議題はひとつ。
「来年度の海外拠点運用計画について」
だった。
何とも地味である。
敵のアジトを襲撃するわけでもない。
人質救出でもない。
裏切り者を探すわけでもない。
ただ会議をする。
それだけだった。
しかし開始から十八分後。
ホオズキは眉間を押さえていた。
「……もう一度お願い」
アカネが眼鏡を直した。
「どこからですか?」
「私がまだ人間の言葉を理解できていた辺りから」
榊原が静かにコーヒーを飲む。
冬馬はノートPCを見たまま言った。
「開始三分頃ですね」
「そんなに早かったの?」
「はい」
アカネがモニターを切り替える。
棒グラフが現れた。
「では簡潔に説明します。現在、海外第二拠点の維持費は前年比で12.8パーセント増加しています」
「うん」
「原因の42パーセントは現地人件費」
「うん」
「27パーセントが輸送費」
「分かる」
「残り31パーセントが為替差損、保険料、通信契約、車両維持、設備償却、予備部品、現地法対応です」
「もう怪しくなってきた」
アカネは気にせず続ける。
「ここで問題なのは、単純にコストが増えていることではありません」
「違うの?」
「問題は、コスト増加率に対して売上総利益率が追いついていないことです」
ホオズキは榊原を見た。
榊原は静かに頷いた。
「つまり?」
「儲けが薄くなっている」
「最初からそう言って」
アカネが少し悲しそうな顔をした。
「かなり簡単に言いました」
「もっと簡単に」
「働いてる割に儲からない」
「分かった」
冬馬がキーボードを叩く。
「ただし財務だけで判断すると危険です」
ホオズキが嫌な予感のする顔をした。
「……何が始まるの?」
「情報システム側の話です」
「始まった」
大型モニターに今度はネットワーク構成図が表示される。
中央にヤタガラス本部。
そこから複数の海外拠点へ、暗号化された通信回線が蜘蛛の巣のように伸びている。
冬馬はレーザーポインターを向けた。
「現在、第二拠点は本部SOCと常時接続しています。EDR、SIEM、アクセスログ、映像監視、衛星通信、現地バックアップサーバー、端末証明書管理を本部側で統合しています」
ホオズキは黙った。
冬馬が続ける。
「昨年度までは許容範囲でしたが、今年から通信量が増えました」
「どうして?」
「ドローン映像です」
「ああ」
「加えて隊員のボディカメラ」
「うん」
「車両搭載カメラ」
「うん」
「拠点監視カメラ」
「うん」
「整備記録の画像データ」
「……うん」
「それとレンジが任務中に撮った猫の写真」
沈黙。
ホオズキが顔を上げた。
「最後の必要?」
「不要です」
榊原が低い声で言った。
「削除させろ」
「すでに個人領域へ移動させました」
「仕事が早いな」
アカネが資料をめくった。
「ちなみに通信費の0.03パーセントを占めています」
ホオズキが呟く。
「後で請求しておいて」
「承知しました」
冬馬は何事もなかったように次の画面へ進む。
「問題は通信費そのものではありません。現状では拠点が増えるたび、本部側SOCの監視対象も増えます」
榊原が腕を組む。
「人員が追いつかないか」
「正確には、今のまま増設すれば二拠点後に破綻します」
「破綻って」
ホオズキが聞く。
冬馬は無表情だった。
「誰かが寝なくなります」
「あなたでしょう」
「おそらく」
「却下」
即答だった。
冬馬が一瞬だけホオズキを見る。
「まだ案を提示していません」
「あなたが寝ない案は全部却下」
榊原の口元がわずかに緩んだ。
アカネはペンを回しながら言う。
「財務としても同意です。久世さんが倒れた場合の機会損失が高すぎます」
冬馬が首を傾げた。
「人間を減価償却資産のように扱わないでもらえますか」
「むしろ重要資産として評価しています」
「それも微妙です」
ホオズキが机を指で二度叩いた。
「話を戻しましょう」
三人が同時に姿勢を戻した。
ホオズキはモニターを見る。
「第二拠点は利益率が落ちている。でも撤退はしない」
アカネが確認する。
「理由を伺っても?」
「位置」
榊原が頷いた。
「同意だ」
モニターの地図上。
第二拠点は複数の紛争地域、主要港湾、国際空港を結ぶ中間地点にあった。
ホオズキは言う。
「あそこを失えば、南部地域への展開時間が最低でも六時間延びる」
榊原が補足する。
「緊急案件では致命的だ。特に邦人救出、要人退避、医療搬送ではな」
アカネが数字を入力する。
「では第二拠点単体の採算ではなく、他案件への波及効果を含めて評価します」
「できる?」
「できます。ただし」
「ただし?」
「計算が面倒です」
ホオズキが目を細めた。
「あなたがそれを言うの?」
「私でも面倒なものは面倒です」
冬馬が口を挟んだ。
「データなら出せます」
アカネが彼を見る。
「どこまで?」
「過去三年間の全作戦について、第二拠点を使用した場合と使用しなかった場合の展開時間差、燃料消費、航空機使用時間、人員拘束時間を推定できます」
「精度は?」
「87パーセント前後」
「90にできません?」
「できます」
「どのくらい?」
「計算時間が増えます」
「ならお願いします」
冬馬がアカネを見る。
「人使いが荒いですね」
「数字は正確な方が美しいでしょう?」
「美学でCPUを酷使しないでください」
榊原が咳払いした。
二人が止まる。
「議論を整理するぞ」
さすがだった。
一言で部屋の空気が締まる。
榊原はホワイトボードへ立ち、マーカーを握った。
「選択肢は三つだ」
大きく数字を書く。
一、現状維持。
二、縮小運用。
三、機能再編。
「現状維持は?」
アカネ。
「長期的に赤字化する可能性が高いです」
「縮小は?」
冬馬。
「監視、人員、通信量は削減できます。ただし即応性が落ちます」
「機能再編」
ホオズキが呟いた。
榊原が頷く。
「第二拠点を単独で採算を見る拠点ではなく、地域全体を支援する中継基地として扱う」
アカネの目が変わった。
「なるほど」
冬馬も画面を切り替える。
「それならネットワーク構成も変えられます」
「説明して」
ホオズキが言う。
冬馬は三秒考えた。
「難しく言いますか?」
「簡単に」
「第二拠点に仕事を集めます」
「非常に分かりやすい」
アカネが続けた。
「補給、通信、装備整備、航空支援、契約管理の一部を集約すれば、周辺小拠点を縮小できます」
榊原。
「現場の戦闘部隊は?」
「減らしません」
ホオズキが即答する。
アカネが顔を上げる。
「そこは固定ですか?」
「固定」
「理由は?」
「契約上必要だから、だけじゃない」
ホオズキは地図を見る。
「拠点に人がいるから、現地スタッフも協力企業もヤタガラスを信用する。サーバーや倉庫だけ置いて、“何かあったら本部から行きます”では遅い」
榊原が小さく頷いた。
「現場感覚として正しい」
冬馬も言う。
「セキュリティ上も、人間の監視は最後まで必要です」
アカネがため息をつく。
「人件費は高いんですけどね」
ホオズキを見る。
「削ります?」
「削らない」
「ですよね」
「その顔は何?」
「聞くだけ無駄だったな、と思いまして」
「一応聞きなさい」
「聞きました」
「ならいいわ」
また資料が進む。
そこから四十五分。
会議はさらに小難しくなった。
設備減価償却。
現地法人税。
VPN帯域。
衛星回線冗長化。
キャッシュフロー。
事業継続計画。
ゼロトラスト。
航空燃料の長期契約。
政治リスク保険。
車両更新周期。
装備品共通化。
補給品のABC分析。
どこからか「CAPEX」と「OPEX」という単語が飛び出し、
その十分後には、
「RTOとRPOの整合性が」
「EBITDAで見ると」
「フェイルオーバー時の認証基盤が」
「それは固定費なのか変動費なのか」
という普通の人間には呪文にしか聞こえない会話が始まっていた。
午後三時三十七分。
ホオズキが突然言った。
「休憩」
全員が止まった。
榊原が時計を見る。
「まだ予定より十三分早いが」
「脳が限界」
アカネが少し笑った。
「代表でもそうなるんですね」
「あなたたち三人が異常なの」
冬馬が言う。
「榊原副代表は途中からほぼ聞き役でした」
「久世」
「はい」
「敵を増やさない方がいいわ」
「了解」
自販機から飲み物を取って戻ってくる。
ホオズキはブラックコーヒー。
榊原は緑茶。
アカネは無糖の紅茶。
冬馬はエナジードリンクを手にしていた。
ホオズキがそれを見る。
「それ禁止」
「なぜです?」
「今日二本目でしょう」
「一本目です」
「朝、一本飲んでた」
冬馬が黙る。
アカネが横を見る。
「監視されてますね」
「代表ですから」
「意味が違うと思います」
榊原が静かに冬馬から缶を取り上げた。
代わりに水を置く。
「飲め」
冬馬が水を見る。
「……この組織は健康管理が強権的ですね」
「嫌なら労基署へ行け」
榊原が言う。
「PMCにその台詞を言わせないでください」
休憩終了。
そして午後四時十二分。
ついに結論が出た。
第二拠点は維持。
ただし機能を再編。
周辺三拠点の補給・通信・整備機能を第二拠点へ集約する。
現地戦闘要員は維持。
事務要員を一部統合。
SOC監視は自動化比率を高める。
通信契約は再交渉。
車両は三車種から二車種へ統一。
航空輸送は年間契約方式へ変更。
そして財務評価については、単独拠点利益ではなく地域全体への貢献利益で判断する。
アカネがまとめる。
「試算上、二年目から年間約8.4パーセントのコスト削減」
冬馬。
「監視負荷は約17パーセント減」
榊原。
「即応能力は維持」
ホオズキ。
「人員削減なし」
四人が資料を見る。
沈黙。
問題ない。
ようやく終わった。
ホオズキが椅子にもたれた。
「……二時間」
榊原。
「二時間十一分だ」
「銃撃戦の方が楽ね」
「代表がそれを言ってはいけません」
アカネが笑う。
冬馬は水を飲みながら言った。
「ただ、一点だけ」
ホオズキの顔が固まる。
「まだあるの?」
「来年度予算に反映するには、部門別の配賦基準を変更する必要があります」
アカネが顔を上げた。
「あ」
榊原も目を閉じる。
ホオズキは嫌な予感しかしなかった。
「それ、どれくらいかかる?」
アカネが考え込む。
「会議一回では終わらないですね」
冬馬。
「三回程度かと」
榊原。
「財務、作戦、情報システム、調達も入れる必要がある」
ホオズキはしばらく黙っていた。
そして。
「敵拠点でも襲いに行かない?」
榊原が即答する。
「逃げるな」
「代表命令よ」
「却下だ」
「副代表が代表命令を却下しないで」
アカネが手帳を開いた。
「では次回は月曜十時で」
「予定を入れないで」
冬馬がPCを操作する。
「会議室を押さえました」
「早い」
「参加者にも通知しました」
「早すぎる!」
榊原が立ち上がる。
「九条代表」
「何」
「組織を率いるというのは、こういうことだ」
ホオズキはしばらく榊原を睨んだ。
やがて深く息を吐く。
「……分かってるわよ」
資料をまとめる。
大型モニターには、今日二時間かけて作り上げた新しい拠点運用構想が表示されていた。
戦場で誰かを救うため。
隊員を生きて帰すため。
依頼を遂行するため。
その裏側には、
こんな地味で、
面倒で、
恐ろしく細かい仕事が山ほどある。
ホオズキは席を立つ。
「次回までに資料を読んでおく」
アカネが微笑んだ。
「全部ですか?」
「……何ページ?」
「暫定で百八十七ページです」
ホオズキが止まった。
冬馬が補足する。
「別紙を含めると二百四十三」
再び沈黙。
ホオズキはゆっくり振り返る。
「ねえ」
三人を見る。
「ヤタガラスって、傭兵会社よね?」
榊原が答えた。
「そうだ」
「間違ってない?」
「間違っていない」
ホオズキは天井を見上げた。
「もっとこう……銃とか撃つ仕事じゃなかった?」
アカネがにこやかに答える。
「銃を撃つにも予算が要ります」
冬馬。
「通信も必要です」
榊原。
「計画もな」
三方向から正論が飛んできた。
ホオズキは何も言えなくなった。
その日のヤタガラス本部。
敵襲なし。
負傷者なし。
発砲なし。
損害なし。
ただし。
代表の精神的疲労だけは、過去最大級を記録した。




