95. 親友の結婚式の前に
アリスとノアの結婚式まで、あと数日となった日の午後。アリシアはミレイユと護衛を連れ、王都の一角にあるアリスの家を訪れていた。アリスは現在この国で一人暮らしをしており、結婚後はここを離れてノアと暮らすことになっている。
扉を叩いて間もなく、中から足音が近づいてきた。やがて扉が開き、姿を見せたアリスはアリシアの顔を見るなり嬉しそうに笑う。
「いらっしゃい、アリシア。待ってたわ」
「お邪魔するわね」
ミレイユと護衛には別の場所で待っていてもらい、アリシアは一人で家へ入った。結婚式を目前にしているからといって、アリスの様子が普段と大きく変わっているわけではない。数日後には花嫁になる彼女は今日もいつも通り明るく、アリシアを居間へ案内した。
室内には一人で暮らすには十分な家具が揃い、棚には本や小物が並んでいる。その一方、壁際にはいくつかの箱が置かれ、中にはすでに封をされたものもあった。結婚後にノアと暮らす家へ移るため、少しずつ荷物をまとめているのだろう。
「もう荷造りを始めてるのね」
「ええ。直前になって慌てるのは嫌でしょう? 使わないものから少しずつ運んでいるの」
まだ何日かはここで生活するため、すべてを運び出すわけにはいかないらしい。アリスは残っている箱を指して、あとは結婚式が終わってからでも十分だと話した。
アリシアは勧められた椅子へ腰を下ろした。ほどなくして茶と菓子が用意され、二人は向かい合って話し始める。王妃と元王女という肩書きを意識する必要もなく、最初に王都の広場で出会った頃から、二人の間に余計な遠慮が入り込むことはなかった。
「それで、準備は終わったの?」
「ほとんどね。衣装もできているし、式で使うものも揃ったわ。あとは当日を待つくらいかしら」
「随分余裕そうね。もう少し緊張しているのかと思ってたわ」
「緊張はしてるわよ。でも、それより楽しみなの」
そう答えるアリスの表情を見れば、どちらの気持ちが大きいのかは聞くまでもなかった。結婚の話が正式に進み始めた頃から楽しみにしていたのだから、式まで数日となった今になって急に落ち着くはずもない。
「だって、ノアと結婚するのよ?楽しみに決まってるでしょう?」
「はいはい。知ってるわよ」
あまりにも迷いなく言い切るものだから、アリシアは笑いながら茶へ口をつけた。アリスがノアをどれほど好きなのかについては、今さら確認する必要すらない。そもそも二人が親しくなったきっかけからして、ノアへの恋愛話だった。
そのことを考えた途端、初めて会った日の光景が頭へ浮かんできた。王都の広場でたまたま同じ卓を使っただけの女性から、婚約者へ自分から口づけしたなどという話を聞かされるとは、あの日のアリシアも予想していなかった。
「あなた、本当に昔から変わらないわね」
「あら、急に何?」
「初めて会った時のことを思い出したのよ。あの時もノアの話になった途端、嬉しそうにしてたでしょう?」
言われたアリスもすぐに思い出したらしい。懐かしそうに笑いながら、あの時はアリシアが何者なのかまったく知らなかったと口にする。
それはアリシアも同じだった。少し話してみれば気が合い、互いの恋愛や家族について随分話した後になって、相手が隣国の第四王女だと知った。しかもローゼンの婚約者候補としてこの国へやって来た女性だったのだから、驚かない方がおかしい。
「私、本当にびっくりしたのよ。まさか隣国の王女様が、人のいる王都の通りでうちの騎士に口づけしたなんて思わないでしょう?」
当時は聞いているだけで恥ずかしくなり、何度も声を上げてしまった覚えがある。今ではアリスならやりかねないと思えてしまうのだから、知り合ってから過ごした時間も随分長くなった。
「でも、私だって驚いたのよ?四歳の息子がいるって普通に話していた人が、ローゼン陛下がずっと探していたアリシアだったんだもの」
「それは……私も自分から名乗らなかったから」
「私だって王女だなんて名乗らなかったでしょう?お互い様よ」
二人は顔を見合わせ、そのまま笑った。もし最初から互いの素性を知っていたなら、あの日のような会話はできなかったかもしれない。何も知らないまま同じ卓へ座ったからこそ、アリシアとアリスとして知り合うことができた。
それから二人は何度も顔を合わせ、いつの間にか親友と呼べる関係になった。王妃となった今でも、アリスの前では以前と変わらない。アリスの方も遠慮する気などなく、こうして二人で茶を飲んでいれば、王宮での立場を意識する必要もなかった。
アリシアはふと、目の前で楽しそうに話している親友を見つめた。初めて出会った日には婚約者だと紹介されていたノアが、あと数日もすれば夫になる。
アリスは菓子を一つ取った後、思い出したようにアリシアへ視線を向けた。
「そうだ。結婚式の日、ちゃんと見ていてね」
「何を?」
「私がノアと結婚するところよ」
あまりに真っ直ぐな言葉だったので、アリシアは一瞬だけ目を瞬かせた。けれど、すぐにその意味を理解して微笑む。
「ええ。分かっているわよ」
「約束よ?」
「分かったわよ。何度も確認しなくても行くって言ってるでしょう?」
アリスは満足したらしく、嬉しそうに頷いた。その後も結婚式の衣装について尋ねてみたものの、当日まで見せないと断られてしまった。親友なのだから少しくらい見せてくれてもいいではないかと文句を言えば、親友だからこそ当日に見てほしいのだと言い返される。
代わりにアリスからは、アリシアが何を着てくるのかと尋ねられた。ミレイユと相談してすでに決めていると答えたところ、花嫁より目立つ格好だけはしないでほしいと念を押される。
「分かってるわよ。私だって結婚式くらい行ったことあるんだから」
「アリシアなら大丈夫だとは思ってるけど、王妃様が本気で着飾ったら困るもの」
「だから王妃として行くんじゃないって、何回話したと思ってるのよ」
二人でそんな話をしているうちに、時間は思っていた以上に早く過ぎていった。王宮へ戻る時間を考え、アリシアがそろそろ帰ると告げると、アリスも立ち上がって玄関まで見送りに来る。
途中で荷造りされた箱の横を通り、アリシアは一度だけ足を止めた。結婚式が終われば、アリスはこの家を離れてノアとの暮らしを始める。今度二人で茶を飲む時には、訪ねる場所も変わっているのだろう。
「何?」
「別に。ただ、次にお茶を飲む時は別の家なのねって思っただけ」
「ああ、それならノアの家に来ればいいじゃない」
「新婚の家に私が遊びに行くの?」
「いいでしょう?結婚したからって会えなくなるわけじゃないんだから」
あっさりと言われ、アリシアも確かにその通りだと思った。結婚して住む場所が変わったところで、二人の関係まで変わる理由はない。アリスなら結婚した後も、今日と同じように茶を用意して待っているのだろう。
玄関を出る直前、アリシアは振り返った。数日後には花嫁衣装を着ているはずの親友が、いつもと変わらない笑顔でそこに立っている。
「じゃあ、次に会う時は花嫁ね。楽しみにしてるわ」
「ええ。楽しみにしていて」
アリシアは笑って手を振り、待っていたミレイユたちとともに歩き出した。
初めて会った日、アリスは婚約者の話をするだけで嬉しそうに笑っていた。自分から追いかけ、自分から想いを告げ、自分から口づけまでした相手。そのノアが、あと数日でアリスの夫になる。
次に会う時、親友はどんな顔で彼の隣に立っているのだろう。そんなことを考えながら、アリシアは王宮への帰路についた。




