91. 侍女の恋は隠せない
ミレイユの大きな声が部屋に響き、アリシアは思わず目を丸くした。尋ねたのはユリウスとの関係がどこまで進んだのかという、それだけのことである。普段のミレイユなら多少からかったところで笑って返してくるのに、今は頬まで赤くしてアリシアを見つめていた。エレナを抱いているローゼンも何事かと顔を上げ、そばにいたエドガーまで二人の様子を不思議そうに眺めている。
「何をそんなに驚いてるのよ。ユリウスとは前から仲が良かったでしょう? 最近どうなのか聞いてるだけよ」
「どうって、普通ですよ、普通!お休みが重なった時に一緒に王都へ行ったり、ご飯を食べたり、買い物に付き合ってもらったりするくらいです!」
「十分進んでるじゃない。私、一緒に出かけてるなんて聞いてないわよ」
「だって好きなんですから、会いたいじゃないですか!」
勢いのまま言い切った直後、ミレイユの口がぴたりと閉じた。自分が何を口走ったのか理解するまでに少し時間がかかったらしく、アリシアが口元を緩める頃には耳まで真っ赤になっている。それでも俯いて黙り込むような性格ではなく、ミレイユは開き直ったように胸を張ると、笑うなら笑ってくださいと言わんばかりにアリシアを見返した。
「もう、いいですよ!好きです!ユリウス様のこと、ちゃんと好きですよ!これで満足ですか、アリシア様!」
「満足したわ。そこまで言うとは思ってなかったけど」
「私だって自分の気持ちくらい分かってますから!まあ……本人には、ここまで言ったことありませんけど」
「本人には言ってないの?」
再び顔を赤くしたミレイユに、アリシアはとうとう声を上げて笑った。ミレイユも最初こそ恥ずかしそうにしていたものの、すぐに釣られて笑い始め、二人の間に重苦しい空気など残らない。事情を知らなかったローゼンは第二近衛隊長とミレイユがそういう関係だったのかと納得した顔をしており、エドガーだけが大人たちの笑っている理由を理解できずに首を傾げていた。
「ママ。ミレイユお姉ちゃんはユリウスが好きなの?」
「そうみたいね。エドガーにはまだ少し早い話だけど」
「好きなら、好きって言えばいいのに」
「エドガー様!そう簡単じゃないんですよ!」
「どうして?」
四歳の子供から真っ直ぐに尋ねられ、ミレイユが返事に詰まった。アリシアとしても説明させてみたい気持ちはあったものの、これ以上続ければエドガーまで恋愛話に巻き込むことになる。そろそろ寝る時間だからと息子へ告げると、ローゼンも察したように立ち上がり、眠そうにしていたエレナを抱いたままエドガーを連れて部屋を出ていった。
扉が閉じて二人きりになると、アリシアは長椅子へ座り直し、向かいにいるミレイユへ隣を示した。ミレイユとは毎日のように顔を合わせているのに、エレナを身籠ってからは以前ほど他愛のない話をする時間が取れていない。娘が生まれてからはさらに慌ただしくなり、自分が知らない間にもミレイユの日々は進んでいたのだと、先ほどの話を聞いてようやく気づいた。
「それで?どこへ出かけたの?」
「聞いてくれるんですか?だったら最初から話しますよ。この前はユリウス様と市場へ行ったんですけど、私が欲しいものを決められなくて、二時間くらい付き合ってもらったんです」
「二時間も?」
「だって、どっちも良かったんですよ!ユリウス様なんて最後には『両方買えばいいんじゃないか』って言い始めて。そういう問題じゃないでしょう?」
身振りを交えながら話すミレイユを見ていると、その日の光景まで容易に想像できた。騎士として戦う時には頼りになるユリウスが、店先で二つの商品を見比べ続けるミレイユの隣に立ち、いつ終わるのか分からない買い物へ黙って付き合っている。想像すればするほどおかしくなり、アリシアは笑いながら続きを促した。
「それから食事に行ったんです。ユリウス様が店を探してくださっていたんですけど、すごく真剣に選んでいたみたいで。私、どこでもいいですよって言ったのに、せっかくだからって」
「ユリウスらしいわね。そういうところは妙に真面目だもの」
「そうなんですよ!もっと適当でいいのに、何でも一生懸命なんです。……まあ、そういうところも好きなんですけどね」
今度は口にしてから慌てることもなく、ミレイユは楽しそうに笑った。その顔を見れば、ユリウスと過ごす時間をどれほど楽しんでいるのかは聞くまでもない。アリシアは頬杖をつきながら話を聞き、どうして今まで教えてくれなかったのかと尋ねた。
「だって、アリシア様は大変だったじゃないですか。エレナ様が生まれたばかりの頃なんて、寝不足でふらふらしている日もあったのに、そこで私が恋愛の話を始めるわけにはいきませんよ」
「別に聞いたのに。あなたの話を聞くくらいならできたわよ」
「だったら今から聞いてください!話してないこと、まだいっぱいありますから!」
すぐに身を乗り出したミレイユに、アリシアは笑って頷いた。その後もしばらく話は続き、二人で王都を歩いた日の出来事から、ユリウスが何気なく言った言葉まで次々に飛び出してくる。時間が遅くなったところでようやく切り上げることになり、ミレイユは久しぶりにたくさん話せたことに満足した様子で部屋を出ていった。
◇
翌日の午後、アリシアは午前中の仕事を終え、ミレイユとともに王宮の回廊を歩いていた。昨日の夜にあれほど恋愛話をしていたというのに、ミレイユは朝からいつも通り元気で、抱えている書類を確認しながら次の予定について話している。アリシアが昨日の話を持ち出してからかえば、少し頬を膨らませる程度で、恥ずかしがって逃げようとする様子はなかった。
中庭へ続く回廊へ差しかかったところで、第二近衛の騎士たちが向こうから歩いてきた。先頭にいるユリウスを見つけるなり、ミレイユは嬉しそうに表情を明るくし、周囲にいる騎士たちを気にすることもなく手を上げる。昨日の夜には本人へ好きだとは言えないと話していたくせに、顔を合わせること自体には何の緊張もないらしい。
「ユリウス様、お疲れさまです!訓練帰りですか?」
「ああ。これから午後の警備について確認するところだ。君も仕事か?」
「アリシア様が公務に戻られたので、これから忙しくなります!」
笑顔で答えるミレイユに対し、ユリウスはどこか言葉を選んでいるように見えた。視線がミレイユへ向かっては離れ、何か話したそうにしているのに口を開かない。昨夜の話を聞いた後だからこそ、その不器用な様子が余計に分かりやすく、アリシアは二人を交互に見ながら足を止めた。
「ミレイユ、ちょうどいいわ。これをレオナードへ届けてきてくれる?」
そうしてミレイユに別の仕事を任せ、アリシアはユリウスを連れて人通りの少ない庭の一角へ移動した。植え込みに囲まれた小道まで来ると、ユリウスは周囲を確認してから足を止める。先ほどミレイユを相手にしていた時とは違い、その表情には第二近衛隊長として仕事へ向き合う時と同じ真剣さが戻っていた。
「貴方、もしかしてミレイユの事を……」
「流石アリシア様ですね。皆さんには内緒にしているのですが。私は彼女と、この先も真剣に付き合っていきたいと考えています。今すぐという意味ではありませんが、いずれは結婚することも考えています」
どうやらアリシアの気づかない所で二人は既に付き合っているらしかった。昨夜のミレイユの言葉を濁した言い方はそういう声だったのかと妙に納得してしまった。
ユリウスは、思っていたより先まで考えていたらしく、アリシアは僅かに目を見開いた。昨夜のミレイユは市場へ行ったことや食事をしたことを嬉しそうに話していたが、結婚については一度も口にしていない。ユリウスもまだ本人へ伝えていないのだろうと察し、アリシアは口を挟まずに続きを待った。
「ミレイユは王妃陛下に仕える侍女です。私と結婚することになれば、今までと同じ生活を続けられない可能性もあります。彼女が大切にしている仕事を、私との結婚によって手放すことになればと思うと……簡単に話を進めていいものか迷っています」
「それをどうして私に聞くの?」
「王妃陛下のおそばを離れることになるかもしれませんので、先にお考えを伺っておくべきかと思いました」
真面目なユリウスらしい考え方ではあるものの、アリシアには順番が違っているように思えた。ミレイユが結婚後も侍女を続けたいと望むのか、別の道を選びたいと考えるのか、今の段階では誰にも分からない。ユリウスが彼女のためを思って悩んでいることは伝わってきても、本人を置いたまま周囲だけで将来を決めるわけにはいかなかった。
「だったら、最初にミレイユへ聞きなさい。結婚しても私のところで働きたいのか、別の生活を選びたいのか、それを決めるのはあの子でしょう?」
「ですが、もし私との結婚によって負担をかけることになれば――」
「大切に思っているなら、なおさら勝手に決めちゃ駄目よ。あなたがどれだけミレイユのことを考えて出した答えでも、本人が同じことを望んでいるとは限らないもの」
言葉にしながら、アリシアの脳裏にはローゼンの顔が浮かんでいた。守るために選ばれた別れが自分に何を残したのかを、アリシアは忘れていない。ユリウスとミレイユの間に同じことが起こるとは思わないが、相手を思う気持ちを理由に選択する権利まで奪ってほしくはなかった。
「私にも選ばせてほしかったって、昔ローゼンに言ったことがあるの。だからあなたも、ミレイユにちゃんと選ばせてあげて。仕事を続けるのかどうかも、あなたとどんな家庭を作りたいのかも、二人で決めればいいでしょう?」
「……そうですね。私はまだ、肝心なことを彼女に聞いていませんでした」
「まずそこからよ。私の許可なんて、その後で十分だわ」
ユリウスはしばらく考えた後、深く頷いた。張りつめていた表情も少し和らぎ、まずはミレイユへ自分の考えを伝えてみると口にする。アリシアもそれなら安心できると思い、そろそろ戻ろうとしたところで、庭の入口から聞き慣れた元気な声が飛んできた。
「アリシア様ー!届けてきましたよ!もうお話は終わりましたかー!」
ミレイユは遠くから手を振りながら歩いてきたかと思えば、二人の近くまで来たところで急に歩調を速めた。何を話していたのか知りたくて仕方がないらしく、アリシアの隣へ並ぶより先にユリウスの顔を覗き込む。ユリウスが反射的に視線を逸らしたことで、ますます怪しいと確信したようだった。
「ほら!やっぱり私の話をしてたんでしょう? 何の話ですか?」
「それは……今度、私から話す」
「今度っていつですか?今日ですか?明日ですか?」
「そういう意味ではなくてだな……」
「じゃあ、どういう意味なんですか!」
いつもは部下をまとめているユリウスが完全に押されている姿を前にして、アリシアは堪えきれず笑った。昨夜は本人に気持ちを伝えるのは難しいと言っていたミレイユも、こうして顔を合わせれば遠慮する気配などない。二人がこれからどんな話をすることになるのか興味はあったが、そこから先までアリシアが割り込む必要はなかった。
次の仕事へ向かう時間が迫っていたため、アリシアはミレイユを連れて庭を出た。回廊へ戻ってからもミレイユは何度も後ろを振り返り、ユリウスの姿が見えなくなると今度はアリシアへ質問を浴びせ始める。何を聞かれても教えるつもりはなく、アリシアは前を向いたまま歩き続けた。
「アリシア様、本当に教えてくれないんですか? 私のことなのに!」
「本人から聞きなさい。私から話したら意味がないでしょう?」
「本人ってユリウス様ですよね?何を聞かされるんですか、私?」
アリシアは答えず、少しだけ口元を緩めて歩みを進めた。ミレイユも隣で何度か首を傾げながら歩いていたが、やがて何か思いついたように目を見開き、勢いよくアリシアの方へ顔を向ける。
「えっ、何ですかそれ!余計に気になるんですけど!」




