84. 赤ちゃんを迎える準備
第二子の妊娠が分かってからしばらく経ち、アリシアのお腹も少しずつ目立つようになっていた。それに合わせるように、王宮では赤ん坊を迎えるための準備も本格的に始まっている。その日の昼下がり、アリシアの部屋には小さな衣服や毛布、寝具の見本、それに必要な家具の資料まで次々と運び込まれていた。窓から差し込む柔らかな光の中、アリシアとローゼン、エドガーの三人は並んでそれらを見ていたが、始まって早々、アリシアはすでに嫌な予感がしていた。
原因はもちろんローゼンだった。まだ生まれてくる子が男の子か女の子かも分からないというのに、色違いの服を何着も選び、小さな毛布も数種類、さらにどう考えてもしばらく使わないような靴まで候補へ加えようとしている。最初は楽しそうに見ていたエドガーですら、並べられていく品の数を見て首を傾げ始めた。
「パパ、こんなにいるの?」
「いらないわよ」
即座にアリシアが否定すると、ローゼンは納得していない顔をした。足りなくなるより多い方がいいというのが本人の理屈らしいが、アリシアとしては赤ん坊一人を迎えるために王宮の一室を店のようにするつもりはない。
「服なんてすぐ着られなくなるんだから、最初からこんなに揃えてどうするのよ。毛布だって何枚必要だと思ってるの?」
「汚れることもある」
「だからってこの数はいらないでしょう」
二人の間で軽いやり取りが続き、エドガーは困ったように父と母を交互に見上げている。アリシアは最後に並べられた候補を指先で示しながら、改めてローゼンへ念を押した。
「赤ちゃん、一人よ?」
そこまで言われて、ローゼンもようやく少しだけ考え直したらしい。全部を諦めたわけではなかったが、衣服と毛布の候補をいくつか減らす。それでもアリシアから見ればまだ多いものの、これ以上言えばまた増やそうとしかねないので、そのくらいで妥協することにした。
ひと通り必要なものを見終えたところで、今度はエドガーにも赤ん坊のために何か一つ選んでみるかと聞いてみた。すると、さっきまで父親の買いすぎを面白そうに眺めていた顔が一気に真剣になる。並べられた品の前へしゃがみ込み、小さな服や飾りを一つずつ見比べていく。その中からエドガーが選んだのは、豪華な刺繍の入ったものでも高価な飾りでもなく、柔らかな布で作られた小さなおもちゃだった。赤ん坊の手でも掴めそうな大きさで、揺らすと中で控えめな音が鳴る。
選び終えたあとも、エドガーはすぐには嬉しそうな顔をしなかった。手の中のおもちゃを見つめ、少しだけ不安そうに眉を寄せる。
「赤ちゃん、これ好きかな」
「ええ、きっと喜ぶわよ」
アリシアが答えると、ローゼンも隣から静かに続けた。
「お兄ちゃんが選んだものだからな」
その言葉を聞いた途端、エドガーの表情が明るくなった。まだ生まれてもいない赤ん坊へ渡す最初の贈り物を、大事そうに両手で持っている。
その後、三人は赤ん坊が使う予定の部屋を見に行った。王宮の中でもアリシアたちの部屋からそれほど離れていない場所にあり、まだ家具はほとんど置かれていない。大きな窓から入る昼の光だけが広い床へ落ち、壁際にはこれから運び込まれる家具の位置を示す目印がいくつか残されていた。
エドガーは部屋へ入るなり、興味津々で中を歩き回った。
「赤ちゃん、ここで寝るの?」
「そうなるわね」
「いつから一緒に遊べる?」
「生まれてすぐは無理よ。最初は寝てることの方が多いんだから」
それを聞いたエドガーは少しだけ残念そうな顔をしたものの、すぐに気を取り直したらしい。なら大きくなるまで待つと言い、その頃になったら庭を案内して、王宮の中も見せてあげるのだと楽しそうに話し始めた。どうやら自分が気に入っている場所を全部教えるつもりらしく、まだ生まれていない弟か妹との予定だけがどんどん増えていく。
しばらく部屋の中を見て回ったあと、アリシアは廊下へ出たところで少しだけ足を止めた。思ったより長く立っていたせいか、腰の辺りに重さを感じる。大したことではないと思ったものの、その僅かな変化をローゼンはすぐに見逃さなかった。
「少し休んだ方がいい」
「これくらい大丈夫よ」
いつものように返しかけたが、今回は自分でも疲れていることが分かっていた。結局それ以上は意地を張らず、近くに用意されていた椅子へ腰を下ろす。
「……分かったわよ。座ればいいんでしょう」
少し不満そうに言いながらも素直に従ったことに、ローゼンは何も言わなかった。ただ、明らかに安心した顔をしているので、アリシアはそれを見て小さく息を吐く。過保護なのは相変わらずだったが、今の身体が以前より疲れやすくなっていることくらい、アリシア自身も分かっていた。
その隣へエドガーもやってきた。少し前から気になっていたらしく、椅子へ座ったアリシアのお腹をじっと見つめている。以前より膨らみが分かるようになってきたとはいえ、まだ大きいというほどではない。
「本当にここに赤ちゃんいるの?」
「いるわよ。触ってみる?」
そう言われると、エドガーは急に慎重になった。強く触ったらいけないと思っているのか、最初は指先だけをそっとお腹へ置く。
しばらく待っても何も起こらない。
「寝てるのかな」
「そうかもしれないわね」
アリシアが笑った、その直後だった。
お腹の内側で、小さく動く感覚があった。
エドガーの目が一気に大きくなる。
「いま、動いた!」
驚いて一度手を離したものの、すぐにまた触れようとする。今度は両手をそっと添え、もう一度動かないかと期待するようにじっと待っている。その真剣な顔がおかしくて、アリシアは楽しそうに笑った。
「びっくりした?」
「うん!赤ちゃん動くんだ!」
「ちゃんと中にいるんだから、動くこともあるわよ」
それを聞いたエドガーはますます嬉しそうになり、まだ動かないかとお腹から手を離そうとしない。
そんな二人の様子を、少し離れたところからローゼンがじっと見ていた。
アリシアはしばらく気づかないふりをしていたが、あまりにも分かりやすいので、とうとう小さくため息をついた。
「……分かってるわよ。あなたも触りたいんでしょう?」
その反応だけで十分だったらしく、アリシアは少し笑いながらローゼンの手を取った。そのまま自分のお腹へそっと置く。隣ではエドガーも期待するように父親の手元を見つめている。
しばらくは何も起こらなかった。
ローゼンも動かず、ただ掌に神経を集中させるようにじっとしている。
やがて、もう一度小さくお腹が動いた。
普段なら驚いても大きく顔へ出すことはほとんどないのに、今だけは目を僅かに見開き、そのあとゆっくりと嬉しそうな表情へ変わっていく。その変化を見たエドガーが、すぐに声を弾ませた。
「パパのときも動いた!」
ローゼンは何も答えず、まだ手を置いたままアリシアのお腹を見ていた。その顔を見れば、何を感じているのかは十分に分かる。
アリシアはそんな二人を交互に見ながら、少しだけ目を細めた。
自分のお腹の中にいる赤ん坊を、ローゼンとエドガーがこうして一緒に待っている。まだ顔も分からず、声を聞いたこともない。それでも、もう二人にとっては間違いなく家族だった。
「……全くいつまで触ってるのよ」
さすがに長くなってきたので言うと、ローゼンはようやく我に返ったように手を離した。どこか名残惜しそうなのが分かりやすすぎて、アリシアは思わず笑う。エドガーもまだ触っていたそうだったが、赤ちゃんも休みたいかもしれないと言われると素直に手を引いた。
その日の終わりには、選んだ小さな衣服や毛布、寝具の見本、それにエドガーが選んだ布のおもちゃが、赤ん坊のために用意された部屋の片隅へまとめられていた。まだ家具も揃っておらず、赤ん坊が生まれる日も先のことだったが、少しずつ物が増えるたびに、空っぽだった部屋にはこれから誰かを迎える場所らしさが生まれていく。
アリシアはそんな部屋を眺めながら、自分のお腹へそっと手を添えた。
すぐ隣では、エドガーが今日選んだ贈り物をもう一度確かめ、ローゼンは減らされたはずの赤ん坊用品をまだ少し増やせないか考えているような顔をしている。
四人家族になる日は、少しずつ近づいていた。




