78. 結婚準備
二度目の求婚から数日後、王宮ではローゼンとアリシアの再婚に向けた準備が本格的に始まっていた。式の日取りや招待客、警備や式次第といった政務上の確認はすでに別の場所で進められていたが、アリシアにとって最も実感を伴ったのは、自分の部屋に朝から仕立て師や侍女たちが出入りし始めたことだった。大きく開けられた窓から明るい光が差し込み、その下には淡い色の布地が幾重にも重なり、机の上には刺繍糸や細かな装飾品、宝石をあしらった留め具まで並べられている。部屋の一角だけを見れば、まるで小さな仕立て工房のようだった。
その中でも特に張り切っていたのがミレイユで、仕立て師が新しい布を広げるたびに真剣な顔で見比べ、刺繍の見本が出されればアリシア本人より先に身を乗り出している。最初こそ、そこまで大げさにしなくてもいいのではないかと思っていたアリシアだったが、次々と候補を見ているうちに、今回は周囲へ任せきりにする気にはなれなくなった。袖は少し細めの方が動きやすく、裾は長すぎない方がいい。刺繍も華やかすぎるものより控えめな方が好みだと、一つずつ自分の希望を伝えていく。
「こちらの刺繍はいかがですか!?」
ミレイユが見本を差し出すと、アリシアは少し考えてから首を傾げた。
「悪くないけど、もう少し少なくていいわ。全体が重く見えるもの」
以前なら何でもいいと流していたような細かな部分にも、今回は自然と目が向いていた。鏡の前で布を肩へ当てられると、少し照れながらも色合いを確かめ、自分が着たいと思えるものを選んでいく。その姿を見ていたミレイユは、どこか嬉しそうだった。誰かに用意されたものをただ受け取るのではなく、自分の式のために自分で決めている。そのことをアリシア自身も、思っていた以上に楽しんでいた。
そんな中、午前の半ばを過ぎた頃にエドガーが部屋へやってきた。濃紺を基調にした小さな礼装を身につけ、襟や袖口には銀糸の刺繍が入っている。本人もかなり気に入っているらしく、アリシアの前まで来ると、その場でくるりと一回転して見せた。
「どう?」
「すごく似合ってるわ。格好いいじゃない」
褒められたエドガーは満足そうに笑ったものの、どうやら本当に気になっているのは礼装の方ではないらしい。
すぐにアリシアのそばへ寄ると、また式までの日数を尋ねてきた。朝にも同じことを聞かれたばかりだったが、アリシアは呆れながらももう一度答える。エドガーはその日数を指折り数え、納得したように何度も頷いた。
彼にとってこれは王と王妃の婚姻ではなく、父と母がもう一度一緒になる日なのだろう。そのことが、何度同じ質問をされても嫌にはならない理由だった。
午後になると、今度はローゼンが婚礼関係の確認を理由に顔を出した。式場の花の配置や警備の動線、エドガーがどこへ立つのかといった細かな部分まで把握しているらしく、本来なら担当者に任せても問題ないことまで確認している。アリシアはその様子をしばらく見ていたが、すぐに普段とは違うことに気づいた。政務の合間に何度も顔を出すような人ではないし、まして婚礼衣装の進み具合まで気にする理由はない。それなのに、ローゼンの視線は何度か部屋の奥へ向かっていた。そこには、まだ仕上げ途中の婚礼衣装が置かれている。
「そんなに気になるなら、当日まで待ちなさいよ」
先に指摘され、ローゼンは一瞬だけ黙った。
「け、決して見ようとしたわけではないからな」
「そういうことにしておくわ」
それ以上言い訳を重ねる前に、ミレイユがきっぱりと衣装は当日まで見せないと告げた。普段なら国王を前に少なからず遠慮する彼女も、この時ばかりは容赦がなく、仕立て師たちも同意するように頷いている。さすがのローゼンもそれ以上押すことはできず、結局は衣装を見ることなく部屋を出ていった。その背中を見送りながら、アリシアは堪えきれずに笑った。本人は平静を装っているつもりなのだろうが、どう見ても浮かれている。
夕方になる頃には、朝から続いていた慌ただしさもようやく落ち着いた。仕立て師たちは道具や布地の大半を片づけ、侍女たちもそれぞれの仕事へ戻っていく。昼間は人の声で満ちていた部屋も、今では驚くほど静かだった。窓から差し込む光は赤みを帯び、床の上へ長い影を落としている。アリシアは一人、少し離れた場所から仕上げ途中の婚礼衣装を眺めた。まだ細かな刺繍や装飾は残っているものの、袖や裾の形はすでにはっきり分かるところまで仕上がっている。朝にはただの布だったものが、少しずつ自分のための衣装へ形を変えていくのを見ていると、式の日が急に現実味を持って感じられた。
しばらくして、扉を叩く音がした。入ってきたのはローゼンだったが、今度は書類も持っていないし、後ろに担当者がついているわけでもない。何かを確認しに来た様子には見えなかった。
「今日はもう終わったのか」
「ええ。やっと静かになったわ」
ローゼンは窓辺まで来ると、そのままアリシアの隣に立った。外では日が沈みかけ、庭の木々が赤い光に包まれている。昼間の賑やかさが嘘のように静かな部屋で、二人はしばらく同じ景色を眺めていた。
「疲れたか?」
「少し。でも、思ってたより楽しかったわ。今回は自分で選べるものが多いから」
そう答えると、ローゼンは少し安心したように笑った。
ちょうどその時、遠くの廊下から聞き慣れた声が響いてきた。
「あと何日ー?」
どうやらまた誰かに聞いているらしい。
アリシアは一瞬黙ったあと、思わず吹き出した。ローゼンも小さく笑い、やがてその声が遠ざかると、部屋には再び夕暮れの静けさが戻った。
アリシアはもう一度、仕上げ途中の婚礼衣装を見た。つい数日前までは、求婚されたばかりだったはずなのに、今はもう自分のための衣装が目の前にある。
そのことが不思議で、少しだけ嬉しかった。
アリシアはほんの僅かに目を細めた。
式の日は、もうすぐそこまで来ていたのだ。




