75. オリーファとの決戦②
アリシアの問いを受けた瞬間、オリーファは言葉を失った。紛れもない失言だった。
先ほどまでなら、どんな疑いを向けられても即座に別の可能性を並べ、こちらの追及そのものが乱暴であるかのように見せていた。それなのに今は、口を開いてもすぐには声が出てこない。広間に集められた重臣や役人たちも、その不自然な沈黙を見逃さず、誰一人としてオリーファから視線を外さなかった。
やがて彼女は、毒を酒へ混ぜるなら粉のような状態を使うと考えるのは自然だと取り繕ったものの、声にはすでに先ほどまでの余裕がない。四年前の酒器が本当に当時のまま保管されていた保証はない、自分が先王へ葡萄酒を運んでいたことと毒殺は別の話だと何度も言葉を重ねたが、今となってはどれも苦しい言い逃れにしか聞こえなかった。
アリシアはそれ以上すぐには追及せず、ただ静かにオリーファを見つめていた。その沈黙の方が、かえって彼女を追い詰めたのだろう。やがてオリーファ自身も、もう誰も自分の言葉を信じていないことに気づいたらしい。ふっと息を吐いたかと思うと、突然小さく笑い始めた。その笑いは先ほどまでの取り繕った余裕とは違い、張りつめていたものが切れたような乾いたものだった。
「……ええ。そうよ。私が入れたわ」
あまりにもあっさりとした告白に、広間の空気が一変した。オリーファは、最初から先王を殺すつもりだったわけではないと続けた。正妃を失って以降、先王は身体だけでなく心も弱り、人を疑いやすくなっていた。そこへ少量ずつ毒を与えてさらに体調を悪化させれば、自分を頼るようになると考えたのだという。具合が悪くなれば自分を呼び、自分が持っていったものを口にし、自分の言葉を信じる。そうやって先王を完全に自分へ依存させたかっただけで、死んだのは身体が想像以上に弱っていたからだと、最後まで自分の行いを正当化するように語った。
ローゼンは不思議と怒鳴らなかった。ただ、四年前の父の姿を思い出していた。以前なら考えられないほど疑り深くなり、レインフォート家を反逆者と決めつけ、一族の斬首まで口にしたあの夜。もちろん、父自身が下した判断である以上、その責任まで消えるわけではない。
それでも、すでに弱っていた父の身体と精神をオリーファが意図的に蝕み、自分に都合のいい方向へ追い込んでいたことだけは、これではっきりした。
アリシアも何も言わずに彼女を見ていた。四年前、自分とローゼンを引き裂いた出来事の裏側がようやく一本に繋がったのだと理解しても、失った時間が戻るわけではない。だからこそ、今さら感情のまま罵倒する気にもなれなかった。
ローゼンは十分だと判断し、近衛へ拘束を命じようとした。
「もういい。オリーファを――」
その途中で、オリーファが再び笑った。罪を認め、逃げ道を失った者とは思えないほど妙な余裕を取り戻した表情に、ローゼンもすぐ警戒する。だが彼女が見たのはローゼンではなく、隣に立つアリシアだった。
「ここには貴方とローゼン、二人いるわよね。でも……貴方の息子のエドガーは、一体どこにいるのかしら?」
アリシアは一瞬、その意味を理解できなかった。けれど次の瞬間には顔から血の気が引き、最後にエドガーを見たのはいつだったか、今は誰がそばにいるのか、護衛は何人ついているのかと必死に思い出そうとした。しかし焦りで頭の中がまとまらず、オリーファが楽しむように「今頃どうしているのかしら」と続けたところで、とうとう冷静さを保てなくなった。
「エドガーはどこ!?何をしたの!」
アリシアはオリーファへ詰め寄りかけたが、すぐにこんな場所で問い詰めている場合ではないと気づき、そのまま広間の出口へ向かって走り出した。四年間、一人で守り続けてきた息子が自分たちの争いに巻き込まれたかもしれない。その可能性だけで、先王の毒殺もオリーファの自白も一瞬どうでもよくなっていた。
「早く……!エドガーのところへ行って!誰か、早く確認して!」
アリシアが扉へ手を伸ばそうとした、その時だった。外側から扉が開き、第二近衛騎士団隊長のユリウスが姿を現した。急いできたらしく呼吸は僅かに乱れていたが、表情そのものは落ち着いている。アリシアが何かを尋ねるより先に、ユリウスはローゼンへ一礼した。
「ご報告します。王宮内部の裏切り者を発見し、即座に鎮圧いたしました」
アリシアは報告の意味を確かめる余裕もなく、すぐにユリウスへ詰め寄った。
「エドガーは!?」
「アリシア様。ご心配なく。王太子殿下はご無事です。怪我もありません。現在は第二近衛騎士団の者たちが保護しております」
その返事を聞いた途端、アリシアの身体から力が抜けた。倒れることこそなかったものの、扉の脇へ手をついて何度か息を整え、ようやく「……よかった」と掠れた声を漏らす。ローゼンもすぐそばまで来ると、アリシアは無意識にその腕を強く掴んだ。指先にははっきりと震えが残っており、本人が思っていた以上に恐怖していたことが伝わってくる。
オリーファを公の場へ呼び出すと決めた時点で、ローゼンたちは彼女が追い詰められた際に別の手段へ出る可能性も考えていた。特に王太子となったエドガーは最も分かりやすい標的になるため、ユリウス率いる第二近衛騎士団を表向きには普段通りに見せながらも、密かに周辺警護へ回していた。その結果、エドガーへ近づこうとした王宮内部の者たちを発見し、動く前に全員取り押さえることができたのだった。
その説明を聞いていたオリーファは、しばらく何も言わなかった。最後の切り札だったはずの策が失敗したことを理解できないようにユリウスを見つめ、やがて「……鎮圧?」と掠れた声で聞き返す。ユリウスが関係した者はすべて拘束したと答えた瞬間、今度こそオリーファの表情が完全に崩れた。
「そんなはずがないわ。あれだけ準備したのよ……王宮の中にも、まだ私に従う者はいたはずでしょう!」
自分で口にした直後、広間がざわついた。エドガーを狙った者たちと自分が繋がっていたことを、本人が認めたも同然だった。だがオリーファには、もう取り繕う余裕さえ残っていない。どうして全部うまくいかないのかと叫び、その怒りをアリシアへ向ける。四年前は王宮から追い出すことができ、ローゼンから引き離すこともできたのに、なぜ今さら戻ってきたのか。どうして息子まで連れて、再びローゼンの隣へ立っているのか。長い間押し隠していた感情が、一気に溢れ出していた。
「私の方がずっと王宮にいたのよ!先王だって私が支えてきた!この国のことだって、貴方なんかよりずっと分かっているのに、どうしていつも貴方なのよ!」
上品に整えられていた口調は完全に崩れていた。
一方、エドガーが無事だと知り、ようやく呼吸を整えたアリシアは、今度はオリーファを真っ直ぐに見た。先ほどまでとは違い、その目には息子へ手を出そうとしたことへの怒りがはっきりと浮かんでいる。それでも一緒になって叫び返すことはしなかった。
「ふざけないで!自分の為なら、人の息子まで手を掛けるのね。同じ母親として、貴方は人として失格よ!!」
オリーファは「貴方さえ戻ってこなければ」と叫びながらアリシアへ掴みかかろうとしたが、その前に近衛が両腕を押さえた。それでも身体を捩って暴れ、「私は間違っていない」「全部王家のためだった」と叫び続ける。
「もういい」
ローゼンの声が広間に響いた。その一言で周囲が静まり返る。
「父を毒で弱らせ、その状態を利用し、私とアリシアを引き裂いた。王宮の者たちを自分のために動かし、最後には息子のエドガーまで狙った。それを王家のためとは呼ばない」
オリーファはなおも言い返そうとしたが、ローゼンはもう聞かなかった。
「連れていけ」
近衛に引かれていく間も、オリーファの視線だけはアリシアから離れなかった。
「貴方が王妃になっても、私は絶対に認めないわ!」
アリシアは少しも怯まず、そのまま見返した。
「別に、あなたに認めてもらう必要はないわ。私は彼を心から愛しているから。地位を得るために隣にいたいんじゃない。ローゼンだから、隣にいたいのよ」
オリーファはなおも何か叫んでいたが、近衛によって広間から連れ出され、やがて扉が閉じた。その声が遠ざかっていくにつれて、四年前から長く続いていた因縁がようやく終わったのだと、少しずつ実感が追いついてくる。
静けさが戻ると、アリシアは真っ先にユリウスへエドガーの無事をもう一度確認した。怪我はなく、現在も第二近衛騎士団がそばにいると聞いて、ようやく肩の力を抜く。ローゼンが隣へ立つと、アリシアは何も言わずその手を握った。まだ指先には僅かな震えが残っており、ローゼンもそれを包むように強く握り返す。
二人はしばらく、オリーファが連れ出された扉を見つめていた。




