74. オリーファとの決戦①
オリーファが呼び出されたのは、ローゼンの私室ではなかった。先王の死と王家そのものに関わる問題である以上、あとになって密室で都合のいい証拠を作られたなどと言わせるわけにはいかない。そのため王宮の広間には、宰相をはじめとする重臣や当時の記録を扱う役人など、証拠の確認に必要な者たちが集められていた。中央には長机が置かれ、そこには先王が晩年に使っていた酒器や記録、翡翠色の解毒剤、そして先王が愛飲していたものと同じ種類の濃い葡萄酒が用意されている。ローゼンの隣にはアリシアが立ち、広間の出入口には近衛が控えていた。
やがて扉が開き、オリーファが姿を現した。中へ足を踏み入れた瞬間だけ歩みが僅かに鈍ったものの、これほど多くの人間が集められている理由を尋ねることもなく、すぐにいつもの平静さを取り戻す。むしろ衆人環視の場であることに安心したのか、堂々と広間の中央まで進み、ローゼンへ礼を取った。
「突然のお呼び出しですが、何かございましたか?」
「父の死について、改めて調べている」
ローゼンがそう告げると、オリーファの眉が僅かに動いた。四年も前に病死として処理された先王について、なぜ今さら調べ直す必要があるのかと尋ねたが、ローゼンはそれには答えず、中央の長机へ視線を向けた。
「これを覚えているか」
示されたのは、先王が晩年に使っていた酒器だった。オリーファはしばらくそれを眺めたあと、特別なものではないと言いたげに小さく頷いた。
「先王陛下がお使いになっていたものの一つですね。それが何か?」
「保管されていたこの酒器を調べたところ、細かな装飾の隙間から残留物が見つかった。毒性のあるものだ」
その言葉が広間へ落ちた途端、重臣たちの間に低いざわめきが広がった。先王の遺品から毒が見つかったという事実を知っていた者は、ここに集められた中でもごく一部だけだった。だがオリーファはすぐには動揺を見せず、むしろ冷静に酒器へ目を向けたまま反論した。
「四年も前の品なのでしょう?保管されている間に何が付着したのかなど分からないではありませんか。それだけで先王陛下の死と結びつけるのは、あまりにも早計かと存じます」
「その通りだ」
ローゼンがあっさり認めると、オリーファの目が僅かに細くなった。
「でも、これだけで貴方を呼んだわけではないのよ」
そこから先は、アリシアが引き継いだ。それまでローゼンの隣で黙っていた彼女は一歩だけ前へ出ると、広間にいる全員へ見えるよう、机の上の翡翠色の解毒剤を示した。
「少し説明するわ。この解毒剤は翡翠色をしているけど、これが効く毒そのものは紫色なの。そして先日の襲撃で使われた毒も、同じ紫色だったの」
アリシアは続いて先王の酒器へ視線を向けた。そこから採取された残留物を調べたところ、水へ溶かした際には紫色を示し、性質も今回の事件で使われた毒と極めて近かった。そのことを簡潔に説明すると、重臣たちの表情がさらに険しくなる。
「先王は病死したことになっているわよね。でも、本当に病気だけだったのかしら。もし長い間、少しずつ毒を与えられていたなら、すぐに亡くならなくても不思議じゃない。体調を崩して、少し持ち直して、それを何度も繰り返していれば、周囲からは病気がゆっくり悪化しているように見えた可能性があるわね」
ローゼンは何も言わなかった。四年前、父の体調は実際に良くなったり悪くなったりを繰り返していた。正妃を失って以降の心労と長い病のせいだと誰もが考え、最後まで疑う者はいなかった。
「だから私は、先王は病気で亡くなったんじゃなくて、病死に見せかけて毒殺されたんじゃないかと思ってる」
広間のざわめきが一段と大きくなった。アリシアはそれが落ち着くのを待ってから、今度は用意されていた葡萄酒へ視線を移した。
「それと、もう一つ。これが先王が晩年によく飲んでいた種類の葡萄酒よ」
透明な器へ少量だけ注がれた酒は、かなり濃い赤紫色をしていた。先ほどアリシアが説明した毒と、見た目の色合いはよく似ている。
「紫色の毒を透明な水に入れれば目立つけれども、もともとこれだけ濃い色をしている葡萄酒なら、混ざっていても見ただけではほとんど分からないわ」
犯人は何らかの形で毒を持ち込み、先王が飲む葡萄酒へ混ぜていたのではないか。そうすれば、酒そのものの色に紛れ、周囲に気づかれにくい。実際に酒器の細かな装飾の隙間にだけ残留物が残っていたことを考えれば、その可能性は十分にある。
アリシアはそこで初めて、まっすぐオリーファを見た。
「そして、その葡萄酒を先王へ何度も勧めていたのが、あなたなのよね?」
「ええ。先王陛下がお好みでしたから」
オリーファは迷いなく答えた。自ら酒を持ち込んだことも認めたが、それが毒殺の証拠になるはずがないと続ける。先王が望んだものを用意し、病床の傍らで支えていただけであり、今になってその献身まで疑われるのは心外だという態度を崩さなかった。
「私は最後まで先王陛下のお側におりました。葡萄酒をお勧めしたこともございますし、お身体のために香油や薬草をお持ちしたこともございます。それを一つ一つ毒殺へ結びつけるのであれば、何でも疑うことができてしまうのではありませんか?」
確かに、中身まで確認した記録が残っていない以上、小瓶や包みを持ち込んでいたという事実だけでは何も証明できない。オリーファもそこを分かっているらしく、次第に声には余裕が戻り始めていた。
アリシアはそんな彼女をしばらく見つめていたが、声を荒らげることはなかった。
「じゃあ、一つだけ確認するわ。あなたが先王に持っていった葡萄酒には、本当に何も入っていなかったのね?」
「当然ですわ。ただの葡萄酒でした」
「毒も?」
「一度もございません」
「そう」
アリシアは短く答えると、長机の中央に置かれていた先王の酒器へ手を伸ばした。
その酒器は、四年前に実際に先王が使っていたものだった。先王とオリーファしか使わなかった私室に置かれ、細かな溝から紫色の毒性を持つ残留物が見つかった品でもある。調査のため必要以上に洗浄されることもなく、可能な限り当時の状態を残したまま保管されていた。
アリシアは用意していた葡萄酒を取ると、広間にいる全員が見守る中、その酒器へゆっくりと注いだ。濃い赤紫色の酒が、四年前と同じ器を満たしていく。
そこで初めて、オリーファの表情が明確に変わった。ほんの僅かではあったが、目が見開かれ、視線が酒器から離れなくなる。
アリシアはそれを見たあと、満たされた酒器をオリーファの前へ差し出した。
「じゃあ、飲んでみたら?」
広間から音が消えた。
「……何を仰っているのです?」
「葡萄酒なのでしょう?」
アリシアの声音は穏やかなままだった。
「あなたが先王に何度も飲ませていたものと同じ種類の葡萄酒よ。それに、あなたは毒なんて一度も入れていないと言ったでしょう?」
オリーファは酒器へ視線を落としたまま、すぐには手を伸ばさなかった。
「なぜ私が、そのようなことをしなければならないのです」
「別に無理にとは言ってないわ。ただ、不思議なのよ」
アリシアは酒器を引かなかった。
「この酒器には、まだ四年前の毒が残っている可能性がある。でも、あなたが本当に何も入れていないのなら、そのことを怖がる理由はないでしょう?」
オリーファの顔から、先ほどまでの余裕が少しずつ消えていく。
「先王には、この酒器で何度も葡萄酒を飲ませたのよね?それなのに、自分では飲めないの?」
広間にいる全員の視線が、オリーファへ集まった。
しばらくして、彼女はようやく口を開いた。
「私は……先王陛下ほど葡萄酒を好みませんので」
その言い訳に、広間の一角から小さなどよめきが起きた。過去の宴席でオリーファが普通に葡萄酒を口にしていたことを知る者は、この場にも何人もいた。
オリーファ自身もそれに気づいたらしく、すぐに別の理由を重ね始めた。
「そもそも、その酒器が当時と同じ状態で保管されていた保証もないでしょう。四年もの間に誰かが触れた可能性もありますし、その溝に残っていた粉だって、あとから誰かが――」
そこでアリシアの目が僅かに細くなった。
「……どうして、粉だったって知ってるの?」




