63. 先王の死の謎 ①
舞踏会から数日が過ぎ、王太子就任を巡る王宮の慌ただしさもようやく落ち着き始めていた。もっとも、奇襲事件については別だった。生け捕りにした襲撃者への尋問、使用された武器や所持品の確認、王宮内へ侵入した経路の洗い出しなどは今も続いており、ローゼンやレオナードのもとには毎日のように新しい報告が届けられている。アリシア自身は捜査へ直接加わっていなかったが、奇襲の際に毒を受けた第二近衛の騎士へ自分の解毒剤が使われたこともあり、その後の容体については医師から報告を受けていた。
幸い、騎士の回復は順調だった。傷そのものも塞がり始めており、毒による大きな後遺症も残らない見込みだという。アリシアもそれを聞いてようやく安心したが、医師から続けて聞かされた話には少し引っかかるものがあった。襲撃者が使用していた刃には毒が塗られていたが、戦闘直後に武器を確認した者によれば、その液体はかなり濃い紫色をしていたらしい。現物は処置や後始末の過程ですでに残っておらず、今から成分を調べることはできない。それでも、複数の者が同じ色を目撃していたという。
「……紫色だったの?」
アリシアは思わず聞き返した。その色には覚えがあった。もちろん、色だけで毒の種類まで判断できるわけではない。それでも以前、同じような話を聞いたことがある。エドガーの血縁確認へ細工をした人物が、事情を聞き出される前に毒で命を落とした時だった。倒れた男の口元や吐いたものには、紫色の液体が残っていたと聞いている。偶然で片づけるには、どうにも気になる一致だった。
その日のうちに、アリシアはローゼンのもとを訪れた。ちょうどレオナードも奇襲事件についての報告を持って来ており、三人で話を整理することになった。アリシアが血縁確認の時に使われた毒と今回の毒が同じものではないかと尋ねると、ローゼンもレオナードもすでにその可能性は疑っていたらしい。ただし、当時の毒も今回の毒も現物が残っていないため、同一のものだと断定することはできない。色だけでなく症状にも似たところはあるものの、それだけで結論を出すのは早いというのが今の判断だった。
それでも、無関係とは思いにくかった。血縁確認ではエドガーとローゼンの関係を否定しようとする工作が行われ、それが発覚した直後、実行に関わった人物は毒で口を封じられた。そして今度は、王太子就任を目前にしたエドガーを狙って奇襲が起こり、そこで使われた武器にも紫色の毒が塗られていた。個別に見れば別の事件として扱えるものでも、並べてみれば同じ方向を向いているように見える。
アリシアは机の上に広げられた報告書を眺めながら、自分の解毒剤が今回の騎士へ効いたことも思い返していた。少なくとも、自分がこれまで扱ってきたものとまったく異なる系統の毒ではない可能性がある。とはいえ、今ある情報だけで種類まで絞り込むことはできず、アリシアもそれ以上薬学的な推測を広げることはしなかった。
しばらく資料を見ていたところで、ふと別の疑問が浮かんだ。
「でも、そんなにはっきり紫色なら、飲み物に入れたらすぐ分かりそうね」
何気なく口にしただけだった。透明な水ならもちろん、色の薄い飲み物でも紫色が混ざれば見た目で異変に気づく可能性が高い。毒として使うには、あまりにも目立つ色だと思ったのである。
ところが、その一言を聞いたレオナードが視線を上げた。
「……飲み物、ですか」
レオナードは何かを思い出したように考え込み、それからローゼンへ目を向けた。ローゼンもすぐには口を開かなかったが、やがて僅かに眉を寄せる。
「先王陛下は晩年、濃い色の葡萄酒を好まれていました」
アリシアはそこで初めて顔を上げた。先王が亡くなったのは、すでに自分が王宮を離れ、辺境の村でエドガーを育てていた頃である。体調を崩した末に亡くなったということは知っていたが、当時どのような状態だったのか、何を口にしていたのかまではほとんど知らなかった。
「体調が悪くなってからも飲んでたの?」
「量はかなり減っていた気がする。ただ、完全にやめてはいなかった。昔から好んでいたものだったからな」
ローゼンの説明を聞きながら、アリシアは先ほど聞いた紫色の毒を思い浮かべた。透明な飲み物ではすぐ分かる。しかし、もともとの色が濃ければ話は変わる。
「その葡萄酒、かなり色が濃かったの?」
「そうだな。先王は特に深い色のものを好んでいた」
「赤というより、紫に近いくらい?」
「そう見えるものもあったはずです」
最後に答えたのはレオナードだった。
そこまで聞いて、アリシアは少し黙った。あくまで思いつきにすぎないし、証拠など何もない。ただ、もし葡萄酒そのものが深い赤紫色だったなら、同じような色をした毒を混ぜても見た目では気づきにくかった可能性はある。
「もし同じくらい濃い色なら……紫の毒が混ざっていても、見ただけじゃ分からなかったかもしれないわね」
その言葉を境に、部屋の空気が少し変わった。これまで三人が話していたのは、血縁確認への工作と今回の奇襲についてだった。先王の死は何年も前の出来事であり、現在の事件とは別のものとして扱われていた。しかし、同じ毒が使われていた可能性まで考え始めると、完全に切り離して考えることも難しくなる。
アリシアは先王が亡くなる前の様子について尋ねた。ローゼンの話では、先王はある日突然倒れて亡くなったわけではない。最初は体調を崩す日が増え、それから徐々に食事を取れなくなり、最後には寝台から起き上がることも難しくなっていった。医師たちも治療を続けていたが、当時は重い病だと考えられており、毒を疑う者はいなかったという。
「病気だと思ってたなら、食事や飲み物まで疑うことはなかったでしょうね」
アリシアがそう言うと、ローゼンは短く頷いた。当時の状況を考えれば、それ自体は不自然ではない。王が体調を崩し、医師が診察し、それでも回復しなかった。毒殺を疑う理由がなければ、毎日の食事や酒を一つずつ調べることもないだろう。
レオナードは少し考えたあと、当時の記録を確認するべきだと提案した。王族へ出された食事や酒、医師の診察内容については記録が保管されているはずであり、先王が亡くなる前後のものだけでも洗い直す価値はある。ローゼンもすぐに了承し、保管庫から該当する資料を集めさせることになった。
待っている間、アリシアは自分が王宮を離れていた四年間について、改めて何も知らないのだと思った。先王が体調を崩したことも、その容体がどのように悪化していったのかも、当時の自分に届いたのはごく一部だけだった。先王が亡くなったという知らせを受けた時には、すでにすべてが終わっていた。その頃のアリシアにとって最優先だったのは、まだ幼いエドガーとの生活を守ることであり、遠く離れた王宮で何が起きていたのかまで詳しく知る余裕もなかった。
しばらくすると、保管されていた記録の一部が運び込まれた。何年も前の資料なので量はかなり多く、一冊開けばすぐ答えが出るようなものではない。三人は医師の所見や食事内容、服用した薬などを順番に確認していったが、最初のうちは特に目立つものもなかった。体調を崩していたこと、食欲が徐々に落ちていたこと、日によって症状に波があったことなど、当時すでに知られていた事実が淡々と記されているだけだった。
それでも、読み進めていくうちにアリシアの手が止まった。先王の容体が大きく悪化した日の記録だった。その日の食事や薬についての記載に混じり、夜に口にしたものとして葡萄酒の名が残されている。さらにその脇には、保管や種類を区別するために書かれたらしい短い補足があった。
非常に濃い赤紫色。
当時なら、ただ葡萄酒の特徴を書き残しただけの一文だったのだろう。しかし今のアリシアには、その色を見過ごすことができなかった。血縁確認の実行犯を殺した毒も、奇襲で騎士を傷つけた毒も紫色だった。そして先王の容体が大きく悪化した日の夜には、同じ色へ紛れ込んでも不思議ではないほど濃い葡萄酒が出されていた。
「……これ、ちゃんと調べた方がいいわ」
アリシアは記録から目を離さずに言った。
まだ、何も証明されたわけではない。先王が毒殺されたと決まったわけでもなければ、その葡萄酒へ何かが混ぜられていた証拠が出たわけでもない。ただ、今まで別々だった出来事が、そこで初めて一本の線で繋がる可能性を持ち始めた。
ローゼンとレオナードも同じ箇所を確認し、先王が亡くなるまでの記録をさらに詳しく調べることを決めた。
奇襲事件を追っていたはずの調査は、思いがけず何年も前の先王の死へと辿り着こうとしていたのだった。




