61. アリシアの誕生日
アリシアは昔から、誕生日そのものを嫌っていたわけではない。家族や親しい者たちから祝ってもらうのは素直に嬉しかったし、贈り物をもらえば当然喜んだ。ただ、大勢を集めて盛大な宴を開くより、気心の知れた相手と静かに過ごす方が性に合っていた。
ローゼンと離れてからの四年間もそれは変わらず、辺境の村ではエドガーと二人で誕生日を迎えてきた。暮らしに余裕があるわけではなかったため、普段より少しだけ良い食事を作ったり、甘い菓子を用意したりする程度で、それ以上のことをする余裕はほとんどなかった。
それでも、エドガーが言葉を覚えてから「ママ、おめでとう」と言ってくれるようになり、小さな手で摘んできた花を渡してくれた年もあった。アリシアにとっては、それだけで十分に誕生日らしい一日だった。
だから今年も、王宮へ戻ってから初めて迎える誕生日だからといって、特別に大きく祝ってもらうつもりはなかった。エドガーやミレイユたちと少し良い食事でもできればそれでいいと思い、朝から普段通りに過ごしていたのだが、昼前になる頃には王宮内の様子が妙に慌ただしいことに気づいた。料理人たちはいつもより多くの食材を運び込み、使用人たちは広間へ花や布を持ち込み始めている。最初は別の行事でもあるのかと思っていたが、それが自分の誕生日のためだと聞いた瞬間、アリシアはほとんど反射的にローゼンのところへ向かった。
ローゼンは悪びれた様子もなく、今年くらいは少し盛大に祝いたかったと答えた。四年間、一度もアリシアの誕生日を祝えなかったことがずっと引っかかっていたらしい。本人としては四年分を一度に埋め合わせるつもりではなかったのだろうが、使用人へ指示を出し始めた結果、料理も飾りも少しずつ増え、気づけばちょっとした宴会のような規模になっていた。
「四年分まとめて取り返そうとしてるならやめて。そんなことできるわけないでしょう」
「そういうつもりではない」
「結果がそうなってるのよ。私一人の誕生日で王宮中を巻き込まなくていいの。それに、今の私はまだ王妃でもないでしょう。大勢から形式的に祝われるより、エドや近しい人と普通に過ごす方がいいわ」
アリシアがそこまで言うと、ローゼンもそれ以上押し通そうとはしなかった。四年間何もできなかった分、今年くらいはという気持ちはあったのだろう。それでも、祝われる本人が嫌がっているのに続ける意味はないと判断したらしく、準備は大幅に縮小されることになった。
結果として、昼の祝いはエドガーやミレイユをはじめ、普段からアリシアと近しい者たちだけで行われた。豪華な宴席というより、少し品数の多い昼食を囲む程度の穏やかなものだったが、アリシアにはその方がずっと落ち着けた。
昼食が終わる頃になると、エドガーが何かを隠すように両手を後ろへ回しながら近づいてきた。顔には隠しきれないほど得意そうな表情が浮かんでいる。アリシアが何も言わず待っていると、エドガーはようやく背中から花束を取り出した。
「ママ、お誕生日おめでとう!」
差し出された花束は、色も種類も綺麗に揃っているわけではなかった。赤い花の隣に白い花があり、その横には小さな青い花まで混じっている。王宮の庭師に任せればもっと整ったものを作れただろうが、どうやらエドガー自身が見て気に入ったものを一つずつ選んだらしい。
「ありがとう。エドが選んでくれたの?」
「うん。これ、ママにいいかなって。こっちはきれいだったし、こっちはかわいかったから」
そう言いながら一輪ずつ説明しようとする姿がおかしくて、アリシアは思わず笑った。花束を受け取ると、エドガーは満足したようにそのまま抱きついてくる。正式に王太子となったばかりではあるが、家族の前でまで堅苦しく振る舞わせるつもりは誰にもない。アリシアも花束を片手に持ったまま、もう片方の腕でエドガーをしっかり抱き返した。
ミレイユたちからも小さな贈り物を受け取り、昼の間は穏やかな時間が続いた。ローゼンはその場にいながらも、自分が前へ出ることはほとんどなかった。エドガーが母親を祝う時間を優先し、少し離れたところから二人を眺めている。朝にはあれほど大掛かりな準備を進めようとしていた人間とは思えないほど大人しくしていたので、アリシアは何度かそちらを見てしまった。
それでも、悪い気はしなかった。
辺境の村でエドガーと二人だけで過ごした誕生日も、アリシアにとっては大切だった。けれど今年は、エドガーだけでなく、ミレイユもいて、ローゼンもいる。四年前までと同じではないし、四年間をなかったことにするつもりもない。それでも、久しぶりに「祝ってもらう日」らしい一日を過ごしているような気がした。
夕方になり、エドガーが別の予定で席を外したあと、ローゼンがアリシアへ声をかけた。
「少し時間をもらってもいいか」
「まだ何かあるの?」
朝の一件があったため、反射的に少し警戒する。
「一つだけ渡したいものがある。大掛かりなものじゃないから心配しないで欲しい」
その言い方が変に慎重だったので、アリシアもさすがに断る気にはならなかった。そのままローゼンの自室へ向かう。
部屋には酒も料理も用意されていなかった。前日のように二人で何かを囲むつもりではなく、本当に贈り物を渡すためだけらしい。ローゼンはアリシアが座ったのを確認すると、小さな箱を取り出して差し出した。
「これを」
受け取って蓋を開けると、中には髪留めが入っていた。淡い色の小さな宝石があしらわれているものの、王宮でよく見かけるような豪奢な宝飾品ではない。装飾は控えめで、式典用の衣装だけでなく、普段の服にも合わせられそうな落ち着いた品だった。
アリシアは髪留めを何度も眺めていた。宝石そのものが高価だから嬉しいわけではない。昔から華美すぎるものを好まないことも、日常で使えないような品を渡されても困ることも、ローゼンはよく知っている。そのうえで、自分が実際に使いそうなものを考えて選んだのだと分かる。
ローゼンは少し間を置いてから、静かに口を開いた。
「四年間祝えなかったからといって、今さら全部を埋められるとは思っていない。豪華なものを渡したところで、その時間がなくなるわけでもないからな。今年はただ、今年の君の誕生日を祝いたかった」
アリシアは手の中の髪留めへ視線を落とした。
「ありがとう。……嬉しいわ」
本来なら、それで終わるはずだった。
けれど、次の瞬間には考えるより先に身体が動いていた。
アリシアは一歩ローゼンへ近づき、その頬へ軽く口づける。
触れたのはほんの一瞬だった。
ローゼンは完全に動きを止めた。
アリシア自身も、離れてから数秒経ってようやく自分が何をしたのか理解した。四年前までなら、好きな相手へ自分から触れることにいちいち躊躇などしなかった。ローゼンが煮え切らなければ、自分から距離を詰めることだって珍しくなかった。
「……今のは、お礼よ。ありがとう」
髪留めを持ったまま、アリシアは早足で扉へ向かった。しかし、そのまま部屋を出ることはしなかった。扉の前まで来たところで一度だけ足を止め、少し迷った末に振り返る。
「……次は私からも祝させて頂戴ね」
ローゼンが静かに頷くのを見てから、アリシアはそのまま部屋を出た。
アリシアは自室に戻った後、髪留めを髪へ合わせてみると、思っていた以上によく馴染んだ。淡い色の宝石は派手すぎず、普段の装いにも合わせやすい。何より、自分がこういうものを好むと分かったうえで選んでくれたことが嬉しかった。
翌朝、ミレイユがいつものようにアリシアの髪を整えていると、見慣れない髪留めにすぐ気づいた。鏡越しに一度だけそれへ視線を向け、それから何も聞かずに髪を整えていく。その僅かに嬉しそうな表情へ気づいたアリシアは少しだけ居心地悪そうに眉を寄せたものの、外してほしいとは言わなかった。
翌日も、その次の日も、アリシアは何となく同じ髪留めを選んだ。式典用の華やかな装いには別の飾りを使うこともあったが、普段の生活ではいつの間にかそれを手に取ることが増えていく。本人は特別な理由などないと思っていたし、単に使いやすいからだと言えばそれまでだった。
けれど、気づけばその髪留めは、アリシアが肌身離さず身につけるものになっていた。




