54. 王太子の意味
王太子就任に向けた衣装合わせや式典の確認が続くうちに、エドガーも少しずつ周囲の変化へ気づき始めていた。まだ正式に王太子へ決まったわけではない。それでも儀式上は王太子に準じる立場として扱われているため、以前より改まった態度で接する者が増え、「王太子殿下」と呼ばれることも珍しくなくなっている。最初のうちは呼び方が変わった程度にしか思っていなかったようだが、礼服を作り、大きな広間で歩く練習までさせられれば、四歳児なりにも何か大きなことが始まろうとしているのだとは分かるらしい。
ある日の午後、エドガーはいつものようにローゼンの執務室へ遊びに来ていた。ローゼンの仕事が終わるまで待つことにもすっかり慣れ、邪魔にならない場所で玩具を広げて遊びながら、時折父親の様子を眺めている。ローゼンもそんな息子が部屋にいることを当たり前のように受け入れ、書類へ目を通しながら何度か様子を確認していた。
ところが、しばらくするとエドガーが遊ぶのをやめた。玩具を膝の上へ置き、じっとローゼンの方を見ている。
「どうした?」
「パパ。僕がパパみたいになったら、何するの?」
突然の質問に、ローゼンは書類から顔を上げた。
考えてみれば、これまで本人へ説明してきたのは式典についてばかりだった。どんな服を着るのか。どこから広間へ入り、どこまで歩くのか。何をすればいいのか。肝心の王太子とは何なのかについては、きちんと話したことがない。
ローゼンは書類を机へ置くと、少し考えた。四歳の子どもに王位継承や政治の仕組みを説明しても仕方がない。今のエドガーに分かる言葉へ置き換える必要があった。
「王太子というのは、いつか国王になるかもしれない人が、そのために準備をする立場だ。国のことを知ったり、ここで暮らしている人たちのことを知ったり、少しずつ必要なことを覚えていく。ただ、王太子になったからといって、明日から急に私と同じ仕事をするわけではない」
エドガーは難しい顔をしながら聞いていたが、やがて一番分かりやすいところへ話を置き換えたらしい。
「じゃあ、ぼくもパパみたいになるの?」
ローゼンはすぐには頷かなかった。
自分のようになりたいと言われれば、父親として嬉しくないわけではない。それでも、エドガーに自分と同じ人間になることを求めるつもりはなかった。王太子として何を学ぶかという話以前に、そこだけは間違えてほしくない。
「私と同じになる必要はない。もし将来国王になったとしても、私の真似をしていればいいわけではないからな。エドガーが自分で考えて、どうしたいのかを決めればいい」
「パパと同じじゃなくてもいいの?」
「ああ。まだずっと先の話だ。今からどんな国王になるのかまで決める必要もない」
エドガーはその答えを聞くと、どこか安心したように肩の力を抜いた。
どうやら本人の中では、王太子になるということは、ローゼンができることを自分も全部できるようにならなければならないという意味に近かったらしい。毎日大量の書類を読み、大人たちと難しい話をしている父親を見ていれば、自分にも同じことを求められると思ってしまったのだろう。
そこへ、ちょうどアリシアがやって来た。エドガーを迎えに来たのだが、扉を開けると父子が珍しく真面目な顔で向かい合っている。
「何の話してるの?」
エドガーは待っていたように振り返った。
「ママ!王太子のお話。ぼくね、王太子になったら、いつか王様になるためのお勉強をするんだって」
説明は随分簡略化されているが、本人なりには理解したらしい。アリシアは少し笑ってローゼンの近くまで来ると、そのままエドガーの隣へ腰を下ろした。
するとエドガーは、今度は母親へ聞かなければならないことを思い出したようだった。
「ママ。王太子になったら、遊べなくなるの?」
その質問の方が、先ほどの王位継承の話より遥かに真剣な顔だった。
北部から里帰りしたばかりということもあり、村の子どもたちと一日中走り回っていた時間はまだ記憶に新しい。それだけではない。王宮でもローゼンの部屋へ遊びに行き、庭を歩き、好きな玩具を広げて過ごしている。王太子になれば、そうしたことが全部できなくなると思っていたのかもしれない。
「そんなことないわよ。お勉強する時間は少し増えるかもしれないけど、遊んじゃ駄目になるわけじゃないわ。パパのところへ遊びに来てもいいし、ママと一緒に過ごしてもいい。王太子になった瞬間に、急に大人になるわけじゃないでしょう?」
エドガーは少し考えたあと、今度はさらに小さな疑問を口にした。
「じゃあ、ママに抱っこしてもらってもいい?」
アリシアは一瞬だけ目を丸くした。
「……そんなことまで心配してたの?」
「だって、王太子は立派にするんでしょう?」
その言葉で、ようやくアリシアにも分かった。
立派にしなければならない。大人らしくしなければならない。そう聞くうちに、エドガーなりに母親へ甘えることまで卒業しなければならないと思い始めていたらしい。
「当たり前でしょう。甘えたい時は甘えればいいのよ。王太子だろうが何だろうが、エドは私の息子なんだから」
アリシアが笑いながら答えると、エドガーはようやく安心したようにそのそばへ寄った。実際に抱き上げてほしいわけではなかったらしく、許されていると分かっただけで満足した様子だった。
ローゼンも、王太子だからといって家族の前でまで常に立派に振る舞う必要はないと補足した。式典や公の場では覚えなければならないことがある。それでも、自分たちの前でまで背筋を伸ばしている必要はない。
そこまで聞くと、エドガーの中にあった不安はかなり薄れたらしい。今度は王太子になることで何を知れるのかという方へ興味が移っていった。
「じゃあ、パパのお仕事もお勉強するの?」
「いずれはな。今から全部覚える必要はないが、見てみたいなら少しくらいなら見せられる」
「見たい!」
そこから質問は一気に増えた。国王になったらローゼンのような大きな椅子をもらえるのか。毎日立派な服を着なければならないのか。朝から晩までずっと仕事をするのか。食事の途中にも書類を読まなければならないのか。王太子の意味を知りたいという話だったはずが、いつの間にかローゼンの生活への質問になっている。
アリシアは途中から口を挟まず、少し呆れながら二人を眺めていた。けれど、不安そうにしているよりはずっといい。王太子という言葉が、エドガーの中で少しずつ具体的なものへ変わり始めているのだろう。
ひと通り気になったことを聞いたあと、エドガーは執務机へ視線を向けた。
「ぼくも、いつかパパと一緒にお仕事できる?」
「今すぐは無理だ。だが、大きくなれば一緒にすることもあるだろう」
「じゃあ、ぼく頑張る!」
エドガーは実に単純に納得した。
王位継承が何を意味するのかも、国王として背負う責任がどれほど重いのかも理解してはいない。今の彼にとって王太子とは、いつか父親と一緒に仕事をするために、知らないことを少しずつ覚えていく立場になったらしい。
アリシアはそれで十分だと思った。
周囲の大人たちが王太子という肩書きを重大に扱えば扱うほど、本人まで必要以上に重く受け止めてしまわないか心配していた。しかし今のエドガーは、怖がるより新しいことへ興味を持っている。ローゼンを父親として慕っているからこそ、その仕事にも関心を持ち始めているのだろう。
ローゼンも約束した通り、その日は少しだけ仕事を見せることにした。もちろん政務の内容を理解させるつもりなどない。ただ、国王がどんなふうに仕事をしているのか、近くで見せるだけだった。
エドガーは最初こそ真剣だった。ローゼンが書類を読めばその紙を気にし、レオナードが入ってくれば何を話しているのか聞こうとする。しかし、大人同士の話が四歳児に面白いはずもない。しばらくすると少しずつ姿勢が崩れ、最後には完全に興味を失った。
そして何事もなかったようにアリシアのところへ戻ってくる。
「ママ、遊びたい」
「もうパパのお仕事を見るのはいいの?」
「今日はもういい!」
つい先ほどまで将来国王になる話をしていたとは思えない切り替えの早さに、アリシアは思わず笑ったのだった。




