53. 王太子になる準備
北部から王宮へ戻って数日が経つと、エドガーを巡る準備は一気に具体的なものへ変わっていった。
もっとも、この時点でエドガーが正式に王太子へ決まったわけではない。血縁確認によってローゼンの実子であることは公的に認められたものの、王位継承については先帝とオリーファの間に生まれた息子を支持する貴族も残っており、今後も調整が必要だった。ただ、現国王の実子であるエドガーが最有力候補となったことは間違いなく、近く行われる儀式では王太子に準じる立場として公の場へ出ることになっている。そのため王宮内では儀式上の都合から王太子として扱い、衣装や当日の流れなどを整えていくことになった。
最初に行われたのは、儀式で着用する礼服の採寸だった。仕立てを担当する者たちが朝からアリシアの部屋を訪れ、何種類もの布地や刺繍の見本を机の上へ並べていく。普段の子ども服とは明らかに違うため、エドガーも最初は興味津々だった。
「これ、僕が着るの?」
「そうよ。まだ完成した服じゃないけどね。今日はそのために身体の大きさを測ってもらうの」
エドガーは素直に頷き、仕立てを担当する者に言われるまま両腕を広げた。しかし楽しそうだったのは最初だけだった。肩幅を測り、腕の長さを測り、腰回りを確認し、今度は横を向くよう言われる。四歳児にとって面白いはずもなく、しばらくすると露骨に退屈そうな顔になった。
「ママ、まだ?」
「もう少しだから頑張りなさい」
「さっきも言ってたよ」
「あら、覚えてたのね」
誤魔化して笑うアリシアを、エドガーは不満そうに見上げた。それでも逃げ出すことはなく、再び腕を広げて採寸が終わるのを待っている。
アリシアはそんな息子を見守りながら、礼服について一つだけ要望を出した。儀式で着る以上、相応の格式が必要なのは理解している。ただし、見栄えを優先するあまり四歳の子どもが動きにくくなるような衣装にはしてほしくない。装飾も必要以上に重くせず、本人が普通に歩けることを優先してほしいと伝える。
それは以前、ローゼンと話し合った方針とも同じだった。王太子になる可能性が高いからといって、突然エドガーのすべてを王家の都合へ合わせるつもりはない。必要なことは覚えさせる。それでも、四歳の子どもであることまで忘れさせるつもりはなかった。
仮縫いまで済ませた礼服へ着替える頃には、退屈していたエドガーも再び機嫌を取り戻した。濃い色を基調とした上着には王家を示す刺繍が控えめに施され、襟元にも細かな装飾が入っている。鏡の前へ立った本人は、普段とは違う自分の姿をしばらく眺めていた。
「ママ、似合ってる?」
「ええ。よく似合ってるわよ。少しお兄さんに見えるわね」
「ほんと?」
「本当よ。そんなに何度も聞かなくても大丈夫だから」
それでも嬉しいらしく、エドガーはもう一度鏡へ向き直った。
そこへ、公務の合間を縫ってローゼンも顔を出した。部屋へ入った彼は、礼服姿のエドガーを見ると一瞬だけ足を止める。つい最近まで父親であることすら知らなかった子どもが、今では自分の後継者となる可能性を持ち、そのための衣装を身につけている。思うところはあるのだろうが、ローゼンはそれを長々と言葉にはしなかった。
「パパ、見て!」
先にエドガーが駆け寄ろうとしたため、アリシアが慌てて止める。
「待ちなさい。まだ丈を合わせてる途中なんだから、走ったら転ぶわよ」
「そうだった」
エドガーは慌てて歩き直し、ローゼンの前まで来る。
「どう?」
「よく似合っている。立派だ」
「えへへ」
父親からも褒められたことで、すっかり満足したらしい。そのまま二人へ歩いているところも見せようとしたが、数歩進んだところで裾を踏みかけた。
「危ない!」
アリシアが咄嗟に腕を掴み、転ぶ寸前で支える。エドガー自身も驚いたように目を丸くし、それから自分の足元を見た。
「やっぱり長いじゃない。本番で転んだら大変よ。もう少し短くしてください」
仕立てを担当する者もすぐに了承し、丈を調整することになった。立派に見せることも大切だが、転ばずに歩けることの方が遥かに重要である。
衣装の確認が終わると、今度は儀式当日の流れを覚えるため、実際に使用する広間へ移動した。どの扉から入り、どの位置まで歩き、どこで止まるのか。複雑なことを四歳児へ覚えさせるつもりはなく、最低限必要な動きだけを何度か練習することになった。
「エド、どうしたの?」
「ママも本番ここにいる?」
「いるわよ。ちゃんと見てるから安心しなさい」
「パパもいる?」
「ああ。勿論だ」
ローゼンの返事まで聞くと、エドガーは安心したように頷いた。どうやら歩く場所を覚えることより、当日も二人が近くにいるかどうかの方が気になっていたらしい。
何度か繰り返すと、少しずつ流れを覚えていった。途中で立ち位置を間違えることはあっても、大人たちも細かな失敗を一つ一つ咎めることはしない。アリシアも口を出しすぎず、最後までできた時だけしっかり褒めるようにした。
儀式上は王太子として扱われるとはいえ、目の前にいるのはまだ四歳のエドガーである。その事実だけは、どれだけ周囲の状況が変わっても同じだった。
◇
一方で、エドガーの準備とは別に、アリシアも北部から持ち帰った薬草の処理を進めていた。
アリシアは乾燥させた薬草を選別し、状態を確かめながら順番に調合していった。やがて出来上がった解毒剤が、一本ずつ小さな瓶へ移されていく。毒物が紫色を帯びるのに対し、完成した解毒剤は鮮やかな翡翠色だった。
今回は自分の手元に数本置いて終わりにはしなかった。ある程度まとまった量を作り、アリシアの部屋だけでなく医務室をはじめとする複数の場所へ分けて保管する。いざという時、自分が必ずその場にいるとは限らないからだ。
ミレイユも瓶の整理や記録を手伝っていたが、机の上へ次々と並んでいく解毒剤を見て、さすがに普段より多いことには気づいたようだった。
「随分たくさん作られましたね」
「使わずに済むなら、それが一番よ。でも、一度本当に毒が使われたんだから、何も準備しないわけにもいかないでしょう」
アリシアはそれ以上、不安を煽るようなことは言わなかった。今すぐ具体的な危険が迫っている証拠はない。ただ、一度起きたことを忘れず、できる範囲で備えているだけだった。
その日の夕方、丈の調整を終えた礼服がもう一度届けられた。午前中より裾が短くなり、今度は普通に歩いても足へ絡まない。エドガーは再び着替えると、昼間に覚えた動きをアリシアとローゼンの前で披露することになった。
扉の前から歩き始め、真っ直ぐ進む。今度は途中で振り返らず、決められた位置まで行くと、きちんと足を止めた。
そしてすぐに二人を見る。
「どう!?」
いかにも褒めてもらうことを待っている顔だった。
「ちゃんとできてたわよ。もう場所も覚えたみたいね」
「うん!」
「よくできていた」
二人から褒められ、エドガーは満足そうに笑った。
それで練習は終わりだと思ったらしく、礼服を脱ぐとすぐにいつもの服へ着替える。ほんの少し前まで儀式上の王太子として歩く練習をしていたとは思えないほど、あっという間にいつもの四歳児へ戻った。
「パパ、行こう!」
「どこへだ?」
「遊ぶって言ったでしょ!」
エドガーはローゼンの手を掴むと、そのまま部屋の外へ連れていく。ローゼンも逆らうことなく引かれていった。
アリシアは二人を見送りながら、小さく笑った。




