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一度は私を捨てたくせに、今さら口説き直すおつもりですか?  作者: 入多麗夜


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5. 不本意な再会

  最近になって、村では一つの噂が飛び交うようになっていた。最初は旅の商人が酒場で話していた程度だったが、翌日には畑で働く者たちの間へ広まり、そのまた翌日には村中の誰もが知る話になっていたのである。


「聞いたかい?王都から偉い人たちが来るらしいよ」

「それだけじゃない。何でも国王陛下ご本人がお越しになるそうだ」

「こんな辺境の村へ?」


 誰もが半信半疑だった。王都から役人が派遣されることは珍しくないが、一国の王が自ら辺境の村まで足を運ぶなど、これまで一度も聞いたことがない。ましてや、この村は地図の上でも小さく記されるだけの場所である。流行病が収束へ向かっているとはいえ、国王が視察へ訪れるほどのことなのかと、村人たちは顔を合わせるたびに同じ話を繰り返していた。


 しかし、数日後には村長のもとへ正式な通達が届いた。王都から調査団が派遣され、その一行に国王も同行するという。到着予定の日付だけでなく、街道の整備や宿泊場所の確保、診療所で保管されている薬の準備についてまで細かく記されていたため、さすがに冗談だと笑う者はいなくなった。


 それからというもの、村は急に慌ただしくなった。長く使われていなかった客間は掃除され、村長の家には足りない寝具が運び込まれた。村へ続く道の窪みは土で埋められ、広場の壊れかけた柵まで新しいものへ取り替えられていく。村人たちは緊張しながらも、国王を間近で見られるかもしれないと、どこか浮き立っている様子だった。


 もちろん、その話はアリシアの耳にも入った。


「……国王陛下?」


 庭先で干していた薬草を裏返していた手が止まる。乾燥具合を確かめるために摘んでいた葉が指先から落ちたが、拾おうという気にはなれなかった。


 ローゼンが、王になった。


 最後に会った時、彼はまだ王太子だった。次代の王として政務に携わってはいたものの、先帝は健在であり、すぐに王位を継ぐような状況ではなかったはずである。それが四年の間に即位したということは、王宮で何か大きな出来事が起きたのだろう。


 先帝が亡くなったのかもしれない。あるいは病に倒れ、王位を退いた可能性もある。けれど、王都から遠く離れたこの村には、王家の詳しい事情までは伝わってこなかった。商人が持ち込む話も、幾人もの口を経ているため、どこまで本当なのか分からない。アリシア自身も、王宮の動向を知ろうとはしてこなかった。知ったところで、もう自分には関係のないことだと思っていたからである。


 それでも、ローゼンが王になったという事実を耳にすれば、何も感じずにはいられなかった。


 いつかは即位する人だと知っていた。幼い頃から、そのために多くのことを学び、自由な時間さえ削って努力を重ねていた姿も見てきた。王となった彼がどのように国を治めているのか、どんな顔で玉座へ座っているのか。考えまいとしても、記憶の中にいる少年の姿と結び付けてしまう。


 だが、アリシアの胸を最も強く締め付けたのは、彼がどうしてこの村へ来るのかということだった。流行病の原因と治療法を調べるためなら、調査団だけを送れば足りる。薬が必要なのであれば、王都へ届けるよう命じればよい。一国の王が自ら長い道のりを越え、辺境まで訪れる必要が本当にあるのだろうか。


 もしかすると、自分を探しに来るのではないか。


 そんな考えが浮かび、アリシアはすぐに首を横へ振った。


「……まさかね」


 王宮を出たあとも、王家からの仕送りだけは毎月欠かさず届いていた。封筒には簡単な書面が添えられているだけで、ローゼン個人からの手紙は一度もなかった。生活に困らないようにという王宮としての義務なのだろうと考え、アリシアは必要な分にさえほとんど手を付けず、箱の中へ保管していた。


 仕送りが届く以上、王宮は自分の居場所を知っている。それでも、四年もの間、迎えも使者も来なかったのである。探すつもりがあったのなら、とっくの昔に誰かを寄越していたはずだ。今さら自ら会いに来る理由などない。


 今回はあくまで流行病の調査であり、自分がこの村にいることは偶然にすぎない。そう言い聞かせても、胸の奥に生じた不安は消えず、国王が到着する日が近づくほど落ち着かない時間が増えていった。



 ◇



 王都からの一行が到着するのは、今日の昼頃だという。その日の村は朝から普段とはまるで違う空気に包まれていた。広場では若者たちが地面を掃き、診療所では使われていない机や椅子まで運び出している。客人へ振る舞う料理を作るため、共同のかまどには早朝から火が入り、村長は通達の書面を片手に何度も街道と広場を往復していた。


 アリシアは家の窓からその様子を眺めたあと、静かに布を閉じた。できることなら会いたくない。四年前、ローゼンは自ら離縁を告げ、その理由さえ話さないままアリシアの前から去った。それ以来、一度も言葉を交わしていない。たとえ同じ場所にいたとしても、今さら顔を合わせる必要などないはずだった。


 しかし、この村で流行病の薬を作ったのは自分である。国王が薬の調査へ訪れるのであれば、村長や医師から説明を求められることは避けられない。アリシアが姿を隠したところで、調査団が村人へ聞けばすぐに名前が出るだろう。かえって不審に思われ、家まで訪ねてこられる可能性もある。


 逃げるわけにはいかなかった。


 アリシアは外出用の服へ着替えると、部屋の隅で木彫りの馬を床へ並べていたエドガーの前へしゃがみ込んだ。


「エド」

「なあに?」


 呼ばれたエドガーは、手にしていた木馬を止め、素直に顔を上げた。何も知らないその表情を見ていると、今から会うかもしれない相手との繋がりを強く意識してしまう。目元や髪の色はアリシアに似ているが、ふとした時に見せる真剣な表情や、何かへ夢中になると周囲の声が聞こえなくなるところは、幼い頃のローゼンによく似ていた。


「ママはこれから、お仕事のお話をしてくるの。少しの間、お家でお留守番できる?」

「できる!」


 エドガーは得意げに胸を張った。最近では一人で遊んで待つことにも慣れ、短い時間であれば不安がることもない。


「お腹が空いたら、戸棚に入っているお菓子を食べていいわ。ただし、何個も食べちゃ駄目よ」

「何個まで?」

「二つまでね」

「三つがいい」

「二つよ」

「じゃあ大きいの二つにする」

「もう、大きさまで選ぶつもりなの?」


 思わず笑うと、エドガーも悪戯が成功したように笑った。その無邪気さに少しだけ心が軽くなったものの、伝えなければならないことはまだ残っている。


「それから、今日は絶対に外へ出ないでね。誰かが扉を叩いても、ママが帰るまでは開けちゃ駄目よ」

「どうして?」

「村に知らない人がたくさん来るからよ。怖い人たちじゃないけれど、みんな忙しくしているから、邪魔をしないようにお家で待っていてほしいの」

「ふうん」


 エドガーは納得したのか分からない顔をしたが、やがて頷いた。


「分かった。ママが帰ってくるまで、ここにいる」

「ええ。いい子ね。すぐに戻るから」


 頭を撫でると、エドガーは再び木馬を手に取った。床の上では、木彫りの馬が小さな家の周囲を走り始める。いつもと変わらない光景だったが、今日に限っては扉を閉めることに躊躇いを覚えた。


 もし本当にローゼンが来るのなら、エドガーだけは会わせたくなかった。


 この子は父親の存在を知らない。これまで尋ねられたことがなかったわけではないが、遠くにいる人だと曖昧に答え、詳しいことは話さずにきた。まだ幼いエドガーへ、父親から結婚した翌朝に捨てられたのだと説明できるはずもない。ローゼンの名を教えたところで、この国の王が自分の父親だなど、四歳の子どもには理解できないだろう。


 そして何より、ローゼンがエドガーの存在を知った時、どのような反応をするのか分からなかった。


 アリシアは外套を羽織り、顔が目立たないようフードを深く被った。四年という歳月は人の姿を変える。王宮にいた頃より髪は伸び、華やかな衣装も身に着けていない。村人に紛れて遠くから様子を見ているだけなら、気付かれずに済むかもしれない。


 そう考えながら家を出たものの、自分でも無理のある期待だと分かっていた。

 幼い頃から大人になるまで長い時間を共に過ごし、身体の隅々まで知り尽くした相手である。

 顔が隠れていても、立ち方や歩き方だけで分かってしまうことがある。アリシア自身もどれほど姿が変わっていたとしても、ローゼンを見間違えるとは思えなかった。


 広場へ向かうと、すでに多くの村人が街道沿いへ集まっていた。アリシアは目立たないよう人だかりの後方へ立ち、前にいる女性たちの肩越しに道の先を見つめる。村長は何度も衣服の皺を伸ばし、隣に並ぶ老医師は落ち着かない様子で薬の説明を書いた紙を読み返していた。


 しばらくすると、遠くから馬の蹄が聞こえ始めた。最初は風に紛れるほど小さかった音が、次第に規則正しく響き、道の先に王家の旗が現れる。


「来たぞ!」


 誰かが声を上げると、村人たちは一斉に姿勢を正した。話し声も止まり、広場には馬の蹄と車輪が土を踏む音だけが近づいてくる。


 先頭を進んでいたのは、王家の紋章を胸へ刻んだ騎士たちだった。磨き上げられた鎧は陽光を反射し、村の粗末な街並みには似つかわしくないほど整然としている。その後ろには役人や医師らしき者を乗せた馬車が続き、さらにその中央を、一頭の黒馬へ跨った青年が進んでいた。


 その姿を見た瞬間、アリシアは息を呑んだ。


 ローゼンだった。


 四年前よりも少し痩せたように見えた。顔立ちは少し大人びていた。王太子だった頃の柔らかな雰囲気は薄れ、誰もが一目で王だと分かるほどの威厳をまとっていた。周囲の騎士たちも、彼の動き一つを見逃すまいと神経を張り詰めている。


 それでも、アリシアには分かった。姿勢を崩さず馬上から周囲を見渡す時の癖も、考え事をする際に僅かに眉を寄せる表情も、記憶の中にいるローゼンと変わっていない。


 ――本当に、王になったのね。


 胸の奥に、言葉では表せない感情が広がった。


 アリシアはフードの端を握り、少しだけ俯いた。遠くから見届けたら、村長たちが話を始める前に人混みを離れよう。薬の説明が必要になれば、あとで医師を通して呼ばれるはずだ。その時には国王ではなく、調査団の者だけを相手にすればよい。


 しかし、黒馬が広場の中央へ差しかかった時、ローゼンの視線がゆっくりと村人たちの間を流れた。歓迎のために並ぶ者たちを一人ずつ確認しているように見えたが、やがてその動きが止まる。


 真っ直ぐ、アリシアのいる場所を見ていた。


 一瞬、目が合った。


 アリシアは反射的に顔を伏せたが、もう遅かった。馬の足音が止まり、周囲の騎士たちが不思議そうに振り返る気配が伝わってくる。


「陛下?」


 側近らしき男が声を掛けたが、ローゼンは答えなかった。馬から降りると、手綱を近くの騎士へ渡し、そのまま村人たちの方へ歩き始める。


 誰も理由が分からず、戸惑いながら道を開けていく。国王が自分たちの中へ入ってくるとは思っていなかったのだろう。慌てて頭を下げる者もいれば、近づいてくる姿に驚き、動けなくなる者もいた。


 アリシアは逃げるべきか迷った。ここで背を向ければ、かえって目立つ。それに、ローゼンが自分を見つけたのなら、今から離れても追いつかれるだろう。王の前から逃げ出せば、周囲の者たちまで巻き込んでしまうかもしれない。


 仕方なく、その場へ立ち尽くす。


 やがて、ローゼンはアリシアの数歩手前で立ち止まった。


 何かを言おうとしたのか、唇が僅かに動く。けれど、声は出てこなかった。ただ信じられないものを見るように目を見開き、フードの奥にある顔を確かめ続けている。


 周囲では村人たちが息を潜めていた。なぜ国王が一人の女性の前で立ち止まったのか、誰にも分からないのだろう。騎士たちも迂闊に口を挟めず、少し離れた場所から二人の様子を見守っている。


 その沈黙に耐えきれなくなり、アリシアはフードを少しだけ上げた。


「流石ね」


 できるだけ平静を装い、昔と変わらない青い瞳を見返す。


「貴方に、こうも簡単に見つかるとは思っていなかったわ」


 ローゼンの喉が小さく動いた。何度か呼吸を整えたあと、ようやく驚いたような掠れた声が返ってくる。


「アリシア……?アリシアなのか!何でこんな所にいるんだ……!」


 間違いなくローゼンの声だった。耳にしただけで、胸の奥が強く締め付けられる。四年間、一度も聞かなかった声である。それなのに、懐かしいと感じるより先に、あの日の出来事が蘇ってしまった。


 どうして今まで何も言ってこなかったのか。なぜ一度も会いに来なかったのか。問いただしたいことはいくつもあったが、この場には大勢の人がいる。王となった彼へ感情をぶつけるわけにはいかなかった。


「そう。何か悪い訳?」


 アリシアはそれだけ答え、視線を逸らした。ローゼンは何か言葉を続けようとしたが、その前に、聞き慣れた元気な声が広場へ響いた。


「ママー!」


 アリシアの肩が跳ねる。


 まさかと思い振り返ると、家の扉が少しだけ開き、エドガーが顔を覗かせていた。留守番を頼んだ時と同じ服を着たまま、片手には戸棚から取り出したらしい焼き菓子を握っている。


「お菓子、もう一個だけ食べていいー?」


 約束した二つを食べ終え、許可を求めに来たのだろう。本人は外へ出ていないつもりなのか、身体の半分だけを扉の外へ出し、律儀にこちらの返事を待っている。


「エド、家の中で待っていてと言ったでしょう」


 アリシアが慌てて声を掛けると、エドガーは少しだけ頬を膨らませた。


「外に出てないよ。ここ、まだお家だもん」


 扉の敷居を指さす姿に、普段なら思わず笑ってしまっただろう。しかし今は、それどころではなかった。


 すぐ隣にいるローゼンから、声を呑む音が聞こえた。


 アリシアはゆっくりと彼へ視線を戻す。ローゼンはエドガーを見つめたまま、微動だにしていなかった。先ほどまで王としての威厳をまとっていた顔からは、すっかり血の気が引いている。


 その視線が、エドガーの髪や顔立ちを確かめるように動く。やがて何かへ気付いたのか、ローゼンの瞳が大きく揺れた。


 アリシアは無意識に一歩下がり、彼とエドガーの間へ立つように身体をずらした。


 四年間、避け続けてきた瞬間が、あまりにも突然訪れてしまった。


 ローゼンは青ざめた顔のまま、アリシアを見た。唇が僅かに震えていたが、言葉は出てこない。


 その向こうで、何も知らないエドガーだけが首を傾げていた。

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