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一度は私を捨てたくせに、今さら口説き直すおつもりですか?  作者: 入多麗夜


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49. 今だけだから

 血統確認を終えた日の夜、エドガーは普段よりもずっと早く眠りについた。朝から大勢の大人に囲まれ、採血まで受けたのだから無理もない。アリシアは寝台のそばに座ってしばらく寝顔を見守り、寝息が完全に安定したことを確かめると、肩まで布団を掛け直した。


 昼間は最後までよく頑張っていたものの、やはり相当疲れていたのだろう。眠っている顔にはもう不安そうな様子もなく、いつもの穏やかな表情へ戻っている。


 ミレイユにも今夜はもう休んで構わないと伝え、自分も寝支度を済ませたが、そのまま寝台へ入る気にはなれなかった。


 昼間の出来事が何度も頭の中へ戻ってくる。最初の確認でローゼンとエドガーの血が混ざらなかったこと。自分とエドガーの血まで同じ結果になり、用意された水か器に問題があったと分かったこと。そして何より、オリーファからエドガーの出生時期について追及された時、ローゼンが何の相談もなく口にした言葉だった。


 ――僕からしてしまった。アリシアは悪くない。


「……馬鹿」


 小さく呟き、アリシアは眠っているエドガーをもう一度見た。あれが嘘であることは、自分が一番よく知っている。あの夜はローゼンだけが一方的に求めたわけではなかった。自分も彼を愛していたし、拒むどころか同じように気持ちを抑えきれなかった。

 それなのに彼は、一瞬で全ての責任を自分へ引き寄せたのだ。明日になってから話せばいい。そう思わなくもなかったが、このまま何も言わず一人で眠る気にはどうしてもなれず、アリシアは立ち上がると部屋の窓へ向かった。


 昼間の一件を受け、今夜の王宮は警備が増やされている。特にアリシアとエドガーの居室周辺や、国王であるローゼンの寝室へ続く廊下には普段より多くの騎士が配置されていた。こんな時間に正面からローゼンを訪ねれば確実に人目につくし、今から正式に取り次ぎを頼む気にもなれない。窓を開けると夜の冷たい空気が頬へ触れ、その先には王宮の外壁に沿うように設けられた細い足場が見えた。少し前にエドガーへ見つかってしまった、幼い頃から二人で使っていた秘密の通路である。今夜は縄梯子を使って地上へ降りる必要はない。向かうのは森ではなく、少し離れたローゼンの部屋だった。


「……まさか、またこんな使い方することになるなんてね」


 アリシアは慎重に窓枠を越え、外壁沿いの足場へ出た。先日エドガーと一緒にここへ出たばかりなので足を置く場所には迷わなかったものの、夜の王宮を外側から移動するのは昼間とはまるで感覚が違う。壁へ手を添えながらゆっくり進み、幼い頃はこんなところを何の躊躇もなく行き来していたのだから我ながら恐ろしいと思いながら、やがてローゼンの部屋の窓へ辿り着いた。室内からは明かりが漏れている。まだ起きているらしい。アリシアが窓を軽く叩くと、しばらくして人影が近づき、内側から窓が開かれた。


「……アリシア? どうしてそこにいるんだ?」

「何よ、その顔。廊下の警備が増えてるでしょう? 普通に来たら目立つから、こっちから来ただけよ。それより早く入れて。寒いんだけど」

「あ、ああ。すまない」


 ローゼンが差し出した手を取り、アリシアは窓を越えて室内へ入った。足が床についたところですぐに手を離したが、なぜわざわざ夜中にローゼンの寝室まで来たのかについては何も説明していない。ローゼンもそこを追及することはなく、窓を閉めてからアリシアへ向き直った。


「エドガーはもう寝たのか?」

「ええ。今日はいつもより早かったわ。やっぱり疲れたんでしょうね。血を採られた時は泣きそうになってたけど、最後までちゃんと我慢してたもの」

「よく頑張っていたからな。明日はゆっくりさせた方がいい」

「そうね。本人が遊びに行くって騒がなければだけど」


 そこで会話が途切れた。自分からここまで来たというのに、アリシアは肝心の話をなかなか切り出せない。視線を逸らしたまま何度か口を開きかけ、やがて小さく息を吐いた。


「……昼間のことなんだけど。どうして、あんな嘘ついたのよ」

「出生時期の話か」

「それ以外に何があるのよ。あの夜、あなただけが一方的に求めたわけじゃないでしょう? 私だって同じだったじゃない。もうすぐ結婚するって分かってたし、私だってあなたを……その、拒まなかったでしょう。それなのに、何で全部あなたのせいみたいに言うのよ」


 最後だけ少し言い淀んだものの、誤魔化すつもりはなかった。ローゼンも言い訳をすることなく、静かに答える。


「あの場では、そう言う必要があった。誰が先だったのかという話になった時点で、君に責任が向く可能性があったからな。当時の私は王太子だった。君の方から求めたと受け取られれば、大変な事になる」

「……分かってるわよ」

「君だけならまだしも、エドガーにまで影響する可能性もあるんだ。それだけは避けたかった」

「だから、分かってるって言ってるでしょう。私が王家の血を欲しがってあなたを誘惑したとか、そういうふうに言われるかもしれなかったんでしょう?あの場で相談してる暇なんてなかったことも分かってる。だから私だって何も言わなかったのよ」


 もしあそこで「違う、私も同じだった」と口にしていれば、ローゼンが自分へ集めた責任を再び二人へ分けることになっていた。それが分かっていたから黙った。それでも、納得できることと何も感じないことは別だった。


「……また、一人で勝手に決めたじゃない」


 思わず責めるような言葉が出たが、ローゼンが口を開くより先に、アリシア自身が首を振った。


「分かってるわよ。今回は相談してる時間なんてなかったんでしょう。それくらい分かってる。怒りに来たわけじゃないの。ただ……昔からそうなのよ。自分が悪者になれば済むと思ったら、すぐ全部一人で背負おうとするんだから」


 最後の方は自分でも驚くほど弱い声になった。その直後、不意に頬へ何かが伝い、アリシアは一瞬何が起きたのか分からなかった。指先で触れてみれば濡れている。


「……え?」


 泣くつもりなどなかった。少し文句を言って、それから昼間には言えなかったことを伝えて帰るつもりだった。それなのに、一度溢れた涙は簡単には止まってくれない。


「……見ないでよ」


 慌てて顔を背け、手の甲で目元を拭う。それでも次から次へと涙が滲み、拭っても追いつかなかった。ローゼンは理由を尋ねることも、無理に慰めようとすることもなく、ただ黙ってそこにいる。


「……ほんと、馬鹿じゃないの。自分だけ悪いみたいに言って。私だって同じだったのに……」


 どうしてこんなに涙が出るのか、自分でも上手く説明できなかった。昼間の緊張がようやく切れたのかもしれない。最初の確認で血が混ざらなかった時も、エドガーの前では不安な顔を見せられなかった。異常に気づいてからは原因を確かめることばかり考え、出生時期を追及されれば今度はエドガーの立場を守ることで頭がいっぱいだった。その最後にローゼンが何の迷いもなく自分を庇った。そのことが今になって胸の奥へ押し寄せてくる。


 アリシアは何度か涙を拭い、ようやくローゼンへ顔を向けた。


「……ありがとう。庇ってくれて、ありがとう」

「アリシア――」

「何も言わなくていいから。今は、言わせて」


 昼間には言えなかった。オリーファも立会人たちもいて、何よりエドガーまで同じ部屋にいた。だから、それを伝えるために夜中に窓からやって来たのだ。けれど、ようやく礼を言えたからといって涙がすぐに止まるわけではない。アリシアはしばらく迷った末に一歩だけ前へ出ると、さらにもう一歩距離を縮め、ローゼンの胸元へ額を預けた。指先で服を軽く掴むと、ローゼンの身体が僅かに固まった。それでもアリシアが離れずにいると、やがて静かに腕が背中へ回される。


 何も言わず、ただ抱き締めてくれる。そのことが今のアリシアにはありがたかった。ローゼンの胸元へ顔を伏せたまま、しばらく声を押し殺して泣く。四年間離れていたはずなのに、こうして抱かれていると妙に懐かしかった。昔は当たり前だった体温も、腕の中へ収まる感覚も、忘れたつもりなどなかったのだと嫌でも思い知らされる。それでも今だけは、意地を張って離れる気にはなれなかった。


 やがて涙が収まり、アリシアはゆっくり身体を離した。泣いていたことだけでも恥ずかしいのに、自分から抱きついたことまで今になって意識してしまい、まともにローゼンの顔を見ることができない。


「……もう大丈夫」

「そうか。それなら、そろそろ戻った方がいい。窓まで送る」

「……」

「アリシア?」


 アリシアは動かなかった。一度だけ寝台へ視線を向け、すぐに逸らす。言うべきかどうか迷った。ここまで来ただけでも十分おかしなことをしている。それなのに、さらにこんなことまで頼めば、明日の朝になって死ぬほど恥ずかしくなるに決まっている。それでも今日は、一人で眠りたくなかった。


「……今日、ここで寝てもいい?」


 ローゼンが明らかに驚いた。その顔を見た途端、アリシアの頬が一気に熱くなる。


「勘違いしないでよ。そういう意味じゃないから!……添い寝してほしいだけ」

「添い寝?」

「いちいち聞き返さないで。恥ずかしいでしょう……今日は、一人で寝たくないの」

「……分かった」

「本当に添い寝だけだからね。絶対よ?」

 

 そこまで念を押してから、二人は寝台へ入った。ところが、自分から頼んだくせに、実際にローゼンと同じ寝台へ横になると急に落ち着かなくなる。すぐ隣にローゼンがいる。それだけで四年前の記憶まで意識してしまい、アリシアは少し距離を空け、背中を向けて横になった。ローゼンは約束通り何もしない。触れようともせず、アリシアが空けた距離もそのままにしている。


 静かな時間が流れた。アリシアは目を閉じてみたものの、なかなか眠れない。先ほど泣いたことを思い出し、ありがとうと言ったことも、自分から抱きついたことも、最後には添い寝してほしいと頼んだことまで次々と思い出してしまう。明日の朝になったらどんな顔をすればいいのだろうと思うだけで恥ずかしくなるのに、不思議と自室へ戻ろうとは思わなかった。


 しばらくして、アリシアはほんの少しだけ身体を動かした。ローゼンとの距離を縮め、それからもう少しだけ近づく。それでも振り返ることはできず、布団の中からそっと手を伸ばし、指先でローゼンの袖を掴んだ。


 気づかれていることは分かった。

 けれど、ローゼンは何も言わなかった。


 アリシアは目を閉じたまま、その袖をほんの少しだけ強く握る。


「……今だけだから」


 ローゼンは距離を詰めることも、袖を掴んでいるアリシアの手へ触れることもしない。ただ、彼女が望んだ通り、すぐ隣にいてくれる。そのことにようやく安心したのか、アリシアの身体から少しずつ力が抜けていった。


 やがて呼吸がゆっくりと穏やかになり、アリシアはローゼンの袖を掴んだまま眠りについた。ローゼンもその手をほどくことなく、約束通り何も求めず、その隣で静かに目を閉じた。

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