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一度は私を捨てたくせに、今さら口説き直すおつもりですか?  作者: 入多麗夜


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48. 血縁確認の日

ローゼンがアリシアを庇う回です。

 血統確認の日を迎えた王宮の一室には、普段とは明らかに違う緊張が漂っていた。部屋の中央には確認に使う器と水、採血のための道具が並べられ、その周囲にはローゼン、アリシア、エドガーのほか、レオナード、クラウス、ディートリヒ、確認を担当する者と記録係、多くの立会人、そしてオリーファが集まっている。


 正式な疑義を受けて行われる以上、後から手順そのものを問題にされないよう、誰が何を行ったのかまで記録として残されることになっていた。アリシアは最初からエドガーのそばを離れず、本人が必要以上に怖がらないよう、普段と変わらない態度で手を握っている。


 事前に少しだけ血を採ると聞かされていたとはいえ、実際に道具を目にすると不安になったらしい。エドガーはいつもより口数が少なく、何度も机の方へ視線を向けていた。


「ママ、あれでやるの?」

「ええ。でも、ほんの少しだけよ。私もずっとここにいるから、怖かったら手を握ってていいの」


 エドガーは小さく頷いた。


 最初に採血を受けたのはローゼンだった。エドガーにも見えるよう、特別なことではないという様子で手を差し出し、必要な量だけ血を採らせる。エドガーはその様子を真剣に見ていたものの、次に自分の名前を呼ばれると、アリシアの手を握る力が強くなった。すぐには手を出さず、先にローゼンを見る。


「……パパも痛いの?」

「ああ。同じことをした。一緒だよ」


 ローゼンが採血した手を見せると、エドガーはしばらくそれを見つめ、それからようやく自分の手を差し出した。アリシアも反対側から手を握り、離れない。針が触れた瞬間には顔をしかめ、少し涙目になったものの、途中で手を引っ込めることはなかった。


「……痛かった」

「そうね。でも、ちゃんと頑張れたじゃない。偉かったわよ」


 アリシアが頭を撫でると、エドガーはようやく少しだけ表情を緩めた。


 必要な血が揃うと、確認担当者が立会人全員から見える位置へ器を置き、決められた手順で水を注いだ。まずローゼンの血が落とされ、そのあとにエドガーの血が加えられる。記録係は時刻や手順を一つずつ書き留めていた。


 アリシアに結果への不安はなかった。エドガーが誰との間に生まれた子なのかは、自分が一番よく知っている。ローゼンも同じだった。今日ここで行われているのは、二人にとって分かりきっている事実を正式な形として残すだけのものだった。


 だからこそ、最初は何が起きているのか分からなかった。


 決められた時間が過ぎても、血は水の中で境目を残したままだった。担当者も器を見つめ、もう一度時間を確かめる。けれど結果は変わらない。やがて室内から声が消え、張り詰めた沈黙だけが残った。


 ローゼンはエドガーへ視線を向けず、器と水、そして担当者の動きを見ていた。アリシアも同じだった。目の前の結果には驚いた。それでも、だからエドガーがローゼンの子ではないのかもしれないなどとは一瞬も考えなかった。


 その沈黙を破ったのはオリーファだった。


「正式な立会人のもと、決められた手順で行った結果なのでしょう。血が混ざらなかった以上、それを無視するわけにはいかないのではなくて? アリシア様は以前、エドガー様は陛下のお子だとはっきり仰っていたけれど、少なくとも今ここで出た結果とは食い違っているようね」


 さらに、ローゼンがエドガーを可愛がっていることと血統そのものは別問題であり、都合の悪い結果が出たからやり直すというのでは正式な確認を行った意味がない、と静かに畳みかける。


 アリシアはしばらく黙って聞いていたが、やがて器から目を離した。


「だったら、もう一つ確かめればいいでしょう。私の血も使ってください」


 担当者が戸惑ったようにアリシアを見る。今回予定されているのはあくまでローゼンとエドガーの父子関係を確かめるための手続きであり、アリシアの採血は想定されていなかった。


「母子関係まで調べる意味があるのかしら?」


 オリーファに問われ、アリシアは迷わず返した。


「だから意味があるんです。私がエドを産んだことまで疑う人はいないでしょう? 絶対に親子だと分かっている私とエドで同じことをして、それでも血が混ざらないなら、今疑うべきなのはエドじゃないわ」


 レオナードは少し考えたあと、追加の確認として認めた。手順も結果もすべて記録へ残すよう指示し、アリシアもその場で採血を受ける。エドガーは母親まで血を採られると知って心配そうにしていたが、アリシアは「エドも頑張ったんだから、私も同じよ」と笑ってみせた。


 今度はアリシアとエドガーの血が、同じ器と水を使って確認される。


 けれど、こちらも混ざらなかった。


 その瞬間、アリシアの表情が変わった。ローゼンとエドガーの血が混ざらなかった時点では、何かがおかしいとしか思えなかった。しかし、自分とエドガーの血まで同じ結果になるのなら話は違う。自分がこの子を産んだという事実だけは、どんな事よりも確かだった。


「……おかしいでしょう。私とエドガーの血が混ざらないなんてあり得ないわ。だったら、疑うべきなのはこの子じゃない」


 アリシアは器と水差しを順番に見る。


「水を取り替えて。器も全部。今度は別の場所から用意した水を使ってください。同じ水差しから入れ直すだけじゃ駄目よ。準備するところから立会人全員で確認して」

「自分の望む結果が出るまでやり直すつもりなの?」

「私とエドの血が混ざらない時点で、最初の結果をそのまま正式なものとして扱う方がおかしいでしょう」


 アリシアは一歩も引かなかった。


 ローゼンもその要求を認め、最初に使った水と器を捨てずにそのまま保管するよう命じた。クラウスはすぐに誰にも触れさせないよう警備をつけ、レオナードは最初の父子確認と、その後の母子確認をどちらも省略せず記録するよう記録係へ指示する。ディートリヒも、準備に関わった者を確認し始めていた。


 急に大人たちの空気が険しくなったことで、エドガーが不安そうにアリシアの服を掴んだ。


「ママ……僕、何かした?」

「何もしてないわ。エドは何にも悪くないの。ちょっと上手く確認できなかっただけよ」


 アリシアはすぐにしゃがみ込み、その手を握った。


「ほんと?」

「本当。だから心配しなくていいの」


 しばらくして、新しい器と別の場所から用意された水が運び込まれた。今度は立会人全員が準備の最初から確認し、誰が何を運び、どこへ置き、誰が触れたのかまで記録される。


 まず行われたのは、アリシアとエドガーの再確認だった。同じ二人の血が新しい水へ落とされる。誰もが器を見守る中、今度は二つの血が少しずつ境界を失い、やがて一つに混ざり合った。


「アリシア様とエドガー様の血が混ざったようです」


 担当者がそう告げる。


 アリシアは安堵するより先に、保管された最初の水と器へ視線を向けた。同じ血を使い、器と水だけを替えて結果が変わった。偶然で片づけられることではない。


 続いて、本来のローゼンとエドガーの確認がやり直された。新しい水へローゼンの血が落とされ、続いてエドガーの血が加えられる。今度は二つの血がゆっくりと混ざり始め、やがて境界が完全に消えた。


「ローゼン陛下とエドガー様の血縁関係を確認いたしました」


 記録係が正式な結果を書き留める。


 ローゼンは大きく喜ぶような反応を見せなかった。最初から自分が父親であることを疑っていなかったのだから当然だった。それよりも、最初の確認だけが明らかに異常な結果を示したことの方を重く見ている。アリシアも同じで、正式に証明できたことへの安堵より、もし自分が母子でも試すと言い出さなかったらどうなっていたのかという思いの方が強かった。


 オリーファも、ここではもう父子関係そのものを否定できなかった。


 けれど、そこで話を終わらせるつもりもないらしい。


「父子関係については、これで確認されたのでしょうね。ただ……もう一つだけ気になることがあるわ」


 アリシアが視線を向ける。


「エドガー様がお生まれになった時期よ。あなたと陛下が正式に婚姻を結ばれた日、それから初夜を迎えた日を基準に考えると、少し計算が合わないのではなくて?」


 室内が再び静まり返った。


 今度はローゼンの子であることを疑っているのではない。父子関係が証明されたことを前提に、いつ授かった子なのかという問いへ変わっている。


「初夜で授かったと考えるには、エドガー様がお生まれになるのが少し早すぎる。そうなると、正式な婚姻より前ということになるわね。そこは説明していただけるのかしら?」


 アリシアはすぐには答えられなかった。

 知らないからではない。

 むしろ、心当たりがあった。


 エドガーは初夜に授かった子ではない。正式に夫婦となる少し前、まだローゼンと婚約者だった頃に、二人きりで過ごした夜がある。幼い頃から互いを知り、長く想い合い、もうすぐ夫婦になるという時期だった。二人とも気持ちを抑えきれず、一度だけ一線を越えた。


 その頃から数えれば、エドガーの出生時期は自然に合う。


 おそらく、あの夜だ。


 けれど、それをこの場でどう説明するかは簡単ではなかった。当時のローゼンは王太子で、アリシアはその婚約者である。互いに想い合っていた二人の過ちだったとしても、悪意を持って切り取られれば意味は変わる。


 アリシアが王家の血を得ようとして自ら王太子を誘惑したなどと解釈されれば、単なる婚前の過ちでは済まなくなる。


 それだけではない。エドガーの出生そのものにまで、余計な意味をつけられかねない。


「正式な婚姻前に関係があったというのなら、その経緯も説明する必要があるのではなくて?」


 オリーファはアリシアの沈黙を見逃さなかった。


 アリシアが口を開きかける。


「それは――」

「私が婚前交渉をした」


 先に答えたのはローゼンだった。

 部屋の中が静まり返る。


 レオナードもクラウスもディートリヒも、一瞬ローゼンを見る。


「僕からしてしまった。アリシアは悪くない」

「……っ」


 アリシアはすぐにローゼンを見た。


「ちょっと、ローゼン――」


 それが嘘だということは、アリシア自身が一番よく分かっていた。


 あの夜、ローゼンだけが一方的に求めたわけではない。アリシアも彼を愛していた。拒んだわけでもなく、同じように気持ちを抑えられなかった。どちらか一方だけが悪かったと片づけられる出来事ではない。


 だからこそ、なぜローゼンがそんな嘘をついたのかも分かった。


 当時の王太子が、自分の意思で正式な婚約者との一線を越えた。その形にしてしまえば、責められる中心はローゼンになる。王太子として節度を欠いたことは批判されても、アリシアが王家の血を得るためにローゼンを誘惑したという解釈はなくなる。


 ほんの一瞬で、すべての責任を自分へ寄せたのだ。


 アリシアは否定しかけて、結局口を閉じた。


 ここで「私も同じだった」と言えば、ローゼンが何を守ろうとしているのか分かっていながら、その意図を自分から壊すことになる。しかも、この場にはエドガーまでいる。


「アリシア様にも、その意思があったのではなくて?」


 オリーファがさらに問いかけようとしたが、ローゼンはアリシアへ答えさせなかった。


「僕からしたことだ。当時、アリシアとはすでに正式な婚約関係にあり、その後も予定通り婚姻している。私が王太子として節度を欠いたことについては否定しない。だが、エドガーは婚姻成立前に授かった、私とアリシアの実子だ」


 父親も母親も、今しがた正式に確認された。


 婚姻より先に授かっただけで、どちらかが別の相手との間にもうけた子ではない。


「出生時期について必要な説明はこれでついたはずだ。これ以上、エドガーの血統そのものへ疑義を挟む理由はない」


 ローゼンが言い切ると、レオナードも静かに頷いた。


「確認結果と陛下ご本人の説明を踏まえれば、エドガー様を陛下の実子として正式に記録することに問題はございません。最初に使用された水と器については別件として調査し、準備に関わった者や保管状況も含めて確認いたします」


 オリーファは完全に納得した様子ではなかった。それでも、最初の血が混ざらなかった結果は再確認によって覆され、出生時期のずれも婚姻前に授かったことで説明がついた。この場でエドガーの血統そのものを否定し続ける材料は、もう残っていなかった。


 一連のやり取りをほとんど理解していないエドガーは、さすがに長い時間その場にいたことで疲れていたらしい。アリシアがそばへ戻ると、すぐに服の裾を掴んだ。


「ママ、もう終わった?」

「ええ。終わったわよ。今日はもう血も採らないから安心して」

「ほんと?」

「本当。よく頑張ったわね」


 アリシアが頭を撫でると、エドガーはようやく安心したように息を吐いた。


 その小さな手を握りながら、アリシアは一度だけ保管された最初の水と器へ視線を向ける。もし、自分とエドガーでも試すと言い出さなかったら。そう考えるだけで背筋が冷えた。


 そして、今度はローゼンを見る。


 自分が言葉に詰まった瞬間、何の相談もなく「僕からした」と言い切った男。彼が何を守ろうとしたのかは分かっている。分かっているからこそ、素直に感謝するだけでは済まなかった。


 血縁確認そのものは終わった。エドガーがローゼンの実子であることも正式に認められる。けれど、最初の水に何があったのか。そしてローゼンが自分を守るために公の場でついた嘘を、アリシアはどう受け止めればいいのか。


 すべてが片づいたわけではなかった。


 アリシアはエドガーの手を握り、そのまま静かに部屋を後にした。

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