47. 母親としての答え
エドガーは朝から床に座り、王都祭で買った木彫りの馬を走らせていた。絨毯の模様を道に見立てているらしく、時折馬を持ち上げては別の場所へ移し、一人で楽しそうに遊んでいる。アリシアは少し離れた椅子に腰掛けながら、その姿をしばらく眺めていた。昨日聞かされた血縁確認について、一晩考えても気持ちのすべてが整理できたわけではない。それでも、考えるうちに一つだけ確かめておきたいことができた。血縁確認を受けるかどうかをエドガー自身に決めさせるつもりはない。まだ四歳の子どもに、王家の血縁や王位継承の事情まで背負わせる必要などなかった。ただ、この先どこで、誰と暮らしたいのか。それだけはアリシアが代わりに決めていいことではない。
「エド」
呼びかけると、木彫りの馬を動かしていた小さな手が止まった。
「なに、ママ?」
「聞きたいことがあるんだけど……エドは、パパとこれからも一緒に過ごしたい?」
突然そんなことを聞かれるとは思っていなかったのか、エドガーは不思議そうに瞬きをした。しかし、答えを考える時間はほとんどなかった。
「うん!パパと遊ぶの楽しいよ。それに、また三人でお祭り行きたい!今度はこの馬も持っていっていい?」
「それはなくすかもしれないから置いていきなさい。……じゃあ、もう一つ聞くけど、北の村と王宮だったら、エドはどっちで暮らしたい?」
今度はすぐに答えが返ってこなかった。エドガーは木彫りの馬を膝の上へ置き、小さな眉を寄せて考えている。
「村にも、また行ける?」
「もちろん。王宮で暮らすからって、二度と帰れないわけじゃないわよ」
「じゃあ……今のここがいい」
「どうして?」
「ママもいるし、パパもいるから」
あまりにも単純な理由だった。けれど、アリシアにはそれで十分だった。
「……そう。分かったわ」
エドガーは質問の意味を深く考えることもなく、すぐに木彫りの馬を手に取って遊び始めた。
近くで二人のやり取りを聞いていたミレイユは、何も尋ねなかった。アリシアはもう少しだけエドガーを眺めてから立ち上がる。
「ミレイユ。ローゼンに会いたいんだけど、今から時間があるか確認してもらえる?」
「かしこまりました。すぐに確認してまいりますね」
ほどなくして返事が届き、アリシアは自分からローゼンのもとへ向かった。部屋にはローゼンだけではなく、ちょうどレオナードもいた。昨日の話について何か確認していたらしく、机には見覚えのある書類が置かれている。アリシアが入ってきたことで二人とも話を止め、ローゼンが立ち上がった。
「アリシア。どうした?」
「昨日の話。返事をしに来たの」
アリシアは向かいまで歩いていくと、余計な前置きをせずに告げた。
「血縁確認、受けるわ」
「……決めたのか?」
「ええ。ただ、別に確認してもらわないと私まで不安だから受けるわけじゃないわよ。エドがあなたの子なのは最初から分かってるし、そこは昨日から何も変わってない」
ローゼンはすぐに手続きを進めようとはせず、アリシアの顔を見て一度だけ確かめる。
「本当にそれでいいんだな?」
「ええ。あの子、この場所が気に入ったみたいだし。その気持ちは大事にしてあげたいの」
確認を受けることを決めたのは、疑っている者たちを納得させたいからではない。アリシア自身が証明を欲しているからでもなかった。エドガーが自分で選んだ暮らしを、後から他人に揺らがせないためだった。だからこそ、アリシアはそこで言葉を切ると、今度はレオナードにも聞こえるようにはっきりと続ける。
「ただし、今回で最後にして。エドに何度も証明させるようなことはしないで欲しいわ。二度とあの子を同じことで疑わせないで」
「結果につきましても、正式な記録として保管いたします。同一の疑義によってエドガー様へ再度確認を求めることがないよう取り扱いましょう」
レオナードの返事を聞き、アリシアはようやく頷いた。
「それならいいわ。それと、やるなら早くしてほしいの。準備に必要な時間があるのは分かるけど、決めたあとまで長々待ちたくないわ」
「こちらも、そのつもりで準備を進める。日程が決まり次第、すぐに伝えよう」
「お願い。エドには私から話しておくから」
そこまで確認できれば、アリシアにそれ以上求めるものはなかった。話し合いを終えて自室へ戻ると、エドガーは先ほどとほとんど同じ場所で遊んでいた。アリシアを見るなり木彫りの馬を持ったまま顔を上げる。
「ママ、何のお話だった?」
「ちょっと大事な相談をしてきたの。もう終わったから、エドは気にしなくていいわよ」
それだけで納得したらしく、エドガーは木彫りの馬を絨毯の上で勢いよく走らせ始めた。
その日の午後、ローゼンのところへ遊びに行ったエドガーは、夕方になって戻ってくるなり今日あったことを楽しそうに話し始めた。木彫りの馬を使ってローゼンと遊んだことや、途中で机にあった書類を覗こうとして止められたこと、今度は別の玩具も持っていく約束をしたこと。話の中には何度も当たり前のように「パパ」が出てくる。アリシアはしばらく相槌を打ちながら聞いていたが、話が一段落したところでエドガーを手招きした。
「エド、ちょっとこっちに来て。大事なお話があるの」
「またお話?」
「今度はエドにも関係あることよ。近いうちにね、少しだけ血を採ることになったの」
エドガーの顔が露骨に曇った。
「……痛い?」
「少しは痛いかもしれないわ。でも、ほんの少しだけ。すぐに終わるから」
大丈夫だから痛くない、とは言わなかった。怖がるかもしれないからこそ、嘘をついて安心させることだけはしたくなかった。
「やだな……」
「そうよね。嫌なら嫌って言っていいのよ。怖いのだって普通なんだから」
アリシアが頭を撫でると、エドガーはまだ不安そうにしている。そこでアリシアは少し笑って、その髪を優しく撫で続けた。
「でもね、パパも一緒にやるわよ。同じ日に、エドと同じように血を採るの」
「パパも?」
「ええ。私もずっとそばにいるわ。だからエド一人じゃないからね」
「パパも痛い?」
「少しはね。でも一緒よ」
エドガーはしばらく考え込んだあと、アリシアを見上げて小さく頷いた。
「……じゃあ、がんばる」
「ええ。終わったらいっぱい褒めてあげる」
アリシアは柔らかく笑い、その頭をもう一度撫でた。朝、エドガーから聞いた答えは二つだけだった。これからも父親と一緒にいたい。そして父親と母親のいる王宮で暮らしたい、と。
ならば、その選択を守るために必要なことまで、エドガー自身に背負わせる必要はない。そこから先は、大人である自分たちが引き受ければいい。
アリシアはエドガーの髪を撫でながら、迷いは消えたのだった。




