44. 王都祭へ③
アリシアがローゼンへ焼き菓子を一口食べさせたあと、ほんの一瞬だけ妙な間ができた。ローゼンは何も言わず、アリシアも何事もなかったように手を戻したものの、さっきまでより少しだけ落ち着かない。残った焼き菓子を自分で食べながら、なぜこんなことで意識しなければならないのかと内心で思うが、隣にいるローゼンを見ればまた余計に気になりそうで、あえて視線を向けなかった。アリスはそんな二人の変化に気づいているようだったが、珍しく何も言わない。ミレイユも内心ではかなり嬉しそうだったものの、今ここで口を挟めばアリシアに睨まれるのは分かっているため、表情だけはどうにか平静を保っていた。そんな周囲の空気などまるで気にしていないのはエドガーだけで、自分の食べている菓子を頬張りながら、次はどこへ行こうかと楽しそうに考えていた。
休憩を終えると、一行は再び祭りの通りへ戻った。午後になったことで人の数はさらに増えており、場所によっては横に並んで歩くことすら難しい。ローゼンとアリシアは自然にエドガーを間へ入れ、左右から人の流れに押されないよう注意しながら進んでいった。少し後ろではミレイユとユリウスが並んで歩いていたが、細い通りへ入ったところで前方から来た人々の流れとぶつかり、急に道が狭くなる。
その瞬間、横から強く押されたミレイユの足が少しよろけた。
「ミレイユさん」
ユリウスはすぐに気づいた。人の流れに持っていかれそうになったミレイユの手を咄嗟に取り、自分の方へ引き寄せる。そのまま離せばまた人に押されると判断したのか、手を取ったまま歩幅を緩め、ミレイユがついてこられるよう速度まで合わせた。
「だ、大丈夫です!ご心配なく!」
「ここはかなり混んでるのでこのまま抜けるまで離れない方がよいです」
言われて、ミレイユは小さく頷いた。
それ以上何かを言う余裕がなかった。
以前、重い荷物を運んでもらった時にも、ユリウスとの身長差や体格の違いを意識したことはあった。けれど、今はそれよりずっと近い。自分の手を包んでいる手は思っていたより大きく、少し力を入れられただけで簡単に人混みから引き寄せられたことまで妙に頭に残る。ユリウス自身はただ危ないから助けただけなのだろう。いつもと変わらない落ち着いた様子で前を見ながら歩いている。それが分かっているからこそ、ミレイユは自分だけが意識していることを余計に恥ずかしく感じた。
やがて広い通りへ出ると、ユリウスはようやく手を離した。
「どこか痛めていませんか?」
「……え?あ、はい!大丈夫です!何ともありません」
返事が少し遅れたことに、ユリウスは人混みに驚いたのだろうと思ったらしい。それ以上気にすることなく頷き、前を歩く一行へ視線を戻した。一方のミレイユは、離れたばかりの自分の手を一度だけ見下ろし、それから何事もなかったように歩き始める。けれど、しばらくの間は先ほどまで触れていた感覚が消えなかった。
広い通りへ戻ったところで、今度は祭りの警備に当たっていた第二近衛の騎士たちと出会った。ちょうど交代の時間が近かったらしく、数人がユリウスの姿を見つけると簡単な報告のために近づいてくる。その中にはノアもいた。
アリスはすぐに彼を見つけた。
「ノア!」
先ほどまでとは明らかに違う明るい表情になり、そのまま迷うことなくノアのところへ向かう。アリシアは二人がこのあと合流する予定だと聞いていたため、特に驚くこともなくその様子を眺めていた。
ノアもアリスに気づいた瞬間は自然に表情を緩めた。ところが、そのすぐ隣に同僚の騎士たちがいることを思い出したのか、一瞬だけ動きが止まる。
「お疲れさま。もう終わったの?」
「もう少しで交代だよ。ちょうど報告を終えたところ」
「よかった。私、先にアリシアたちと回ってたの。大道芸も見たし、エドガーが玩具も買ったのよ。あとで一緒に見に行きましょう」
アリスは周囲の視線などまったく気にせず、いつも通りノアの隣へ立った。話しながら、彼の肩についた小さな埃に気づけば当然のように指で払う。ノアもアリスに対しては普段通りに応じていたため、その場にいた第二近衛の騎士たちは次第に妙な顔をし始めた。
いつものノアとは、明らかに雰囲気が違う。
普段は仕事中に私生活の話などほとんどしない男が、目の前の女性を見る時だけ表情を柔らかくしている。しかも二人の距離が妙に近い。一人の騎士がノアを見てからアリスへ視線を移し、別の騎士も同じように二人を交互に見始めた。
ノアはその視線に気づいていた。
だからこそ、どんどん居心地が悪そうになっていく。
「……ノア」
ついに一人が口を開いた。
「その方とは、どういう関係なんだ?」
ノアが答えようとした、その前だった。
「恋人よ」
アリスが何でもないことのように答えた。
一瞬、その場が静かになった。
次の瞬間、第二近衛の騎士たちの視線が一斉にノアへ向く。
「……恋人?」
「お前、いつからだ?」
「待て、今まで一回もそんな話してなかっただろ」
次々と声が上がり始める。アリシアは二人が恋人同士であること自体には何の驚きもなかったが、周囲の反応を見て初めて、ノアが騎士団の仲間たちには交際を隠していたらしいと気づいた。アリスもそこまでは知らなかったのか、少し意外そうに見る。
「言ってなかったの?」
「……仕事と私生活は分けたかったんですがね」
とノアは頭を掻きながら話す。
「だからって、ここまで何も言わないものか?」
「普段そんな素振り一つなかったぞ」
「どこで知り合ったんだ?」
質問が一気に増え、ノアは露骨に困った顔になった。
そこでユリウスが軽く手を叩く。
「その話はあとです。まだ警備中ですよ」
隊長に言われ、騎士たちは渋々口を閉じた。それでも全員がノアを見る目には、あとで絶対に詳しく聞くという意思がはっきり出ている。ユリウス自身も初耳だったらしく、ノアとアリスを見て少し驚いていた。
「……隊長までそんな顔しないでください」
「いや、私も知らなかったのですよ」
「そうですか……」
ノアはすでにこのあとの詰所で何を聞かれるのか想像してしまったらしく、少し疲れたように息を吐いた。一方のアリスは、なぜそこまで隠していたのか分からないと言いたげな顔をしている。
「別に隠すようなことでもないでしょう?」
「君はそう言うと思ったよ」
そんな二人のやり取りを見て、アリシアは小さく笑った。
やがて交代の者が到着し、ノアはようやく警備から解放された。第二近衛の騎士たちは持ち場へ戻っていったものの、何度か振り返ってはノアを見ている。今後しばらく騎士団内で話題になることは避けられそうになかった。
それでも同僚たちが離れてしまえば、ノアも少しずついつもの調子へ戻った。アリスは当然のようにその隣へ並び、先ほど見つけた店や大道芸について楽しそうに話し始める。
一行も再び祭りの中へ歩き出した。
少し前ではアリスとノアが並び、その後ろではローゼンとアリシアがエドガーを挟んで歩く。さらに少し後ろでは、ミレイユが先ほどより僅かにユリウスとの距離を意識しながらついていく。
同じ祭りの通りを歩いているだけなのに、それぞれの間にある距離は少しずつ違っていた。




