42. 王都祭へ①
王都祭が近づくにつれ、王宮の中でも自然とその話題を耳にすることが増えていった。廊下を歩けば使用人たちが今年の城下の飾り付けについて話し、中庭では休憩中の騎士たちが祭り当日の警備について言葉を交わしている。王宮の外で開かれる祭りとはいえ、一年でも特に多くの人々が王都へ集まる日なのだから、王宮の者たちにとっても無関係ではいられないのだろう。そんな話を何度か耳にしていたエドガーは、ある日の午後、アリシアの隣で不思議そうに首を傾げた。
「ママ、王都祭ってなに?」
「王都祭?ああ、エドは知らないわよね。一年に一度、王都で開かれる大きなお祭りよ。城下にたくさんお店が出て、お菓子や料理も売ってるし、道の途中で芸を見せてくれる人もいるわ。一日中すごく賑やかになるの」
アリシアも昔に何度か足を運んだことがある。王都中から人が集まるだけではなく、祭りを見るため地方から訪れる者もいるため、中心部は歩くのも大変なほど混雑していた記憶があった。それでも子どもの頃は色とりどりの屋台や音楽が楽しく、一日中歩き回っても飽きなかったものだ。
「お店、いっぱいあるの?」
「ええ。たぶんエドが一日かけても全部は見られないくらいね」
「……僕も、見てみたい」
期待に満ちた顔でそう言われると、アリシアも簡単に駄目とは言えなかった。せっかく王都へ来たのだから、一度くらい祭りを経験させてやりたい気持ちはある。ただし、エドガーはまだ四歳である。王都祭ほどの人混みへ連れていくことには不安もあり、アリシアがどうしたものかと考えているところへ、ちょうどローゼンが部屋を訪れた。
「パパ!王都祭、行きたい!」
エドガーはローゼンの姿を見るなり駆け寄り、今聞いたばかりの祭りについて一生懸命説明し始めた。店がたくさん並ぶことも、芸を見せてくれる人がいることも、もちろん自分が見に行きたいことも伝える。ローゼンはその話を最後まで聞くと、思った以上にあっさり頷いた。
「それなら行こうか」
「ちょっと待って。簡単に決めないでよ。エドを連れていくのも心配だけど、あなたまで行くつもりなの? 王都祭なんて人だらけじゃない」
「問題ない。普段とは違う格好をして、お忍びで行けばいいだろう」
ローゼンはかなり乗り気だった。エドガーが王都へ来てからというもの、どうしても王宮の中で過ごす時間が多くなっている。外へ出る機会がまったくないわけではないが、四歳の子どもとして自由に楽しめる場所は限られていた。せっかく祭りがあるのなら、王族の事情ばかりを優先せず、普通の子どものように楽しませてやりたいという。
そこまで言われると、アリシアも反対し続ける理由はなくなった。本人だってエドガーに見せてやりたい気持ちは同じである。あとは安全をどう確保するかという話になり、最終的にはローゼン、アリシア、エドガー、ミレイユの四人に、ユリウスが護衛として同行することになった。大勢の騎士を連れて歩けば、かえって国王がお忍びで来ていると知らせるようなものになるため、表向きの護衛は第二近衛騎士隊長であるユリウス一人に留める。祭りの警備そのものには第一近衛、第二近衛の騎士たちが各所へ配置されており、何かあればすぐ連携できる。クラウスたち第一近衛も城下にはいるが、最初から同行することはしないと決まった。
王都祭へ行けると分かったエドガーは、その日から祭りの話をするたびに目を輝かせるようになった。そして当日の朝、待ち合わせ場所へ現れたローゼンは、普段よりずっと地味な服装をしていた。仕立ての良さまでは隠せないものの、装飾を抑えた上着に目立たない色合いの服を合わせており、少なくとも遠目には国王だと分かりにくい。アリシアも王宮で着る華やかな衣装ではなく、長く城下を歩いても疲れにくい素朴な服を選んでいた。
先に来ていたローゼンが、アリシアを見る。
「似合っているな」
「……いちいち言わなくていいのよ」
素っ気なく返したものの、頬は少し赤くなった。その横からエドガーもアリシアを見上げ、嬉しそうに「ママ、かわいい!」と褒める。こちらにはアリシアもすぐ笑顔になり、「ありがとう、エド」と素直に礼を言った。ローゼンだけ明らかに扱いが違っていたが、本人は不満そうにするどころか、アリシアが照れていることに気づいたのかむしろ機嫌がよさそうだった。
ミレイユも今日は侍女だと分かりにくい簡素な服装をしており、ユリウスも騎士団長の制服ではなく、街へ出ても目立ちにくい格好をしていた。全員が揃ったところで、ユリウスはエドガーの前へ少し屈み、人混みでは絶対に勝手に離れないこと、気になるものを見つけても一人で走っていかないことを丁寧に言い聞かせた。
「うん。ちゃんと一緒にいる」
「今日はエドが一番楽しみにしてるんだから、迷子になってお祭りどころじゃなくならないようにしなさいよ」
「パパかママの手、ちゃんと持つよ」
真面目な顔で答えるエドガーに、ローゼンも満足そうに頷いた。それから一行は王宮を出て城下へ向かう。祭りの区域へ近づくほど人の数は増え、通り沿いの建物には鮮やかな布や花飾りが並んでいた。さらに中心部へ進めば、どこからか楽器の音が聞こえ、遠くでは大きな歓声が上がっている。焼いた肉の香ばしい匂いと甘い菓子の香りまで風に乗って届いてきて、エドガーは歩きながら何度も右や左を見回していた。
「ママ、あれなに? あっちもお店?」
「そうよ。でもそんなに一度に見ても分からなくなるでしょう。一つずつ見ればいいの」
「向こうも見たい!」
「今日は急ぐ必要もない。気になるところから順番に見よう」
人混みが本格的になってくると、ローゼンとアリシアは自然にエドガーの左右へついた。エドガーも約束を覚えていたらしく、自分から二人の手を取り、そのまま三人並んで祭りの通りへ入っていく。少し後ろを歩いていたミレイユは、その姿を見て自然と頬を緩めていた。
「……随分嬉しそうですね」
隣にいたユリウスから声をかけられ、ミレイユは少し驚いて振り向いた。
「そんなに顔に出ていましたか?」
「少しだけ。何かいいことでもありました?」
ミレイユは再び前を歩く三人を見る。エドガーが何かを見つけるたび二人の手を引き、アリシアとローゼンが揃ってそちらを見る。その姿は王宮の中にいる時よりもずっと自然で、ミレイユにはそれが嬉しかった。
「アリシア様たちが、こうして三人で普通にお出掛けしているところを見るのが嬉しいんです。少し前までは、こんなふうに一緒に歩いている姿なんて想像できませんでしたから」
「確かに。こうして見ていると、随分自然ですね」
「ですよね!」
思わず少し大きな声で返してから、ミレイユは慌てて口元を押さえた。ユリウスはそんな彼女を見て軽く笑っただけで、特にからかうことはしなかった。
一方、祭りの中へ入ったエドガーはすっかり目移りしていた。右には色鮮やかな飴を並べた屋台があり、左には木製の玩具を売る店がある。その向こうから歓声が聞こえれば今度はそちらが気になり、何度も足を止めては真剣に悩んでいる。
エドガーが本気で悩み始め、その様子にアリシアが笑った時だった。
「アリシア?」
人混みの中から名前を呼ばれ、振り返る。
「……アリス?」
そこには見覚えのある少女が立っていた。以前王都で知り合ったアリスだったのだ。
「やっぱりアリシアじゃない。こんなところで会うなんて思わなかったわ!」
「私もよ。アリスもお祭りに来てたの?」
「ええ。王都祭の日に家にいるなんて勿体ないでしょう? せっかくだから見て回ろうと思って」
アリスはそう言って笑うと、すぐにエドガーにも気づいた。気さくに話しかけられたエドガーはすぐ嬉しそうな顔になり、今まで見つけた屋台について一生懸命説明し始める。アリスも楽しそうに相槌を打ちながら、一緒になって近くの店を覗き込んだ。
アリシアは耳元に小声でアリスに話しかける。
「そういえば、ノアは一緒じゃないの?」
「今日は第二近衛として祭りの警備に入ってるの。仕事が終わったら合流する予定よ。それまでは一人で見て回ろうと思ってたところ」
「だったら、それまで一緒に回りましょうよ。せっかく会ったんだし」
「いいの!?それなら遠慮なく一緒に行くわ!」
思いがけず同行者が一人増え、エドガーはさらに楽しそうになった。その直後、少し先で大きな歓声が上がる。通りの向こうでは大道芸人が何かを始めたらしく、人々が輪を作って拍手を送っていた。
「あっ! ママ、あれ見たい!」
エドガーが思わず前へ出ようとした瞬間、左右から同時に手を引かれた。
「走らないの!」「一人だと危ないぞ」
アリシアとローゼンに同時に止められ、エドガーはその場でぴたりと止まる。横で見ていたアリスは思わず笑い、「二人とも息ぴったりね」と楽しそうに言った。
「……別に普通よ。ほら、エド。ちゃんと一緒に行くわよ」
少しだけ顔を逸らしたアリシアの横で、ローゼンは何も言わなかったが、やはりどこか機嫌がよさそうだった。エドガーは改めて二人の手を握り、今度は勝手に走り出さないよう歩調を合わせる。そうしてローゼンとアリシア、その間にエドガーが並び、少し後ろをミレイユとユリウス、さらに偶然合流したアリスまで加わって、一行は賑やかな祭りの人波へと進んでいった。




