41. お茶会の後で
オリーファとの茶会でアリシアが「私が王妃になります」と宣言した話は、思っていた以上に早くローゼンの耳へ届いた。その日のうちに、ローゼンはアリシアの部屋を訪れる。扉を叩き、今度はきちんと返事を待ってから中へ入ってきたところまではいつも通りだったが、問題はその表情だった。本人なりに平静を装っているつもりなのだろう。それでも口元は僅かに緩み、見るからに機嫌がいい。
その顔を見た瞬間、アリシアには何を聞いたのか分かった。
「勘違いしないでよ。王妃になるって言っただけだから」
「分かっている」
「あなたと再婚するとも言ってないわよ」
「それも分かっている」
もっとも、アリシアが言っていることは完全に矛盾していた。ローゼンはすでに国王なのだから、アリシアが王妃になるということは、彼と再婚して再び妻になるということに他ならない。そんなことはアリシア自身も当然分かっている。分かっているのだが、それでも本人を目の前にして「あなたと再婚するつもり」と素直に認めるのは、どうにも癪だった。
ローゼンもその矛盾には当然気づいているはずだ。だから、嬉しそうな顔をしているだけで、わざわざ指摘してこないのだろう。
「……もう少しくらい何か言ったら?」
「何を言えばいいんだ?」
困ったように返され、今度はアリシアの方が言葉に詰まった。自分から再婚するとは言っていないと釘を刺しておいて、それ以上何か言えというのも随分勝手な話である。
「……別に。何でもないわ」
少し気まずくなって視線を逸らす。ローゼンもそれ以上追及せず、妙なやり取りはそこで終わった。
しばらくして、ローゼンは表情を改めた。
「それで、茶会では何があった?」
アリシアも今度は真面目な顔になり、オリーファと何を話したのかを順番に説明した。最初は北部での四年間について聞かれ、やがてエドガーが本当にローゼンの子なのかと疑われたこと。さらに王位継承の話にまで踏み込まれ、エドガーを最初から継承から外すような方向へ持っていかれたこと。そして最後には、今度はアリシア自身へ話が向き、四年間も王宮を離れていた自分に王妃が務まるのかとまで言われたことを伝える。
「それで腹が立って、ああ言ったの」
「……なるほど」
「何よ、その顔」
「いや。君らしいと思っただけだ」
「それ褒めてる?」
ローゼンが少し笑う。アリシアは不満そうに眉を寄せたものの、それ以上は何も言わなかった。
しかしローゼンはすぐに笑みを消し、静かな口調で続けた。
「ただ、もしオリーファに言われたことへの意地だけで王妃になると言ったのなら、撤回して構わない」
アリシアは少し意外そうに顔を上げた。
「一度口にしたからといって、その言葉に縛られる必要はない。王妃という立場は軽いものではないし、君が望んでいないのに背負うべきものでもない。必要なら、周囲への説明は俺がする」
「……私が恥をかかないように?」
「それもある。だが一番は、君にまた勝手なことを押しつけたくないからだ」
ローゼンの言葉に、アリシアは少し黙った。
「……撤回するつもりはないわ」
今度はローゼンが僅かに目を見開いた。
「確かに、あの時は腹が立ってたし、勢いで言ったのも認めるわよ。私には無理みたいに言われて、絶対に引きたくないって思ったのも本当。でも、茶会が終わってから考えても、全部がその場の売り言葉だったとは思わないの」
アリシアは少し考えながら言葉を続ける。
「私はあの子を守る最善の方法は自分も王妃となり、成長を見守る事だと思っている。どうせ、貴方の事だから、私に貴方の子どもがいるなんてバレるのは時間の問題だったわ」
少し呆れたような言い方だったが、ローゼンは否定しなかった。実際、アリシアとエドガーの所在を知れば、自分が何もしなかったとは考えにくい。北部まで押しかけ、そのまま二人を王都へ連れてきた今となっては、なおさらだった。
「エドがこれから王家と関わって生きていくことになるなら、私だけ外から見ているわけにもいかないでしょう。あの子に何かあった時だけ母親として出ていって、普段は何の責任も持ちませんなんて、私にはできないもの」
「……そうか」
「だから、別に言ってしまったから仕方なく王妃になるわけじゃないわ。あの場では勢いもあったけど、今考えても撤回するつもりはないの。それがエドのために一番いいなら、私はその立場に立つのが良いと思ったの」
ローゼンはしばらく何も言わなかった。けれど、その沈黙が不満から来るものではないことくらい、アリシアにも分かる。むしろ先ほどよりも露骨に嬉しそうな顔になっている。
「……何よ」
「嬉しいんだ」
「見れば分かるわよ。だからそんなに顔に出さないで」
アリシアは少し頬を膨らませた。
ローゼンはそれ以上、再婚について確かめようとはしなかった。王妃になると言ったのだから妻に戻るということだろう、などと念を押すこともしない。先ほどアリシアが口にした矛盾についても、最後まで触れないままだった。
それが、少しありがたかった。
アリシア自身、分かっていないわけではない。王妃になるということは、ローゼンと再婚するということだ。むしろ、それ以外に王妃になる方法などない。それでも、本人を前にして「貴方の妻に戻るつもり」と認めるのだけは、まだどうしても抵抗があった。
だから、今はこれでいい。
ローゼンも、そこを無理に問い詰めようとはしなかった。
「ありがとう」
不意に言われ、アリシアが顔を上げる。
「何が?」
「君が、自分の意思でここに立つと決めてくれたことだ。同じ過ちは二度としないつもりだ」
アリシアは一瞬だけ黙ったあと、少しそっぽを向いた。
「……あなたのためじゃないわよ。エドのためだし、私が必要だと思ったからそうするだけ」
「ああ。分かっている」
話はそこで一段落した。アリシアが王妃になると口にした以上、この先にはいくつもの問題がある。正式な血縁確認もまだ終わっていないし、エドガーの立場も決まっていない。何より、アリシアとローゼンの関係そのものも、言葉の上ではまだ何一つ決着していなかった。
それでも、少なくともアリシアは自分から一歩進んだ。
しばらくして、ローゼンは公務へ戻るため席を立った。
「では、そろそろ戻ろうと思う」
「ええ」
扉へ向かう背中を見ながら、アリシアはふと気づいた。
結局、最後までローゼンの機嫌は良かった。
その一方で、あれほど嬉しそうな顔をされたせいで、自分が何を宣言したのかを改めて意識してしまう。
ローゼンが部屋を出ていき、扉が静かに閉じた。そこでようやく、アリシアは大きく息を吐いた。
「……私、何て事を言ってるのよ」
誰もいない部屋で小さく呟き、アリシアはしばらく顔を覆ったまま動けなかった。
『結婚』という事実を脳に焼き付けながら。




