40. 私が王妃になります
アリシアが答えに詰まったのを見ても、オリーファはすぐには言葉を重ねなかった。先ほどまでエドガーのことについては一歩も引かなかったアリシアが、自分自身の今後を問われた途端に黙った。その違いを確かめるように、しばらく静かに彼女を見つめている。
「エドガー様については、随分はっきりと考えているのね。けれど、あなた自身がどうするのかは決めていない。それでは、いずれ困ることになるのではなくて?」
「……だからって、今ここで答えを出す必要はないでしょう。私がどうするかは、私が考えて決めます」
アリシアはそう返したものの、先ほどまでほど迷いのない言葉ではなかった。自分でも分かっている。エドガーのためにしばらく王宮へ残ることは決めた。しかし、その先については考えないようにしてきた。ローゼンともう一度夫婦になるのか、いつか北部へ戻るのか。それどころか、自分が本当はどちらを望んでいるのかさえ、まだはっきりとはしていないのだ。
オリーファはそんなアリシアを見ながら、話をさらに一歩進めた。
「もちろん、最終的に決めるのはあなたでしょうね。ただ、もし陛下との関係をやり直すことになれば、あなた個人だけの問題では済まなくなるわ。以前のように王の妻となるのであれば、その先にある立場も避けては通れないでしょう?」
何を言おうとしているのか分かり、アリシアは僅かに眉を寄せた。
「……まだ再婚するなんて決めてませんけど」
「ええ。でも、絶対にないとも言っていないでしょう?」
「それは……そうですけど」
「なら、考えておいた方がいいのではないかしら。陛下の妻になるということは、もう一度王妃になる可能性もあるということよ」
アリシアは少し不快そうにオリーファを見る。そもそも自分は今日、王妃になりたいと申し出るためにここへ来たわけではない。ローゼンとの復縁についてさえ答えを出していないというのに、いつの間にか話だけがずいぶん先へ進んでいる。
「私は、王妃に戻りたいなんて一言も言ってません」
「今はそうでしょうね。けれど、エドガー様が王家の一員として認められ、あなたも陛下の隣へ戻ることになれば、王妃という立場を無視するわけにはいかないわ」
オリーファはそこで一度カップへ手を伸ばした。茶を一口飲んでから、今度はアリシア自身を測るような目を向ける。
「王妃は、ただ王の隣にいればいいわけではないでしょう。貴族たちとの関係を保ち、必要なら彼らをまとめ、外交の場では王家を代表する。国の内外へ目を配りながら、陛下を支える役目もある。あなたなら、そのくらい知っているでしょうけれど」
「もちろん知っています。今さら説明していただかなくても大丈夫ですよ」
さすがに少し棘のある言い方になった。四年間王宮を離れていたからといって、それ以前に学んだことまで忘れたわけではない。かつて王太子妃となるため、必要な教育は受けている。
だが、オリーファは引かない。
「では、今の王宮についてはどこまで知っているの?あなたが離れていた四年間で、貴族たちの関係も変わった。国外の情勢も同じではないわ。昔学んだことだけで、今の宮廷に立てるとは限らないでしょう?」
「分からないことがあるなら、これから覚えればいいじゃないですか。四年間離れていたからって、それだけで今後も何もできないと決まったわけではありません」
「簡単に言うのね」
その一言に、アリシアの眉が動いた。
「王妃という立場は、分からないことがあればその時に覚えればいい、というだけで務まるほど甘くはないわ。国を背負う立場なのだから、本人の気持ちだけではどうにもならないこともあるでしょう?」
アリシアはしばらく黙っていた。
言われていることのすべてが間違っているとは思わない。四年間の空白があることも、今の宮廷について知らないことがあることも事実だった。仮に本当に王妃へ戻るのなら、簡単なことではないだろう。
けれど、それと「できない」と決めつけられることは別だった。
「……何だか、おかしくありません?」
「何がかしら?」
「私は王妃にしてくださいってお願いしているわけでもないのに、どうしてさっきから私に王妃が務まるかどうかを一方的に評価されてるんですか?」
オリーファの笑みが僅かに薄くなる。
「あなたがエドガー様の立場について、そこまで強く主張するからよ。王家の問題へ深く関わるというのなら、母親であるあなた自身にもそれなりの覚悟が必要でしょう?」
「それは分かります。でも、覚悟があるかどうかと、私にできるかどうかをオリーファ様が決めることは違うと思います」
アリシアも少しずつ苛立ち始めていた。
エドガーについては、北部で育ったことを理由に王位継承者として相応しくないと言われた。そして今度は、自分が四年間王宮を離れていたことを理由に、王妃として不十分なのではないかと問われている。
どうして親子揃って、本人たちが何も決めていないうちから「できる」「できない」を他人に決められなければならないのか。
オリーファはそんなアリシアの反応を見ながら、さらに一歩踏み込んだ。
「では、あなたには本当にあるのかしら。再び王家の中心に立ち、この国を背負う覚悟が。今のあなたは母親としてエドガー様を守ることばかり考えているように見えるわ。それ自体は悪いことではない。でも、母親として強いことと、王妃として相応しいことは同じではないでしょう?」
アリシアの表情が少し硬くなる。
「私が母親になったから、王妃には向かないと?」
「そこまでは言っていないわ。ただ、四年間王宮から離れ、政治の中心からも離れていたあなたが、本当に以前と同じように務められるのか疑問に思っているだけよ」
「だから、足りないものがあるなら覚えるって言っているでしょう」
「それだけで済むのかしら?」
オリーファはほんの僅かに首を傾げた。
「そもそも、あなたのような方に王妃が務まるとでも?」
「…………」
アリシアは黙った。
部屋の中に短い沈黙が落ちる。
ここで聞き流して帰ることもできた。自分はまだローゼンとの再婚を決めていない。王妃になれるかどうかなど、今ここで結論を出す必要もない。オリーファが何を言おうと、自分には関係ないと割り切れば、それで済む話だった。
けれど、アリシアはどうしてもそれができなかった。
エドガーには王族としての教育を受けていないから相応しくないと言い、自分には四年間王宮を離れていたから王妃は務まらないと言う。
まだ何も始まっていないうちから。何も試してすらいないうちからできないと決めつけられるのがどうにも気に入らなかった。
「……そこまで仰るのでしたら」
オリーファを真正面から見据えた。
「私が王妃になります」
今度こそ、オリーファの表情が止まった。
それまで何を言っても余裕を崩さなかった彼女が、僅かな間だけ言葉を失う。
――あ。言ってしまった。
しかし、一度口にした以上、今さら慌てて取り消すわけにもいかない。アリシアは内心の動揺を押し隠し、何事もなかったように背筋を伸ばした。
「……本気で言っているの?」
「少なくとも、私には務まらないと最初から決めつけられる理由はありません。四年間離れていたなら、その分は覚え直します。知らないことがあるなら学びます。必要になったなら、やります。それくらいの覚悟もなく、エドの将来についてここまで口を出しているわけじゃありません」
エドガーの立場を守るというのなら、自分だけ何の責任も負わずに済むとはアリシアも思っていない。もし本当にあの子が王家の中で生きていくことになるのなら、母親として自分にも背負うものが出てくるだろう。その時に、怖いからという理由だけで逃げるつもりはなかった。
王妃になりたいと決めたわけではない。
けれど、必要ならできる。
少なくとも他人から「あなたには無理だ」と言われて、そのまま引き下がる気はなかった。
オリーファはしばらく何も言わなかった。
アリシアはそんな相手を見つめたあと、静かに席を立つ。
「今日はありがとうございました。聞きたかったことも、だいたい分かりましたから」
最後まで堂々と一礼し、そのまま茶会の席を後にした。少なくとも、オリーファの前では一度も動揺を見せなかった。
◇
自室へ戻ると、待っていたミレイユがすぐに迎えた。茶会へ向かう前から気にしていたらしく、アリシアの顔を見るなり何があったのか尋ねてくる。
「思ってたより面倒な話になったわ」
椅子へ腰を下ろしたアリシアは、茶会での出来事を簡単に説明した。エドガーの血統を疑われたことを話すと、ミレイユは露骨に顔をしかめる。さらに王位継承についてまで踏み込まれ、最初からエドガーを外すような話をされたと知ると、ますます不満そうな顔になった。
「それで、アリシア様はどうされたんですか?」
「もちろん言い返したわよ。まだ四歳なのに、勝手に先のことまで決める必要なんてないって。そこまではよかったのよ」
「そこまでは?」
ミレイユが首を傾げる。
アリシアは急に歯切れが悪くなった。
「そのあと、今度は私自身の話になって……私が王妃になりますって言ってきたわ」
「…………」
ミレイユが完全に固まった。
数秒遅れて意味を理解したらしく、その表情が一気に明るくなる。
「アリシア様、それって――」
「違うからね!」
最後まで言わせず、アリシアはすぐに遮った。
「オリーファ様にあそこまで言われたから、言い返しただけよ。王妃になることが正式に決まったわけでもないし、ローゼンとやり直すって決めたわけでもないから!」
「で、ですよね!流石アリシア様です!」
「……その顔で言われても全然信用できないんだけど」
ミレイユは口では了承したものの、嬉しさを隠せていなかった。
それを見ているうちに、アリシアもようやく茶会で高ぶっていた気持ちが落ち着いてくる。
そして冷静になったところで、自分が口にした言葉の大きさが改めて頭へ戻ってきた。
「……私、勢いで随分なこと言ったわね」
額へ手を当てる。
あの場ではオリーファに負けたくない一心で言い切れた。けれど、「王妃になります」という言葉は、少なくとも軽い喧嘩の売り言葉で済ませられるものではない。
ミレイユはそんなアリシアを見ながら、まだどこか嬉しそうだった。
「だから、まだ何も決まってないからね。本当に」
「分かってますよ。アリシア様!私はいつも応援してますから!」
「絶対分かってないわよね……」
アリシアが呆れたところで、ふと別のことが頭をよぎった。
オリーファに向かって、あれだけ堂々と言ったのだ。この話がいつまでも二人だけの間に留まるとは思えない。
「…………」
「どうなさいました?」
ミレイユに尋ねられ、アリシアは恐る恐る口を開いた。
「……これ、ローゼンにも伝わるわよね?」
その瞬間、茶会の席でオリーファと向き合っていた時よりも、よほど気まずそうな顔になった。
ローゼンが「私が王妃になります」という言葉を聞いたら、どんな反応をするのか。
想像した途端、頬がじわじわと熱くなる。
「……本当に、何であんなこと言っちゃったのよ……」
その横では、ミレイユだけがどうしても隠しきれない笑顔を浮かべていた。
オリーファの挑発に乗ってしまうアリシアでした。




