39. 疑われるエドガーの出自
オリーファがカップを静かに置いても、茶会の席そのものは穏やかなままだった。卓上にはまだ手をつけられていない焼き菓子が残っている。
「もう一つ、少し気になっていることがあるの。エドガー様は今、四歳だったわね。そして、あなたが王宮を離れたのも約四年前だったはずよね?」
「ええ。そうですけど」
オリーファはそんなアリシアの反応を確かめるように一度だけ間を置き、王宮ではすでにエドガーについて様々な噂が広がっているのだと話した。
「あなたと陛下がこれからどうなるのかという話だけではないわ。エドガー様についても色々と言う者が増えているの。中には、あの子が本当に陛下のお子なのかと疑っている者までいるわね。だから私も確認しておきたいの。そもそも、その子は本当に陛下のお子なのかしら?」
オリーファは遠回しな言い方をやめた。
「……何を根拠に、エドの父親を疑っているんですか?」
「あなたが四年間も王宮から離れて暮らしていたこと。それに、その間エドガー様の存在を王宮へ知らせなかったことでしょうね。四年ぶりに戻ってきたあなたに突然四歳の子どもがいて、その子が国王の実子だと言われても、何の疑問も持たず受け入れろというのは難しい。そう考える者がいること自体は、不自然ではないと思うわ」
そんな言い方はアリシアにとっては到底聞き流せる内容ではない。
「王宮へ知らせなかった理由なら、さっきお話ししました。あの時の私はローゼンとはもう別れていて、王宮へ戻るつもりもありませんでした。妊娠したからといって、エドを理由にしてローゼンのところへ戻ろうとも思わなかった。それだけのことです。でも、それとエドが誰の子なのかという事実は、まったく別でしょう?」
アリシアは言い切った。当時の自分が王宮へ何も伝えなかったことについて、今になって様々な意見が出ることそのものは理解できる。けれど、連絡しなかったという事実だけを理由に、エドガーの父親まで疑われる筋合いはなかった。
オリーファもそこは簡単には引かなかった。
「けれど、王家の血統に関わる問題となれば、母親であるあなたが『陛下の子です』と言うだけで済ませるわけにもいかないでしょう。あなた自身を疑いたいわけではなくても、王家として正式に扱うのであれば、確認を求める者が出るのは当然だと思うの」
意外にも、その言葉にアリシアは反発しなかった。
「それなら、必要なら確認すればいいんじゃないですか?」
「……随分あっさり言うのね」
「だって、エドがローゼンの子であることは私が一番よく知っていますから。王位継承に関わる可能性がある以上、正式な確認が必要だという話まで否定するつもりはありません。確認すること自体を怖がる理由もありませんし」
もっと感情的に拒むと思っていたのか、オリーファは僅かに意外そうな顔をした。
だが、アリシアにとって問題なのは血縁を確かめることではない。むしろ、疑義があるというのなら正式な方法で確認すればいい。それでエドガーがローゼンの子であることが明らかになるのなら、それ自体に困ることは何もなかった。
「でも、正式に確認もしていない段階で、四歳の子どもについて好き勝手な噂を流すことは別問題です。私について何を言われるかは構いません。四年間も王宮を離れていて、突然戻ってきたんですから、色々言われることくらいは覚悟しています。でも、エドは違います。あの子は何も知らないし、誰かを騙したわけでもない。それなのに、大人たちが勝手に『本当に陛下の子なのか』なんて言っていることまで仕方がないとは思えません」
オリーファは少しだけ目を細める。
「王国の将来に関わることなのだから、慎重になるのは当然でしょう?」
その一言に、アリシアは引っかかった。
「……王国の将来、ですか?」
「ええ。王家の血統に関わる以上、そうでしょう?」
最初はエドガーの父親が本当にローゼンなのかという話だった。それがいつの間にか、王国の将来という大きな話へ変わっている。アリシアは少し考えたあと、ようやくオリーファが本当に知りたがっているものに気づいた。
「オリーファ様が気にしているのって、本当にエドがローゼンの子かどうかだけなんですか? それよりも、エドが本当にローゼンの子だった場合、そのあと何が起きるのかを気にしているように聞こえますけど」
今度はオリーファもすぐには答えなかった。
やがて、誤魔化す必要もないと考えたのか、穏やかな表情のまま口を開く。
「仮にエドガー様が陛下の実子だったとしても、それだけで次の王位継承者として相応しいとは限らないでしょう。北部の小さな村で育ち、王族としての教育も受けていない。それなのに、ただ血が繋がっているという理由だけで王位継承者として扱うことが本当に正しいのかしら」
そこでアリシアは、ようやく話の核心が見えた気がした。
「私は一度も、エドを王太子にしてほしいなんて言っていませんよ」
アリシアはきっぱり答えた。
「エドはまだ四歳です。自分が将来何をしたいのかだって分からないし、そもそも王族として生きたいと思うのかも分かりません。ローゼンとも、本人の意思を無視して何かを押しつけるべきじゃないって話しています。だから、今すぐ王太子にする必要がないという話なら私も同意します」
「それなら、最初から王位継承から外してしまえばいいのではないかしら。その方が、将来余計な争いを生まずに済むでしょう?」
オリーファがそう続けると、アリシアはほとんど間を置かなかった。
「それは違います。王太子にすると今決める必要がないのと同じように、王位継承から外すと今決める必要もないでしょう。まずは本当にローゼンの子なのかを正式に確認する。そのうえで王家としてどう扱うのかを考えればいい話です。まだ四歳の子どもについて、大人たちが勝手に未来を閉ざす必要なんてありません」
「けれど、将来的に継承権を巡る争いが起きる可能性もあるわ。だからこそ、早い段階で立場を整理しておくという考え方もあるでしょう?」
「だからといって、今のうちにエドを排除すれば何も起きないとは限りませんよ。後になってローゼンの実子だと正式に確認された時、『王家はその存在を知りながら継承から外した』と思われたらどうするんですか。それこそ、どうしてそこまでして排除したんだと疑う人が出るでしょうし、王家の正統性まで余計に疑われるかもしれません」
オリーファの表情が僅かに変わった。
アリシアの言葉は、ただ息子を守ろうとする母親の感情論ではなかった。
四年間北部で暮らしていたからといって、それ以前に身につけたものが消えたわけではない。アリシアは王太子妃となるために教育を受け、王家の血統や継承がどれほど慎重に扱われるものなのかも学んできたから言える事なのだ。
さらに、アリシアにはもう一つ納得できないことがあった。
「それに、エドが王族としての教育を受けていないことを、あの子の欠点みたいに言うのもおかしいです。まだ四歳なんですよ。必要なら、これから学べばいいでしょう。四歳まで王宮で育っていなかったことを、本人の能力が足りないみたいに扱われるのは違うと思います」
「私は、能力が足りないとは言っていないわ」
「でも、王位継承者として相応しいかどうかの理由にはしましたよね。エドが王宮で育ってこなかったのは、あの子自身が選んだことじゃありません。それなのに、何も知らない本人を置いて、大人たちだけで『相応しい』『相応しくない』って決め始める方が、私はずっとおかしいと思います」
そこまで言ってから、アリシアは一度息を整えた。
「私は、どうしてもエドを王にしたいわけじゃありません。むしろ、そんな重い立場をあの子が望むかどうかも分からないし、普通に幸せに暮らしてほしいって思う気持ちだってあります。でも、それと、将来自分で選べるかもしれない道を今のうちに誰かが潰してしまうことは別です。エドが大きくなって、自分で考えて、自分で選べるようになった時に、その道が残っているようにしてあげたいだけです」
オリーファはその答えを聞いて、小さく笑った。引くつもりはないらしい。今度は少し角度を変えるように、アリシアへ問いかけた。
「では、あなた自身はこれからどうするつもりなの?」
「……私ですか?」
「ええ。エドガー様の将来については随分はっきり考えているようだけれど、あなた自身はどうなのかしら。これからも王宮に残るの?陛下との関係はどうするつもり?今のあなたには正式な立場がないままだけれど、それでもいつまで王家の問題へ関わり続けるつもりなの?」
アリシアは初めて、すぐに答えることができなかった。
その僅かな沈黙を、オリーファは見逃さなかった。
「エドガー様のことなら、どんなことを聞かれても迷わないのね。でも、あなた自身のこととなると、まだ答えは決まっていないように見えるわ」
「…………」
アリシアは否定しなかった。
否定できなかった。
オリーファは静かにカップへ手を伸ばし、アリシアもまた目の前の相手から視線を逸らさなかった。
エドガーを守りたいという気持ちだけでは、この先ずっと王宮に立ち続けることはできない。
母親である自分自身が、どこに立つのか。
ローゼンの隣へ戻るのか。
それとも別の道を選ぶのか。
いつまでも答えを出さずにいられる問題ではないことを、アリシアは初めて真正面から突きつけられていた。




