29. 第一近衛騎士団の帰還
南方へ長期間遠征していた第一近衛騎士団が、ついに王都へ帰還した。
王都の大通りには朝早くから多くの人々が集まり、遠征から戻ってきた騎士たちを一目見ようと沿道を埋め尽くしていた。先頭を進むのは第一近衛騎士団団長、クラウス・ベルンハルト。その後ろには副団長ディートリヒ・ラウフェンをはじめ、南方へ派遣されていた騎士たちが整然と続いている。長い遠征を終えたばかりとあって、彼らの顔には隠しきれない疲労が滲んでいたが、それ以上に久しぶりの王都へ戻ってきた安堵の色が強かった。
沿道からは大きな歓声が上がる。子どもたちが手を振り、大人たちも騎士たちの帰還を喜びながら声を掛けていた。今回の遠征は、単純に敵国と戦うためのものではない。広大な領土と強大な軍事力を有する王国には、周辺諸国の均衡を保つという役割もあった。南方ではいくつもの小国が長年にわたり争いを続けており、一つの戦争が終われば別の国同士が衝突するという状態が続いていたのである。そこで王国は第一近衛騎士団を派遣し、各国の軍事行動を監視すると同時に、必要に応じて調停へ介入していた。
圧倒的な力を持つ大国が睨みを利かせているとなれば、南方諸国も無闇に争いを拡大するわけにはいかない。今回の長期任務によって大規模な衝突は次第に減り、散発的な小競り合いこそ残っているものの、少なくとも大きな戦争へ発展する可能性はかなり低くなっていた。完全に平和になったわけではないが、第一近衛騎士団が派遣された目的は十分に果たされたと言ってよかった。
「随分な歓迎だな」
馬上から沿道を眺めながら、クラウスが僅かに口元を緩める。
「それだけ我々の帰還を待っていたのでしょう。南方へ向かってから随分と経ちましたから」
隣を進むディートリヒが答えた。
副団長であるディートリヒ・ラウフェンは、遠征中もクラウスを支え続けた男だった。判断は早く、実務にも長けている。現地の部隊配置から各国との交渉準備までそつなくこなし、騎士団内からの信頼も厚い。多少考え方に癖があるところこそあったものの、少なくとも騎士としての能力に疑いを持つ者はいなかった。
「もっとも、歓声を聞くより先に湯を浴びたいところですが」
「それについては同感だ。王都へ戻ったからと気を抜くなよ。まずは陛下への帰還報告が先だ」
「分かっております。団長こそ、久しぶりの王都だからと酒場へ消えないでください」
「俺を何だと思っている」
長い遠征を共にした二人らしいやり取りだった。周囲の騎士たちからも僅かな笑い声が漏れる。任務中であれば厳格なクラウスだったが、王都の門を潜ったことで多少は空気も和らいでいるらしい。
そのまま一行は大通りを抜け、王宮へ向かった。
王宮の正門を潜ると、そこでは第二近衛騎士団の騎士たちが待ち構えていた。第一近衛騎士団の大半が南方へ赴いている間、王都と王宮の守備を任されていたのが彼らである。その先頭には、白い髪を持つ若い隊長――ユリウス・エーベルが立っていた。
「お帰りなさい、クラウス団長。長期の遠征、お疲れ様でした」
「久しぶりだな、ユリウス」
二人は互いに手を差し出し、力強く握手を交わした。第一と第二という違いこそあるものの、第二近衛騎士団は元々第一近衛から分けられた一部隊でもある。クラウスにとってユリウスは部下に近い立場であり、ユリウスから見ればクラウスは今も変わらず上司だった。
クラウスは握った手を離すと、ユリウスを上から下まで眺める。
「俺たちが留守の間、鍛錬を怠ってはいなかっただろうな?」
「もちろんですよ。団長が帰ってきた途端に『随分と鈍ったな』なんて言われたら困りますから。皆には嫌われるくらい走らせておきました」
「なら安心した。王宮の守備は?」
「問題ありません。細かなことはいくつかありましたけど、大きな混乱はありませんでしたよ」
「そうか」
そこでクラウスは少しだけ首を傾げた。
「それで、留守の間に何か変わったことはあったか?こちらへ戻る途中では特に報告を受けなかったが」
「変わったこと……ですか」
ユリウスの笑顔が僅かに引きつった。
答えを探すように一瞬だけ視線を泳がせ、それから何とも言えない顔になる。
「……まあ、色々とありまして」
「色々?」
「はい。色々です。説明すると長くなりそうなので、先にローゼン様へ帰還報告を済ませてください。その方が早いと思います」
クラウスは怪訝そうに眉を寄せたものの、今ここで問い詰めることはしなかった。確かに遠征から戻った以上、まず国王への報告を済ませるのが筋である。
「分かった。あとで詳しく聞かせてもらう」
「ええ。ぜひ」
何故かユリウスが少し楽しそうに笑ったことに、クラウスはさらに疑問を抱いた。
第一近衛騎士団の主要な者たちは、そのまま王宮内部へ入り、ローゼンの待つ執務室へ向かった。クラウスを筆頭に、副団長ディートリヒや数名の隊長が入室すると、ローゼンは机から立ち上がって彼らを迎えた。
「長い任務だったな。全員無事に戻ってきてくれて何よりだ」
「ただいま戻りました、ローゼン様」
クラウスが代表して頭を下げ、それに続いて他の騎士たちも一礼する。
そこから遠征の正式な報告が始まった。南方諸国の現在の情勢、停戦に応じた国々、未だ緊張状態にある地域、国境付近に残した監視部隊の規模。クラウスが中心となって説明し、必要に応じてディートリヒが補足する。ローゼンも一つひとつ確認しながら耳を傾けていた。
やがて一通りの報告を聞き終えると、ローゼンは深く息を吐いた。
「此度の遠征、本当に感謝している。長期間にわたり王都を離れ、南方の調停と監視に当たってくれたこと、国王として礼を言う」
「ローゼン様、どうかお気になさらないでください。第一近衛一同、自らの仕事に誇りを持っております。騎士の役目は敵を倒すことだけではありません。剣を抜かずに済むよう秩序を保つことも、我々にとって必要な仕事です」
ローゼンが王位を継いで以降、王国は以前にも増して領土の拡大より秩序の安定へ重きを置くようになっていた。すでに十分すぎるほど広大な領土を持つ王国にとって、これ以上周辺国を呑み込んだところで統治の負担が増すだけである。それならば、自国の力を利用して周辺地域の戦争を抑え、交易や治安を安定させる方が遥かに利益は大きい。
第一近衛騎士団の今回の遠征も、その方針を象徴するものだった。
「兵には十分な休養を取らせてくれ。王都に戻ったばかりで次の仕事を押しつけるつもりはない。細かな報告書については明日以降で構わない」
「承知いたしました。では、本日はこれにて失礼いたします」
クラウスが一礼し、他の騎士たちもそれに続いた。そして、退出しようと扉へ向かった、その時だった。
廊下の向こうから、ぱたぱたと小さな足音が近づいてくる。
「パパー!」
「…………」
第一近衛騎士団の騎士たちの動きが一斉に止まった。
クラウスも足を止める。
ディートリヒも僅かに眉を動かした。
今、何と聞こえたのだろう。
しかし、ローゼンだけはごく普通に扉の方へ視線を向けた。
開いたままになっていた扉の向こうから、小さな男の子が顔を覗かせる。年齢は四歳ほどだろう。王宮の子どもらしい上等な服を身につけ、そのまま何の躊躇もなくローゼンへ駆け寄ってきた。
「パパ!まだお仕事してるの?」
「ああ。もう終わったところだ。エドガー、もう少し待っていなさい。後でそっちへ行くから」
「うん!」
第一近衛騎士団の面々だけが、その場で完全に取り残されていた。
――パパ?
誰も口には出さなかったが、ほぼ全員の頭に同じ言葉が浮かんでいた。
クラウスは無言のまま、エドガーを見る。
次にローゼンを見る。
南方へ遠征する前、ローゼンに子どもなどいなかったはずである。少なくとも、第一近衛騎士団にはそんな話は一切知らされていない。そもそもローゼンが新たに妃を迎えたという報告すら受けていなかった。
「……ローゼン様」
クラウスが何かを尋ねようとした、その時だった。
「エド!勝手に先に行っちゃ駄目でしょう!」
今度は女性の声が廊下から聞こえた。
その声に、クラウスの表情が変わった。
聞き覚えがある。
いや、忘れるはずがないのだ。
少し遅れて扉の向こうへ姿を見せた女性を見た瞬間、第一近衛騎士団の面々は今度こそ言葉を失った。
「……アリシア様?」
四年前、王宮から突然姿を消したアリシア・レインフォートが、そこにいた。
アリシアは室内に大量の騎士がいることに気付き、少し驚いたように足を止める。
「あら……?」
一方のエドガーは、大勢の見知らぬ騎士たちを見回して少しだけローゼンへ近づいていた。
「…………」
クラウスは頭を抱えたように黙り込んでしまったのだった。




