27. ママのこと、好き?
午前中いっぱいローゼンと遊んだエドガーは、昼食の時間になっても上機嫌だった。朝のうちは、四歳の子どもと一日どう過ごせばいいのか分からず真剣に考え込んでいたローゼンも、今ではすっかり肩の力が抜けている。
昼食の準備を手伝いに来たミレイユも、そんな二人の様子を見て安心したらしい。卓の上へ料理を並べながら、嬉しそうに話すエドガーへ何度も頷いていた。
「僕ね、いっぱい積み木したよ!おっきいお城作ったの。それでね、村のお話もいっぱいした!」
「まあ、それは楽しそうですね。ちゃんと陛下にも村でのお話をして差し上げたのですか?」
「うん!ママと薬草取りに行ったこととか、おっきい木のことも話したよ!」
エドガーは午前中にあったことを一つずつ思い出しながら、楽しそうに報告していく。話の順番は少しばらばらだったが、それでも本人が楽しかったことだけは十分に伝わっていた。ミレイユも微笑ましそうに聞いていたものの、せっかく今日は二人きりで過ごしているのだからと、食事の準備を終えるとそれ以上その場へ残ろうとはしなかった。
「それでは、私は一度失礼いたします。何かございましたら、いつでもお呼びください」
「ああ、ありがとう」
「ミレイユお姉ちゃん、またね!」
「はい。また後で参りますね」
ミレイユが部屋を出ると、再びローゼンとエドガーだけになった。二人は向かい合うように席へ着き、そのまま昼食を取り始める。朝ならば、こうして二人きりになるだけでもローゼンは少し構えていたかもしれない。けれど今は、エドガーがパンを小さくちぎったり、気に入った料理を嬉しそうに食べたりする様子を、ごく自然に眺めていられた。
エドガーの方も変わらない。アリシアが王宮を離れていることを特に寂しがる様子もなく、時々思い出したように午前中の話をしながら食事を続けている。
しかし、そのうち少しだけ静かになった。
ローゼンは気にせず食事をしていたが、エドガーは何かを考えているらしい。小さな匙を持ったまま、何度かローゼンの顔を見ては、また皿へ視線を戻していた。
「どうした? 何か食べにくいものでもあったか?」
「ううん」
「なら、何か聞きたいことでもあるのか?」
そう尋ねると、エドガーは少しだけ首を傾げた。それから、ずっと気になっていたことを確かめるように口を開く。
「ねぇ、ママのこと好き?」
あまりにも唐突な質問だった。
ローゼンの手が一瞬だけ止まる。
けれど、誤魔化す必要はなかった。むしろ、ここで取り繕う方が不自然だろう。ローゼンは少しだけ表情を和らげると、素直に答えた。
「好きだよ。今でも大好きだ」
エドガーは驚かなかった。
むしろ「やっぱり」と言いたげな顔をしている。
少し前には森の秘密基地で、幼い頃の二人が書いた『けっこんのやくそく』まで見つけている。最近の二人の様子を見ていても、エドガーなりに何となく察していたのだろう。
「やっぱり好きなんだ」
「ああ」
「じゃあ、ママの方は好きなのかな?」
今度はすぐに答えられなかった。
ローゼンは少しだけ視線を落とした。
「……それは、分からないな」
「どうして?」
エドガーは本当に不思議そうだった。
幼い子どもからすれば、好きなら好き、嫌いなら嫌いと簡単に分けられるものなのかもしれない。ローゼンがアリシアを好きなら、アリシアもローゼンを好きなのではないか。そんなふうに考えていてもおかしくはなかった。
けれど、現実はそこまで単純ではない。
ローゼンは少し迷った。四年前の出来事を、どこまで話すべきか。真相をここでエドガーへ明かすつもりはなかった。アリシア自身がまだ知らないことを、息子へ先に話すわけにはいかない。
だからといって、自分に都合のいい説明で誤魔化すつもりもなかった。
「昔、自分はアリシアに酷いことをしてしまったんだ」
「ママに?」
「ああ。アリシアがとても大切にしていた約束を、自分の方から破ってしまった」
エドガーは少し考えた。
やがて、森の秘密基地で見つけた紙を思い出したらしい。
「結婚するって約束?」
「そうだ。昔、アリシアとずっと一緒にいると約束したんだ。でも、その約束を自分から終わらせたのも自分なんだ。アリシアは何も悪くなかったのに、とても悲しい思いをしたんだ」
「……ママ、泣いた?」
「たぶんな」
本当は、もっと深く傷つけた。
泣いたかどうかすら、あの日のローゼンには確かめる資格がなかった。
エドガーは少し表情を曇らせた。
「何でそんなことしたの?」
最も当然の疑問だった。
ローゼンは一瞬だけ言葉を止めたものの、ここで真相まで話すことはしなかった。
「それは……ごめん。今は話せないんだ。ただ、私がアリシアを傷つけたことは本当だ。だから私は今でもアリシアが好きだけど、アリシアが今も私を好きでいてくれているとは思っていない」
エドガーは難しそうな顔をした。
四歳の子どもには少し複雑な話だっただろう。それでも、何となく理解しようとしているらしく、匙を置いてローゼンをじっと見つめている。
「でも、ママ、一緒にいると笑ってるよ?」
「ああ。そうだな」
「昨日も笑ってたし、その前も笑ってたよ」
「自分も、それは嬉しいと思っている。ただ、笑ってくれることと、好きでいてくれることは同じじゃないんだ」
「違うの?」
「ああ。誰かと一緒にいて楽しいと思うことと、その人を特別に好きだと思うことは、少し違うこともある」
エドガーはさらに難しそうな顔をした。
完全に理解できてはいないのだろう。それでも、何とか分かろうとしている。
少ししてから、また尋ねた。
「じゃあ、また好きになってほしい?」
「……なって欲しい。無理だと分かっていても。できることなら、もう一度アリシアと一緒にいたい。もう一度、自分のことを好きになってもらえたら嬉しいと思っている」
「じゃあ、好きになってって言えばいいじゃん」
「それはできない」
「何で?」
「俺がアリシアを好きだからといって、アリシアにも同じように好きになれとは言えないからだ。好きになるかどうかを決めるのは、アリシアだからな」
「ママが決めるの?」
「ああ」
エドガーはしばらく考え込んだ。
「ママが嫌って言ったら?」
その問いには、ローゼンも少しだけ息を詰まらせた。
「その時は、受け入れないといけない」
「一緒にいられなくても?」
「そうだな」
「悲しくない?」
「悲しいと思う」
ローゼンは少しだけ笑った。
「でも、だからといって無理やり一緒にいてもらうわけにはいかないだろう。自分が一度アリシアを泣かせてしまった以上、なおさらだ。ただ、出来る限り償いをしたいと思う。半ば無理矢理連れて来たのは私だ。望むのなら、元の場所へ帰る許可を出そうと思ってる」
エドガーは黙った。
それからしばらく、二人は静かに食事を続けた。
ローゼンもそれ以上説明しようとはしなかった。四歳の息子へ話すには、これだけでも十分すぎるだろう。
やがて、エドガーが小さな声でぽつりと言った。
「僕は好きだよ」
ローゼンは一瞬、何のことか分からなかった。
「……何が?」
エドガーは少し照れたように視線を落とした。
「ママも好きだし……一緒に遊ぶのも好き」
そこでようやく、ローゼンはその言葉が自分へ向けられているのだと理解した。
朝から一緒に積み木をして、昔の話をして、昼食を食べている。その時間が好きだと言ってくれている。
エドガーがローゼンへ、これほどはっきり好意を示したのは初めてだった。
ローゼンはしばらく息子を見つめたあと、ほんの少し表情を緩めた。
「……ありがとう」
それだけを返した。
エドガーもそれ以上は何も言わず、すぐにいつもの調子へ戻った。
「これ、おいしいね」
「ああ。気に入ったなら、もう少し食べるか?」
「食べる!」
先ほどまでの少し難しい話など、もうどこかへ行ってしまったようだった。
ローゼンにとっては、息子が自分と一緒にいることを「好きだ」と言ってくれた。その小さな一言だけで、今の彼には十分すぎるのだった。




