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一度は私を捨てたくせに、今さら口説き直すおつもりですか?  作者: 入多麗夜


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23/112

23. 小さい頃の秘密基地には黒歴史が眠っているものである

 エドガーを先頭に、アリシアとローゼンは王宮の敷地内に広がる森を進んでいた。森といっても深い山のような場所ではなく、庭園の外れに昔から残されている小さな林である。それでも四歳のエドガーにとっては十分に冒険心をくすぐられる場所らしく、先ほど二人に選んでもらった濃紺の上着を着たまま、木々の間を楽しそうに歩いていた。少し進んでは木の実を拾い、変わった形の葉を見つければ振り返って二人へ見せる。

 

「一人で先に行っちゃ駄目よ」


 アリシアはそう声を掛けるのだが、返事をした数分後にはまた少し前を歩いているのだから困ったものである。


「それにしても、随分久しぶりね。最後にここへ来たのっていつだったかしら」

「俺も覚えていないな。少なくとも四年前よりずっと前だろう」

「そうよね。私も何があったか全然覚えてないもの」


 幼い頃、この森はアリシアとローゼンにとって格好の遊び場だった。庭園ほど綺麗に整えられておらず、使用人や騎士が頻繁に通ることもない。落ちている枝を剣に見立てて遊んだり、木の実を拾ったり、意味もなく奥まで歩いて叱られたりと、数え切れないほどここへ足を運んだはずである。それなのに年月が経ちすぎたせいか、細かな記憶はすっかり薄れていた。秘密基地があったことだけは覚えているものの、中に何を置いていたのか、どんな遊びをしていたのかと聞かれると、ほとんど思い出せない。


 ただ、道だけは身体が覚えているらしい。途中からまともな小道すらなくなったというのに、アリシアとローゼンは迷うことなく同じ方向へ進んでいた。エドガーだけは当然どこへ行けばいいのか分からないため、何度か違う方へ歩こうとしては二人に呼び戻されている。


「エド、そっちじゃないわよ。こっち」

「こっち?」

「そう。もう少し行ったところに……あら?」


 アリシアは言葉を止めた。

 木々の隙間から、古びた小さな建物が見えていた。


「あっ!ママ、おうちある!」


 エドガーも気付いたらしく、嬉しそうに指を差した。


 それこそが、幼いアリシアとローゼンが二人だけの秘密基地として使っていた小屋だった。記憶の中ではもっと立派な建物だった気がするのだが、大人になった今見ると本当に子どもの遊び場程度の大きさしかない。屋根や壁は長い年月を経て色褪せ、木製の扉も少し傾いている。それでも完全に朽ちることなく、昔と同じ場所に残っていた。


「……まだあったのね」

「ああ。俺もとっくに取り壊されていると思っていた」

「私もよ。もっと大きかった気がするけど……こんなに小さかったかしら」


「俺たちが大きくなったんだろう」


「それもそうね」


 二人が懐かしそうに眺めている横で、エドガーは早くも小屋へ駆け寄っていた。「入っていい!?」と扉へ手を掛けようとするため、アリシアは慌てて止める。長年使われていない建物なのだから、床や天井が傷んでいる可能性もある。まずローゼンが扉を開けて中を確認し、アリシアも床板を何度か踏んでみた。埃はかなり積もっているものの、幸い危険なほど傷んでいる場所はなさそうだった。


「いいわよ。でも、何があるか分からないから勝手に触らないこと。分かった?」

「はーい!」


 許可をもらった途端、エドガーは嬉しそうに中へ飛び込んでいった。アリシアとローゼンも後に続き、久しぶりに秘密基地へ足を踏み入れる。


「うわぁ……これ、まだ残ってたのね」


 小屋の中には、幼い二人が持ち込んだ物が驚くほど残されていた。子ども用の小さな椅子が二脚、低い机の上には木製の皿や杯が並び、壁際には古びた毛布まで畳まれている。木剣や駒、小さな人形といった遊び道具もあり、埃こそ被っているものの、今にも幼い二人が戻ってきて遊び始めそうなほど当時の姿を残していた。


 アリシアは懐かしそうに木製の皿を一枚持ち上げた。


「これ、覚えてる。王宮から持ってきたのよね」

「君が厨房から勝手に持ち出したんだ」

「私だった?」

「ああ。その日の夕方に見つかって怒られていた」

「……そんなことまで覚えてるの?」

「俺のせいにしようとしたことまで覚えているぞ」

「もう何年前の話よ。忘れなさいよ」


 アリシアは気まずそうに皿を元の場所へ戻した。その横ではエドガーが小さな椅子へ座り、「僕にぴったり!」と嬉しそうにしている。木剣を見つければ持ち上げ、古い玩具を見つければ「これなに?」と二人へ尋ねる。初めて見るエドガーにとって、この場所は宝の山も同然なのだろう。


 最初こそ何も覚えていないと思っていたアリシアだったが、実物を目にすると少しずつ昔の記憶が蘇ってきた。毛布を床へ敷いて昼寝をしたこと。木の実や花びらを皿へ並べて食事の真似をしたこと。雨の日に二人で小屋へ籠もり、外の音を聞きながら何時間も話をしていたこと。どれも今となっては遠い昔のことだが、当時はここへ来るだけで何でもできるような気がしていた。


「ママ!ここに何か書いてある!」

「今度は何を見つけたの?」


 エドガーの声に呼ばれ、アリシアは壁際へ向かった。そして、エドガーが指差している場所を見た瞬間、その表情が固まった。


 木の壁には、幼い子どもの拙い文字が今も残されていた。


『アリシアとローゼンのおうち』


「…………」


 完全に忘れていた。


「懐かしいな」

「懐かしがらなくていいわよ!」


 横から覗き込んできたローゼンが平然と言うため、アリシアは思わず声を上げた。慌てて壁の文字を身体で隠そうとしたものの、すでにエドガーはしっかり読んでしまっている。


「ママとローゼンのおうち?」

「違うのよ、エド。これはね、その……昔のお遊びで……」

「俺たちはここを、将来二人で暮らす家に見立てて遊んでいたんだ」

「ちょっとローゼン!余計なこと言わないで!」


 どうしてこの男は、こういう時に限って正直に説明するのだろう。アリシアとしては適当に誤魔化して終わらせたかったのに、ローゼンが横から余計な情報を加えたせいで、エドガーはますます興味を持ってしまった。


「ここで一緒に住んでたの?」

「本当に住んでいたわけじゃないわよ。お家ごっこをしていただけ」

「ママがお母さん?」

「……まあ、そんな感じだったと思うわ」

「俺は仕事に行く役だったな。戻ってくると、君が木の実を夕食だと言って並べていた」

「もう!何でそんなことまで覚えてるのよ!」


 言われてみれば、何となく記憶が蘇ってくる。ローゼンが一度小屋の外へ出て「仕事」に行き、しばらくすると戻ってくる。それをアリシアが迎え、木の実や葉を並べた皿を食卓へ出す。子どもなりに夫婦の暮らしを真似していたのだろう。


 思い出した途端、アリシアは顔が熱くなった。


「……何でこんなもの残ってるのよ」

「消していないからだろう」

「そういう意味じゃないわよ」


 今すぐ壁ごと隠してしまいたい気分だった。


 しかし、黒歴史の発掘はまだ始まったばかりだった。


「あっ!箱あるよ!」


 今度は小屋の隅を探していたエドガーが、古い毛布の陰から小さな木箱を引っ張り出した。表面には厚く埃が積もっており、アリシアにもローゼンにもすぐには見覚えがない。


「エド、ちょっと待ちなさい。汚れてるから、ママが拭いてあげる」

「何入ってるの?」

「さあ? 私も覚えてないわ」


 アリシアが布で表面の埃を落としてやると、エドガーは待ち切れない様子で蓋を開けた。中に入っていたのは、何枚もの古い紙だった。


「お手紙いっぱい!」

「手紙?」


 嫌な予感がした。


 エドガーは一番上にあった紙を取り出し、覚えたての文字を一つずつ追うように眺めている。


「けっ……こん……?」

「ちょっと見せて」


 アリシアが紙を受け取り、そこに書かれた文字を読んだ。


『けっこんのやくそく』


「…………」


 ローゼンも横から覗き込み、しばらく黙る。


「……覚えてる?」

「いや」

「私もよ……」


 二人とも完全に忘れていた。だが、文字を見れば自分たちが書いたものだということだけは分かる。


 アリシアは恐る恐る、その下へ並んだ文章を読んだ。


『おおきくなったらけっこんする』

『ずっといっしょにいる』

『けんかしてもなかなおりする』


 他にもいくつかの約束が並び、一番下にはアリシアとローゼンの名前がしっかりと書かれていた。子どもの頃の二人は、どうやら相当本気で将来を約束していたらしい。


「ママ、僕も見たい!」

「これは見なくていいの!」


 アリシアは反射的に紙を胸元へ抱え込んだ。


「えー!何で?」

「何でもよ。これはママが預かります!」


 しかし、すでにエドガーは内容を少し読んでしまっていたらしい。アリシアの胸元に隠された紙を見ながら、不思議そうに首を傾げる。


「ママって、この人と結婚するって約束してたの?」


 その問いに、アリシアの動きが止まった。ローゼンも何も言わず、エドガーの方を見る。


「でも、今は結婚してないんだよね?じゃあ、約束なくなっちゃったの?」


 あまりにも素朴な疑問だった。


 けれど、アリシアにはすぐ答えることができなかった。


 大きくなったら結婚する。ずっと一緒にいる。喧嘩しても仲直りする。幼い二人が何も疑わず書いた約束は、ただの子どもの遊びで終わったわけではない。二人は本当に婚約し、やがて夫婦になった。一度は、あの頃思い描いていた未来が叶ったはずだった。


「エド、それは……」


 何か答えようとして、言葉に詰まる。


 なくなった、なんて言ってしまえば簡単だった。


 けれど、どうしてかアリシアは、その一言を口にすることができなかった。


 ローゼンもまた、先ほどまでの懐かしそうな表情を消し、古い約束の紙を静かに見つめている。


 そんな二人の複雑な空気など、四歳のエドガーに分かるはずもない。しばらく不思議そうに二人を見比べていたものの、すぐに興味は木箱へ戻り、今度は底の方に残されていた紙の束を楽しそうに引っ張り出した。


「あっ!まだあるよ!これもお手紙!」

「え?」


 嫌な予感がして、アリシアはすぐにエドガーの手元を覗き込んだ。そこにあったのは、先ほどの『けっこんのやくそく』とは違う何枚もの古い手紙だった。どれも年月のせいで少し黄ばんでいるものの、文字までは消えていない。そして、そのうちの一枚を手にしたエドガーが、覚えた文字を一つずつ確かめるように読み始める。


「えっと……ローゼンへ、って書いてある!」

「ちょっと待って!それはママに見せて頂戴!」


 アリシアは慌てて手紙を受け取った。そこには少し拙いながらも、間違いなく見覚えのある自分の文字が並んでいる。何を書いたのかまでは全く覚えていないが、宛名を見る限り、自分が幼い頃にローゼンへ渡した手紙なのは間違いなかった。


「……嘘でしょう。こんなものまで残してたの?」

「俺に聞かれても困る。俺だって今初めて思い出したんだから。それより、俺宛てなら少しくらい見せてくれてもいいだろう?」

「嫌よ。何を書いているか分からないもの。さっきの約束を見る限り、絶対ろくでもないことを書いてるわ」


 ローゼンが興味深そうに覗き込もうとするため、アリシアは手紙を胸元へ隠して一歩離れた。幼い頃の自分が何を書いていたのかなど、今となっては想像するだけでも恐ろしい。『ずっと一緒にいる』だの『大きくなったら結婚する』だのと本気で書いていた時期なのだから、まともな内容である可能性の方が低かった。


 ところが、これで終わりではなかった。


「こっちはママへ、って書いてあるよ!」


 エドガーが木箱からもう一枚取り出した途端、今度はローゼンの表情が僅かに固まった。その反応をアリシアは見逃さなかった。先ほどまで自分の手紙を読もうとしていた男が、明らかに動揺している。


「あら。今度は貴方から私への手紙みたいね。私の手紙を読みたいって言ったんだから、当然こっちは私が読んでも構わないわよね?」

「待ってくれ。それとこれは話が違うだろう。君だって自分が書いたものを隠したんだから、俺にも同じ権利があるはずだ」

「何が違うのよ。私宛てなんだから私が読んでもいいでしょう?それとも、そんなに見られたくないことでも書いてあるの?」


 今度はアリシアが楽しそうに手を伸ばしたものの、ローゼンはエドガーから素早く手紙を受け取ってしまった。そのまま背中側へ隠されてしまい、アリシアが手を伸ばしても届かない。先ほどまでとは完全に立場が逆転していた。


 しかし、よく考えてみればどちらか一方だけが恥ずかしい思いをする状況ではない。木箱の中にはローゼンからアリシアへ宛てたものだけでなく、アリシアからローゼンへ宛てたものまで大量に残されている。片方を読めば、当然もう片方も読まれる。どちらが先に相手をからかったところで、直後には自分へ返ってくることになるのだ。


「まだいっぱいあるよ! こっちはママの名前! あっ、これもローゼンって書いてある!」


「エド、もう探さなくていいから! 全部ママに渡して頂戴!」


 何も知らないエドガーだけが楽しそうに次々と手紙を発掘していくため、アリシアはとうとう木箱ごと取り上げて胸元へ抱え込んだ。エドガーはまだ見たそうにしていたが、これ以上放置すれば何を読み上げられるか分かったものではない。


「……これ、全部燃やした方がいいんじゃないかしら」

「それは駄目だ。せっかく今まで残っていたんだから、ちゃんと保管しておけばいいだろう。それに、中身を確認しないまま処分するのも勿体ない」

「その中身を確認したくないから言ってるのよ! 何を書いたのか全然覚えてないのよ? 今よりずっと小さい頃の私が、貴方に何を書いていたかなんて怖くて読めないわ」


 アリシアは木箱を守るように抱えたまま、じりじりとローゼンから距離を取った。ローゼンはどうやら本気で残しておきたいらしく、珍しくこの件については譲る気配がない。もっとも、彼の手元にも一通だけアリシア宛ての手紙が残っているため、強引に奪い返そうとすればこちらの手紙を読まれる可能性もある。


 互いに相手の黒歴史を一つずつ握った状態で、どちらも迂闊に動けなくなってしまった。


 そんな二人を交互に見上げていたエドガーは、どうして大人二人が古い手紙を巡って必死になっているのか分からないらしい。不思議そうに首を傾げたあと、アリシアの顔をじっと見つめた。


「ママ、顔赤いよ?暑いの?」

「……森の中を歩いたからよ。エドもいっぱい歩いたでしょう?」

「でも、ここ涼しいよ?」

「そういう時もあるの!」


 子どもの素直な疑問ほど誤魔化しにくいものはない。エドガーは納得していない様子だったが、それ以上追及することなく、今度は先ほど見つけた木剣へ興味を移した。


 アリシアはようやく息を吐き、改めて腕の中にある木箱を見る。幼い頃の思い出が詰まった、二人だけの秘密基地。久しぶりに訪れた時には、小さな椅子や玩具が少し残っていれば懐かしい気持ちになれるだろう、その程度にしか考えていなかった。


 ところが、実際に残されていたものはそれだけではない。『アリシアとローゼンのおうち』と書かれた壁。将来を疑うことなく書いた『けっこんのやくそく』。そして、今となっては中身を確認することすら恐ろしい大量の手紙。楽しかった記憶であることに違いはないが、大人になってから改めて目にすると、どうして当時の自分はこんなものを律儀に残してしまったのだろうと思わずにはいられない。


 どうやら子どもの頃の秘密基地というものには、懐かしい思い出と同じくらい、成長した本人たちが頭を抱えたくなる黒歴史も付きものらしかった。

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