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一度は私を捨てたくせに、今さら口説き直すおつもりですか?  作者: 入多麗夜


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22. 三人だけの抜け道

朝忘れてました。

 エドガーは先ほど二人に選んでもらった服をすっかり気に入ったらしく、着替えることなくそのまま王宮を探検することになった。淡い色のシャツの上には濃紺の上着を重ね、襟元や袖口には銀糸で細かな刺繍が施されている。少しばかり上等すぎる気もするが、本人はそんなことなど気にしておらず、廊下を歩きながら何度も自分の袖を眺めていた。


「ママ、これカッコいい?」

「もう、何回目よ。格好いいって言ったでしょう?」


 それでも満足しなかったのか、エドガーは今度はローゼンを見上げる。


「こっちもカッコいい?」

「ああ。よく似合っている」

「えへへ!」


 どうやら服そのものだけでなく、二人から褒めてもらえることが嬉しいらしい。エドガーは満足すると、再び元気よく廊下を歩き始めた。


 王宮へ来てから何日か経ち、エドガーも庭園や食堂、ローゼンの部屋など、普段使う場所については少しずつ覚え始めていた。しかし、王宮は四歳児が数日歩き回った程度で見尽くせるような広さではない。いくつもの棟が長い回廊で結ばれ、階段も至るところにあり、普段ほとんど使われていない部屋まで含めれば、幼い頃からここで過ごしてきたアリシアですら全てを把握しているとは言い切れなかった。


 そんな王宮をもっと見て回りたいと言い出したのは、当然ながらエドガー本人である。幸い今日はアリシアにも特別な予定はなく、ローゼンもしばらく時間があるという。ならば三人で付き合おうということになったのだが、肝心のエドガーが最初に向かったのは、大広間でも庭園でもなかった。


「あれ?エド、そっちはママの部屋よ?」

「うん!」


 迷うことなく歩いていく息子を不思議に思いながら、アリシアとローゼンも後を追った。エドガーはアリシアの部屋へ入ると、寝台や机には目もくれず、そのまま真っ直ぐ窓際へ向かう。


 そこでアリシアは嫌な予感がした。


「エド?まさか……」

「ママ!こっちから行きたい!」

「やっぱり……」


 エドガーが指差したのは、窓の外に設けられた細い通路だった。


 四年前から残されている、アリシアとローゼンだけが使っていた秘密の通路である。二人の部屋の間には使われていない部屋が挟まっていたため、幼い頃の二人は使用人たちに見つからず互いの部屋へ行き来するため、外壁に沿うように設けられた細い足場を何度も使っていた。


 だが、秘密はそれだけではない。


 アリシアが窓から身を乗り出し、下を覗き込む。外壁にはいくつかの金具が残されており、そこには昔、地上まで降りるための縄梯子を取り付けていたのである。


「……そこまで見つけちゃったのね」


 どうやらエドガーは、部屋を探検している間に気付いてしまったらしい。


「エド、危ないから階段でママと降りましょう? 下へ行きたいなら普通に外へ出ればいいじゃない」

「えーー、僕こっちがいい!」

「駄目よ。危ないもの」

「でも、ママもここから降りたことあるんでしょ?」

「うっ……」


 痛いところを突かれた。


 以前この抜け道を見つけた時、懐かしさから昔の話を少ししてしまった覚えがある。どうやらエドガーはそれをきちんと覚えていたらしい。


「僕もやりたい!」

「でもねぇ……」


 危ないから駄目だと言いたい。母親としては、それが正しいに決まっている。


 しかし、自分は幼い頃に散々ここから降りていた。


 しかも隣には共犯者までいる。


 アリシアが助けを求めるようにローゼンを見ると、ローゼンも何とも言えない顔で窓の外を見ていた。


「……貴方からも何とか言ってよ」

「俺たちが使っていたからな」

「そうなのよね……」


 二人揃って強く言えなかった。


 そんな両親の様子を見たエドガーは、もう一度期待に満ちた目を向けてくる。


「ママぁ、行きたい!」

「……分かったわよ。ただし、昔の縄梯子をそのまま使うのは絶対に駄目。あんなもの、いつから置いてあると思ってるのよ」

「やったー!」

「まだ喜ばないの。ちゃんと安全に降りられるようにしてからだからね」


 まずは古い縄梯子を回収することになった。ローゼンと二人で窓際から慎重に引き上げてみると、予想通り縄はかなり傷んでいる。ところどころ細くなっており、木製の踏み板にも傷みが見られた。


「これは駄目ね。流石に使わせられないわ」

「ああ。新しいものに替えた方がいい」

「それなら、ちょうどいいものがあるわよ」

「あるのか?」

「あるわよ。ちょっと待ってなさい」


 アリシアは部屋の奥へ向かい、収納の中を探し始めた。やがて奥の方から引っ張り出してきたのは、かなり太く頑丈な縄だった。辺境の村から持ってきた荷物の一つであり、薬草や荷物をまとめる時などに使っていたものである。


 それを見たローゼンは少し驚いたようだった。


「そんなものまで持ってきていたのか」

「村じゃ何でも自分たちでやらなきゃいけなかったのよ。丈夫な縄は何かと便利なの」


 アリシアは床へ縄を広げ、昔使っていた縄梯子と長さを比べ始めた。そこからはローゼンも加わり、何とも懐かしい共同作業となった。古い縄梯子からまだ使える踏み板を外し、新しい縄へ一本ずつ取り付けていく。ローゼンが結び目を強く締め、アリシアが踏み板同士の間隔を確かめる。幼い頃にも似たようなことをしていたためか、二人とも意外なほど手際がよかった。


 その横では、エドガーが興味津々で作業を眺めている。


「まだー?」

「まだよ。ちゃんと作らないと危ないでしょう」

「僕もやりたい!」

「これは駄目。エドはそこで大人しく待ってなさい」

「はーい……」


 不満そうな返事をしながらも、エドガーは床へ座り込んだ。


 ローゼンは縄を強く引っ張り、結び目が緩まないことを確認する。その手を止めることなく、どこか懐かしそうに呟いた。


「まさか……これを使う日が来るとは思わなかった」

「そんなの私もよ……全く……」


 アリシアも苦笑する。


 幼い頃は、誰にも見つからずに王宮から抜け出せることが楽しくて仕方なかった。使用人に見つかれば叱られると分かっていながら、二人でこっそり縄梯子を下ろし、その先にある森へ何度も遊びに行ったものである。


「エドが真似したがるなんて、昔の私たちが見たら驚くでしょうね」

「俺はむしろ納得すると思う」

「どういう意味よ」

「君の子だからな」

「貴方の子でもあるでしょう」


 何気なく返してから、アリシアは一瞬だけ黙った。


 ローゼンも何も言わない。


 エドガーだけが「できた?」と二人の間から顔を覗かせたため、妙な空気はすぐに消えていった。


「もう少しよ。ほら、邪魔しないの」

「はーい!」


 やがて新しい縄梯子が完成すると、二人で窓際の金具へしっかりと固定した。何度も強く引っ張り、縄だけでなく金具そのものにも異常がないことを確かめる。


「じゃあ、まず私が降りるわ」

「俺が先に行こうか?」

「安全を確認するなら私が先でいいわ。それに、私の方が軽いもの」


 アリシアはそう言うと、窓枠へ足を掛けた。


「ママ、がんばれー!」

「はいはい。エドはローゼンとそこで待ってなさいね」


 昔なら何も考えずに降りていたというのに、大人になった今では妙に緊張する。一段ずつ慎重に足を下ろし、縄の状態を確かめながら降りていく。新しく取り付けた縄はほとんど軋まず、踏み板もしっかりと固定されていた。


 やがて両足が地面へ着く。


「大丈夫よ!」


 アリシアが見上げて声を掛けると、窓からエドガーの顔が覗いた。


「次、僕!」

「慌てないの!ローゼン、ちゃんと支えてあげて!」

「ああ。エドガー、ゆっくり行くぞ」

「うん!」


 今度はエドガーの番だった。


 そこまで高い場所ではないとはいえ、落ちれば怪我をする高さではある。ローゼンが上から身体を支え、アリシアは下から両腕を伸ばして待ち構える。


「エド、手を離しちゃ駄目よ。右足を一つ下へ。そう、そこ」

「できた!」

「上手よ。今度は左ね。ゆっくりでいいから」


 本人は完全に冒険気分らしく、怖がるどころか楽しそうだった。それに対してアリシアは気が気ではない。


 一段、また一段と降りてきたエドガーの身体が手の届くところまで来ると、最後は腰を支えて抱き上げ、そのまま地面へ下ろした。


「着いたー!」

「もう……ママは見てる方が怖かったわよ」


 アリシアは安堵しながら息子を抱き寄せた。

 そこで上を見上げる。


「ローゼン、次は貴方よ」

「いや、俺は正面から行く」

「え?」

「二人が無事に降りたなら、もう俺まで使う必要はないだろう」

「ちょっと待ちなさいよ!」


 アリシアが言い終えるより早く、ローゼンは窓の奥へ引っ込んでしまった。


 アリシアが言い終えるより早く、ローゼンは窓の奥へ引っ込んでしまった。


「自分だけ普通に階段を使うなんてずるくない!?」


 返事はなかった。


「……本当にもう」


 アリシアは呆れながらエドガーの手を取った。縄を握っていたせいで少し汚れていたため、持っていた布で丁寧に拭いてやる。


 そうしているうちに、アリシアは久しぶりに周囲を見回した。


 この場所は王宮の建物の陰になっており、庭園からも外れているため、普段はほとんど人が近づかない。だからこそ幼い二人にとって、格好の抜け道だったのである。


 そして、少し先には小さな森が広がっていた。


 森といっても、王宮の敷地内に残された林に近い。それでも子どもだったアリシアとローゼンにとっては十分に広く、誰にも邪魔されず遊べる特別な場所だった。


 その奥には、二人だけの秘密基地まであった。


 わざわざ縄梯子を用意していたのも、その場所へ使用人たちに見つからず行くためだったのである。


「……懐かしいわね」


 思わず呟いたところで、建物の角からローゼンが姿を現した。


「もう、遅いわよ」

「普通に歩いてきたんだから仕方ないだろう」


 アリシアが呆れていると、当のエドガーは二人の会話など聞いていなかった。


 すでに森の方を見ている。


「あっち!」


 エドガーが勢いよく指を差した。


「あっちに行こう!」


 その先に何があるのか、エドガーは知らない。

 けれど、アリシアとローゼンには分かっていた。


 二人はほとんど同時に森へ視線を向け、それから顔を見合わせた。


 幼い頃、何度も二人で向かった場所。随分と長い間、足を踏み入れていない場所だった。


「……行ってみる?」

「ああ。せっかくだからな」

「ママー!早くー!」


 すでに少し先まで進んでいたエドガーが、二人を呼びながら大きく手を振っている。


「待ちなさい、エド!一人で先に行っちゃ駄目よ!」


 アリシアが慌てて追いかけると、ローゼンもその隣を歩き始めた。


 かつてはアリシアとローゼンの二人だけで通った秘密の道。


 そこを今度は、二人の間に生まれたエドガーが先頭に立って進んでいく。


 三人はそのまま、懐かしい森の奥へと歩いていった。

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