21. 息子の服選び
ミレイユに髪を整えてもらい、着替えまで済ませたアリシアは、先にエドガーを連れていったローゼンの部屋へ向かった。朝に訪ねてきたローゼンからは、エドガーにちょっとした贈り物を用意しているとしか聞いていない。何をするのか詳しく尋ねる前に、贈り物と聞いて目を輝かせたエドガーがついていってしまったため、アリシアも支度が終わり次第向かうことにしたのである。
三つ隣の部屋へ着き、軽く扉を叩いてから中へ入る。
「な、何やっているのよ貴方達……」
アリシアは入口に立ったまま、目の前の光景に呆然とした。
部屋の中には、明らかにローゼンのものではない小さな衣服が大量に置かれていた。柔らかな麻布で仕立てられたシャツに、膝下まで届く細身のズボン。刺繍の入った上着や丈の短いチュニック、身体に合わせて仕立てられた小さなベストもある。さらに寒い季節に使う厚手の外套や革靴、手袋、羽根飾りのついた帽子まで揃っていた。
貴族の子どもが身につけるものらしく、生地も仕立ても見るからに上等だった。袖口や襟には細かな刺繍が入り、中には銀糸を使ったものまである。それが一着や二着ならまだ分かる。しかし、長椅子にも寝台にも小さな服が並べられ、衣装箱の中にはまだ畳まれたままのものまで残っていた。
「ママ!」
その中心にいたエドガーが、嬉しそうにアリシアのところへ駆けてくる。
「見て!ぼくの服だって!」
「……これ、全部?」
「うん!いっぱい!」
「いっぱいなんてものじゃないわよ……」
アリシアは改めて室内を見回したあと、ゆっくりローゼンへ顔を向けた。
「……これ、全部エドガーの?」
「ああ」
ローゼンは何でもないことのように頷いた。
アリシアは額へ手を当てた。
「ローゼン……貴方ねぇ。子どもってすぐ成長するものよ。エドなんて今もどんどん大きくなってるんだから、こんなに用意してもすぐ着られなくなってしまうわよ」
「着られなくなったら、また仕立てればいい」
「そういうことを言ってるんじゃないの!」
あまりにも迷いのない返事だった。どうやらローゼンには買いすぎたという自覚そのものがないらしい。
四年間会えなかった息子に何かしてやりたい気持ちは分からなくもない。しかし、それにしたって限度がある。これだけあれば毎日違う服を着せても、しばらく困らないだろう。
「一体いつの間にこんなに用意したのよ」
「王宮へ戻ってすぐ仕立屋を呼んだ。エドガーの身体に合いそうなものを先にいくつか持ってこさせて、残りは昨日届いた」
「それでこの量になったの?」
「選んでいるうちに増えた」
「増えすぎよ!」
呆れるアリシアとは対照的に、エドガーは完全に楽しんでいた。長椅子の前へしゃがみ込み、並べられた服を一着ずつ眺めては、袖を持ち上げたり刺繍を指で触ったりしている。
やがて、濃紺の布地に銀色の縁取りが施された上着を見つけると、ぱっと目を輝かせた。
「ぼく、白い髪のお兄ちゃんみたいなカッコいいの着てみたい!」
「白い髪のお兄ちゃん?」
アリシアは少し考え、すぐに誰のことか気付いた。
「ああ、ユリウスね」
「うん!お兄ちゃん、カッコいいの着てた!」
第二近衛騎士団の隊長であるユリウスのことらしい。王宮へ来る途中で手を繋いでもらい、庭でも何度か遊んでもらっているため、すっかり気に入っているようだった。ユリウスが身につけている騎士服は当然ながら子ども用の服とは違うが、濃い色合いや銀の装飾がエドガーには似て見えたのだろう。
エドガーはその上着を両手で持ち上げると、期待に満ちた顔で振り返った。
「これ着ていい?」
「もちろんだ」
ローゼンが即答した。
「ママもいい?」
「もうローゼンがいいって言っちゃったじゃない。……仕方ないわね。おいで」
「やったー!」
エドガーは嬉しそうに駆け寄ってくる。
四歳児が一人で上等な服へ着替えるのは難しいため、結局アリシアも手伝うことになった。着ていた服を脱がせ、柔らかなシャツの襟を整えてから上着へ腕を通してやる。最後に小さな飾り留めを留め、少し離れて全体を眺めると、先ほどまでとは随分と印象が変わった。
「できた!」
エドガーが得意げに胸を張る。
「あら」
アリシアは思わず頬を緩めた。
「思ったより似合ってるじゃない。少しお兄さんみたいね」
「ほんと!?」
「ああ。よく似合っている」
ローゼンも満足そうに頷き、少し曲がっていた襟元を指先で直してやった。父親から褒められたエドガーは照れくさそうに笑い、その場でくるりと一回転する。
「ユリウスお兄ちゃんみたい?」
「それは本人に見てもらわないと分からないわね。でも、格好いいわよ」
「えへへ!」
エドガーが嬉しそうにしている横で、ローゼンはすでに次の服へ手を伸ばしていた。
「なら、次はこれを――」
「待ちなさい」
アリシアが即座に止める。
「まだ一着目でしょう。どうしてもう次へ行こうとしてるのよ。こういうのはじっくりと楽しむものよ」
「他のものも見たいだろう?その為に買ったんだから」
どうやら贈り物というより、ローゼン自身が息子の着せ替えを楽しみ始めているらしい。
ローゼンが手にしていたのは、淡い灰色の上着だった。細かな刺繍も綺麗ではあるのだが、アリシアは少しだけ首を傾げる。
「でも、それはエドには少し地味じゃない?」
「そうか?」
「それなら、こっちの方が似合うと思うわ」
アリシアは何気なく長椅子へ手を伸ばし、淡い青色の上着を取り上げた。襟と袖口に白い刺繍が入っており、程よい華やかさもあった。
「エドはこういう色も似合うと思うの。髪の色にも合うでしょう?」
ローゼンも二着を見比べた。
「確かに、そちらの方がいいな」
「でしょう?」
「ぼく、それ着たい!」
本人まで乗り気になってしまった。
「じゃあ、今度はこれにしましょうか」
アリシアは先ほどまでローゼンの買いすぎを叱っていたことも忘れ、エドガーの上着を脱がせ始めた。
二着目へ着替え終わると、先ほどとは違って柔らかな印象になる。アリシアは襟元を整えながら満足そうに頷いた。
「やっぱり似合うわね。でも、これで庭を走り回られたら困るわ。すぐ泥だらけになりそう」
「なら、食事や人前へ出る時に着せればいい」
「そうね。普段はもう少し丈夫な布地の方が……って、ちょっと待って」
アリシアはそこで動きを止めた。
「何で私まで真剣に選んでるのよ」
そもそも自分は、ローゼンが服を買いすぎたことに呆れていたはずである。それなのに、気付けばどの色が似合うだの、どの場面で着せるだのと、すっかり服選びへ参加してしまっている。
ローゼンはそんなアリシアを見て、少しだけ嬉しそうに笑っていた。
「何よ」
「いや、何でもない」
アリシアはぷくっと頬を膨らませたが、その手はすでに次の服を探していた。
それからも何着か試すことになった。深緑の上着を着せればローゼンが「これも似合う」と褒め、飾り紐のついた帽子を被せればアリシアが少し位置を直してやる。最初は二人にされるがままだったエドガーも、次第に自分から気になる服を探し始めた。
「ねえ、こっちは?」
小さな外套を抱え、エドガーがローゼンのところへ持っていく。
「それも気に入ったのか?」
「うん!カッコいい?」
「格好いいと思うぞ。着てみるか?」
「着る!」
ローゼンに褒めてもらうこと自体が嬉しくなっているらしい。着替えるたびに自分からローゼンへ見せに行き、「こっちは?」と尋ねている。ローゼンも嫌な顔一つせず、そのたびにしゃがんで服を整えたり、似合っていると褒めたりしていた。
アリシアはそんな二人を眺めながら、自然と笑みを浮かべていた。けれど、その胸の奥には、少しだけ別の感情も混じっていた。
王宮へ連れて来られた時、用事が済めば村へ帰ればいいと思っていた。今だってその気持ちは残っている。四年前の出来事を許したわけではないし、ローゼンとやり直すと決めたわけでもない。自分にとって村は、エドガーと暮らしてきた大切な家であり、そこへ帰りたいと思うのは当然のことだった。
けれど、エドガーにとってはどうなのだろう。
王宮へ来てからのエドガーは毎日のように新しいものを見つけ、楽しそうに笑っている。騎士たちにも懐き、広い庭園を走り回り、そして何よりローゼンとの距離が日に日に縮まっていた。最初は知らない男として警戒していたはずなのに、今では自分から服を見せに行き、褒めてもらえば嬉しそうに笑っている。
ローゼンがエドガーにとって少しずつ「父親」になり始めている。そのことだけは、もう否定できなかった。
もし自分が村へ帰ると決めれば、当然エドガーも連れていくつもりだった。けれど、それは今ようやく始まった父と息子の時間から、この子を引き離すことにもなる。
自分の気持ちだけで決めていいことなのだろうか。
「アリシア」
名前を呼ばれ、アリシアは我に返った。
いつの間にか目の前にはローゼンが立っており、その手にはまた別の服がある。今度は柔らかな生成りのシャツに、濃い色の上着を合わせたものだった。
「次はこれがいいと思う」
「……まだやるの?」
「ああ」
あまりにも当然のように答えられ、アリシアは周囲を見回した。
長椅子にも寝台にも、まだ袖を通していない服が大量に残っている。衣装箱の中に至っては、最初から一度も触れていないものさえあった。
嫌な予感がした。
「……まさか、全部着せるつもりじゃないでしょうね」
するとローゼンは、不思議なことを聞かれたとでも言いたげな顔をした。
「何を当然のことを聞くんだ?着せるに決まっているだろう」
「全部!?」
「ああ。どれが一番似合うか見ておきたい」
「エドガーが疲れるでしょう!今日だけで全部試す必要なんてないじゃない!」
アリシアが呆れて止めるものの、肝心のエドガー本人はまだ元気いっぱいだった。むしろ次の服にも興味津々で、ローゼンが持っている上着を見ながら「次それ着る!」と楽しそうにしている。
「エドまで……」
「ぼく、まだやる!」
期待に満ちた顔を向けられ、アリシアはしばらく黙り込んだあと、とうとう諦めたように息を吐いた。
「……あと少しだけよ。疲れたらすぐ終わりにするからね」
「やったー!」
「ローゼンも、次から次へ持ってこないの。いいわね?」
「ああ、分かった」
本当に分かっているのか疑わしかった。
それでもアリシアは、ローゼンから次の服を受け取る。エドガーは嬉しそうに両腕を上げ、着替えさせてもらう準備をしていた。
結局のところ、最初はローゼンの買いすぎを叱るつもりだったアリシアまで、すっかりエドガーの服選びへ夢中になってしまっていた。
三人にとっては、ただエドガーに似合う服を探しているだけなのかもしれない。
けれど傍から見れば、それはどう見ても、父親と母親が二人揃って、息子の服を選んでいる光景そのものだった。




