19. アリシアの専属侍女
王宮へ戻ってから数日が経った頃、アリシアの部屋を一人の若い侍女が訪れた。
「初めまして!ミレイユ・ハルティーナと申します!この度、ローゼン様の命により、アリシア様、そしてエドガー様の侍女としてお仕えすることになりました。まだまだ未熟ではございますが、精いっぱい務めさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします!」
部屋へ入って早々、勢いよく頭を下げた少女を前に、アリシアは少し驚いて目を瞬かせた。
年齢はアリシアより幾つか下だろう。王宮の侍女らしく清潔に整えられた服を身につけ、長い髪も邪魔にならないよう後ろできちんとまとめられている。新人だと聞いていたので、もっと緊張して声も出ないような少女を想像していたのだが、目の前のミレイユは随分と元気がいい。挨拶を終えて顔を上げた時にも、その表情には緊張より「今日から頑張ります」という意気込みの方が強く表れていた。
数日前、ローゼンから専属の侍女をつけたいと言われた時、アリシアは最初こそ断っていた。
そもそも、アリシアに専属侍女がつくのはこれが初めてだった。四年前にも王宮へ出入りし、この部屋で長く過ごしていたものの、今も当時はまだ正式に王家の一員として生活していたわけではない。必要な時には王宮の使用人に手伝ってもらっていたが、自分だけに仕える侍女を置くことはなかったのである。
まして今のアリシアは、自分では王宮へ連れて来られた客人程度のつもりだった。
そんな自分に専属侍女など大袈裟だと何度も言ったのだが、ローゼンはなかなか引き下がらなかった。
「君一人ならまだしも、エドガーもいるんだ。俺が常に側にいられるわけじゃない。何かあった時、すぐ頼れる人間が一人くらいいた方がいい」
そう言われてしまえば、アリシアも完全には否定できない。エドガーは王宮へ来てからというもの、庭園へ行ったり廊下を探検したりと以前にも増して行動範囲を広げている。アリシア一人でずっと見ているにも限界があるため、最後にはローゼンの嘆願に折れることになった。
ただし、一つだけ条件を出した。
できれば王宮へ入ったばかりの新人にしてほしい、と。
長年王宮へ仕えている侍女では、どうしても必要以上に畏まられてしまう気がした。それよりも、自分と同じようにまだ王宮での暮らしに慣れていない相手の方が、気軽に話せるのではないかと思ったのである。何でも完璧にこなしてくれる人というより、日々のことを話せる相手が欲しかった。
そして、その条件に合う者として選ばれたのがミレイユだったらしい。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。初めまして、私はアリシア・レインフォート。こちらは息子のエドガーです。これからよろしくね」
アリシアは隣に立っているエドガーの髪を優しく撫でながら挨拶をした。
母親から紹介されたエドガーも、今日は珍しく大人しくしている。初対面の相手だからか、少しだけ緊張しているらしい。アリシアの服を片手で掴みながら、教えられた通りにぺこりと頭を下げた。
「お姉ちゃん!よろしく!」
「まあ……!」
ミレイユの顔が一気に綻んだ。
「なんて可愛らしい……!こちらこそよろしくお願いいたします、エドガー様!」
早くもエドガーの方から距離を縮めてしまった。
もっとも、いつものことである。辺境の村にいた頃からエドガーは人見知りをほとんどせず、一度「この人は怖くない」と判断すれば、すぐに懐いていた。第二近衛騎士団のユリウスとも、出会ったその日のうちに手を繋いで歩いていたくらいである。
そんなエドガーを微笑ましそうに見ていたミレイユだったが、ふと何かを思い出したようにアリシアへ向き直った。
「それにしても、アリシア様のお噂はかねがね聞いております!なんでもローゼン様の……!」
「ちょ、ちょっと待って」
嫌な予感がして、アリシアは途中で止めた。
「そんな大層なものじゃないわ。それに、私たちは今のところただの客人だから、そこまで畏まらなくてもいいのよ。アリシアで構わないくらいだわ」
「それはいけません!」
先ほどまでの明るい調子から一転、ミレイユは真剣な顔になり距離を詰め寄った。
「たとえアリシア様がそう仰っても、私はアリシア様を非常に尊敬しておりますので!」
「……尊敬?」
「はい!」
何故か胸を張っている。
アリシアは困惑した。
今日初めて会ったばかりの相手から、いきなり尊敬していると言われても心当たりがない。辺境の村では薬を作ったり、エドガーを育てたりしていただけだ。王宮へ戻ってからも特別なことをした覚えはなく、むしろローゼンに連れ戻されてから数日しか経っていない。
「私、貴方に尊敬されるようなことをした覚えがないのだけど……」
「いいえ!十分ございます!」
ミレイユは力強く否定した。
「私はこちらへ勤め始めてまだそれほど経っておりませんので、四年前のことを直接存じ上げているわけではありません。でも、先輩の侍女や騎士の方々から、お二人のお話はたくさん聞いております!」
「……お二人?」
「もちろん、アリシア様とローゼン様です!」
嫌な予感が的中した。
アリシアは何とも言えない顔になる。
どうやらミレイユは今年王宮へ入ったばかりの新人であり、四年前のアリシアとローゼンを直接知っているわけではないらしい。それでも王宮で働き始めてから、周囲の者たちから昔の二人について随分と聞かされたようだった。
幼い頃から一緒に育ったこと。
王宮内を二人で駆け回っていたこと。
婚約してからも仲が良く、周囲が呆れるほど互いを大切にしていたこと。
そして、一度離れることになったアリシアを、ローゼンがずっと忘れられずにいたこと。
どうやら、そうした話を聞いているうちに随分と二人へ思い入れを持つようになってしまったらしい。
「私、本当に素敵だと思うんです。ずっと一人の方を想い続けて、ようやくもう一度会うことができたなんて……。お二人が王宮へ一緒に戻ってこられたと聞いた時は、私まで嬉しくなってしまいました!」
「待って。話が随分綺麗になってない? 私は本人に嫌だって言ったのに、抱き上げられて馬車へ運ばれたのよ?」
「そのお話も聞きました!」
「えっ、広まってるの!?」
思わず声が大きくなった。
あの日、村人だけでなく大勢の騎士に見られていた以上、いつか噂になるとは思っていた。しかし、王宮へ戻って数日しか経っていないのに、新人侍女の耳にまで入っているとは予想していなかった。
アリシアは恥ずかしさを誤魔化すように額へ手を当てた。
ただ、王宮中の誰もが自分たちの帰還を歓迎しているわけではないらしい。ミレイユが少しだけ声を落として話したところによれば、アリシアとローゼンの関係を好意的に見ている者は確かに多いものの、反対にアリシアやエドガーが王宮へ戻ってきたことを快く思っていない者もいるという。
特にエドガーについては、その出自を巡って様々な噂が飛び交っているらしい。
ローゼンの実子なのか。
もし実子なら、今後どのような立場になるのか。
まだ正式な発表が何もないだけに、余計な憶測ばかりが先行しているようだった。
アリシアはそれを聞いて少しだけ表情を曇らせたが、すぐにエドガーの頭を撫でた。子どもの前で不安そうな顔を見せるつもりはなかった。
「まあ、その話は今はいいわ。それよりミレイユのことを聞かせて。ここへ来たばかりなのでしょう?」
「はい。今年から侍女として働かせていただいております!」
「それで、ここでの生活は楽しんでいるかしら? 王宮なんて慣れるまでは大変でしょう」
アリシアが尋ねると、ミレイユは嬉しそうに頷いた。
「はい!それはもちろんです!まだ失敗することもありますけれど、ローゼン様や先輩の皆さんには常日頃から大変お世話になっています。最初は王宮なんて怖いところだと思っていたのですが、皆さん思っていたよりずっと優しくて……私も早く一人前になれるよう頑張りたいと思っています!」
「そう。それならよかったわ」
明るく話すミレイユを見て、アリシアも自然と笑みを浮かべた。
自分が新人を希望したのは正解だったかもしれない。仕事上の上下関係はあるのだろうが、少なくともミレイユとは気負わずに話せそうだった。
そこでミレイユは、ようやく自分がここへ来た本来の目的を思い出したらしい。袖を捲るような仕草をしながら、気合いを入れて部屋を見回した。
「それでは早速、何かお手伝いを――」
そこで動きが止まった。
そう、部屋は綺麗だった。
寝台は整えられ、脱いだ衣服はきちんと畳まれ、持ち込まれた荷物も整理されている。机の上にも余計なものは置かれておらず、本棚の本まで綺麗に並んでいた。床にエドガーのおもちゃが少し置かれている程度で、それも散らかっているというほどではない。
ミレイユは右を見て、左を見た。
もう一度右を見る。
「こ、これって……私の出番、必要でしょうか?」
その心底困ったような言葉に、アリシアは思わず吹き出した。
「ごめんなさいね。村での習慣が身についちゃったみたいで。向こうでは全部自分でやっていたから、朝起きると無意識に片付けちゃうのよ」
「全部ご自分で!?」
「普通でしょう?」
「私のお仕事がなくなっちゃいますよぉ!」
ミレイユは本気で困っているらしい。
アリシアは笑いながら、少し考えた。
「それなら、無理に身の回りのことを全部してくれなくてもいいわ。私が忙しい時にエドを見ていてくれたり、王宮のことで分からないことを教えてくれたり、それくらいで十分よ。あとは……話し相手になってくれると嬉しいわね」
「話し相手ですか?」
「ええ。私も久しぶりの王宮で、知らないことが増えているもの。だから、あまり侍女だからって気負わなくていいのよ」
その言葉に、ミレイユは少し驚いたようだった。
やがて嬉しそうに笑い、深く頷く。
「分かりました!それでしたら、沢山お話ししましょう!」
すると、ミレイユは何かを思い出したらしく「あっ」と声を上げた。
「そういえば、ローゼン様から伺ったのですが、アリシア様はお料理がお上手なのですよね!昨夜も厨房で温かい牛乳を作られたとか」
「……どうしてそれまで知っているの?」
「ローゼン様が嬉しそうにお話しされていました」
どうやら、あの男は余計なことまで話しているらしい。
「料理が上手っていうほどじゃないわよ。村では自分で作らなきゃいけなかったから、自然と覚えただけ。簡単なものなら一通り作れるけれど」
「それでも凄いじゃないですか! 私なんて厨房に立ったら、料理人の方に『触らないでくれ』と言われました!」
「実は私、それを作るために無断で厨房を使ったのよ。あまり広めないで頂戴」
アリシアはミレイユに耳打ちするように話した。ミレイユはふふふと笑う。
「分かりました!では、このことは二人だけの秘密ですね!」
そんな二人の会話の横では、エドガーがミレイユへ渡した木彫りの馬を指差しながら、「こっちが強いの!」と一生懸命遊び方を説明している。ミレイユも分かったような分からないような顔をしながら、それでも楽しそうに付き合っていたのだった。




