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一度は私を捨てたくせに、今さら口説き直すおつもりですか?  作者: 入多麗夜


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16. 厨房のアリシア

 薄暗い一階の広間に立っていた人物がローゼンだと分かった途端、アリシアは胸元へ当てていた手を下ろし、安堵した反動でじろりと彼を睨みつけた。先ほどまで本気で不審者か何かだと思って警戒していたのだ。


 しかも、エドガーまで自分の後ろへ隠して身構えていたというのに、当の本人はどうしてそんなところで驚かれているのか分からないとでも言いたげな顔をしている。


「何、深夜にフラフラしているのよ。らしくないわよ。こんな暗いところに黙って立っていたら、誰だって驚くでしょう? 私なんて一瞬、本当に怪しい人が入り込んだのかと思ったんだから」


  幼い頃からローゼンを知っているアリシアにとっては、どうにも彼らしくない行動だった。


 四年前までのローゼンは、むしろ生活習慣についてはかなり規則正しい方だった。王太子として朝から予定が詰まっていたこともあり、夜更かしをすれば翌日に響くからと、遅い時間まで起きていることは滅多になかった。幼い頃にはアリシアの方が夜中まで遊びたがり、眠そうなローゼンを無理やり付き合わせたことさえある。それなのに、今は夜もかなり更けているというのに一人で一階まで下りてきている。


「もしかして、貴方も寝られないの?」


 少し声を和らげて尋ねると、ローゼンは観念したように小さく頷いた。


「……まあ、そんなところだ。眠れない時は、たまにこうして下へ降りてくる」

「たまにって、どれくらいよ」

「それは……」

「その反応、絶対たまにじゃないでしょう」


 図星だったらしい。ローゼンは答えようとせず、また黙ってしまった。


 どうやら四年の間に、生活習慣はかなり崩れてしまったようだった。眠れない夜には無理に寝台へ入っていることをせず、こうして一人で部屋を抜け出し、王宮内を歩いたり、一階まで降りてきたりしているらしい。昼間に見た限りでは国王としてきちんと仕事をしているようだったので、まさか夜にそんな過ごし方をしているとは思わなかった。


 アリシアは腰へ片手を当て、呆れたように息を吐いた。


「全く……二人揃って夜更かしって……本当にもう、この子達は……」


 その言葉を聞いたローゼンが僅かに眉を動かす。何か言いたそうな顔をしたものの、アリシアは気にしなかった。


 隣ではエドガーが、先ほどまで暗い廊下を怖がっていたことなどすっかり忘れたようにローゼンを見上げている。自分と同じように眠れないと知って親近感でも湧いたのか、どこか嬉しそうだった。


「寝れないの?」

「……そうだな。今日は少しダメな日だ」

「僕も!」

「お揃いだね。悪い子だなエドガー」


 妙なところで意気投合した二人を見て、アリシアは額へ手を当てた。エドガーだけならまだ四歳なのだから仕方ない。昼間に散々遊んだうえ、初めての王宮に興奮しているのだろう。しかし、ローゼンはもう立派な大人であり、それどころか国王である。子どもと一緒になって「お揃い」などと言っている場合ではない。


「そこ、仲良くならなくていいから。良い? 今から温かい牛乳を作るから、二人はそこで座ってなさい。本当にもう……!」


 アリシアはローゼンとエドガーの二人へ順番に指を向け、近くにあった椅子を示した。エドガーは素直に「はーい」と返事をして座ったが、ローゼンは自分まで指示されるとは思っていなかったらしく、一瞬だけ呆気に取られた顔をする。


「俺もか?」

「当たり前でしょう。眠れないからって深夜にフラフラする人には、温かいものを飲ませて寝かせます。エドと同じよ」

 アリシアはローゼンとエドガーの二人へ順番に指を向け、近くにあった椅子を示した。エドガーは素直に「はーい」と返事をして座ったが、ローゼンは自分まで指示されるとは思っていなかったらしく、一瞬だけ呆気に取られた顔をする。


 そんな二人を残し、アリシアは厨房へ向かった。


 厨房の扉を開けた瞬間、懐かしい空気が鼻をくすぐる。昼間に使われていた大きな竈はすでに火を落とされていたが、石造りの室内にはまだ僅かに温もりが残っており、焼いたパンや香辛料の香りも薄く漂っている。調理台や鍋は綺麗に片付けられ、翌朝すぐに仕事を始められるよう整然と並べられていた。


「やっぱり、あまり変わってないわね」


 アリシアは小さく呟きながら奥へ進んだ。


 幼い頃、厨房に忍び込んだ時は、もちろん料理をするためではなく、ほとんどがお菓子や焼きたてのパンを目当てにしたものだった。ローゼンと二人でこっそり入り込み、棚に置かれていた焼き菓子を一つだけ取るつもりが二つになり、結局料理人に見つかって二人揃って叱られたこともある。あの頃から多少配置は変わっているものの、大まかな造りは記憶と同じだった。


 牛乳が置かれている場所にも見当がついている。


 保存棚を確認すると、予想通り新鮮な牛乳が入った容器が残されていた。アリシアは必要な分だけ小さな鍋へ移し、竈に残っていた炭を利用して火を起こす。


 料理人ほど手際が良いわけではない。それでも、アリシアは簡単な料理なら一通り作ることができた。辺境で暮らしていた頃には自分とエドガーの食事を用意する必要もあり、村人に教わりながら随分と腕を上げたものだ。温かい牛乳程度なら、わざわざ料理と呼ぶほどのものですらない。


 焦がさないよう弱い火でゆっくりと温めていく。鍋の中から湯気が立ち始めると、アリシアは木匙で静かにかき混ぜた。


 その間、厨房の外からは時折エドガーの楽しそうな声が聞こえてくる。


 何を話しているのかまでは聞き取れないが、ローゼンと会話をしているらしい。初めて顔を合わせてからまだ一日も経っていないというのに、随分と懐いたものである。


「本当に人見知りしないんだから……」


 アリシアは苦笑しながら三つのカップを用意した。


 最初はエドガーの分だけ作るつもりだった。しかしローゼンまで眠れずに下へ降りてきたと知れば、一人だけ何もなしというのも妙な気がする。それなら自分も一緒に飲んでしまおうと思い、結局三人分になった。


 程よく温まったところで火から下ろし、三つのカップへ均等に注ぐ。エドガーの分だけは熱すぎないよう少し冷ましてから、盆へ載せて厨房を出た。


「お待たせ。熱いから気を付けてね。特にエドは一気に飲んじゃ駄目よ」

「わあ、いい匂い!」


 エドガーは嬉しそうに身を乗り出した。ローゼンも立ち上がり、アリシアが持ってきた盆を受け取ろうとする。


「俺が持とう」

「いいわよ。これくらい自分で持てるもの」

「三つあるだろう。落としたら危ない」

「そんなに不器用じゃないわよ」


 昔から変わらないやり取りに、アリシアは一瞬だけ懐かしさを覚えた。ローゼンは昔から、こういうところだけ妙に世話を焼きたがる。結局、盆を取り合って牛乳をこぼしては本末転倒なので、アリシアは大人しく近くの卓上へ置いた。


 三人分のカップが並ぶ。


 エドガーは両手で自分のカップを包み込み、湯気を不思議そうに眺めていた。アリシアもその向かいへ腰を下ろそうとして、自分のカップへ手を伸ばす。


 しかし、その直前にローゼンが止めた。


「待ってほしい」

「何よ。まさか牛乳に文句でもあるの?」

「そうじゃない。むしろ飲みたいんだが……ここで寛ぐのはまずい」


 アリシアは意味が分からず、手を止めた。


「どうして?」

「ここは一階の広間だ。夜番の者もいるし、もう少しすれば巡回の衛兵も通る。厨房にも朝の仕込みで早く来る者がいるだろう」

「だから?」

「今ここで三人揃って寛いでいるところを見つかったら、俺まで怒られる」


 その言葉に、アリシアは目を丸くした。


 国王であるローゼンが、一体誰に怒られるというのだろう。


「貴方、王様でしょう?」

「王でも厨房の近くで夜中に勝手なことをしていれば料理長には怒られる。昔からそうだっただろう」


 それを言われ、アリシアは否定できなくなった。


 確かに昔、二人で厨房へ忍び込んだ時も、ローゼンが王太子だからと見逃されたことは一度もなかった。むしろ「殿下まで何をしているのです!」と二人まとめて叱られていた記憶がある。


「それに、君まで一緒に見つかったら余計に面倒なことになる。戻ってきた初日の夜から、二人で厨房へ忍び込んでいたなんて話が広まったら……」

「ちょっと待って。私まで悪いことをしているみたいに言わないでよ。エドの牛乳を作りに来ただけでしょう?」

「分かっている。だが、見た者が事情を考えてくれるとは限らない」


 妙に説得力のある話だった。


 アリシアはカップへ伸ばしていた手を引っ込めると、少し困ったように辺りを見回した。


「えっ、ええ。でも、どこに?」


 何気なく尋ねた瞬間、ローゼンが黙った。

 何故か急に言いにくそうな顔をしている。


「何よ?」

「いや……その……」

「場所を変えようって言ったのは貴方でしょう。だったらどこへ行くのよ」


 ローゼンは僅かに視線を逸らした。国王として人前に立っていた時とはまるで違う。何かを迷っているように口を閉ざし、やがて覚悟を決めたようにアリシアへ視線を戻す。


「私の……部屋に来ないか」


 その一言に、アリシアの動きがぴたりと止まった。

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