14. 白髪の騎士の挨拶
夕方になる頃には、王宮の庭園を照らしていた陽も随分と傾いていた。窓から差し込む光は昼間よりも柔らかな橙色へ変わり、白い石造りの建物や庭園の木々を淡く染めている。昼過ぎからずっと外で遊び続けていたエドガーも、さすがに疲れてきたらしい。窓の外を何気なく眺めていたアリシアは、庭園から王宮へ戻ってくる小さな姿を見つけた。
先ほどまで木の枝を剣代わりに振り回していたエドガーは、今度は若い近衛騎士と手を繋ぎながら歩いている。昼間から随分と懐いていた相手で、白い髪が夕日に照らされてよく目立っていた。エドガーは歩きながらも何か楽しそうに話しており、時折ぴょんぴょんと跳ねている。相手の騎士も迷惑そうな様子は一切なく、むしろ楽しそうに笑いながら話を聞いていた。
「本当に元気ね……」
あれだけ走り回って、まだ跳ねる元気が残っているらしい。子どもの体力はどうなっているのだろうと呆れながら、アリシアは窓から離れた。
部屋の中は、昼間とは見違えるほど綺麗になっていた。王宮へ到着した直後は、辺境から持ってきた荷物が寝台の周辺へ雑然と積み上げられていたのだが、それらはすべて片付いている。衣服は衣装棚へ収め、薬草や薬を作るための小道具は一か所へまとめ、エドガーの玩具や絵本も小さな寝台の近くへ置いておいた。村から持ってきた木彫りのおもちゃだけは、エドガーがすぐに見つけられるよう丸テーブルの上へ並べてある。
「ふぅ、やっと終わったわね」
腰へ手を当てながら部屋を見回し、アリシアは満足そうに頷いた。最初は今日中に終わらないのではないかと思っていたが、始めてしまえば意外と早かった。そもそも辺境で暮らしていた頃から持ち物はそれほど多くない。王宮で暮らしていた少女時代とは違い、必要なものだけを持つ生活にすっかり慣れてしまったのである。
することもなくなり、アリシアは大きな寝台の端へ腰を下ろした。柔らかな寝具が身体を受け止め、思わず息が漏れる。辺境の家で使っていた寝台も決して悪いものではなかったが、王宮のものは比べるまでもないほど柔らかい。身体を預ければ、そのまま眠ってしまいそうになる。
今日は朝から本当に色々なことがあった。村へ突然ローゼンが現れたと思ったら、エドガーと対面し、半ば強引に王宮まで連れて来られた。懐かしい人間や景色と再会したかと思えば、知らなかった事実まで次々と出てくる。ほんの一日前まで辺境の小さな家で薬草を整理していたとは思えないほど、目まぐるしい一日だった。
「今日は早く寝ようかしら……」
そう呟きながら寝台へ少し身体を預けた、その時だった。
コン、コン、コン、コン。
扉が四度叩かれる。
「失礼します。入ってもよろしいですか?」
若い男の声だった。
聞き覚えがあるような気もする。誰だっただろうと考えながら、アリシアが返事をしようと口を開きかけた瞬間だった。
バンッ、と勢いよく扉が開いた。
「ママー!帰ったよー!」
「エド!?」
元気いっぱいの声とともに飛び込んできたのは、当然ながらエドガーだった。扉の前で許可を待っていたらしい人物を完全に置き去りにし、小さな足で一直線にアリシアのところまで駆けてくる。そのまま勢いよく抱きつかれ、アリシアは倒れないよう慌てて身体を支えた。
「お帰りなさい。もう、エドったら。ちゃんと返事を待ってから入らないと駄目でしょう?」
「だってママいたもん!」
「いるのは分かっているでしょうけど……」
叱りながらも、アリシアはエドガーの頭を撫でた。あれほど庭園を走り回っていたというのに、髪や顔には泥らしい泥がついていない。ふと手を取ってみれば、こちらも綺麗になっている。どうやら部屋へ戻る前に手を洗わせてもらったらしい。
「ちゃんと手を洗ったのね。偉いじゃない」
「お兄ちゃんに洗えって言われた!」
「お兄ちゃん?」
誰のことだろうとアリシアが首を傾げたところで、まだ開いたままになっていた扉の向こうから、申し訳なさそうな声が聞こえてきた。
「すみません……勝手に覗いてしまって」
アリシアが顔を上げると、一人の若い騎士が扉の前に立っていた。
白い髪が特徴的な青年だった。年齢はローゼンと同じくらいか、少し上といったところだろう。近衛騎士らしい整った制服を身に纏っているものの、堅苦しい印象はあまりない。むしろ柔らかな表情と気さくそうな笑顔のせいか、騎士というよりも近所の面倒見のいい青年のような雰囲気すらあった。
「良いのよ。うちのエドがごめんなさいね。返事も待たずに勝手に開けちゃって」
「いえいえ。お気になさらないでください。私は子どもの面倒を見るのは得意としておりますので、ご心配なさらず」
青年は笑いながら答えた。どうやら本当に気にしていないらしい。それどころか、エドガーへ目を向けると親しげに手を振っている。エドガーもアリシアへ抱きついたまま、嬉しそうに手を振り返した。
そのやり取りを見て、アリシアはようやく思い出した。
「あっ……貴方、村から一緒だった人ね」
「覚えていただけていましたか」
青年は嬉しそうに笑うと、今度は姿勢を正した。先ほどまでの親しみやすい雰囲気はそのままだが、近衛騎士らしく胸へ手を当てる。
「改めまして、私の名はユリウス・エーベルと申します。『第二近衛騎士団』の隊長を務めております。ついでに申し上げますと、アリシア様のお迎えに参りましたのも我々でございます」
「アリシア・レインフォートです。どうぞ王宮にいる間は、よろしくお願いします」
「こちらこそ。何かございましたら、遠慮なくお申し付けください」
やはり、辺境の村でエドガーの手を引き、後方の馬車へ連れて行ってくれた騎士だった。王宮へ到着してからも何度かエドガーのそばにいる姿を見かけている。先ほど庭園で遊んでいた時にエドガーから「お兄ちゃん」と呼ばれていたのも彼だったのだろう。
それにしても、とアリシアは一つ気になることがあった。
「そういえば、『第二近衛騎士団』って……私が王宮にいた頃はなかったような気がするのだけれど」
「はい。その認識で間違いありません。以前は単に『近衛騎士団』と呼ばれておりましたから」
ユリウスは気さくに笑った。
「ローゼン様が王位へ即かれてから、王宮内外の体制を見直すことになりまして。その際に第二近衛騎士団という構想が生まれました。正式に設立されたのは、騎士団の南方遠征が決まった頃ですね」
「南方遠征?」
「ええ。もっとも、戦争をしに行っているわけではありませんよ」
アリシアが少し驚いたことに気付いたらしく、ユリウスはすぐに付け加えた。話を聞けば、現在、王国の南方に位置する複数の国々の間で争いが続いているらしい。この巨大な王国そのものが戦争へ参加しているわけではないものの、争いが国境周辺へ波及する可能性があるため、調停と監視を目的として大規模な騎士団が派遣されているのだという。
「今は団長と副団長、それから第一近衛騎士団の隊長を含め、騎士団全体の七割近くが南方へ出ております。第一近衛騎士団も大半がそちらへ同行しておりますので、現在王宮に残っている近衛の主力は、我々第二近衛騎士団というわけです」
「七割も?」
「人数だけ聞けば驚きますよね。ただ、国境の警備に加えて、現地での監視や使節団の護衛まで必要ですから。こちらから戦を仕掛けるための遠征ではありませんので、その点はご安心ください」
第二近衛騎士団は、完全に独立した大きな騎士団というより、第一近衛騎士団から分かれた一分隊に近い立場なのだという。王宮の警護や国王の護衛を補佐するために設けられ、状況に応じて役割を分担しているらしい。今回のように第一近衛騎士団の主力が王都を離れている時には、第二近衛騎士団が警備の中心を担うことになる。
アリシアが王宮を離れていた間に、騎士団の仕組みも随分変わったらしい。四年という歳月を改めて感じながら話を聞いていると、足元を何かが通り過ぎた。
「エド?」
エドガーだった。
先ほどアリシアから離れたかと思えば、今度はアリシアとユリウスの間を意味もなく行ったり来たりしている。話の内容にはまったく興味がないらしく、アリシアの脚を一周したあと、ユリウスの周囲をぐるりと回り、またアリシアのところへ戻ってきた。
「何をしているの?」
「べつにー」
「別にって……」
言いながら、今度は反対方向へ回り始める。アリシアはしばらく放っておいたものの、何度目かに目の前を横切ったところで身体を捕まえ、そのまま抱き上げた。
「捕まえた!」
「わー!」
「お話している人の周りをぐるぐる回らないの。目が回るでしょう?」
腕の中で楽しそうに笑うエドガーを見て、ユリウスも声を上げて笑った。
「元気でいいじゃないですか。私としては、このくらいの方が安心します」
「随分と慣れているのね」
「ええ、それはもう。私、七人兄弟の一番上なんですよ」
「七人!?」
思わず聞き返すと、ユリウスは少し誇らしそうに頷いた。
「下に六人おります。小さい頃から弟や妹を抱っこしたり、食事をさせたり、喧嘩の仲裁をしたりしてきましたから。子どもの相手なら騎士の仕事と同じくらい慣れていますよ」
「それならエドがすぐ懐いたのも納得だわ」
「嬉しいことです。ですので、騎士団は今かなり出払っておりますが、その辺りも含めて何か困ったことがございましたら、気軽に声を掛けてください。もちろんアリシア様の護衛についても、我々が責任を持って務めますので!」
最後は明るく言い切った。若くして一隊を任されているだけあって頼もしさはあるものの、話していると堅苦しさをまるで感じない。王宮へ戻ってきたばかりで知らない顔が増えているアリシアにとって、こういう人物が近くにいることはありがたかった。
「ありがとう。これからお世話になるかもしれないわね」
「ええ、いくらでもどうぞ」
そう答えたユリウスは、ふと思い出したように制服の小さな袋へ手を入れた。
「そうだ。エドガー様。これをどうぞ」
「なに?」
差し出された手のひらには、小さく包まれた菓子が一つ載っていた。エドガーは途端に目を輝かせる。
「おかし!」
「庭園でたくさん遊んだから、ご褒美です。ただし、夕食前ですから一つだけですよ」
「やったー!」
エドガーはアリシアの腕の中から身を乗り出し、嬉しそうに菓子を受け取った。すぐに包みを開けようとする小さな手を、アリシアが横から止める。
「待ちなさい。今すぐ食べるつもり?」
「だってもらったよ?」
「夕食前だから一つだけって言われたでしょう。それなら夕食をちゃんと食べられるって約束できる?」
「できる!」
あまりにも即答だったため、アリシアは疑わしそうに目を細めた。しかしエドガーは菓子を大事そうに握り締めながら、何度も「できる」と頷いている。
そんな親子のやり取りを微笑ましそうに眺めたあと、ユリウスは改めて一礼した。
「それでは、私はこれで失礼いたします。夕食の頃には侍女が迎えに参りますので、それまではごゆっくりお過ごしください」
「ええ。エドの面倒も見てくれてありがとう」
「いえいえ。私も楽しかったですから」
「お兄ちゃん、また遊ぼーね!」
エドガーが元気よく手を振ると、ユリウスも扉の前で振り返り、同じように手を振り返した。
「もちろん。また遊びましょう」
そう言い残して、白髪の若い騎士は部屋を後にした。
扉が静かに閉まったあと、アリシアは腕の中にいるエドガーへ目を落とす。エドガーはすでに菓子へ夢中で、嬉しそうに包みを眺めていた。どうやら王宮へ来てまだ一日も経っていないというのに、早くも新しい遊び相手を見つけてしまったらしい。
「本当に、誰とでもすぐ仲良くなるんだから」
「お兄ちゃん、やさしいよ!」
「そうね。優しそうな人だったわね」
アリシアはそう答えながら、閉ざされた扉へもう一度目を向けた。
少なくとも、あの気さくな彼になら、エドガーを任せても大丈夫そうな気がしたのだった。
白髪は、『はくはつ』の方で『しらが』の方ではないです笑




