110. 足りない人手
翌朝、アリシアはアルノーに案内され、北部警備隊の仕事を改めて見せてもらうことになった。昨夜から冷え込んでいたため、石造りの建物を出た途端に冷たい風が頬へ当たり、厚い雲に覆われた空の下では兵士たちがすでに持ち場へ散っている。エレナを暖かな布で包んで抱きながら、アリシアは彼らの動きを邪魔しないよう少し離れた場所へ立った。
王妃が視察に来たとなれば、普段より丁寧に仕事をしようと考える者がいても不思議ではない。それではここまで来た意味がないため、アリシアはアルノーにも兵士たちにも、自分に構わず普段通りに働いてほしいと伝えていた。時折こちらを気にする者はいるものの、やがて兵士たちはそれぞれの仕事へ意識を戻していった。
門の近くには荷馬車が一台止められており、兵士が商人から受け取った書類へ目を通している。荷台には大小さまざまな木箱と麻袋が積まれ、書類を確認した兵士は商人へ幾つか質問したあと、荷台へ上がって手近な木箱の蓋を開けた。中に収められていた布を持ち上げ、奥まで軽く確認すると、蓋を元の位置へ戻して次の荷物へ移る。
けれど、すべてを調べるわけではなかった。荷台に積まれた十を超える荷物のうち、兵士が中まで確かめたのは数個だけであり、残りは書類との照合を済ませるとそのまま通している。商人が手綱を握って門の奥へ進む頃には、外で待っていた次の荷馬車がすぐ同じ場所へ入ってきた。
アリシアは口を挟まず、その仕事を見続けた。二台目の荷馬車でも同じように書類を確認し、積み荷の一部を開けて中身を見る。今度は薬草を詰めた袋があったものの、兵士は上の方を確かめただけで袋を閉じ、その下に積まれた別の袋まで調べることはなかった。
最初は、これほど簡単な確認で大丈夫なのかと思った。ところが、その兵士が三台目の荷馬車を調べている途中、別の場所から呼び声が上がる。巡回を終えた兵士たちが戻ってきたらしく、一人が報告を受け取るため建物へ向かい、代わりの兵士が荷物の確認へ入った。
門の反対側では、別の兵士が町へ向かう隊の準備を進めていた。厩舎から馬を連れ出す者もいれば、届いた書状を持って建物へ駆け込む者もいる。荷物を調べるためだけに兵士たちがここへ集まっているわけではなく、それぞれが本来の仕事を抱えながら、その合間に行き交う商人の荷物まで確認しているらしい。
昼近くまで眺めているうちに、アリシアにも事情が見えてきた。検査自体は行われているものの、すべての荷物を詳しく確認できるほどの余裕はない。書類を見て、商人に尋ね、積み荷の一部を確かめ、目立った問題がなければ通す。それ以上の時間を一台へ使えば、門の外に並ぶ荷馬車が増えていく。
だからといって、兵士たちの働き方を責める気にはなれなかった。むしろ朝から見ていたアリシアには、今より丁寧に調べるよう求める方が無理だと分かる。巡回や周辺地域への対応まで抱えた人数で、次々に到着する荷物を一つ残らず調べろと言われても、できるはずがない。
「アルノー。一つ聞いてもいい?」
近くで部下から報告を受けていたアルノーが話を終え、アリシアのところへ戻ってくる。アリシアはちょうど門を抜けていく荷馬車を見送りながら、朝から気になっていたことを尋ねた。
「荷物を調べる仕事って、元々は北部警備隊の仕事なの?」
「いいえ。本来の任務には含まれておりません」
予想していたとはいえ、返ってきた答えにアリシアは眉を寄せた。アルノーによれば、北部警備隊が担うのは街道や周辺地域の警備をはじめ、町や村で問題が起きた際の対応、治安維持に関わる仕事が中心だという。商人の荷物を調べるために設けられた組織ではない。
「商人が増えてから、荷物を確認する必要も出てきたということ?」
「はい。この辺りを通る荷馬車が増え、それに伴う問題も増えました。現在は可能な範囲で我々が確認しています」
「それなら、人が足りなくなるのも当然ね」
アリシアは朝から抱いていた違和感の正体をようやく理解した。荷物の検査が十分に機能していないからといって、北部警備隊へさらに仕事を増やしても何も解決しない。彼らは自分たちの役目を抱えたまま、本来なら担当していなかった仕事まで引き受けている。
腕の中でエレナが身じろぎしたため、アリシアは娘の身体を抱き直した。目の前では次の荷馬車が止まり、兵士が同じように商人から書類を受け取っている。その光景を改めて眺めると、今行われている検査は危険な商品を確実に見つけるためというより、最低限の確認を行っているという意味合いの方が強く見えた。
午後になって建物へ戻ると、アリシアはアルノーに王国全体の道が分かる地図を見せてもらえないかと頼んだ。案内された部屋の大きな机には、ほどなくして何枚かの地図が広げられ、北部から王都、その先の国境付近までを結ぶ道が細かな線で描かれていく。
アリシアは椅子へ座らず、エレナを抱いたまま机の前へ立った。以前暮らしていた北部の村から王都へ続く道を見つけ、そこから視線を周囲へ広げていく。主要な街道だけでなく、町同士を結ぶ道や山間部へ向かう道まで記されており、王国の中を人と物がどのように移動しているのかが一枚の地図から見えてきた。
「この印は何?」
「警備のため兵を配置している場所です。こちらは国境に近いため規模も大きくなっています。山を越えられる道にも監視のための拠点があります」
アルノーが指し示した場所を追っていくと、国境付近には多くの印が並んでいた。隣国へ続く主要な道はもちろん、軍が通過できる山道や橋の周辺にも監視のための場所が置かれている。王都へ近づけば、重要な街道や王家にとって重要な場所を守るための配置も増えていた。
「じゃあ、関所はどれ?」
今度は別の印をアルノーが示した。アリシアは最初の一つから順番に目で追い、次を探して視線を動かしていく。ところが、国境や要所を守るための印と比べると、その数は思っていたよりずっと少なかった。
「……これだけ?」
「はい。現在、常設されているものはこちらになります」
アリシアは地図から顔を上げず、王国を縦横に走る道をもう一度見渡した。人が侵入してこないよう警戒する場所は数多く用意されているのに、国内を大量に行き交う荷物を確認する場所となると途端に少なくなる。
北部で物流が急速に増えたことも、警備隊が本来の仕事ではない荷物検査を担っていることも、目の前の地図に記された関所の少なさも、別々の問題には思えなかった。アリシアは地図の上に伸びる街道をじっと追いながら、王宮で報告書を読んでいただけでは見えなかったものを考えていた。




