↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一度は私を捨てたくせに、今さら口説き直すおつもりですか?  作者: 入多麗夜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

111/114

108. アリシアが消えた

 朝の王宮には、東側の窓から淡い光が差し込み始めていた。夜の冷え込みが残る廊下を使用人たちが行き交い、厨房のある階からは朝食の支度を始める物音がかすかに届いている。ローゼンはこのあと執務室へ向かう予定だったが、その前にアリシアの顔を見ておこうと思い、いつもの道を通って彼女の部屋へ向かった。


 特別な用事があったわけではない。今日も午前からいくつか予定が入っており、一度執務を始めれば昼まで顔を合わせられない可能性もあった。昨夜はエレナを寝かしつけている途中で別れたため、その後きちんと休めたのか聞いておきたい気持ちもあり、ローゼンはアリシアの部屋の前で足を止めた。


「アリシア、入る」


 扉を叩いて声をかけても返事がない。エレナがまだ眠っていて、起こさないよう静かにしているのかもしれない。そう考えて少し待ってから扉を開けると、朝日を受けた室内には誰の姿もなく、窓辺の長椅子にも昨夜まで置かれていたエレナの毛布がなかった。


 ローゼンは奥へ進み、寝室へ続く扉を開いた。寝台はすでに整えられており、アリシアがまだ休んでいる様子もない。エレナを抱いて王宮内を歩いているのだろうと思いかけたところで、棚の一角に目が留まった。


 エレナの着替えを入れていた場所に空きができている。近くに置かれていた外出用の包みもなく、アリシアが旅に使っている鞄まで姿を消していた。短い外出なら必要のないものまで持ち出されているのを見て、ローゼンは部屋の中央へ戻った。


「……どこへ行ったんだ?」


 問いかけに答える者はいない。昨夜までアリシアがエレナを抱いていた部屋には、二人が出ていった痕跡だけが残されていた。ローゼンは廊下へ出ると、近くで花瓶を整えていた侍女を呼び、今朝アリシアを見たかと尋ねた。


「いいえ。今朝はまだ、王妃陛下のお姿を拝見しておりません」

「分かった。正門へ行って、今朝王妃の馬車が出ていないか確認してくれ」


 侍女を見送ったローゼンは、もう一度室内へ戻った。エレナまで連れている以上、アリシアが何の準備もなく王宮を出たとは思えない。空いた棚やなくなった鞄を見れば、少なくとも本人が自分の意思で荷物を用意したことは分かった。


 ほどなくして廊下を急ぐ足音が近づき、先ほどの侍女が戻ってきた。早朝、アリシアを乗せた馬車が正門から出ており、腕にはエレナが抱かれていたという。馬車の前後には王宮の兵士も数名ついており、彼らには事前にアリシアから護衛を頼む話が伝わっていたらしい。


「行き先は?」

「北部と伺っております」


 ローゼンの視線が、アリシアのいない部屋へ向いた。北部なら家族四人で訪れ、つい先日戻ってきたばかりである。そこへ今度はエレナと数名の兵士だけを連れて向かったとなれば、何か目的があるのは間違いなかった。


 誘拐されたわけでも、何かに追われて王宮を飛び出したわけでもない。アリシア自身が荷物を用意し、兵士まで手配している。その点では安心できたものの、北部へ戻る理由についてローゼンは何も聞いていなかった。


「パパ?」


 廊下の向こうから幼い声がして、ローゼンは振り返った。寝起きらしく少し髪を乱したエドガーがこちらへ歩いてくる。母親の部屋の前に人が集まっているのを見つけたらしく、眠気の残った顔でローゼンと侍女を交互に見上げていた。


「どうしたの?」

「おはよう、エドガー。ママがどこへ行ったか知らないか?」

「ママなら、おでかけしたよ」


 あっさり返ってきた答えに、ローゼンは息子を見つめた。エドガーは父親がなぜ驚いているのか分からないらしく首を傾げていたが、やがて何かを思い出したように目を大きくした。


「あ、そうだ。ママからパパにおてがみ!」

「手紙を預かっているのか?」

「うん。ぼくがおきたら、パパにわたしてっていってた」


 エドガーは踵を返し、自分の部屋へ向かって駆けていった。ローゼンは遠ざかっていく小さな背中を見送り、ようやくアリシアが何も伝えずに出ていったわけではないと知った。早朝に出発するため、まだ眠っていたエドガーへ自分宛ての手紙を預けていたらしい。


 少しして戻ってきたエドガーは、封書を落とさないよう両手で大切そうに持っていた。ローゼンが受け取ると、息子はきちんと役目を果たせたことが嬉しいらしく、その場から離れず父親が封を開くのを見上げている。


「ありがとう、エドガー。ちゃんと届けてくれたな」

「ママ、家にいくっていってたよ」


 便箋には見慣れたアリシアの文字が並んでいた。北部で少し確かめたいことがあり、エレナを連れて向かうこと。道中の護衛として王宮の兵士を数名借りたこと。朝早く出発するため、エドガーへ手紙を預けたことが簡潔に書かれている。


 ローゼンは最後まで目を通したあと、もう一度最初から読み返した。何を確かめるのかまでは書かれておらず、帰る日についても用事が済み次第としか記されていない。それでもアリシアが自分の判断で北部へ向かったと分かれば、先ほど部屋に入った時から感じていた不安は薄れていった。


「ママ、いつかえってくるの?」

「用事が終わったら帰ってくるそうだ。エドガーは、それまで私と待っていよう」

「うん。エレナもいっしょなんだよね?」

「ああ。二人とも一緒だよ」


 ローゼンは手紙を丁寧に折り直すと、封筒へ戻した。何を見つけて北部へ向かったのかは、帰ってきたアリシアから聞けばいい。護衛を連れ、行き先まで残している彼女を追い戻す理由もなく、今は王宮で待つことにした。



 ◇



 王都を離れて北へ延びる街道には、朝から多くの馬車が行き交っていた。荷台いっぱいに木箱を積んだものや、布をかけた大きな荷物を運ぶものがあり、途中の分かれ道では別の地方から来た商人の一団も合流している。整備された道を車輪が進むたびに乾いた音が響き、その中を王宮から出た一台の馬車が北へ向かっていた。


 馬車の前後には、アリシアが王宮から借りた兵士たちがいる。車内ではアリシアがエレナを腕に抱き、窓の外を流れていく景色を眺めていた。揺れが心地よいのか、エレナは母親の胸元に頬を寄せて眠り、小さな指で服を掴んだまま離そうとしない。


 アリシアはエレナの背中を支えながら、傍らに置いていた一枚の紙へ目を落とした。そこには北部で売られている薬について記されており、かつてこの地で薬師として暮らしていた王妃が作っていた薬だと称して、商人たちが各地へ持ち込んでいるという。


 同じような薬なら、別の薬師が作って売ること自体はおかしくない。問題は、アリシアが作ったものだと受け取られるような売り方がされているうえ、実際に口にした者の中から体調を崩す者が出ていることだった。


 窓の向こうを、大きな荷馬車が反対方向へ通り過ぎた。荷台には蓋を閉じた木箱が隙間なく並べられていたものの、その中身までは外から分からない。続いて二台、三台と別の馬車が現れ、北部から王都へ向かって進んでいった。


「これだけ増えれば、全部を見るのは難しいわよね」


 アリシアは紙を膝の上へ置き、街道を行き交う荷馬車を目で追った。以前この地方で暮らしていた頃には、見知らぬ商人の馬車が何台も続けて村の近くを通る光景など滅多になかった。道が整い、人が集まり、北部の村々が豊かになっていくことを嬉しく思っていたからこそ、その変化に追いついていないものがあるのではないかと気になった。


 問題の薬を売った人間だけを見つけても、同じような品が別の荷馬車に積まれて入ってくれば繰り返される。北部へ入る荷物はどこを通り、誰が確認し、問題が見つかった時にはどこへ行くのか。アリシアが王宮から兵士まで借りて北へ戻ったのは、それを自分の目で確かめるためだった。


 馬車が進むにつれて建物が増え、街道沿いには馬を休ませる場所や、旅人を迎える宿の看板も見えるようになった。前回訪れた時にも北部の変化には驚かされたが、今日は商人の馬車や積み荷へ自然と目が向き、同じ道を通っているのに見えるものが違っていた。


 やがて街道の先に、石造りの塀と見張り台を備えた建物が姿を現した。門の前には北部一帯を担当する兵士たちが立ち、出入りする騎馬や荷馬車を確認している。今回アリシアが最初の目的地に選んだ、北部警備隊の拠点だった。


 アリシアは膝の上の紙を折り畳み、眠っているエレナの身体を抱き直した。王宮で資料を読んでいるだけでは、荷馬車がどれほど増え、現場の兵士が何を確認できているのかまでは分からない。まずは北部を守っている者たちから直接話を聞き、そのうえで実際の街道を見るつもりだった。


 速度を落とした馬車が門へ近づくにつれ、王家の紋章に気づいた警備兵たちが姿勢を正していく。アリシアは目を覚ましかけたエレナの背中へ手を添えながら、北部警備隊の拠点をまっすぐに見つめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。